狼少年の番犬さん

村井 彰

文字の大きさ
上 下
1 / 19
第一章 出会い

0話 半獣の青年

しおりを挟む
  満月の光が、人を狂わせる。そんな言葉を思い出した。

  あまりにも眩し過ぎる月明かりに晒された人間は、たちまち理性を失い、人を襲う獣になってしまう。無論そんなものは、夜更かしする子供を叱るためのおとぎ話に過ぎない。だが、“人狼ワーウルフ”という生き物自体は、確かにこの世界に存在するのだ。

  ❍

「すまん。待たせたな」
  風呂上がりのローブだけを身につけて現れたジュードの姿を見て、年若い使用人の青年は、明らかに安堵したような息を吐いた。
「お待ちしておりました、ジュード様。さっそく参りましょう」
  頼りない灯りを放つ燭台を手に取り、青年はジュードの返事も聞かずに応接間を後にした。この場から早く離れたいという意志を隠そうともしない。余程恐れているのだろう。この屋敷に住む、ワーウルフの主人のことを。

  青年とと共に歩み出た屋敷の廊下には、蝋燭の灯りなどより遥かに明るい月の光が差し込んでいた。今夜は満月。おとぎ話の通りなら、ここで月光に晒されながら歩いている青年とジュードも、とっくに獣へと成り果てている事だろう。
「……失礼を承知でお訊きしますが」
  お互いの足音が響くだけの静寂に耐えかねたのか、青年が唐突に口を開いた。ジュードが何も言わないので、青年も振り返ることなく言葉を重ねる。
「その……貴方様のようにご立派な武人が、なぜこんな、男娼のような事をなさるのですか? しかも、お相手のアルフレッド様は、人間の領主様とワーウルフの間に産まれた異種族だというのに……」
「だからだよ。いくら混血とはいえ、発情期のワーウルフの相手を女子供にさせるのは酷だろ? その点俺は、見ての通り体だけは頑丈に出来てる。……それに」
  ジュードは一瞬だけ言葉を切って、己の体を忌々しい思いで見下ろした。
「俺は、あんたが思ってるほど立派でもないし、今はもう武人ですらない。以前出た戦場で手傷を負って、体の右半分に後遺症が残ってな。日常生活に支障がない程度には回復したが、剣を握ることも、戦場を駆けることも、二度と出来ないだろうと医者に言われたよ」
  自嘲気味に笑うジュードの声を聞いた青年は、気まずそうに視線をさまよわせた。
「それは……その、申し訳ありません。何と申し上げるべきか……」
「いや、あんまり気を使わないでくれ。もう諦めはついてる」
  剣士を辞める時は死ぬ時だと思っていた。剣を振るう以外の生きる術など知らずに生きてきた。だから今は、売れる物は何だって切り売りして食い繋ぐしかないのだ。そう割り切るには、十分なほどの時間があった。
  そんな折に、役立たずのこの体を買ってくれるという相手が現れたのだから、断る理由なんてある筈もなかった。
  たとえその相手が、ちまたで禁忌の化け物だと噂されている人物だったとしてもだ。

