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Expedition
9:月陰1
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黒煙が月を隠す。黒煙が空へ昇ってゆくのを私は見つめていた。肉の焦げる嫌な匂いに血の匂いの混じった生暖かい風が頬を撫でてゆく。
「これで最後だ」
ダイファスさんが、獣人の死体を担いでくる。その体は返り血で赤く染まっている。小屋の壁際で商人のジルダートさんが未だ震えているのを見て、またかと呟きながら大きくため息を付いている。
「嬢さんの方が、よっぽど肝が座ってる」
無造作に獣人が燃え盛る炎に焚べられる。小屋を崩した木材で組み上げられた簡易の火葬場、名も知らぬこの村の住人と名も知らぬ獣人達が共に燃えて灰となる。死んでしまえばそこに違いは無いように思える。
「獣人も人も死ぬとそう変わらないですね」
獣と化した顔が、炎の中でその輪郭を崩してゆく。パチパチと木が弾ける音だけが聞こえる。あまり火葬は一般的ではないが、この数の死体を埋める時間もなくまとめて燃やすことにした。
「これからどうする」
シロウが木を炎に足しながら尋ねてくる。その体は気のせいか、この一日で一回り小さくなったように感じる。シロウの言うように、シロウの自己再生の魔法は自分自身の体そのものを触媒としているのだろう。即ち、無限に再生できるわけではないようだ。
「私は予定通り、マクシャに向かおうと考えてます」
ダイファスさんと、ジルダートさんが視線をこちらに向けてくる。
「まだ獣人達があたりにいるかも」
ジルダートさんが辺りに怯えた視線を向ける。日は既に落ち、この炎から少し離れた場所は既に暗色に塗りつぶされている。
「旦那、それは引き返しても同じだな」
ダイファスさんが首を横に振り答え、ジルダートさんが項垂れる。
「マクシャとミルニトならまだ、マクシャのほうが安全か」
脳裏に浮かぶのは石壁に囲まれた砦とブドウ畑に囲まれた閑静な村。獣人に襲われるとして、より安全なのはどちらだろう。ダイファスさんはなにか思うところがあるのだろうか難しい顔をしている。
「シロウには希望はありますか」
シロウは、視線だけをこちらに向けてくる。心なしか心ここに非ずのように見て取れる。獣人たちの大半と1人戦っていたのだ、疲れに拠るものだろうか。
「自分は、主の、命に、従う」
一言づつ、確認するかのような言葉。
「4人中3人がマクシャ希望か、じゃ、マクシャ行きかね」
ダイファスさんが結論を皆に告げて、私は思わず反応してしまう。
「たまたまご同行させて貰いましたけど。この先もご一緒する理由はないのでは?」
震えるジルダートさんに視線が集まったのには、きっと他意はないものと思いたい。
夜のマクシャに煌々と松明の火が掲げられている。中心となって動いているのは町の住人。彼も気付け代わりに度のきつい酒を煽り染みる薬液を傷口に練り込む。
「また無茶して」
力任せに包帯を締め上げて来るのはよく知った顔。彼はおどけた笑みを彼女に返す。
「お手柔らかに頼むよ」
彼の言葉に、包帯を締める力がさらに強くなる。2人のやり取りを、周囲の兵たちが暖かく見守っている。
「こんな怪我するほうが悪い、マクシャには治癒魔法の使える魔法使いはいないのよ」
「悪かったよ、気をつける」
彼は笑みを深め、彼女の頭をポンポンと叩く。小恥ずかしいのか、彼女は彼から視線を外す。マクシャの防衛戦力に魔法使いは居なかった。3人も魔法使いがいれば、ここまでの被害はなかっただろうし、10人もいれば圧勝だったろう。けれども、事実は辛勝。村人の被害こそないものの、兵士の半数は死亡し、残りの大多数も大なり小なりの傷を負っている。
「東門は酷かったらしいな」
「うん」
