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最終章 輝く花にくちづけを

1話 祭り支度と落しもの

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  抜けるように青い空──とは、よく言ったものだと思う。
  行く先の空を見上げて、アランはそんな事を考えた。
  真夏の空は、汚れひとつ無いまっさらな青さをたたえていて、真っ直ぐに見据えていると、どこまでも落ちて行きそうな錯覚に囚われる。
  ……などと、少し前の自分なら、こんな浮ついた詩人のような事は、考えもしなかっただろう。それどころか、こうして空を見上げる事すらしなかったに違いない。
  そうして物思いに耽りながら歩くアランの横で、項垂れながら深々とため息を吐く人影があった。
「は~暑っつい……まだ朝だってのに日差しキツすぎません? あー帰りたい……」
  陽の光に透けて金に近い色になった茶髪をガリガリと掻きむしりながら、部下であるネストが文句を零す。もはやいつもの事なので、いちいち注意するのも面倒なのだが、それでもアランは隣のネストに視線を向けた。
「思った事を何でも口に出すんじゃない。軽薄に見られるぞ」
「別にいいですよ、今更なんで。ていうか、オレが軽いのは認めますけど、団長は逆に思った事言わなすぎですからね。おかげで何考えてんのか全っ然分かんないですし。そんなだから、話しかけただけで子供に泣かれたりするんですよ」
「…………」
  言ったそばからこの調子だ。この男の中には、「遠慮」や「気遣い」といった言葉はないのだろう。
  呆れたアランが黙るのも気に留めず、ネストはひとりで話し続けている。
「あー……でもまあ、古い時代の騎士みたいに、甲冑ガチャガチャ言わせながら巡回しなくて良いだけマシですかねぇ。あんなもん着てたら一瞬で蒸し焼きですよ。肩も凝るし、あと単純にダサいし」
  底の厚い革靴をカポカポ言わせながら、ネストが足早に市場の人混みを縫うように進む。彼の言う通り、現在の騎士団は機動性を重視した軽装で活動することが多い。やや先を歩くネストの、小柄ながら均整のとれた背中を覆うのも、薄いシャツ一枚だけだ。腰に携えた細身の剣さえ無ければ、その辺りの市民と見た目は変わらない。
  先日の街道での一件以来、騎士団では市中の見回りを強化することになった。そのために、こうして朝も早くからネストと二人で街を歩いている訳だが、相手が相手なので、どうにも緊張感が無い。
「あ、見てください団長。あそこの店、もう“夜光祭やこうさい”の飾り付けしてますよ。気が早いなあ」
  そう言って、ネストは通りの左右に軒を連ねる露店のひとつを指さした。
  指の先を視線で追うと、少し先にある赤いひさしが目についた。腰くらいの高さの台に、一抱えほどの木箱がいくつも並び、そこに新鮮そうな果物が山と積まれている。だがそんな色とりどりの果実達よりも、鮮やかに目を引く物がそこにはあった。
  日に焼けて色褪せた庇の先にぶら下げられた、まだ新しい花籠はなかご。だがそれは、ただの花籠ではない。
  細い針金で出来た籠は、アランなら片手で持てる程度の大きさをしている。そして、そこに溢れんばかりに詰め込まれた花の中心には、ガラスで覆われた蝋燭立てがあった。
「気が早いと言うが、今年の夜光祭はもう十日後だろう。色々あったせいで、すっかり忘れていたが……」
  このグレストの街では、毎年夏の一番陽が長くなる日に、盛大な祭りが行われる。それが『夜光祭』。その日は街中で夜通し火を灯し続け、街を上げて太陽の恵みへ感謝を捧げるのだ。そして、その火を灯すための道具が、先程の花籠である。
  祭りの夜には、通りに並ぶ家や店のほとんどが、火を灯した花籠を軒先に連ねる。光の花達が夜を明るく照らし出すその様子は、見慣れた街並みを異界の景色へと塗り替えてしまう。
  花の明かりに浮かび上がる街は、いかにも幻想的で美しく、それでいて少し不気味だった。
  夜闇を強い光で照らすほど、光から遠い場所に凝る影はどうしようもなく濃くなってゆく。すれ違う人の表情すら曖昧にしてしまうその影が恐ろしくて、幼い頃のアランは夜光祭が苦手だった。もちろん誰にも言った事は無いが。
「そういや、団長は奥さんと祭りに行くんですか? ほら、その年に結婚した夫婦に花配るでしょ。夫婦円満~とか、子宝に恵まれる~とか、そういう願掛けするやつ、あるじゃないですか」
  アランの方を少し振り向いて、ネストが言う。
  夜光祭では、太陽の恵みを受けて育った花々に願いを託す。新しく夫婦になった者達が、花束を手に夜の光の中を歩く光景は、祭りの風物詩と言える。そして今年は、アランとユリナもそれに参加出来るはずなのだが。
「まあ……時間があれば、だな」
「うわ、なんですかその余裕。腹立つわ~」
  こちらに顔を向けたまま器用に歩きつつ、ネストがそう言って渋い顔をする。仮にも上官に対する態度だろうかこれは。
