23 / 41
第二幕 変転のコリンヴェルト
第3話 没落令嬢の野営
しおりを挟む
ララとミレーヌが武器商人であるヤンという男と出会い、そこで働き始めてから三日が経過した。
彼らヤン商会はここより南西に位置する港町コリンヴェルトへと向かっているところであるが、その道中は道の険しい難所があるだけでなく、治安が悪く通行人を狙う賊なども出没するという悪所でもあった。
そして、隊商はこの日の夜は丘の上で野営し、寝ずの番をララとミレーヌが務めることとなった。
枯れ草が広がる地面に天幕を張り、薪を焚べて火を起こし、獣肉と山菜を煮込んだシチューを食べ終えると、彼らは一斉に眠りに就いた。
そして天幕と荷馬車の中心辺りに起こした焚き火の前で、ララとミレーヌが丸太の切れ端に腰を下ろし、寝ずの番に就く。
幸い好天に恵まれて月や秋の星々が爛々と輝いているが、周囲は町の灯りも目印となる篝火もない寂寥の丘で、ただ目の前でパチパチと爆ぜながら時々吹きこむ冷風にその身を踊らせる炎が朧げに二人の顔を照らし出していた。
「静かだね……」
まるで魅入られるように炎の律動を見つめながら、ミレーヌがポツリとつぶやく。
「ええ……。不気味なくらいに静かですわね」
その隣でララが膝を抱えたまま同意する。
「ヤン殿は、ただ朝まで座っていればよいとのんきにおっしゃっておりましたが、この辺はそんなに安全な場所なのかしら?」
「まあ、獣くらいだったら火を絶やさなければ大抵は近づいて来ないとは思うけど。でも、この辺は獣よりも全然恐ろしい奴らが跋扈してるってもっぱらの噂だよ」
「ミレーヌ、それって……」
「ああ。賊どもだ」
ミレーヌは大きくうなずいて言った。
「ですが、それにしてはこのヤン商会はあまりにも無防備ではありませんこと? たしかにヤン殿はお強いですが、他の方々は至って普通の使用人といった感じですし……」
「そうなんだよ。それはアタシも気になってたんだ」
ミレーヌは大きく身を乗り出し、
「だけど実際、賊は現れてない。いや、賊どころか獣の気配さえもこの近辺には無い。『吸血者』になって感覚が研ぎ澄まされてるから、そう感じられるんだ」
実感を伝える。
「たしかにわたくしも、この辺りに危険なモノの気配は何も感じませんわ」
「果たして偶然運がイイだけなのか……。まあ、アタシとしては何もないに越したことはないけどさ」
「そうですわね」
二人は再び焚き火の方に目を向ける。
「そういえば、この隊商の行き先ってコリンヴェルトなんだよね? 何か運命的なものを感じないかい?」
「そう……ですわね」
ミレーヌの言葉に、ララはふと思い返してみる。
今より数週間ほど前のことだ――
エイレンヌという小さな港町でララとミレーヌは領主の奴隷として仕えており、そこで大ブリタニア王国の紫紺騎士団の襲撃を受けて敵将のリオと死闘を繰り広げた。
その時、紫紺騎士団はコリンヴェルトとの定期船を乗っ取り、そのまま乗りこんで来たのだ。
「でもさ、コリンヴェルトって別に内乱もなければ敵の侵略があるワケでもない、ホントに平和な港町のはずだよ。そんなところに武器商人が来ても、旨みのある商いが出来るとは思えないんだけどなぁ」
「たしかに……。戦がなければ武器は売れませんから、不思議といえば不思議ですわね」
二人はヤンの狙いが理解できず、小首をかしげながら考えこむが、やはりその答えは出なかった。
「でもさ、コリンヴェルトといえばやっぱりワイン! あそこの白ワインは格別なんだよねぇ」
早々に考えるのをやめたミレーヌは、頬に手を当ててうっとりと赤みを帯びた顔で思いを馳せる。
「そういえばミレーヌ、最初に会ったころはお酒なんて一滴も飲まなかったのに、わたくしと旅をするようになってからはよく飲むようになりましたわよね?」
実は彼女が酒好きでかなりの酒豪であることを、ララは最近知ったのだ。
「ああ、旦那が死んでからさ、ずっと禁酒してたんだよ。かれこれ五年だからけっこう長かったね。でも、心機一転エイレンヌを出てアンタと一緒にこうして旅に出てるんだ。もうしがらみを捨てて好きなものを好きなように楽しむことにしたんだ」