彼の守っていた西門に比べ、東門の被害は甚大だった。元より皇国と面している西門の方に手練が多かったのもあるが、状況を見ると獣人達の主力が東門側であったという事もある。
「辺境伯様がいなければ、きっと獣人達に私達は殺されてた」
自身を抱くかのように、両肩を抱える。思い出されるのは町が揺れたのではないかと思うほどの衝撃と、轟音、そして、獣の咆哮。
「狼の獣人がすごかったらしいな、族長クラスじゃないかって話さえある」
話が聞こえたのか、血を失って青白い顔の兵士が首肯する。死者や重傷者の多い東門の兵士の中、比較的軽症の兵だ。血を失って朦朧とした意識の中、狼の獣人と辺境伯の戦いを石壁の上から見ていたという。
「守備隊長殿でも、あの獣人には勝てなかったと思います」
兵士のつぶやきに、彼は僅かに心外だと返す。彼女は兵士の言葉を肯定するように、包帯をさらにきつく締めあげる。
「さすがに痛いんだが」
彼の抗議の声に彼女は首を横に振り口元に笑みを浮かべる。目は笑っていない。
「兄さんじゃ無理です。あれは、辺境伯様だから倒せたんです」
遠目に慰安に回っている辺境伯を3対の視線が追う。それに気づいたのか辺境伯は軽く手を振って応える。獣人との戦いの始まる前と変わらない姿、いつもと違うのは着無精な辺境伯がいつもと違う服を着ているということ。
「返り血が落ちないほどの量だった」
「実は服ごと噛み千切られて、周りに心配されないように無傷の服を着ている」
「全力を出した辺境伯の動きに服がついていけなくて、ぼろぼろになった」
まことしやかに兵士と住人たちの間に流れる噂。どれも否定も肯定もせず、いつものように穏やかな笑みを浮かべる辺境伯。
「実際のところどうなんだ」
彼の問に、彼女は首を振る。噂の真相は彼女にも判らない。案外、気まぐれて服を着替えたのではないかとさえ思う。
「怪我じゃなければ良いと思うけど」
それは本心からの言葉。獣人達の攻撃は日が落ちる頃には止んでいた。けれど、明日も無いとは限らない。まともに動ける兵士は少なく、動ける兵士も満身創痍。今日こそ鍬を手に戦うことはなかったが、明日はどうなるかわからない。そんな中、辺境伯だけが僅かな希望だった。
「辺境伯様のおかげで、医療品こそ備蓄のあるものの。兵の数があまりに足りない」
「正規軍の援軍さえ来れば」
彼の独白に、兵士の一人が反応する。援軍の要請に早馬が出たのは本格的な戦いの始まる前、それこそ魔法でも使わない限り今晩中に援軍は絶望的だろう。
「無い物ねだりをしても仕方ない」
そう思いつつも、僅かな希望を否定する事もできず彼は乱暴に彼女の頭を撫でた。
月が綺麗だ。セレスは幼子を胸に抱き月を見上げていた。寒村、そう呼ぶのが相応しいような村。あぜ道を月を見上げながら歩いてゆく。道の左右には枯れ果てた畑、目の前に広がるのは北と南を分断する大森林。木々は実どころか葉も落ち、野生の獣の鳴き声さえしない。
「ウゥ」
胸元の幼子が飢えを訴える。どうしたものかと胸を吸わせてみるも、出るものが出るわけもなく幼子の吸う力も徐々に弱まってゆく。命の灯が消えてゆくのがわかる。
「無力よの」
大きくため息をつく。南で神と崇められるセレスであるが、人々の飢えを癒やす方法をもっては居ない。
「セレス様」
体躯の良い人鮫の娘が駆けてくる。まるでドスドスという音さえ聞こえてきそうな力強い走り。セレスの顔に安堵の表情が浮かぶ。娘は自らの胸をはだけ幼子に吸わせる。
「すまぬ、助かった」
娘と、その少し後ろに立つ少年に礼を言う。少年は肩で息をしている。
「人獣の村から、うちの村まで休みなく駆けて来るとは流石は人狼の族長だな」
娘がカラカラと笑うが、少年は不機嫌そうに視線を外す。
「照れてるのか」
娘は少年の顔を覗き込み、少年は一歩後ずさる。
「違う、族長と呼ばれるのも、未だここにいるのも納得いかないだけだ」
族長と成るべきと信じた兄の死を知り、敬愛する叔父に遺された少年は絞り出すように叫ぶ。遠い地では妹が兄を未だ探し続け、同胞たちが死への行進を続けているだろう。
