迷宮入り片想い

村井 彰

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両想いの存在証明

終話 帰る場所

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  息を切らしながら庭へと駆け出してきた花峰は、目の前にそびえるシマトネリコの木を真下から見上げていた。ろくに剪定されていない枝は伸び放題に葉を広げているが、その幹は細く、いくら痩せ型の花峰であってもよじ登るのは厳しそうだ。そうでなくても、花峰は産まれてこの方、木登りというものをしたことがない。無理に登ってみたところで、病院送りになるのは目に見えていた。
  考え無しに飛び出してきたことを後悔しつつ、庭木を睨みつけていると、カラカラと軽い音がして、すぐ近くにある窓が開いた。
「あら、掃除のお兄さん。連日ご苦労さま」
  そう言って、一階の住民であるおばあさんが窓から顔を出す。どうやら、花峰はまだ清掃業者だと思われているらしい。
「あ、どうも……」
  勘違いされたままの方が都合がいいかと、特に訂正せずに会釈すると、おばあさんは花峰が見上げていた庭木に視線を移した。
「ああ、もしかして木の剪定をしてくれるのかしら。助かるわあ、あんまりにも伸び放題だし管理人さんに言っても放ったらかしだから、私が自分でどうにかしようと思って、以前いろいろ用意したんだけどね。私じゃ手が届かなくて」
  ひとりでペラペラと喋り続けるおばあさんの言葉に、花峰は思わず身を乗り出していた。
「いろいろ用意……ってことは、剪定バサミとかありますか?!」
  花峰の勢いに押されたように、おばあさんが少し身を仰け反らせる。
「え、ええ……あるけれど」
「すみません、それ貸してもらえませんか!」
  食い気味におばあさんに詰め寄って、若干引いている様子の彼女から剪定バサミと脚立を貸してもらう。助かった。これなら木によじ登る必要はない。ここの管理人とシマトネリコには申し訳ないが、指輪らしき物が引っかかっている枝先だけ、これで切らせて貰おう。
「よっ……と」
  脚立の一番上に足を乗せ、長いハサミの柄のギリギリを持って枝先を狙う。花峰の背丈なら、これでどうにか届くはずだ。二階から確認したのは、確かこの辺り……もう少しで届きそうだ。
「遊眞くん!」
  その時不意に、パタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「あ、環さん」
  そういえば何も説明しないまま飛び出してきてしまったな、と花峰が振り向いた瞬間。
「うぇっ?!」
  ずるり、と足が滑る感触と共に、一瞬体が宙に浮いた。そのまま視界がぐるりとひっくり返って、脚立が倒れる喧しい音が聞こえる。脚立から足を踏み外したらしいと気づいた時には、花峰は背中から地面に落下して青空を見上げていた。
「あいたっ?!」
  さらに一瞬遅れて、葉っぱがたくさんついた枝が顔の上に落下してきた。無様にもがきながら枝を退けると、心配そうにこちらを覗き込んでいる環と目が合う。
「ちょっと遊眞くん、大丈夫?」
「あ、はい……どうにか」
  どうにも締まらない自分に苦笑しつつ、体についた土を払って起き上がる。
「一体何をしてたの? あの木になにかあるの」
  花峰の頬についた汚れを親指で拭いて、環が怪訝な顔をする。されるがままにほっぺたをムニムニと擦られながら、花峰は手にした枝を環の前に掲げてみせた。
「……環さん。見てください、これ」
  首を傾げながら、環は視線を移して……それに気づいた瞬間、大きく目を見開いた。
「それ、私の指輪……?」
  震える手を伸ばして、環が枝の先端に触れる。そこには、キラキラと輝く小さな指輪が、見事なほどにすっぽりと収まっていた。二年もの間、土に塗れることなく、柔らかな木々に抱かれるようにして、その指輪はそこにあったのだ。
「嘘みたい……こんなところに、あったなんて」
  ゆっくりと枝から引き抜かれた指輪は、月日の長さをまるで感じさせないほどに、美しく煌めいていた。
  それはまるで奇跡のように。純度の高いプラチナは、どんな風雨に晒されてもほとんど姿を変えず、かつて確かにあったはずの、二人の愛の証をそこに湛えている。『Tamaki』と『Soujyu』。二人の名前と、彼らが夫婦になった日の記録が、その指輪の内側には、確かに刻まれていたのだった。