「好きなものを楽しむ。それが一番の幸福ですもの、イイと思いますわ。まあ、飲み過ぎない程度にお願いしますわね」
「ああ。酒は飲んでも飲まれるな。心得ているよ」
実際、ミレーヌは酒が入るといつも以上に陽気にはなるものの、決して理性を失ったり他者に迷惑をかけることも皆無なので、ララもそこは安心しているところだ。
「ところでミレーヌはヤン殿についてどう思います?」
不意にララは訊ねる。
「どう、って?」
「うーん、何と言ったら良いのか……とにかくその存在自体が謎だらけではありませんこと?」
「ずいぶんとざっくばらんに言うねぇ」
ミレーヌは思わず苦笑した。
「まあたしかに、見た目や名前からしてここら辺の出身じゃないだろうし、商人にしてはあまり愛想が良くなくて暗い感じだし、商人というワリにべらぼうに強いし。何か掴みどころが無い人だよね」
「ええ。それでわたくし、思ったんです」
「何を?」
ララは大きく身を乗り出し、
「もしかしたらヤン殿は、他国から送られた諜報員なのでは、と」
ヒソヒソ声で伝える。
「諜報員? ヤン殿が?」
ミレーヌは腕組みを考えこむ。
「……なるほどね。たしかにそう考えると腑に落ちるかも知れない」
「でしょでしょ? コリンヴェルトに行くのだって、商売ではなく諜報工作が真の目的だとしたら合点がいきますもの」
二人が同時にうなずいた、その時だった――
「なるほど、諜報員ですか」
彼女たちの背後から、穏やかな口調ながらどこか圧を感じさせる言葉が向けられる。
「ッ! や、ヤン殿!?」
常人には無い高い戦闘能力と鋭い感性を持つ二人でさえもまったく気配を察することが出来ず、暗闇と同化するようにして現れた黒ずくめの男――ヤンは飄々とした足取りで近づくと、
「失礼させていただきます」
そう言って彼女たちと同じように焚き火の前で腰を下ろした。
途端に重苦しい空気がその場を支配する。誰も言葉を発しないまま、ただパチパチと炎の爆ぜる音だけがやけに大きく聞こえる。
「あ、あの……」
沈黙を打ち破ってララが言う。
「差し支えなければヤン殿のこと、教えていただけませんか?」
「そうですね。さして人に語るようなものでもありませんが……」
おもむろに下弦の月を見上げ、一度ため息を吐くと、男は静かに語り始める。
「私はここより遥か東方の出身です。物心ついたころにはすでに両親は無く、奴隷として貴族の下で働いておりました」
「奴隷?」
かつて奴隷堕ちした経験のある二人は思わずその単語に反応を示す。
「ええ。まさに地獄のような日々でした。食事は二日に一度程度。睡眠は一日三時間程度。それ以外は捨て駒として肉体労働と戦争に駆り出される。それの繰り返しでした」
しかし、比較的恵まれた環境にいた彼女たちと違いあまりにも過酷すぎる生活を送っていたことを知ると、何も言えず推し黙るしかなかった。
「そして私はある日、主である貴族を殺害したのです。おそらく衝動的な行動だったのでしょう。当然私は捕縛され、処刑されるはずでした。しかし、私はたまたま通りかかったひとりの大商人に拾われたのです。
不思議でした。なぜ、矮躯で醜い犯罪者の私を助けたのか、と。その商人は、一期一会だと言いました」
「一期一会?」
「ええ。つまり、偶然出会ったから助けたということです。私は戸惑いながらも彼の元で働き、やがて自らも商人として独立するに至ったのですよ」
そこまで話すと、再び深いため息を吐く。
「ヤン殿が商人になったのは、その恩人の影響だったんだね?」
「ええ。何も無かった私に指針を示してくれた大恩人でございます」
ミレーヌの問いに、ヤンはかすかに微笑んだ。
「あの、申し訳ございませんでした。 わたくし、ヤン殿のことを諜報員などと愚かな邪推をしてしまいましたわ」
ララは深々と頭を下げ、非礼を詫びる。
「いいえ、謝る必要などありませんよ、ララ殿。アナタのご推察、半分は当たっているのですから」
「え?」
意味深なその言葉に、ララはすぐに顔を上げる。しかし、ヤンはただ微笑むばかりでそれ以上を語ろうとはしなかった。
ひんやりとした肌寒い風と共に再び沈黙がその場に流れる。
「今度は私が聞いてもよろしいでしょうか?」
