孤島の花嫁~転生先は滅亡寸前の小国でした~

村井 彰

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第四章 波紋

1話 告白

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「ですから……わたくしは、ずっとあなたをお慕いしておりました」
  突然耳に飛び込んで来たその言葉に、翔真の心臓は激しく高鳴った。とはいえ、その告白は翔真に向けられたものではない。
  生け垣の隙間からそっと向こう側を覗いて、人気のない庭園の様子を窺ってみる。
  今ここにいるのは翔真と、生け垣を挟んだ向こう側で、小さな噴水のそばに佇んでいる二人の男女だけ。彼らが翔真の存在に気づいている様子はないが、周囲が静かなせいで、翔真の方は二人の話し声にすぐ気づいた。そして一部始終を聞いてしまったのだ。
  音を立てないよう静かに顔を離して、翔真は必死に気配を消した。今さら出て行く事もできない以上、今はこうして隠れるほか無い。
  息を潜めながら、心の中で考える。今さっき聞こえて来た声、そして隙間から見えた小柄な女性の姿は、間違いなくレムルのものだった。
  レクトの妹であり、ラギムの従妹いとこでもある彼女は、初めて会った翔真に厳しい言葉の数々を投げかけてきた人物だ。あれ以降、レムルとはろくに言葉を交わす事もなかったのに、よりにもよって、翔真はその彼女の告白シーンに遭遇してしまったらしい。間が悪いにも程がある。
  しかも、今レムルの向かいに立っていた男性の後ろ姿。一瞬しか見えなかったが見間違えるはずかない。
  彼女がたった今、愛を告げた相手は、他でもないラギムだった。
  ラギムは、彼女に何と答えるのだろう。そんなこと翔真には関係ないはずなのに、じりじりと腹の底を焼かれるような焦りが募っていく。
(オレは、ラギムに何て答えて欲しいんだろう)
  自分の中を探してみても、答えは上手く見つけられなかった。



  *



「はあ……お疲れさま、ヴェーバル。今日もありがとう」
  草むらに座り込んで、額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら、翔真は目の前で胡座をかく彼女にそう声を掛けた。
「構わないよ。あたしとマトモに手合わせ出来るやつなんて、この島にはあんたしか居ないからね。あたしにとっても良い運動さ」
  すっかり砕けた口調で話してくれるようになったヴェーバルは、そう言って犬歯を剥き出しにして笑った。
  翔真がファレクシアに来てから、今日で十日ほどが経つ。そして、翔真がヴェーバルにトレーニングの相手を頼んだのは、今から三日ほど前の事だった。
  日本にいた頃は、ずっと知り合いのジムに通っていたけれど、この世界にそういった設備があるわけもなく、細身のファレクシア人に翔真がスパーリングの相手を頼むわけにもいかない。だから翔真は、島で一番力の強いヴェーバルに声をかけたのだ。
「女の人にこんなこと頼んじゃっていいのかなって思ったんだけどさ、ヴェーバルがそう言ってくれて良かったよ」
「それは気にしなくていいって言ったろ。言っとくけど、あたしはこれでもかなり手加減してんだよ。なにしろあんたにゃ爪も牙も毛皮もないんだからね。それでうっかり怪我でもさせたら、あたしが陛下に怒られちまう」
「……? なんでオレが怪我したらラギムが怒んの?」
  言われた意味がよく分からず問い返すと、ヴェーバルは鼻の頭にギュッとシワを寄せた。
「あんたそれ本気で言ってんのかい」
「え、うん……」
  ラギムは優しいから心配はかけるだろうが、だからこそ、それで怒る姿なんて想像もできなかった。
  戸惑う翔真を呆れた目で見て、ヴェーバルはやれやれと首を振る。
「陛下も難儀するねえ……」
「なんだよ……」
  ムッとする翔真に苦笑するヴェーバルの尻尾は、小さくパタパタと揺れている。
「あんたさ、陛下が笑ってるとこ見た事あるかい」
「ラギムが……? そんなの何回も見たよ」
  声を上げて笑っているところこそ見た事はないが、いつだってラギムは優しく微笑んでいる印象だ。
  しかし、そんな翔真の答えを聞いて、ヴェーバルは何も言わずに目を細めた。
「ヴェーバル……?」
  訊ねた声をさらうように、柔らかい風が吹き抜けていく。さわさわと草むらが揺れて、その微かなざわめきが止んだ頃、ヴェーバルは再び口を開いた。
「……あたし達はね、もう長いこと陛下の笑顔を見てなかった。あの厄災の日に先代の王が姿を消して、ラギム様が王位を継いで以来、あの人は笑わなくなった。めちゃくちゃになった島の復興を一人で先導してきたんだから、当然と言えば当然だったのかもしれないけどね」
  静かな口調で紡がれた言葉に、心臓を掴まれたように苦しくなった。
  薄々気づいてはいた。この島にはやけに建物が少ないこと。王族や使用人では無さそうな人達も、多くが宮殿の中で暮らしていること。……たぶん昔は、もっとちゃんとした街があったのだ。桟橋しか無かった漁港だって、かつては他の国から来たたくさんの船が停泊する港だったのだろう。だけどそれも、全部全部、無くなってしまった。
「……けど、ラギムはずっと笑ってたよ。オレが何言っても、にこにこしながら聞いてくれてた」
「そうだね。だからそれは、全部あんたが来てからなんだよ」
「オレが……?」
「そうさ。あんたと一緒にいるようになって、陛下はまた笑うようになった。あんたといるのが、よっぽど楽しいんだろうね。……だからあたしらは、みんなあんたに感謝してるんだよ」
  ヴェーバルの言葉に、翔真は思わず視線を落とした。
  まただ。分不相応な感謝の言葉。
「オレは、お世話になるばっかりで、なんにも出来てない。この国の人がどれだけ大変な目に遭ってきたか、なんにも知らないのに」
  ポツリと零れた翔真の言葉を、ヴェーバルは慈しむような瞳で受け止めてくれる。
「それでいいんだよ。なんにも知らないあんただからこそ、陛下と対等でいられる。あの方と、一人の人間として向き合えるんだ。あたしらは、どうしたってあの方と同じ目線には立てないからね」
  そう言って、ヴェーバルはポンと翔真の肩に手を置いた。人に近い形をした手に肉球はないけど、もふもふした毛皮は柔らかくて温かい。
  その手の温もりを感じながら、翔真は少し考える。
「……オレ、ラギムと会ってこようかな」
「ん。そうだね。それがいいよ」
  ヴェーバルが頷いてくれたので、翔真は小さく息を吐いて、それから勢いよくその場を立った。
「よし! じゃあ、オレ行ってくるよ。また明日!」
「はいよ。またね」
  ヴェーバルに手を振って、翔真は駆け出した。

