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デルタの聖心
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三
九月五日 午前六時 K市駅前ホテル
目覚めてすぐ、プランクを一分。
テレビを点ける。
民法の情報番組にチャンネルを合わせる。
ツイストホールドの姿勢で、じっと画面を睨む。
闇バイト、サプリメントの健康被害のニュース……。K市で起きた、奇妙な事件の報道はない。
それはそうだろう。実際に遺体が見つかったのではない。事件性があるかどうかもわからないのに、報道なんて。
スポーツコーナーに切り替わったところで、キャリステニクスを始める。
体温が上昇し、筋肉が疲労する。
番組と共にトレーニングを終え、シャワーを浴びる。
テレビを消し、ラップトップを起動する。
"K市 事件"、"K市 2024年8月 殺人"……やはり、一件もヒットしない。
それはそうだ。
あの異常な死体写真、そしてそれらが『PCの中に保存されていただけ』という事実。それらを総合すれば、発表されない可能性はゼロではない。
私は、理紗への糸が、"deltacorpse"しかないことを、いい加減受け入れねばならないのだ。
──もう、警察に任せて帰ろうか。
私は、自分の頬に平手を食らわす。
手がかりがあるなら、細い蜘蛛の糸でも手繰るべきだ。理紗ならそうする。
理紗の言葉が、フラッシュバックする。
◆◆◆◆
高校生の頃だ。
彼女は、常々私に言っていた。
『人の価値は、"その者が為すべきを為す"ことにあるわ。利奈? 自分の為すべき事があるなら、やり尽くしなさい』
私はその言葉を、大学の心理学講師時代も支えにしてきた。
そして、己の学術的探求心と、姉の言葉に突き動かされて、犯罪心理学者として道を踏み外し、私は職を辞した。
──為すべきを為したのだ、後悔はない。
◆◆◆◆
私は、現在に帰還する。
幼い頃から聞いてきた理紗の言葉が、今も私の杖となって、私を導いているのだろう。
ディスプレイを見つめる。
例えるなら、五つの死体画像は置き手紙……否、警告文なのだろう。
『来るな、立ち去れ』という。
──ごめんなさい、それでも貴方を探すわ、姉さん。
貴方の言葉に従って、為すべきを為すわ。
◆◆◆◆
午前十時 K市郊外
少し山に近い、理紗が寄り付きそうな所に"当たり"をつけて散策する。
近代的な建物が、幾つかできていた。
記憶では、ここには飼料工場があった筈だ。
九年の月日が、一瞬で私を拒絶した。街路樹の根元に積もる土の匂いだけが、記憶と変わらない。
跡には、ビルが建っていた。その一つに、意識が集中する。
『デルタの聖心会館』。
──宗教施設?
一見、ただの雑居ビルに見える無機質な建物は、まるごと『デルタの聖心』なる団体の所有物らしい。私の記憶に、そんなカルトは無かった。
デルタという言葉が、私に"deltacorpse"を連想させる。
ビルを見上げながら、しばらく立ち尽くしていると、中から人が姿を見せた。
「あの……何かご用の方でしょうか」
三十代ほどの男性。彫りが深い、西洋風の厳つい顔つきからは想像もつかない、柔らかな物腰だ。
黒い服に身を包んでいるところから、聖職者の立ち位置なのだろう。
「『デルタの聖心』に興味がおありですか?」
──調べるべきかもな。
「ええ」
私の判断は、迅速だった。
「こちらへ。私は、ここの管理を任されております吹田といいます」
「大橋利奈です」
私は、虎穴に入る。虎子を得るために。
◆◆◆◆
五分後 デルタの聖心会館 応接室
「デルタ……三角形というのは、全ての基礎となる概念です。世界の様々な宗教においても、三位一体、三神一体という概念が見受けられます」
壁は白く、床は磨き立ての無機質な艶を放っていた。空気は乾いて音を跳ね返す。ここには祈りの残り香すらない。
私は、吹田エミールと名乗った男から、デルタの聖心について話を聞いていた。
私は、こくこくと頷く。
第一印象の通り、吹田は聖職者だった。フランス人の血を継いでいると言う。
エミールという名に、私は面食らった。
理沙が好みそうな名だ。
「数学でも、三角形分割といって、平面上の多角形は図形の最小単位……デルタの集合体なのです」
知っている言葉だが、傾聴の姿勢は崩さない。喋る相手からは、可能な限り情報を吐き出させる。
「……何かご質問は?」
私は、右手を軽く上げる。
「どうぞ」
「その……デルタの聖心は、三角形という図形を信仰の対象に?」
「そういうことです。三角形というものは、全ての基礎……全ては、三角の檻の庇護下にあるのです」
──檻。
三角形への信仰……なら、あの死体画像が、デルタの聖心と関係しているなら、あれは生け贄か……磔刑像のようなものなのか?
背筋に無数の虫が這うような、嫌な感覚がした。
「如何なさいました? 冷房が効きすぎましたか」
「……すみません」
本当に……何があったのよ。理紗!!