「そう思うなら、お前が代わりにウォルターの相手をしてくれ。そうすれば、その間に祭りを見て回れる」
「え、イヤですよ。祭りだからって、あの人が手加減してくれるとは思えないし。公衆の面前でボコボコにされるのはお断りです」
  そう言うなりネストは顔を前に向けて知らん振りをした。調子の良い事だ。
  祭りの際には、騎士団の代表者同士が広場で模擬戦を披露するのが慣わしになっている。元々はちょっとした余興として始まったもののようだが、今ではそれを楽しみに祭りへ集まる者も多いと聞く。街にとっては、それなりに重要な行事と言えた。
「昔みたいに、勝った方に街で一番の美人がキスしてくれるっていうんなら、やる気も出るんですけどねー。グランツさんが断って以来無くなっちゃったでしょ? ほんと、これだから既婚者は……」
「……前々から疑問なんだが、そこまで言うなら、お前も相手を探せばいいんじゃないのか」
  アランと違って、話し好きのネストの周りには男女問わず人が集まってくる。少なくとも、相手に困るということは無さそうなものだが。
「モテたいのと家庭を持ちたいのは別ですよ。オレは結婚とかするつもりないんで。次男のオレは、団長と違って家を継ぐ必要も無いですからね」
  背中を向けたまま、ネストはそう言って肩をすくめる。あまり深く聞いた事はないが、彼の実家は学者の家系らしい。けれど頭を使うのは性にあわないからと言って、ネストはこの街で騎士団に入ることを選んだ。
  そんな生き方を、少し羨ましいと感じてしまうこともある。
「団長、この後はどう──」
「おっさん! おい、おっさん! ちょっと待てよ!」
  人混みから突如聞こえてきた少年の声に、アランとネストは同時に足を止めた。
  こんな失礼極まりない呼び方をする相手は、一人しか思い当たらない。
「トム……」
  苦々しい思いで振り向くと、人の波を器用に避けながら、小さな影がこちらに向かって来るところだった。
「おっさん! あーやっと追いついた。アンタ歩くの速いって」
  少し息を切らせながら、細工師見習いのトム少年がアランの傍で立ち止まった。アランの胸より低い位置から目一杯背伸びをして、帽子の下の黒い瞳でこちらを見上げている。
「お前も客商売なら、少しはまともな口の利き方を覚えたらどうだ」
「大丈夫だって、ちゃんと相手見て言ってるから」
  完全に舐め切った態度でそう言ったかと思うと、トムはやや真面目な顔になって、仕事用と思わしき肩掛け鞄の紐を握りしめた。
「あのさ、ちょっとアンタに相談したいことがあんだけど」
  トムの口調から真剣な様子を感じ取ったアランは、隣に居るネストを横目で窺った。案の定、ネストは口を手で覆って、肩をぷるぷると震わせている。アランが子供におっさん呼ばわりされているのが、よほど面白かったのだろう。
「…………ネスト。ここから先はお前一人で行ってくれるか。私は少し話を聞いてくる」
「あっ……はい……わ、わかりました」
  笑いを堪えながら頷くネストをその場に残し、アランはトムの後を追って、路地裏へと足を踏み入れた。
  人混みの喧騒から離れた途端、日常から隔離されたように音が遠くなる。昼だというのに薄暗い路地裏にいると、トム達に初めて会った日のことを思い出す。あの時は彼女を守る事に必死過ぎて、結局悲しい顔をさせてしまった。
「それで? 相談とは何だ」
  路地へ数歩入った場所の壁にトムが背を預けたのを見て、アランもその横に積まれた木材の上に腰を下ろした。
  アランの方にちらりと目をやって、周囲を軽く窺いながら、トムは鞄の中に手を突っ込んだ。
「アンタに見て欲しい物があってさ……これ、何か分かる?」
  そう言ってトムが差し出してきたのは、小さなペンダントのようだった。親指の先ほどの透明な石が、細い革紐でぐるぐる巻きにされている。だがその紐の先は途中で千切れて、ささくれたようになっていた。
「これは……魔導石じゃないか? しかもまだ持ち主の魔力に染まっていない、新しい物だ」
  魔導石という物は初めは無色透明だが、長く身につけているうちに、少しずつ持ち主の魔力の色に染まっていく。ラヴェイルは炎の赤、ウォルターなら瞳と同じ緑。そして先日のヘクターが持っていた石は、静かに燃える青を湛えていた。……ヘクターの魔導石は、あるいは戦場で倒れた魔術師から盗み出した物なのかも知れないが。
  しかし、トムが渡してきたこれにはまだ色が無い。つまり、持ち主が手にしてから日が浅いという事になる。
  アランが透明の魔導石を手にしたのを見て、トムが小さく頷いた。
「やっぱそうだよな。……最近、おれもエマも読み書きが出来るようになってきてさ、たまに手紙のやり取りしてんだけど、その手紙でエマが書いてたのに似てんなって思ったんだ。入学した時に無色の石を配られて、卒業の時に色の付いたそれを魔導具に加工してもらって、正式な魔術師として認められるって」
「ああ……私も学園の内情には疎いが、ウォルターから聞いた話もそのようなものだったな」