  その後は青年もジュードも言葉を発することは無く、二人とも無言のままに、月明かりの差す廊下を進んで行った。そうして辿り着いた、屋敷の最奥にある部屋の前で足を止め、青年は強ばった表情で振り向いた。
「こちらがアルフレッド様のお部屋ですが……どうか十分にお気をつけください。アルフレッド様はお優しい方ですが、毎年この時期だけは、本当に手の付けられない獣のようになってしまわれるのです」
「ああ、分かってるよ。彼のお父上にも散々脅かされたからな。まあ心配しないでくれ。猛獣の相手は慣れてる」
  左手をヒラヒラ振って答えたジュードを見て、青年は少し躊躇う様子を見せながらも、素直に頭を下げて立ち去った。
  背後に響く足音が完全に聞こえなくなるのを待って、ジュードは閉ざされたドアのノブに手をかけた。ノックの必要は無いだろう。どのみち返事があるとも思えない。
「失礼。お邪魔しますよ、アルフレッド様」
  形ばかりの挨拶をして、無遠慮に扉を開け放つ。その瞬間、暗がりから飛んできた何かがすぐ横の壁に当たって、ぼすっという間抜けな音を立てた。
「誰だ?! 誰も入ってくるなと言っただろう! 今すぐ出て行け!」
  ヒステリックな喚き声が、部屋の奥から響いてくる。どうやら、ベッドの中でシーツに入り込んで丸くなっているあの塊が、枕を投げつけてきたらしかった。
「どうも、こんばんは。貴方がアルフレッド様ですか?」
  足元に転がった枕を拾い上げて、迷うことなく声がした方へ向かう。部屋の中に明かりは無いが、大きな窓から満月の光が差し込んでいるおかげで、移動に不便は感じない。よく見れば、窓に掛かった分厚いカーテンは無惨に引きちぎられ、床には壊れた家具の破片が散らばっている。この部屋の主が相当に暴れた後なのだろう。あの使用人が怯えていたのも無理からぬ話だ。
「今日は良い夜ですね。そんな所に引きこもっていないで、顔を出したらどうです? 見事な満月が見られますよ」
  気安い調子で話しかけながら、ベッドの端に腰を下ろして枕を元の位置に戻すと、すぐ側にあるシーツの塊がビクッと震えた。
「……出て行けと言ったはずだ」
「そういう訳にはいきません。俺はね、貴方のお父上に買われたんですよ。可愛い息子が発情期で苦しむのを見ていられないから、静めてやってくれってね」
「……父上が? なんだそれ、そんなの……どうかしてる」
「そりゃ、貴方だってこんなおっさんなんか抱きたくないでしょうがね。あまり贅沢は言わないでくださいよ。今の貴方の相手が務まる人間なんて、そうはいませんからね」
「そういう事を言ってるんじゃない!!」
  悲鳴のような叫び声と共に、白いシーツが跳ね飛ばされた。その下から現れた姿に、ジュードは思わず息を呑む。
(これはまた……なるほど、禁忌の化け物ってのは、そういう事か)
  月の光を反射して、星屑のようにきらめく銀の髪。満月のように光る金色の瞳。ほとんど陽に晒された事の無いであろう肌は、作り物のように白かった。 そのうえ、顔の横から覗く尖った耳は、先の方が髪と同じ色の毛皮で覆われ、腰の辺りからは大きく柔らかそうな尻尾が垂れている。それら全てが、このアルフレッドという青年が普通の人間ではない事を示していた。
  人は、自分たちの常識から掛け離れた存在を恐れるものだ。目の前でこちらを睨みつけている青年は、人々の畏れを集めて余りあるほどに、並外れて美しい姿を持っていた。
「こんなに麗しい方がお相手とはね。光栄ですよ」
「ふ、ざけるな! 僕はそんなの望んでない!」
  掴みかかってきた手を軽く受け止めて、アルフレッドの腰に手を回す。その体つきは細くて頼りないのに、どこにそんな力があるのか、青年はジュードの腕の中で酷く暴れ始めた。
「離せ……っ」
「はいはい、そう興奮しないで。貴方だって、このままじゃ辛いでしょ? 一回吐き出せば楽になりますから」
「い、やだ……そんなの……」
  しばらく抱きかかえたまま様子を見ていると、体力が尽きたのか、アルフレッドはすぐに大人しくなった。その隙に肩を掴んで体の位置を入れ替え、ベッドの上に押し倒す。
「うわっ」
「貴方、今十八歳でしたか? 初めてなったのはいつの事です? 十五? 十六? ワーウルフってのは、本来ならそんな状態になる前に、さっさとつがいを見つけて落ち着くもんだそうですよ。……けどね、そう出来なかったのは、貴方のせいじゃない」
  紅潮した頬を優しく撫でると、アルフレッドの白い喉がごくりと上下した。薄く開いた唇からは、明らかに人間のものではない鋭い牙が覗いている。
「辛かったでしょう。どっちつかずの体を抱えて、たった一人で苦しんで……だけど、もう我慢しなくていいんですよ。ほら」
  アルフレッドの手を取って、細い指をローブの隙間に滑り込ませ、裸の胸に押し付ける。
「あ……」
「ここで起きた事は、誰にも口外しません。だから、貴方は安心して、好きなだけ欲望をぶつければ良い。簡単な事でしょ?」
