The Doomsday

Sagami

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地下水路の一角にその扉はある。古い木の扉。扉の横には小さな灯りがついている。灯りが扉に刻まれた紋章を薄暗い地下道の中で映し出している。代々続く薬術士の系譜の紋章、横を向いた天使の翼を持った白い蛇、古来より白い蛇は薬を表すとされている。扉に向かって歩く人影が3つ。1人の老人を前後に挟むように2人の少女が歩みを進めている。

「マスター」

先頭を歩く名無しと呼ばれるフードの少女が足を止める。その口から抑揚のない声が発せられる。

「どうした」
「知らない気配がします」

名無しが扉とフルネストの間に立ち、ネイラが懐に忍ばせた短刀を逆手に持つ。護身用の短刀の冷たい柄の感触が神経を研ぎ澄ます。

「御師様、お帰りなさいませ。そちらはお客様でしょうか、確かバルド様の代理で何度か材料をお持ちになったことがありましたね」

扉がゆっくりと開き、痩せた男が姿を現す。何が楽しいのか口元に笑みを貼り付けている。三者ともに見知った顔だと言うのに酷く違和感を感じる。

「貴方、誰」

「名無し、遂に自分だけじゃなくて僕の名前も忘れたか。将来、偉大な薬術士となるラグルド様だよ、ラグルド。二度と聞くんじゃない」

ネイラは短刀を手に持ったまま、フルネストを見る。フルネストの目には彼女の見たことのない色が宿っている。老人は力なく首を振る。

「違う」
「違う」

フルネストと名無し、異口同音に発せられる言葉。名無しの羽織が一瞬翻り、羽織の下に仕舞われていた無数の金属片が薄闇の中で明かりに照らされて輝きを放つ。鋭利な金属片、ちょうどメスのような形をしたそれがラグルドに向かって投擲される。容赦のないそれはちょうどラグルドの額に向かって真っ直ぐに飛んでゆく。

プスッ

小さな音とともに、ラグルドの額にメスが刺さる。つんざくような奇声をラグルドがあげる。正視し難いなものを見た気がして、ネイラは思わず目を背けてしまう。

「いきなり酷い事をする」

額に刺さったメスを抜き、そのまま名無しに投げ返す。メスは名無しの頬をかすめ、その頬に紅い一本の筋が浮かぶ。

「全く良く出来た肉人形フレッシュゴーレムですよ君は、血まで流すんだから。これではまるで」

メスが刺さっていた場所は血が出ることもなく、ただ紅い穴として額に残っている。

「君がで、僕のほうがのようじゃないか」

狭い地下にラグルドの嬌笑が響いた。



(気に食わない)

領主の部屋を後にし、思わず口の中で呟いてしまう。領主のハボリム殿は以前に会った時と何も変わっていなかった。副団長の肩書のない時代、ただの1人の神殿騎士だった儂とハボリム殿は出会った。マルバス殿下に引き合わせたとき、珍しく聡明な領主だと感銘をうけたものだ。武辺一辺倒の儂にはない智の光をその目に宿していた。

「あの時と印象は変わらない、が行動はどうだ」

足を止め窓の外を見る。領館からは見えないが、この視線の先に獣人の首が晒されているはずだ。賢明なこの領主が、獣人の習慣を知らない訳はない。

「バルド様、もうお帰りですか」

銀の台に飲み物を載せた使用人が直ぐ側に立っている、先程の呟きが聞こえていなければ良いのだが。

「折角、お茶をいれたのですけど」

どうしたものかと首を傾げる使用人の仕草にどこか作り物めいたものを感じる。見目としては年若く見えるが同年代と言われれば納得してしまいそうだ。

「いや、もし宜しければ喉が渇いたところだ」

女の言葉の意味を察しそう答える。

「それは助かります」

湯気の立つカップを受け取り、一口で飲み干す。

「熱く無いのですか」

作り物でない驚きの表情、こちらの表情も誰かに似ている。

「野営中に戦闘が始まる場合もありますからな、戦士の嗜みと言うやつです」

必要が無い時は自ら騎士を名乗る事はない。儂がそれほど上等なものでは無いことは誰よりも儂自身が知っている。女はそれを問うこと無く、軽く相槌を打ってくる。

「どこを見ていたのですか」

儂がしていたように、窓から外を眺める。いつの間に空は曇り空になっており、雲の合間から刺す夕陽が町並みを所々染めている。この女性なら、或いはハボリム殿の考えを伝え聞いているかもしれない、そんな思いがふと浮かぶ。