  *

  その後、無事に全ての仕事を終える事が出来た花峰は、剪定バサミと脚立をおばあさんに返して、古いアパートを後にした。あとは事前に契約した分の報酬を後日振り込んで貰って、それで本当に終了である。この海辺の町を訪れる事も、きっともう無いだろう。
  そう思っていたのだが。
「環さん! どこに行くんですか!」
  真っ白な日傘を差した後ろ姿を追いかけながら、花峰は声をあげる。アパートから出た直後、追いついてきた環に「少し付き合って欲しい」と言われたのだ。
  花峰の問いには答えず、環はまっすぐに路地の先へと向かって行く。駅とは反対方向のその先には、海が広がっていた。
  路地に切り取られた細い視界が開けた瞬間、潮の香りさえも強くなったような錯覚を覚える。
  見渡す限りの全てを覆い尽くす、青。空と海の境い目すらなくなるほどに、どこまでも続いていくその深い色に、花峰は思わず足を止めていた。
「遊眞くん、こっちよ」
  環に名を呼ばれ、ハッと思考を引き戻される。水平線の先に奪われていた視線を戻せば、環は既に車通りのない車道を渡って、反対側にある歩道で花峰を待っていた。取り残された花峰は、慌てて道の向こうへと駆け出した。横断歩道は無いが、左右確認などするまでもなく車が通りかかる気配すらない。空と海の青、そして環の日傘の白。今ここにある色は、ただそれだけだった。
「すごいですね。家のすぐ近くに、こんな綺麗な場所があるなんて」
  環に追いついた花峰がそう声をかけると、歩道の柵に手をかけて、環は少し目を細めてみせた。
「素敵よね、ここ。私もここの景色が気に入って、この町に住むことに決めたのよ。……それも、今日までだけれど」
  そう言って視線を落とした環の手の中には、あの指輪があった。夏の日差しを反射して鋭く光ったそれは、眩しく輝いて、花峰の瞳の奥深くに突き刺さった。
「環さん、それ」
「ごめんね遊眞くん。せっかく探してくれたのに」
  花峰の言葉を遮って、環は謝罪の言葉を口にした。
  どうして謝るんですか。その指輪をどうするつもりなんですか。……やっぱり、藤堂さんに。
  花峰の心に次々と浮かんできた疑問は、次の瞬間環が取った行動に、一瞬で掻き消された。
「…………は?」
  事態を理解出来ない花峰が素っ頓狂な声を上げる前で、キラキラと眩しい輝きが彼方の海へと吸い込まれていく様子が、やけにゆっくりと焼き付いて見えた。環が海に向かって思い切り指輪を放り投げたのだと、花峰がどうにかそれを理解した時には、指輪は光の残像だけを残して青の中に溶けて消えてしまっていた。
「うーん、あんまり飛ばなかったわね。これでも学生時代はソフトボールとかやってたんだけど」
  あっけらかんと言う環の横で、花峰は馬鹿みたいに口を開けて突っ立っている事しか出来なかった。
「…………ポイ捨ては、良くないと思います」
  どうにか絞り出した花峰の言葉に、環がふっと破顔する。
「気にするとこ、そこ?」
  くすくすと笑いながら、環は海にくるりと背を向けて、わざとらしく伸びをしてみせた。
「はあ、すっきりした。これでこの町に思い残すことは何も無いわ。明日から心機一転、頑張らなくちゃね」
  作ったような明るい声に、少し苦しくなる。彼女は最初から、自分の手で指輪を捨てるために探していたのだろうか。だとしたら、どうしてわざわざ電車で一時間もかかるような花峰の事務所までやってきたのだろう。それは、もしかしたら、藤堂の店がすぐそばにあったから……
「遊眞くん、改めてお礼を言わせてちょうだい。本当にありがとう。あなたにお願いして良かった」
  真面目な調子の環の声に、慌てて顔を上げる。
「いえ……お役に立てたのなら、良かったです」
  戸惑いを滲ませる花峰の声に、環は全てを見透かすように笑ってこう返した。
「本当に良い子ね、遊眞くん。そうちゃんに飽きちゃったら、その時は私と遊んでね?」
「……そんな日は、一生来ません」
  花峰が少しムッとして言い返すと、環は「そうよね」と微笑みながら踵を返した。
「それじゃあ、私はそろそろ行くわ。縁があったら、またどこかで会いましょうね。……さよなら、遊眞くん」
  別れの言葉を短く告げて、花峰の返事を待たずに、環はまっすぐ歩いて行く。少しずつ遠ざかっていく白い背中を見送って、花峰はふと海を振り返った。ここからの景色を見ることは、きっともう二度と無いけれど、海はどこまでだって繋がっている。
「……帰ろう」
  彼女にも、帰るべき場所があるのだろう。花峰もまた、海に背を向けて歩き出した。あの人はきっと、今日も変わらずあの店にいるはずだ。
  それなら、僕の帰るべき場所は、いつだって──
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