  城が建つ丘の上にはだだっ広い平野があって、翔真はそこをヴェーバルとのトレーニングの場所にしていた。昔はここにも庭園があったそうだが、今は朽ちた彫像や、根だけを残した切り株達が、その痕跡を残すのみだ。
  美しい廃墟の中を駆け足で進みながら、翔真は考える。会ってくるとは言ったものの、ラギムは今どこにいるだろう。城の中のどこかにはいるだろうけど。
  この国にはカレンダーも時計もないから、人々はみんな太陽や星の動きを頼りに生活をする。気候も暖かいままで、季節が変わる事もないそうだから、毎日がずっとこんな調子で過ぎていくのだろう。ある意味では平坦で、ある意味では安定した暮らしだ。少し前に翔真が手伝わせて貰った農家の人も、気候に左右されずに作物が採れるから助かる、と言って笑っていた。
  レクトの学校に通って、ヴェーバルとトレーニングをして、畑仕事を手伝って。翔真はそんなふうに、ここでの毎日を過ごしている。
「はあ……っ」
  弾んだ呼吸を整えながら、翔真は駆ける足を緩めた。目の前には初めに翔真が召喚された塔がそびえている。丘の上は廃墟になっていたが、城に程近いこの辺りでは、手入れされた庭木や生け垣の緑が周囲を彩っていた。
  迷路のようになった生け垣の向こうには、小さな噴水があって、少し離れた場所にいても、涼し気な水音が聞こえてくる。
「ちょっと休憩しようかな……」
  独り言を呟いて、翔真は近くの木にもたれかかった。木陰にじっとしていると、火照った体が少しずつ冷えていく。ラギムには夜に自室へ行けば会えるだろうし、せっかくだから、ここで少し勉強していこうか。
  翔真はそのままズルズルと座り込んで、ポケットに入れていた小さな紙束を取り出した。貴重な紙を分けて貰って作った単語帳だ。少しでも早く文字を覚えるために、暇さえあればこれを捲っている。
  柔らかな草の匂いに包まれて、聞こえてくるのは木々のざわめきと水の流れる音だけ。集中するには持ってこいの環境だ。
(よし、がんばろ)
  心の中で、自分に小さく気合いを入れて、翔真は単語帳を開いた。