「ん。でもさあ、なんかこれヘンだよな? エマの手紙じゃ確かに簡易的なペンダントになってるとは書いてたけど、国が運営してる学校で配るモンが、さすがにこんな素人仕上げな訳ないと思うんだよな。見習いのおれだって、もうちょいマシなモン作れるぜ」
  確かにトムの言う通り、こんな紐を巻いただけの代物ではペンダントとは呼べない。それに、採掘された魔導石は全て王宮が管理しており、学園の生徒達に配る物には太陽を模した国章と、ひとりひとりに割り振られた数字が彫られているはずだ。なのに、これにはそれが無い。
「……トム。これをどこで手に入れた?」
  アランが訊ねると、トムは少し黙って視線を落とした。
「トム?」
「情報料が欲しい」
  唐突にトムが零した言葉に、アランは眉を寄せた。
「情報料? 一体何に使うつもりだ。パウエルから給金は貰っているはずだろう」
「まあな。でも見習いの給料じゃ、全然足りねえんだよ。……エマにドレスを買ってやりたいんだ」
「……ドレス?」
  足元に落ちていた小石を軽く蹴って、トムが横目でこちらの顔色を窺ってくる。
「エマがさ、クラスメイトのご令嬢から、夏季休暇明けに開かれるパーティに誘われたんだって。そいつの家でやる個人的なパーティだから、学校の制服じゃなくて、ちゃんとしたドレスを用意して来いって言われたんだと。孤児のエマにそんなもん用意出来るわけないって分かって言ってやがんだ。……だからさ、休暇に合わせてもうすぐエマが帰って来るから、そん時に渡してやりたいんだ。誰も文句言えないくらい、立派なドレスを」
  そう言ったきり、トムは完全に黙り込んでしまった。
  素質さえあれば誰でも入学出来るという事は、貴族から平民、そしてトム達のような孤児まで、あらゆる出自の子供達がひとつところに集められて共同生活を送るということだ。それが平和なだけのものにならない事くらいは、学園の出身ではないアランにも簡単に想像出来る。
「……良いだろう。我が家で贔屓にしている仕立て屋に話を通しておく。エマが帰って来たら、二人で屋敷に来るといい」
「いいのか?」
「ああ。その代わり、知っている事はこの場で全て教えて貰う」
  アランがそう返すと、トムは真剣な顔で頷いた。
「わかってる。……昨日さ、注文受けてた品物を届けに、グレストの北区にある商家に行ったんだ。あのでっかい靴屋な」
  今アラン達がいるグレストの南側には、小さな民家や商店が集まっているのに対し、王都に近い北側には、比較的大きな商家が多い。そういった場所に店を持つ商人達は、並の貴族よりもよほど裕福な暮らしを送っている。つまりは、パウエルが作る装飾品を買うだけの余裕もあるという事だ。
「あの辺にはお得意さんが多くてさ、しょっちゅう御用聞きに行かされるから、最近は近道してるんだよ。ここみたいな裏路地なら、走っても馬車に轢かれる心配もないし、なによりこういうとこの方が慣れてるからさあ、おれ」
  そう言って、トムが肩をすくめる。
「……そんで、これを見つけたのは、靴屋に行った帰り道。表通りからは見えないけど、あの店の裏側には、金の無い奴らが寄り集まって暮らしてるような場所があってさ。その道端にこれが落ちてたんだ」
「……なるほどな」
  手の中の石ころに視線を落としてアランが相槌を打つと、トムは帽子を取って、ぐしゃぐしゃと自分の頭を撫で回した。子供らしからぬその仕草に、改めて彼の境遇を思い起こす。
「魔導石って全部王宮で管理してるから、魔術師以外の一般人には手に入らねえし、ぶっちゃけ高級品なんだよ。だから最初は、そこの住民がどっかから盗んで来たのかと思ったんだけど、そのわりには色々おかしいだろ? てことはあそこに、エマみたいなワケありの魔術師が住んでるんじゃねえかと思って……」
「それで、私に相談しに来たと。……ところで、トム。お前にひとつ訊きたいのだが」
「ん?」
「この魔導石を、わざわざ私の元へ届けに来たのはなぜだ? 金が欲しいなら、こんな回りくどい事をしなくても、そのままこれを売り飛ばせば足りただろう」
「あー……」
  そう呟いて、トムは少し目を逸らした。
「正直それも考えなかったわけじゃないけど。……でもさ、盗んだ金で買ったって分かったら、エマはそんなドレス、絶対受け取らないだろ? それじゃ困るんだよ」
「……そうか」
  トムだって、好きで盗みに明け暮れるような生活を送ってきた訳では無い。そんな毎日を当たり前のものとしなかった彼らの人生に、良き報いがあればいいと思う。
「分かった、ひとまずこれは預かっておく。だがすまない。すぐにでも調べたいところだが、今は少々立て込んでいてな。少し時間をくれないか」
「何? なんか大事な用でもあんの?」
  首を傾げるトムの方に体を向けて、アランは重々しく頷いた。
「ああ……近々、極めて重要な用事がな」
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