「けど、そのおかげでこの子は生きてる」
腹が満ち、満足したのか寝息を立て始めた幼子の頭を娘が撫でる。その様子を少年はただじっと黙ってみている。今の状況を納得できるわけではないが、目の前の幼子を救えたのも事実の1つではある。
「聞いてはいたが人鮫はまだマシなのか」
セレスが娘に尋ねる。
「うちは特殊だからね。日照りで畑のものが取れないのは正直辛いけど、海産物がある分大分マシかな」
海岸沿いに集落を作る人鮫は、森の恵みと農耕で食得る事の多い他の氏族に比べて、海産物という手がある分、日照りの影響は少ない。
「他の氏族の受け入れ、頼めるか」
セレスの言葉に、娘は頷く。
「うん、行けると思う。遠征で人数が減った今なら何とか行けるはず」
事実セレスからの頼まれる前から、人鮫の氏族は周囲の他の氏族の受け入れを始めていた。具体的には遠征の開始と同時にそれは始まっている。
『なぜもっと早くから』
その言葉を少年は口にだすことは出来ない。マシなだけでさほど余裕がないのは娘を迎えに行った際に実際見ていた。おそらく遠征で絶対数の減った今でも受け入れは、大分無理を伴うものとなるだろう。それは即ち、人鮫の中から餓死者が出る可能性さえあるという事だ。
「ほら、うちにもチビが1人いるからさ、こういうの見ちゃうとね」
幼子の頭を撫でる手は優しい。寒村の小屋で幼子の母親は幼子を抱えて餓死していた、骨と皮だけになった腕で幼子を守るように抱え、命の最後の一瞬まで幼子に捧げ、その一瞬が幼子を死ぬべき運命から遠ざけた。
「結果、貴女の子が死ぬかもしれないが」
セレスの言葉に娘が頷く。ただでさえ幼子が無事に育つことは少ない、10人いれば半数は大人になる前に死ぬ。それが満足に栄養を得ることが出来なければどうなることか。
「それはその子が人獣の子だからか」
少年の問に、困ったような笑みを娘が浮かべる。
「それもある、けどね、やっぱり母親としては見過ごせなくてさ」
月明かりの下笑う娘の姿を、セレスは静かに見ていた。
「これで最後だ」
ダイファスさんが、獣人の死体を担いでくる。その体は返り血で赤く染まっている。小屋の壁際で商人のジルダートさんが未だ震えているのを見て、またかと呟きながら大きくため息を付いている。
「嬢さんの方が、よっぽど肝が座ってる」
無造作に獣人が燃え盛る炎に焚べられる。小屋を崩した木材で組み上げられた簡易の火葬場、名も知らぬこの村の住人と名も知らぬ獣人達が共に燃えて灰となる。死んでしまえばそこに違いは無いように思える。
「獣人も人も死ぬとそう変わらないですね」
獣と化した顔が、炎の中でその輪郭を崩してゆく。パチパチと木が弾ける音だけが聞こえる。あまり火葬は一般的ではないが、この数の死体を埋める時間もなくまとめて燃やすことにした。
「これからどうする」
シロウが木を炎に足しながら尋ねてくる。その体は気のせいか、この一日で一回り小さくなったように感じる。シロウの言うように、シロウの自己再生の魔法は自分自身の体そのものを触媒としているのだろう。即ち、無限に再生できるわけではないようだ。
「私は予定通り、マクシャに向かおうと考えてます」
ダイファスさんと、ジルダートさんが視線をこちらに向けてくる。
「まだ獣人達があたりにいるかも」
ジルダートさんが辺りに怯えた視線を向ける。日は既に落ち、この炎から少し離れた場所は既に暗色に塗りつぶされている。
「旦那、それは引き返しても同じだな」
ダイファスさんが首を横に振り答え、ジルダートさんが項垂れる。
「マクシャとミルニトならまだ、マクシャのほうが安全か」
脳裏に浮かぶのは石壁に囲まれた砦とブドウ畑に囲まれた閑静な村。獣人に襲われるとして、より安全なのはどちらだろう。ダイファスさんはなにか思うところがあるのだろうか難しい顔をしている。