そして、先に口を開いたのはヤンだった。
「ええ、構いませんわ」
ララはコクリとうなずく。
「お二人はこうして私と同行しておりますが、嫌ではありませんか?」
「嫌、とは?」
二人は同時に首をかしげる。
「私は武器商人でございます。武器は人を殺すための道具。世間ではそんな武器商人のことを『死の商人』と呼び嫌悪し忌避する者も少なくはありません。そのような忌むべき存在と共にあることを、アナタ方は苦痛に思うことはありませんか?」
それは相変わらず感情の乏しいくぐもった声であり、その言葉の中にある真意を読み取ることは困難であった。
ララも少し首をかしげるが、結局深く考えることはやめてまっすぐに男を見据えて言う。
「武器はたしかに人を殺めることの出来る道具ではありますが、それは同時に命を護るための力でもあります。殺すも活かすもすべては使う者の心次第であり、武器そのものが悪であるはずがなく、ましてやそれを商う者を忌み嫌うなど甚だしい謬見ですわ」
「ほう……」
まっすぐな瞳で忌憚なく発せられる少女のその言葉に、ヤンは感嘆を禁じ得なかった。
「真にありがたきそのお言葉は正論であり、道理であり、理想であります。しかし、この世ではそのような正しきものが退けられるのが常でございます」
「では、わたくしの言葉は荒唐無稽な絵空事ということになりますわね?」
少女の言葉にヤンは大きくかぶりを振って言う。
「いいえ。そのような現実の中でも自分を見失わずに己の理想を抱き続けられる愚か者こそが強者なのです。ララ殿は愚直なまでにお強いですよ」
「それって褒められているのか貶されているのか、わかりませんわね」
ララは苦笑する。
ヤンもどこか愉快そうに口角を上げるとおもむろに立ち上がり、
「少々話しすぎたみたいですね。私はそろそろ失礼させていただきます」
そう告げて踵を返し、ゆったりとした足取りで天幕の方へと戻ってゆく。
が、すぐに足を止め、
「コリンヴェルトではきっと大きな商いが待っていると思いますよ……」
振り返ることなくそう告げ、再び歩みを再開すると、すぐに闇と同化してその気配と共に溶けてゆくのだった。
彼らヤン商会はここより南西に位置する港町コリンヴェルトへと向かっているところであるが、その道中は道の険しい難所があるだけでなく、治安が悪く通行人を狙う賊なども出没するという悪所でもあった。
そして、隊商はこの日の夜は丘の上で野営し、寝ずの番をララとミレーヌが務めることとなった。
枯れ草が広がる地面に天幕を張り、薪を焚べて火を起こし、獣肉と山菜を煮込んだシチューを食べ終えると、彼らは一斉に眠りに就いた。
そして天幕と荷馬車の中心辺りに起こした焚き火の前で、ララとミレーヌが丸太の切れ端に腰を下ろし、寝ずの番に就く。
幸い好天に恵まれて月や秋の星々が爛々と輝いているが、周囲は町の灯りも目印となる篝火もない寂寥の丘で、ただ目の前でパチパチと爆ぜながら時々吹きこむ冷風にその身を踊らせる炎が朧げに二人の顔を照らし出していた。
「静かだね……」
まるで魅入られるように炎の律動を見つめながら、ミレーヌがポツリとつぶやく。
「ええ……。不気味なくらいに静かですわね」
その隣でララが膝を抱えたまま同意する。
「ヤン殿は、ただ朝まで座っていればよいとのんきにおっしゃっておりましたが、この辺はそんなに安全な場所なのかしら?」
「まあ、獣くらいだったら火を絶やさなければ大抵は近づいて来ないとは思うけど。でも、この辺は獣よりも全然恐ろしい奴らが跋扈してるってもっぱらの噂だよ」
「ミレーヌ、それって……」
「ああ。賊どもだ」
ミレーヌは大きくうなずいて言った。
「ですが、それにしてはこのヤン商会はあまりにも無防備ではありませんこと? たしかにヤン殿はお強いですが、他の方々は至って普通の使用人といった感じですし……」
「そうなんだよ。それはアタシも気になってたんだ」
ミレーヌは大きく身を乗り出し、
「だけど実際、賊は現れてない。いや、賊どころか獣の気配さえもこの近辺には無い。『吸血者』になって感覚が研ぎ澄まされてるから、そう感じられるんだ」
実感を伝える。
「たしかにわたくしも、この辺りに危険なモノの気配は何も感じませんわ」