「街の外に晒されていた首を」

見えもしないそれを語る。

「そうですか」

女の顔に僅かに笑みが浮かんだように見えた。それがどういう種類の笑かは分からない。

「ナツ殿は獣人にとって首を晒すという行為がどういう意味を持つかご存知ですか」

「私は使用人ですから、是非ナツとだけお呼びください。首の意味は知っています」

前半は朗々と、後半はしっかりと意思をもった言葉。ちょうど、雲の隙間から夕陽が差して女の表情が読めない。

「ああ、少し曇ったと思ったのですがまた晴れてしまいますね。少しは雨が降ってくれるかと期待したのですけれど」

「やはり南部は水不足が激しいのですか」

使用人とて領主の使用人だ、なるべく紳士然としてと意識して問うが自身の丁寧な物言いにむず痒くなる。

「ええ、この街はそれほどではないのですが南下すれば南下するほど酷くなっていきます、ミルニトのあたりは川の近くなのでまだマシみたいですけど」

バーサッドと同じく獣人に襲われたという街の名が出るのはただのだろうか。

「そうですか、神殿都市では水量はさほど例年と変わってなく不思議に思う限りですが」

「ええ、神殿都市のから水不足が発生しているようですね」

女の含みのある言葉、エルセド山脈からの雪解け水は川を伝い皇国を縦断し南へと流れ出している。そして、雪解け水の少なくない量が神殿都市に流れ込んでいる。

「バルド様、お時間は大丈夫でしょうか」

思わず我に返る。見るともう1つのカップから湯気が消えている、ハボリム殿の分だろう。

「これは長居した、ハボリム殿に重ねてよろしくお伝え下さい」

「承知いたしました。お伝えいたします」

礼をして再び廊下を歩きはじめる。長居しすぎた、あの少女は部下たちと上手くやれているだろうか。

「バルド様、2人のご息女はお元気でしょうか?」

背中に投げられた言葉に足が止まる。遠い記憶、買い出しに出たネイラとリンが一度だけ連れ帰ってきた女性。あの時、紹介されたのだろう。仕草に対する引っかかりの原因がわかった。どうりでどこかで見た仕草だと思ったはずだ、すぐに思い出せなかった自身に苦笑する。養女むすめの仕草にとても似ている。

「ああ、今も神殿都市で元気に暮らしてるよ。たまには遊びに来ると良い。その時は養女むすめ達の養父ちちとして歓迎する」

「申し訳ありません。あの街は、私にとってあまり良い記憶が無いので」

一瞬の間を置いて、女の声が背後からする。その言葉の意味を問うべく振り返った時には、既にその姿はなかった。



日が傾きつつある、空を見上げため息をつく。上手く笑えていただろうか、長年培ってきた人当たりの良い笑みがこんな場所でも役に立つとは意外だった。

「ため息ついて、アマネ嬢もお疲れかな」

差し出された半透明の小さなお菓子、バルドの家でも人気だったそれを1つ摘む。

「ありがとうございます」

歳相応の笑みを浮かべ、若い騎士に礼を言う。半日程一緒にいただけだが、元々人見知りしないのだろう、この騎士は大分と私に心を許しているようだ。裏表を感じさせない笑みに好感が持てる。

「そろそろ今日は上りだからって口説いてるのかい」

女騎士がからかいの笑みを浮かべている。こちらは特別私を警戒するというわけではないけれど、一定の距離を置いている感じがする。おそらくは私が、バルドさんの客人であることが理由だろう。2人とも今日の分の配給が終わり、黒い兜を脱ぎ鎧もまた外そうとしている。

「そうじゃない、一日手伝ってもらったからで夕食をって思ってたんだよ」

長い間兜をかぶっていたせいで、湿り気を帯びた髪に精悍な顔つき。兜を外して立っていれば騎士を見に来るご婦人たちが居ただろう事は想像に難くない。

「ふぅん、2でじゃなくてかい」

対する女騎士も顔つきは整っているが、印象的なのはその顔に刻まれた大きな火傷の痕。まるで焼きごてでも当てられたかのような印。見慣れているのか騎士はそれを気にする様子はない。

「なっ、違う」

外したばかりの小手を女騎士に投げつけるが軽く受け止められる。

「一瞬、期待してたのですけど」

少し悪戯心が湧いていしまい、そう小声で言って騎士に視線を向ける。騎士の顔が赤くなるのが分かる。元々はの歓心を買うために覚えた所作はどうやら此処でも通用するようだと冷静に分析している私。女騎士が呆けた顔でこちらを見ているが、気にしない事にした。

「じゃ、じゃあ、是非今晩」

「なんだぁ、今日はお前が皆に奢ってくれるっていうのか」

いつから聞いていたのか、バルドさんが騎士の後ろに満面の笑みを浮かべて立っていた。その評定にどこか疲れが浮かんでいるのに私は気づかないフリをした。
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