  苛立ちに燃えていた瞳から、少しずつ理性の色が消えていくのが分かる。どれだけ意地を張ったって、獣の本能にそう長く抗える筈がない。
「う、ううぅ……!」
「おっ」
  獣のような唸り声が聞こえた直後、ローブの襟を引きちぎる勢いで引っ張られ、強い力でベッドの上に転がされた。そのまま息をつく暇もなく、アルフレッドが馬乗りになって覆いかぶさってくる。
「あー、よしよし。そんなに慌てなくても逃げやしませんよ」
  そう言って頭を撫でてやるが、もはやアルフレッドには聞こえていないようだ。
「ん、はぁ……っ」
  荒々しい呼吸を繰り返しながら、ジュードの胸に舌を這わせ、皮膚を突き破るほど強く、尖った牙を突き立てる。長い爪が腕に食い込んで、白いローブにじわりと血が滲んだ。
「はは……っ、本当に、デカい犬にじゃれつかれてるみたいだな」
  肌を引き裂かれる痛みに顔を顰めながら、アルフレッドの背中に手を回す。足をほとんど覆い隠すような大きな尻尾が、ふるふると揺れているのが微かに見えた。
「ふ、さすが若いですねえ……」
  足にぐりぐりと押し付けられているアルフレッドの体の一部が、酷く昂っていることに気づいて苦笑する。
「遠慮しなくていいですよ。もう支度は済んでますから」
  アルフレッドの寝巻の前を寛げてやりながら、反対の手で己のローブの紐を解き、何も身につけていない下腹部を晒す。そのまま自身の最奥に手を伸ばして、指先で強引に押し広げた。
「さあ、ほら」
  その一瞬、アルフレッドは躊躇するように顔を歪ませた。しかし、それも僅かな間の事だった。
「う、ぐ……っ」
  深い部分に熱く昂った物を押し込まれ、その息苦しさに思わず喘ぐ。
「はっ、あぁ……っ、ん……」
  ジュードの体に爪を立てながら、アルフレッドは恍惚としたような息を吐いて、夢中でその体を貪っていた。本能に支配されたその瞳は、獲物に喰らいつく狼のように、ギラギラとした輝きを放っている。
「はは……初めてでも、本能に刻まれてるもん、なんですかね……立派な、オスの顔だ」
  激しく体を揺さぶられながら、手を伸ばしてアルフレッドの唇をなぞる。剥き出しの牙に触れた親指の先から血が溢れ出して、その唇をじわじわと赤く染めた。
「…………うぅ……」
  苦しげな呻き声と共に、アルフレッドは再び顔を歪ませる。胸の上に、温かな液体がぱたぱたと零れてくるのに気づいて、ジュードは瞳を瞬かせた。
「なんで、泣いてるんです?」
「……こんな……こんなこと、したくなかった、のに……僕は……」
  伏せられた睫毛の下から次々に溢れ出した涙が、ジュードの肌を濡らす。それを目にすると同時に、ジュードは頭で考えるよりも先に手を伸ばして、アルフレッドを抱き締めていた。
「な、にを」
「大丈夫。大丈夫ですよ」
  アルフレッドの肩に手を回して、子供をあやすように、優しく背中を撫でる。その体は、さっき触れた時よりも、ずっと熱かった。
「ねえアルフレッド様。こんなのは全部ただの夢ですよ。目が覚めたらすぐに消えてしまうような、つまらない幻です。だから貴方が何かを気に病む必要は無い……この場限りで、全部無かった事にして、忘れてしまって良いんです。……だから、ほら」
「っ、あ……」
  アルフレッドの腰に左足をかけて、そのまま強く引き寄せる。体の奥に収まった物が一層深くまで入り込んできて、その熱さに背筋が甘く震えた。
「あぅ……うう……」
「……っ、そう、そうです。貴方は俺を、好きにして良いんですよ」
  促されるまま、再びガツガツと腰を振るアルフレッドの頭を、何度も何度も撫でた。どうせ、この一晩限りの関係なのだ。それなら、この気の毒な青年を、ただただ甘やかしてやりたいと思った。
  自分の体が思い通りにならない苦しさは、よく分かる。それが努力では覆せないような類のものなら、なおのことだ。
「んぁ……っ、ああ……っ」
「良い子、ですね……そのまま全部、吐き出して良いですよ」
「……ぁ、うぅ……っ」
  肩に縋り付いていた手に力がこもって、ギリギリと爪が食い込む。ほとんど同時に、体の中で熱が爆ぜた。
「あ、んん……っ」
  甘い鳴き声を上げて、アルフレッドが体を震わせる。中に吐き出されてくる欲望を受け止めながら、ジュードはその汗ばんだ髪をそっと掻き上げてやった。
「よしよし……」
  呼吸が落ち着くにつれて、アルフレッドの瞳に理性の色が戻って来たのが分かる。獰猛な獣の姿は幻のように消え、そこには気弱そうな青年の姿だけが残った。
「…………っあ」
  掠れた声を上げて、アルフレッドは泣きそうに顔を歪ませた。
「…………ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
  ジュードの肩に顔を埋めて、アルフレッドは何度も何度も、そう繰り返した。
「……言ったでしょう。貴方はなんにも気にすることないんですよ」
  そう言って、アルフレッドの背中をぽんぽんと撫でる。それでもアルフレッドは、泣き出しそうな声で「ごめんなさい」と繰り返し続けた。