「果たして偶然運がイイだけなのか……。まあ、アタシとしては何もないに越したことはないけどさ」
「そうですわね」
二人は再び焚き火の方に目を向ける。
「そういえば、この隊商の行き先ってコリンヴェルトなんだよね? 何か運命的なものを感じないかい?」
「そう……ですわね」
ミレーヌの言葉に、ララはふと思い返してみる。
今より数週間ほど前のことだ――
エイレンヌという小さな港町でララとミレーヌは領主の奴隷として仕えており、そこで大ブリタニア王国の紫紺騎士団の襲撃を受けて敵将のリオと死闘を繰り広げた。
その時、紫紺騎士団はコリンヴェルトとの定期船を乗っ取り、そのまま乗りこんで来たのだ。
「でもさ、コリンヴェルトって別に内乱もなければ敵の侵略があるワケでもない、ホントに平和な港町のはずだよ。そんなところに武器商人が来ても、旨みのある商いが出来るとは思えないんだけどなぁ」
「たしかに……。戦がなければ武器は売れませんから、不思議といえば不思議ですわね」
二人はヤンの狙いが理解できず、小首をかしげながら考えこむが、やはりその答えは出なかった。
「でもさ、コリンヴェルトといえばやっぱりワイン! あそこの白ワインは格別なんだよねぇ」
早々に考えるのをやめたミレーヌは、頬に手を当ててうっとりと赤みを帯びた顔で思いを馳せる。
「そういえばミレーヌ、最初に会ったころはお酒なんて一滴も飲まなかったのに、わたくしと旅をするようになってからはよく飲むようになりましたわよね?」
実は彼女が酒好きでかなりの酒豪であることを、ララは最近知ったのだ。
「ああ、旦那が死んでからさ、ずっと禁酒してたんだよ。かれこれ五年だからけっこう長かったね。でも、心機一転エイレンヌを出てアンタと一緒にこうして旅に出てるんだ。もうしがらみを捨てて好きなものを好きなように楽しむことにしたんだ」
「好きなものを楽しむ。それが一番の幸福ですもの、イイと思いますわ。まあ、飲み過ぎない程度にお願いしますわね」
「ああ。酒は飲んでも飲まれるな。心得ているよ」
実際、ミレーヌは酒が入るといつも以上に陽気にはなるものの、決して理性を失ったり他者に迷惑をかけることも皆無なので、ララもそこは安心しているところだ。
「ところでミレーヌはヤン殿についてどう思います?」
不意にララは訊ねる。
「どう、って?」
「うーん、何と言ったら良いのか……とにかくその存在自体が謎だらけではありませんこと?」
「ずいぶんとざっくばらんに言うねぇ」
ミレーヌは思わず苦笑した。
「まあたしかに、見た目や名前からしてここら辺の出身じゃないだろうし、商人にしてはあまり愛想が良くなくて暗い感じだし、商人というワリにべらぼうに強いし。何か掴みどころが無い人だよね」
「ええ。それでわたくし、思ったんです」
「何を?」
ララは大きく身を乗り出し、
「もしかしたらヤン殿は、他国から送られた諜報員なのでは、と」
ヒソヒソ声で伝える。
「諜報員? ヤン殿が?」
ミレーヌは腕組みを考えこむ。
「……なるほどね。たしかにそう考えると腑に落ちるかも知れない」
「でしょでしょ? コリンヴェルトに行くのだって、商売ではなく諜報工作が真の目的だとしたら合点がいきますもの」
二人が同時にうなずいた、その時だった――
「なるほど、諜報員ですか」
彼女たちの背後から、穏やかな口調ながらどこか圧を感じさせる言葉が向けられる。
「ッ! や、ヤン殿!?」
常人には無い高い戦闘能力と鋭い感性を持つ二人でさえもまったく気配を察することが出来ず、暗闇と同化するようにして現れた黒ずくめの男――ヤンは飄々とした足取りで近づくと、
「失礼させていただきます」
そう言って彼女たちと同じように焚き火の前で腰を下ろした。
途端に重苦しい空気がその場を支配する。誰も言葉を発しないまま、ただパチパチと炎の爆ぜる音だけがやけに大きく聞こえる。
「あ、あの……」
沈黙を打ち破ってララが言う。
「差し支えなければヤン殿のこと、教えていただけませんか?」
「そうですね。さして人に語るようなものでもありませんが……」
おもむろに下弦の月を見上げ、一度ため息を吐くと、男は静かに語り始める。