  その判断のせいで、数分後、とんでもない現場を目にしてしまうことを、翔真はまだ知らない。



  *



(マズい事になった……)
  生け垣の傍に座り込んで動けないまま、翔真は手のひらに嫌な汗が滲むのを感じていた。
  よりによって、ラギムが他の女性に告白されているところに遭遇してしまうなんて。
  だけど、そうか。翔真は今になって、レムルがあんなにも自分にキツく当たっていた理由を察した。
  彼女はラギムの事が好きだったから、だから、翔真の事を疎ましく思ったのだ。
  その事実に翔真が唇を噛み締めた時、目の前の生け垣の向こうから、ラギムの声が聞こえてきた。咄嗟に耳をそばだててしまったが、その声は囁くような調子で、何を言ってるのかまでは聞こえない。
  そうこうしているうちに、さくさくと草を踏みしめる足音が聞こえてきて、その音はそのまま遠ざかって行ってしまう。その足音は一人分。と言うことは、レムルかラギム、どちらか一人だけがこの場を去って行ったという事だ。
  ラギムは、彼女になんて答えたんだろう。
  居ても立ってもいられなくなって、翔真はもう一度生け垣の向こうを覗いて見た。その先に見えたのは、レムル一人だけで……
「そこに居るのは誰?」
「うぇっ?!」
  突如、彼女があげた鋭い声に、翔真は驚いて叫んだ。しまったと思った時には既に遅く、レムルの呆れたような深いため息が聞こえてくる。
「その声はショウマ様ですわね? 出歯亀でばがめとは良いご趣味ですこと」
  そう言いながら、レムルは大股で生け垣を回り込んで来て、翔真の前に姿を現した。よく見れば、エスニック調の美しい模様をした布を右手に持っている。
「あ、あの、ごめん……覗くつもりじゃなくて、その」
「どこから聞いていらしたの?」
「…………初めから全部」
「そう」
  ツンとした調子で言って、レムルは翔真がさっきまで座っていた木陰に布を広げると、その上に腰を下ろした。なんだ? どういうつもりなんだ、彼女は。
「あの……」
「ラギム様がわたくしに何と答えたか、気になっているのではなくて?」
「え」
  心の中を見透かされたような気がして、翔真は言葉に詰まった。そんな翔真にチラリと視線をやって、レムルは膝を抱える。
「心配なさらなくても、はっきりと断られましたわ。『お前の事は、実の妹のように大切に思っている』ですって。残酷な人ね」
  そう言って目を逸らすレムルの言葉を聞いた瞬間、自分の中に浮かんできた思いに、翔真は動揺した。
  今の一瞬、自分は確かに喜んだ。彼女の想いが実らなかった事を、『嬉しい』と感じてしまったのだ。
  自分の中にあった醜い感情に愕然とする翔真を、レムルはどう思っただろう。彼女は何かを諦めるように息を吐いて、膝を抱え直した。
「……なんだか、何もかも馬鹿馬鹿しくなってしまいましたわ。あなたに嫉妬して、当たり散らして……けれど、どうせあなたが居なくたって、ラギム様の答えは分かりきっていたのに」
「レムルさん……」
  何を言えばいいのか分からなくて、翔真は言葉を濁す事しか出来なかった。
「……ねえ、ショウマ様」
「な、なんですか」
  不意に静かな口調で名前を呼ばれ、翔真は慌てて居住まいを正した。落ち着きのない翔真の姿を見て、レムルは小さく笑う。そして、彼女はこう言った。
「あなたがどう思っていても、ラギム様のお気持ちは、もう決まっているのでしょう。だからこそ、もう一度聞かせてくださるかしら。……あなたは、ラギム様の事を、どう思っているの」
  その問いに、翔真はさっきまでとは別の理由で言葉に詰まった。
  ラギムの事を、どう思っているか? そんなの……
「……わからない」
「わからない?」
  鋭く問い返されて、翔真はビクッと肩を震わせた。
「だ、だって、自分の中でも色々ごちゃごちゃして整理がつかないって言うか……優しくて良い人だなって思うし、一緒にいると楽しいし、落ち着くし、これからも一緒にいられたら良いなって思うけど……」
  心に浮かんできたものを、そのままつらつらと並べていくごとに、徐々にレムルの表情が険しくなっていく。自分は何か悪いことを言っているのだろうか。不安になった翔真が口を噤んで身を縮めると、レムルは深々とため息を吐き出した。
「あなた、それはわざと仰っているの?」
「えっ」
「何をどう聞いても、あなたがラギム様に恋をしているようにしか聞こえませんけれど」
「………………ええっ?!」
  翔真の素っ頓狂な声に驚いたのか、頭上の木からバサバサと鳥が飛び立っていくのが見えた。
  恋。目の前に突然突きつけられたその感情は、今までの翔真の人生からは縁遠いもので。
「そんな……」
  意識した途端、まるで全力で走った後みたいに全身が熱く昂るのを、翔真はまだどこか他人事のように感じているのだった。
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