  ❍

「ちょっとは落ち着きましたか」
「……はい、あの」
「おっと、ごめんはもう無しですよ」
  上に乗ったままのアルフレッドの背中を支えつつ、ゆっくりと体を起こす。血と汗に塗れて、お互いの体は酷い有様だ。傷だらけのジュードの体を見て、アルフレッドは自分が傷付けられたかのように苦しげな顔をした。
「……そんな顔しなさんな。俺だってね、親切心でこんなことやってる訳じゃないんですから。貴方のお父上から、見合うだけの対価をしっかり貰ってるんですよ」
「そんなの……お金の問題じゃないです。だって、初めて会った相手と、こんなこと……」
  消え入りそうな声で呟いたアルフレッドの頬が、じわりと赤くなる。さっきまでとは別人のような箱入りお坊ちゃんぷりだ。
「……責任を、取らせてください」
「……はい?」
  首を傾げるジュードの膝に跨ったまま、アルフレッドは勢いよく顔を上げた。
「僕が! 責任を取ります! 一生をかけて大切にすると誓うので、これからずっと僕のそばに居てくれませんか!」
  一瞬、何を言われているのか理解出来ずに、何も答えられなかった。対するアルフレッドは、やけに深刻そうな顔で、まっすぐにジュードを見上げている。一体これはどういう状況なのか。
「……なるほど。つまり、これからは貴方が俺を雇ってくれるという事ですか?」
「…………えっ?」
「そりゃ助かりますよ。いえね、正直を言うと、これからどうしたもんかと考えていたところだったんですよ。今の俺に出来ることなんざたかが知れてますし、体を売って暮らそうにも、こんなおっさんを買おうなんて物好きは、そうそういないでしょうから……」
「そんな……! そんなのダメです! 他の人ともこんなことするなんて、絶対ダメ!!」
  焦った様子で身を乗り出してきたアルフレッドの頬に触れて、ジュードは少し微笑んだ。
「なら決まりだ。明日からよろしくお願いしますよ、ご主人様」
「え、あれ……?」
  なぜか困ったように首を捻るアルフレッドの頭を、くしゃくしゃと撫で回す。これから雇い主になる相手に対して不敬だろうが、今夜くらいはいいだろう。
「あうぅ……」
  情けない声を上げて、ボサボサになった髪を押さえるアルフレッドを見ていると、自然と笑みが零れてきた。ほんの数刻前に知り合ったばかりの青年のことを、ジュードは案外嫌いではなかった。
「人生、何が起こるか分からないもんですね」
  何もかもを失って辿り着いたこの場所で、新たな生きる理由を見い出せるかもしれない。

  この青年の隣で迎える明日は、どんな一日になるのだろうか。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

宝珠の少年は伯爵様に責められる

BL / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:9

風紀委員長は××が苦手

BL / 連載中 24h.ポイント:227pt お気に入り:213

死ぬまでにやりたいこと~浮気夫とすれ違う愛~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:12,964pt お気に入り:7,012

モテたかったがこうじゃない

BL / 連載中 24h.ポイント:1,625pt お気に入り:3,848

おじさんの恋

BL / 完結 24h.ポイント:319pt お気に入り:766

獣の幸福

BL / 連載中 24h.ポイント:717pt お気に入り:669

魔法使いと兵士

BL / 連載中 24h.ポイント:99pt お気に入り:37

単話集

66
BL / 連載中 24h.ポイント:198pt お気に入り:56

処理中です...