「シロウには希望はありますか」
シロウは、視線だけをこちらに向けてくる。心なしか心ここに非ずのように見て取れる。獣人たちの大半と1人戦っていたのだ、疲れに拠るものだろうか。
「自分は、主の、命に、従う」
一言づつ、確認するかのような言葉。
「4人中3人がマクシャ希望か、じゃ、マクシャ行きかね」
ダイファスさんが結論を皆に告げて、私は思わず反応してしまう。
「たまたまご同行させて貰いましたけど。この先もご一緒する理由はないのでは?」
震えるジルダートさんに視線が集まったのには、きっと他意はないものと思いたい。
夜のマクシャに煌々と松明の火が掲げられている。中心となって動いているのは町の住人。彼も気付け代わりに度のきつい酒を煽り染みる薬液を傷口に練り込む。
「また無茶して」
力任せに包帯を締め上げて来るのはよく知った顔。彼はおどけた笑みを彼女に返す。
「お手柔らかに頼むよ」
彼の言葉に、包帯を締める力がさらに強くなる。2人のやり取りを、周囲の兵たちが暖かく見守っている。
「こんな怪我するほうが悪い、マクシャには治癒魔法の使える魔法使いはいないのよ」
「悪かったよ、気をつける」
彼は笑みを深め、彼女の頭をポンポンと叩く。小恥ずかしいのか、彼女は彼から視線を外す。マクシャの防衛戦力に魔法使いは居なかった。3人も魔法使いがいれば、ここまでの被害はなかっただろうし、10人もいれば圧勝だったろう。けれども、事実は辛勝。村人の被害こそないものの、兵士の半数は死亡し、残りの大多数も大なり小なりの傷を負っている。
「東門は酷かったらしいな」
「うん」
彼の守っていた西門に比べ、東門の被害は甚大だった。元より皇国と面している西門の方に手練が多かったのもあるが、状況を見ると獣人達の主力が東門側であったという事もある。
「辺境伯様がいなければ、きっと獣人達に私達は殺されてた」
自身を抱くかのように、両肩を抱える。思い出されるのは町が揺れたのではないかと思うほどの衝撃と、轟音、そして、獣の咆哮。
「狼の獣人がすごかったらしいな、族長クラスじゃないかって話さえある」
話が聞こえたのか、血を失って青白い顔の兵士が首肯する。死者や重傷者の多い東門の兵士の中、比較的軽症の兵だ。血を失って朦朧とした意識の中、狼の獣人と辺境伯の戦いを石壁の上から見ていたという。
「守備隊長殿でも、あの獣人には勝てなかったと思います」
兵士のつぶやきに、彼は僅かに心外だと返す。彼女は兵士の言葉を肯定するように、包帯をさらにきつく締めあげる。
「さすがに痛いんだが」
彼の抗議の声に彼女は首を横に振り口元に笑みを浮かべる。目は笑っていない。
「兄さんじゃ無理です。あれは、辺境伯様だから倒せたんです」
遠目に慰安に回っている辺境伯を3対の視線が追う。それに気づいたのか辺境伯は軽く手を振って応える。獣人との戦いの始まる前と変わらない姿、いつもと違うのは着無精な辺境伯がいつもと違う服を着ているということ。
「返り血が落ちないほどの量だった」
「実は服ごと噛み千切られて、周りに心配されないように無傷の服を着ている」
「全力を出した辺境伯の動きに服がついていけなくて、ぼろぼろになった」
まことしやかに兵士と住人たちの間に流れる噂。どれも否定も肯定もせず、いつものように穏やかな笑みを浮かべる辺境伯。
「実際のところどうなんだ」
彼の問に、彼女は首を振る。噂の真相は彼女にも判らない。案外、気まぐれて服を着替えたのではないかとさえ思う。
「怪我じゃなければ良いと思うけど」
それは本心からの言葉。獣人達の攻撃は日が落ちる頃には止んでいた。けれど、明日も無いとは限らない。まともに動ける兵士は少なく、動ける兵士も満身創痍。今日こそ鍬を手に戦うことはなかったが、明日はどうなるかわからない。そんな中、辺境伯だけが僅かな希望だった。
「辺境伯様のおかげで、医療品こそ備蓄のあるものの。兵の数があまりに足りない」