「私はここより遥か東方の出身です。物心ついたころにはすでに両親は無く、奴隷として貴族の下で働いておりました」
「奴隷?」
かつて奴隷堕ちした経験のある二人は思わずその単語に反応を示す。
「ええ。まさに地獄のような日々でした。食事は二日に一度程度。睡眠は一日三時間程度。それ以外は捨て駒として肉体労働と戦争に駆り出される。それの繰り返しでした」
しかし、比較的恵まれた環境にいた彼女たちと違いあまりにも過酷すぎる生活を送っていたことを知ると、何も言えず推し黙るしかなかった。
「そして私はある日、主である貴族を殺害したのです。おそらく衝動的な行動だったのでしょう。当然私は捕縛され、処刑されるはずでした。しかし、私はたまたま通りかかったひとりの大商人に拾われたのです。
不思議でした。なぜ、矮躯で醜い犯罪者の私を助けたのか、と。その商人は、一期一会だと言いました」
「一期一会?」
「ええ。つまり、偶然出会ったから助けたということです。私は戸惑いながらも彼の元で働き、やがて自らも商人として独立するに至ったのですよ」
そこまで話すと、再び深いため息を吐く。
「ヤン殿が商人になったのは、その恩人の影響だったんだね?」
「ええ。何も無かった私に指針を示してくれた大恩人でございます」
ミレーヌの問いに、ヤンはかすかに微笑んだ。
「あの、申し訳ございませんでした。 わたくし、ヤン殿のことを諜報員などと愚かな邪推をしてしまいましたわ」
ララは深々と頭を下げ、非礼を詫びる。
「いいえ、謝る必要などありませんよ、ララ殿。アナタのご推察、半分は当たっているのですから」
「え?」
意味深なその言葉に、ララはすぐに顔を上げる。しかし、ヤンはただ微笑むばかりでそれ以上を語ろうとはしなかった。
ひんやりとした肌寒い風と共に再び沈黙がその場に流れる。
「今度は私が聞いてもよろしいでしょうか?」
そして、先に口を開いたのはヤンだった。
「ええ、構いませんわ」
ララはコクリとうなずく。
「お二人はこうして私と同行しておりますが、嫌ではありませんか?」
「嫌、とは?」
二人は同時に首をかしげる。
「私は武器商人でございます。武器は人を殺すための道具。世間ではそんな武器商人のことを『死の商人』と呼び嫌悪し忌避する者も少なくはありません。そのような忌むべき存在と共にあることを、アナタ方は苦痛に思うことはありませんか?」
それは相変わらず感情の乏しいくぐもった声であり、その言葉の中にある真意を読み取ることは困難であった。
ララも少し首をかしげるが、結局深く考えることはやめてまっすぐに男を見据えて言う。
「武器はたしかに人を殺めることの出来る道具ではありますが、それは同時に命を護るための力でもあります。殺すも活かすもすべては使う者の心次第であり、武器そのものが悪であるはずがなく、ましてやそれを商う者を忌み嫌うなど甚だしい謬見ですわ」
「ほう……」
まっすぐな瞳で忌憚なく発せられる少女のその言葉に、ヤンは感嘆を禁じ得なかった。
「真にありがたきそのお言葉は正論であり、道理であり、理想であります。しかし、この世ではそのような正しきものが退けられるのが常でございます」
「では、わたくしの言葉は荒唐無稽な絵空事ということになりますわね?」
少女の言葉にヤンは大きくかぶりを振って言う。
「いいえ。そのような現実の中でも自分を見失わずに己の理想を抱き続けられる愚か者こそが強者なのです。ララ殿は愚直なまでにお強いですよ」
「それって褒められているのか貶されているのか、わかりませんわね」
ララは苦笑する。
ヤンもどこか愉快そうに口角を上げるとおもむろに立ち上がり、
「少々話しすぎたみたいですね。私はそろそろ失礼させていただきます」
そう告げて踵を返し、ゆったりとした足取りで天幕の方へと戻ってゆく。
が、すぐに足を止め、
「コリンヴェルトではきっと大きな商いが待っていると思いますよ……」
振り返ることなくそう告げ、再び歩みを再開すると、すぐに闇と同化してその気配と共に溶けてゆくのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる