記憶の燃料 — そのおにぎりは、少しだけ塩辛かった

tom_eny

文字の大きさ
1 / 1

記憶の燃料 — そのおにぎりは、少しだけ塩辛かった

しおりを挟む
記憶の燃料 — そのおにぎりは、少しだけ塩辛かった

 そのおにぎりは、いつも少しだけ塩辛かった。  まるで、誰かの涙が隠し味に紛れ込んでいるみたいに。

 放課後の誰もいない教室。窓から差し込む夕日は、僕の机の上に積もった白いチョークの粉を、残酷なほど鮮やかに照らし出していた。いじめっ子たちの、いつもの「挨拶」の跡だ。  僕は指先で粉を払い、アルミホイルの包みを開く。中には、少し形の歪な、けれどまだ温かいおにぎりがあった。

「もう。ユウタもちゃんと反撃しなさいって言ってるでしょ?」

 聞き慣れた声に顔を上げると、サキが苦笑いしながら立っていた。  彼女は僕の「抑制剤」だった。僕の内に眠る、触れるものすべてを破壊しかねない「超反射」の異能。彼女がこうして笑いかけてくれる限り、僕はこの力を封じ込め、ただの「弱虫なユウタ」でいられる。

「……サキさんがいてくれるから、大丈夫です」

 僕はそう言って、おにぎりを口に運ぶ。  米粒の弾力、海苔の磯の香り、そして喉の奥に広がる、あの独特の塩辛さ。  それが僕にとって、唯一の日常の味だった。

     *

 翌日の昼休み。屋上の冷たいコンクリートの上で、日常は音を立てて崩れた。  ケンタたちが、僕の手からサキの弁当箱を奪い取ったのだ。

「おい、陰キャ。サキがテメエみたいなゴミの世話焼いてるのが、反吐が出るんだよ」

 ケンタの目が、醜い嫉妬に濁る。彼は嘲笑しながら、弁当箱を逆さまにした。  地面に転がる、白い塊。サキが今朝、僕のために握ってくれたおにぎり。

「やめろ……」

 声が震える。僕への暴力なら耐えられた。けれど、これは僕の魂そのものだ。  ケンタは僕を見せつけるように、ゆっくりと靴底を上げた。そして、無造作にそれを踏みにじった。

 ぐしゃり、という鈍い音が、僕の心臓を直接握りつぶした気がした。

「あ……」

 その時、屋上の扉が開いた。駆け込んできたサキが、足元に散らばった無残な光景を目にする。  彼女は怒鳴ることも、ケンタを責めることもしなかった。ただ、溢れ出す涙を止められず、その場に崩れ落ちた。

「ごめんね、ユウタ……。私、あなたの居場所さえ、守ってあげられなくて……」

 彼女の絶望。その涙が、僕の中の「最後の一線」を焼き切った。

「僕の……僕たちの愛を、汚すなあああああ!!」

 視界が白く染まる。脳が、心臓が、熱い。  僕の異能「超反射」を最大出力で解放するための燃料――それは、僕の深層意識にある『記憶』そのものだった。

(あ、消えていく)

 初めてサキがおにぎりをくれた、雨上がりの午後。  図書室の隅で、こっそり手を繋いだ感触。  僕を呼ぶ、彼女の柔らかい声の響き。

 それらが一つ、また一つと、剥がれ落ちる鱗のように光の粒子となって溶けていく。  大切な思い出を代償に、目に見えない衝撃波が螺旋を描いて爆発した。ケンタたちは悲鳴を上げる暇もなく吹き飛び、コンクリートの壁へと叩きつけられた。

 力が止まる。同時に、僕の心の中にあったはずの「サキ」という名の色彩が、すべて真っ白に塗りつぶされた。

 僕は、糸が切れた人形のように、その場に倒れ伏した。

     *

 数日後。病院の白い天井を見上げて目覚めた僕の隣には、一人の少女がいた。  泣き腫らしたような目で、けれど必死に笑顔を作っている。

「……あなたは、誰ですか?」

 僕の問いに、彼女は一瞬だけ表情を歪め、それから優しく僕の手を握った。

「私は、サキ。あなたのクラスメイト。そして――今日から、あなたを一生守る人よ」

 彼女は震える手で、リュックからアルミホイルの包みを取り出した。  差し出されたのは、少し形が歪な、温かいおにぎりだった。

「さあ、食べて。美味しいんだから」

 僕は不思議に思いながらも、それを受け取り、一口かじった。  知らないはずの味。会ったこともないはずの少女。

 なのに。

 舌に触れた瞬間の「塩辛さ」が、僕の胸を締め付けた。  忘れてしまったはずの何かが、涙となって勝手に頬を伝い落ちる。

(おかしいな。どうしてだろう)

 この味は、ひどく悲しくて。  そして、どうしようもないくらい、温かい。

「大丈夫。あなたの失った記憶は、全部私が持っているから。もう一度、作り直せばいいの」

 サキは僕を強く抱きしめた。  記憶という代償を払った空っぽの心に、新しい物語の最初の一ページが、静かに、けれど確かに刻まれていった。

 おにぎりの塩辛さは、きっといつか、純粋な愛の味に変わる。  僕の手を握る、彼女の温もりを感じながら、僕はそう確信していた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

『☘ 好きだったのよ、あなた……』

設楽理沙
ライト文芸
2025.5.18 改稿しました。 嫌いで別れたわけではなかったふたり……。 数年後、夫だった宏は元妻をクライアントとの仕事を終えたあとで 見つけ、声をかける。 そして数年の時を越えて、その後を互いに語り合うふたり。 お互い幸せにやってるってことは『WinWin』でよかったわよね。 そう元妻の真帆は言うと、店から出て行った。 「真帆、それが……WinWinじゃないんだ」 真帆には届かない呟きを残して宏も店をあとにするのだった。

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

愛のかたち

凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。 ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は…… 情けない男の不器用な愛。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...