異物が侵食する日常:不条理が描く忌まわしき物語集

玄道

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Memento mori

Ignoramus et ignorabimus(我々は知らない、知ることはないだろう)

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 朝の光は平等に照らし出す──見たくないモノでさえも。

 七月。

 パート先のスーパーへ向かう途中に、その子は──否、"それ"はいた。
 
 ──猫の、死体!?

 内臓が飛び出ているが、虫は湧いていない。この暑さで蝿すら飛んでこないのか。

 道路脇に放置され、血溜まりもない。

 学校の近く──住宅もそれなりにある。

 爽やかな朝の気分が砕け散った。

 ──合掌するべきだろうか。

 ──止そう、朝の通学路だ。

 私は自転車を停め、スマホを取り出す。

『道路 動物 死体 通報』と検索する。

 ──道路緊急ダイヤル?

 迷わずタップした。

 コール音。

 ──出て、早く。

 繋がらない。

 私は、自転車に跨がって職場へ急いだ。

 ◆◆◆◆

 職場のバックヤードで、履歴からかけ直す。今度は繋がった。

 音声ガイダンスが流れ、指定された番号をタップする。

『こちらは、道路緊急ダイヤルです。道路の異常、落下物の情報を受け付ける窓口です……』

 オペレーターに接続する。

「はい、道路緊急ダイヤルです。どのような……」

「おはようございます、あの……道路上に……その……猫の、死体が」

「はい、道路上に猫の死骸ですね? 場所は何県何市でしょうか?」

 ──何てのんびりした対応だろう。

「✕県△△市の……」
 
 ──これが、普通の対応なんだろうな。

 説明を終え、最後に私の氏名とスマホの番号を告げる。死骸の位置が不明な際に連絡するらしい。

「すみません、よろしくお願いします……では失礼します」
 
 制服に着替える。
 
 ◆◆◆◆
 
 仕事中、あの子の事が頭にこびりついて離れない。
 
 それでも、普段通りにこなす自分に恐怖を覚えた。

 ペットフードの棚の前で、息が苦しくなる。

 一日が長く、辛い。

 先輩の八坂やさかさんが、お昼に話しかけてくる。

「今日、なんか元気ないね?」

「はぁ……ちょっと暑さで……」

「へぇ、そうね……暑すぎよね。"気が変になりそう"だわ」
 
 ◆◆◆◆
 
 仕事終わりに夕食の買い物を済ませ、あの道を通る。

 業者の仕事は完璧だった。

 すさまじく綺麗なアスファルトに、吐き気がした。

 残像は、目に焼き付いている。

 目に焼きついた内臓、何故か無かった血溜まり。

 私の感情は、きちんと機能しているのだろうか?

 ◆◆◆◆

 夫には、何も言わずに夕食を作る。

「おっ、天ぷら?」

「うん……野菜、いっぱい揚げるからね」

惇子じゅんこ?」

「…………風呂、入ってきて」

「お、おう」

 ──確かに、あの子はあそこにいたのだろうか。

 私は、急に寒気を覚えた。

 ──血溜まりが、何処にも無かった。まるで血抜きをして、そこに置いたかのように。

 八坂の言葉が、無限に反響する。

 私は慌てて、恐ろしい妄想を否定する。

 ──それだけはない。あってはならない。
 
 ◆◆◆◆

「なんか……どうした?」

 無言の私に、佑典ゆうすけは何を見ているのだろう。

「ん? 美味しくない?」

「んな事あないけど」

「ゴーヤ、美味しいよね」

「ああ」

 ──誰一人、気にもしなかった。路傍の石のように。

「……なんか、今日の君ちょっと……いや、ごめん」

「ん?」

「いや、ご飯……なんか……多くないか、って」

 ◆◆◆◆

「おやすみ」

「なあ……たまには」

「…………ごめん、疲れてるの」

「だ、だよな。俺も……だよ、ごめん」

 ──あの子も、親猫がいたのよね。

 眠りに落ちる。

 夢にあの子は出てこない。

 ◆◆◆◆
 
 午前三時。
 
 起きてしまったので、スマホを弄る。
 
『道路 動物 死体 その後』と打ち込む。
 
 ──一般ゴミとして、焼却処分。
 
 ──ゴミ、か。
 
 眠れなくなった。

 もう一度検索する。

『小動物を殺す人』
 
 私は、何をしているのだろう。

 ──もし、あれが人だったら……。
 
 脳が、警報を鳴らす。

『関わるな。それは底無し沼だ』

 ◆◆◆◆

 私は、本能の警句すら聞かない女だった。

 毎朝、同じ道を通る。

 あの子が、事故に遭ったのだと己に言い聞かせるために。

 その度に、私の顔はずぶ濡れになる。

 夏が過ぎ、秋になろうと変わらないだろう。

 あの子は、死体として私と出逢った。それを"出逢い"と呼んで正しいかは知らない。

 首輪も無かったあの子は、きっと名もなかったのだろう。

 名付けてくれる人もなく、激痛と共に短い生涯を終え、死して尚その存在は"ゴミ"として処理される……。まるで、初めからいなかったように。

 ◆◆◆◆

 昔、級友の葬式に参列した時の事だ。

 親しかった者たちが、美奈子みなこに口々に別れを告げる中、彼女は炉の中に呑み込まれ、骨と灰になって戻ってきた。

 私は、空気に呑まれ、悲しくもないくせに泣いていた。

 ただ、全てが遠く、虚しさを覚えていた。

 ──私は……まるでサイコパスだ。

 ◆◆◆◆

 その場の誰とも共有できなかった虚しさを、名もなき猫が掘り返した。

 そして、毎朝私に囁きかける。

『思い出せ、忘れるな。全てのモノに終わりがある事を』
 
 私は、答える。

 ──ええ……もう、終わってしまったわ。

 
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