九月五日 午前六時 K市駅前ホテル
目覚めてすぐ、プランクを一分。
テレビを点ける。
民法の情報番組にチャンネルを合わせる。
ツイストホールドの姿勢で、じっと画面を睨む。
闇バイト、サプリメントの健康被害のニュース……。K市で起きた、奇妙な事件の報道はない。
それはそうだろう。実際に遺体が見つかったのではない。事件性があるかどうかもわからないのに、報道なんて。
スポーツコーナーに切り替わったところで、キャリステニクスを始める。
体温が上昇し、筋肉が疲労する。
番組と共にトレーニングを終え、シャワーを浴びる。
テレビを消し、ラップトップを起動する。
"K市 事件"、"K市 2024年8月 殺人"……やはり、一件もヒットしない。
それはそうだ。
あの異常な死体写真、そしてそれらが『PCの中に保存されていただけ』という事実。それらを総合すれば、発表されない可能性はゼロではない。
私は、理紗への糸が、"deltacorpse"しかないことを、いい加減受け入れねばならないのだ。
──もう、警察に任せて帰ろうか。
私は、自分の頬に平手を食らわす。
手がかりがあるなら、細い蜘蛛の糸でも手繰るべきだ。理紗ならそうする。
理紗の言葉が、フラッシュバックする。
◆◆◆◆
高校生の頃だ。
彼女は、常々私に言っていた。
『人の価値は、"その者が為すべきを為す"ことにあるわ。利奈? 自分の為すべき事があるなら、やり尽くしなさい』
私はその言葉を、大学の心理学講師時代も支えにしてきた。
そして、己の学術的探求心と、姉の言葉に突き動かされて、犯罪心理学者として道を踏み外し、私は職を辞した。
──為すべきを為したのだ、後悔はない。
◆◆◆◆
私は、現在に帰還する。
幼い頃から聞いてきた理紗の言葉が、今も私の杖となって、私を導いているのだろう。
ディスプレイを見つめる。
例えるなら、五つの死体画像は置き手紙……否、警告文なのだろう。
『来るな、立ち去れ』という。
──ごめんなさい、それでも貴方を探すわ、姉さん。
貴方の言葉に従って、為すべきを為すわ。
◆◆◆◆
午前十時 K市郊外
少し山に近い、理紗が寄り付きそうな所に"当たり"をつけて散策する。
近代的な建物が、幾つかできていた。
記憶では、ここには飼料工場があった筈だ。
九年の月日が、一瞬で私を拒絶した。街路樹の根元に積もる土の匂いだけが、記憶と変わらない。
跡には、ビルが建っていた。その一つに、意識が集中する。
『デルタの聖心会館』。
──宗教施設?
一見、ただの雑居ビルに見える無機質な建物は、まるごと『デルタの聖心』なる団体の所有物らしい。私の記憶に、そんなカルトは無かった。
デルタという言葉が、私に"deltacorpse"を連想させる。
ビルを見上げながら、しばらく立ち尽くしていると、中から人が姿を見せた。
「あの……何かご用の方でしょうか」
三十代ほどの男性。彫りが深い、西洋風の厳つい顔つきからは想像もつかない、柔らかな物腰だ。
黒い服に身を包んでいるところから、聖職者の立ち位置なのだろう。
「『デルタの聖心』に興味がおありですか?」
──調べるべきかもな。
「ええ」
私の判断は、迅速だった。
「こちらへ。私は、ここの管理を任されております吹田といいます」
「大橋利奈です」
私は、虎穴に入る。虎子を得るために。
◆◆◆◆
五分後 デルタの聖心会館 応接室
「デルタ……三角形というのは、全ての基礎となる概念です。世界の様々な宗教においても、三位一体、三神一体という概念が見受けられます」
壁は白く、床は磨き立ての無機質な艶を放っていた。空気は乾いて音を跳ね返す。ここには祈りの残り香すらない。
私は、吹田エミールと名乗った男から、デルタの聖心について話を聞いていた。
私は、こくこくと頷く。
第一印象の通り、吹田は聖職者だった。フランス人の血を継いでいると言う。
エミールという名に、私は面食らった。
理沙が好みそうな名だ。
「数学でも、三角形分割といって、平面上の多角形は図形の最小単位……デルタの集合体なのです」
知っている言葉だが、傾聴の姿勢は崩さない。喋る相手からは、可能な限り情報を吐き出させる。
「……何かご質問は?」
私は、右手を軽く上げる。
「どうぞ」
「その……デルタの聖心は、三角形という図形を信仰の対象に?」
「そういうことです。三角形というものは、全ての基礎……全ては、三角の檻の庇護下にあるのです」
──檻。
三角形への信仰……なら、あの死体画像が、デルタの聖心と関係しているなら、あれは生け贄か……磔刑像のようなものなのか?
背筋に無数の虫が這うような、嫌な感覚がした。
「如何なさいました? 冷房が効きすぎましたか」
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本当に……何があったのよ。理紗!!
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