「正規軍の援軍さえ来れば」
彼の独白に、兵士の一人が反応する。援軍の要請に早馬が出たのは本格的な戦いの始まる前、それこそ魔法でも使わない限り今晩中に援軍は絶望的だろう。
「無い物ねだりをしても仕方ない」
そう思いつつも、僅かな希望を否定する事もできず彼は乱暴に彼女の頭を撫でた。
月が綺麗だ。セレスは幼子を胸に抱き月を見上げていた。寒村、そう呼ぶのが相応しいような村。あぜ道を月を見上げながら歩いてゆく。道の左右には枯れ果てた畑、目の前に広がるのは北と南を分断する大森林。木々は実どころか葉も落ち、野生の獣の鳴き声さえしない。
「ウゥ」
胸元の幼子が飢えを訴える。どうしたものかと胸を吸わせてみるも、出るものが出るわけもなく幼子の吸う力も徐々に弱まってゆく。命の灯が消えてゆくのがわかる。
「無力よの」
大きくため息をつく。南で神と崇められるセレスであるが、人々の飢えを癒やす方法をもっては居ない。
「セレス様」
体躯の良い人鮫の娘が駆けてくる。まるでドスドスという音さえ聞こえてきそうな力強い走り。セレスの顔に安堵の表情が浮かぶ。娘は自らの胸をはだけ幼子に吸わせる。
「すまぬ、助かった」
娘と、その少し後ろに立つ少年に礼を言う。少年は肩で息をしている。
「人獣の村から、うちの村まで休みなく駆けて来るとは流石は人狼の族長だな」
娘がカラカラと笑うが、少年は不機嫌そうに視線を外す。
「照れてるのか」
娘は少年の顔を覗き込み、少年は一歩後ずさる。
「違う、族長と呼ばれるのも、未だここにいるのも納得いかないだけだ」
族長と成るべきと信じた兄の死を知り、敬愛する叔父に遺された少年は絞り出すように叫ぶ。遠い地では妹が兄を未だ探し続け、同胞たちが死への行進を続けているだろう。
「けど、そのおかげでこの子は生きてる」
腹が満ち、満足したのか寝息を立て始めた幼子の頭を娘が撫でる。その様子を少年はただじっと黙ってみている。今の状況を納得できるわけではないが、目の前の幼子を救えたのも事実の1つではある。
「聞いてはいたが人鮫はまだマシなのか」
セレスが娘に尋ねる。
「うちは特殊だからね。日照りで畑のものが取れないのは正直辛いけど、海産物がある分大分マシかな」
海岸沿いに集落を作る人鮫は、森の恵みと農耕で食得る事の多い他の氏族に比べて、海産物という手がある分、日照りの影響は少ない。
「他の氏族の受け入れ、頼めるか」
セレスの言葉に、娘は頷く。
「うん、行けると思う。遠征で人数が減った今なら何とか行けるはず」
事実セレスからの頼まれる前から、人鮫の氏族は周囲の他の氏族の受け入れを始めていた。具体的には遠征の開始と同時にそれは始まっている。
『なぜもっと早くから』
その言葉を少年は口にだすことは出来ない。マシなだけでさほど余裕がないのは娘を迎えに行った際に実際見ていた。おそらく遠征で絶対数の減った今でも受け入れは、大分無理を伴うものとなるだろう。それは即ち、人鮫の中から餓死者が出る可能性さえあるという事だ。
「ほら、うちにもチビが1人いるからさ、こういうの見ちゃうとね」
幼子の頭を撫でる手は優しい。寒村の小屋で幼子の母親は幼子を抱えて餓死していた、骨と皮だけになった腕で幼子を守るように抱え、命の最後の一瞬まで幼子に捧げ、その一瞬が幼子を死ぬべき運命から遠ざけた。
「結果、貴女の子が死ぬかもしれないが」
セレスの言葉に娘が頷く。ただでさえ幼子が無事に育つことは少ない、10人いれば半数は大人になる前に死ぬ。それが満足に栄養を得ることが出来なければどうなることか。
「それはその子が人獣の子だからか」
少年の問に、困ったような笑みを娘が浮かべる。
「それもある、けどね、やっぱり母親としては見過ごせなくてさ」
月明かりの下笑う娘の姿を、セレスは静かに見ていた。
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