マレフィカス・ブルートは死に損ない

六十月菖菊

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【第1章】アヴィメントにて

【第1話】幼馴染は殺し損ねる

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 ミゼルス=マイアープ=アヴィメント。
 アヴィメント辺境伯の一人娘である彼女は、父が治めるアヴィメント領で生まれ育ち、毎日を飽きることなく海を見て過ごしていた。
 ミゼルスは海が好きだ。凪いでいようが時化ていようが、大好きな海を見ない日は無い。波の音に耳を傾け、潮の匂いを嗅いで深呼吸をする。時には飛び込み、泳ぐこともあった。
 ミゼルスの夢は、いつか海の上を旅することだ。彼女の父は辺境伯であると共に、アヴィメント商会という独立した旅商も経営している。父の後を継げば自ずと夢は叶うはずだと、彼女は幼い頃から商いの勉強に励んでいたのだった。


 辺境伯令嬢ミゼルスの朝は早い。
 日が昇る前に目覚ましの鐘が鳴る。商会で取り寄せた異国の発明品である。魔力を動力源とし、術式の入力次第で起床時間を決められるというものだ。 
 鐘に設定されている時間は「夜明け前」である。鳴り響く鐘の音を止めるには、一度起き上がって停止の呪文を唱えなければならない。
 ノロノロと手を伸ばし、ミゼルスは口を開いた。

「まだ眠りた────ベフゥ!」

 ミゼルスは勢い良く叩かれた。

「いったぁ…………おはよ、ツユリ」
「おはようございます。お目覚めですか、ミゼルスお嬢様」
「うんバッチリ。冴えた、めちゃ冴えた。ありがとうツユリ」
「恐れ入ります。お召し物のご準備は整っております」
「分かった。すぐ着替える」

 使用人が用意した服に着替えて部屋を出る。
 出た先の廊下には、馴染みのある顰め面が待ち構えていた。

「遅い」
「おはよう」

 重なった台詞は雑音になった。
 ミゼルスは苦笑いを浮かべ、「無茶を言うなよ」と呟いてその前を通り過ぎる。
 対する彼は顰め面を変えないまま、ミゼルスの後をついていく。

「おい、今日も行くのか」
「うん?」

 訊かれたことの意図を測りかね、ミゼルスは顰め面の幼馴染を振り返る。

「今日の海、大時化だぞ」
「ああ、そうみたいだね」

 それがどうしたんだと首を傾げれば、呆れたように溜息を吐かれた。

「死にたいのか」
「えっなにその自殺願望。そんなつもりは一切ないけど?」
「それなら今日はやめておけ。死ぬぞ」
「そう言われてもなぁ」

 困り顔でミゼルスは傍に控えている使用人の方を見た。

「ツユリ、大丈夫だよね?」
「存じません。私に分かることは、お嬢様の死亡確率が80%を超えているということだけです」
「ほら、20%も生存確率があるじゃん。生けるよ」
「逝けるの間違いだろ、この馬鹿」
「馬鹿とは失礼な。馬鹿って言う奴が馬鹿なんだよ」
「お嬢様、その返しだけでも充分に馬鹿です」
「ツユリまで酷いことを言う。何だよ、良いじゃないか海を見に行くくらい。減るもんじゃないし」
「減るどころか無くなるぞ、寿命が」

 幼馴染は先程よりも更に大きい溜息を吐く。

「もういい。どうあっても行くんだよな」
「当たり前じゃん」
「今日は俺もついていく」
「へぇ? ティアがついてくるだなんて珍しい。海が嫌いなくせに」

 ミゼルスの言葉に、ティアブル=ミットは一度口を噤んだ。元々の顰め面が更に酷くなる。

「分かっているなら行くのをやめろ」
「何を言ってるんだか」

 鼻で笑い、ミゼルスは足を動かす。

「やめるわけないじゃん?」


 ◇ ◆ ◇


「ああ、今日も素敵だ」

 頬を赤らめてうっとりと海を眺める。

「穏やかな貴女も、荒れ狂う貴女も、とてもとても魅力的だ。どうして私は人間なんだろう? 貴女の中で生きたい。人間の生を受けてしまったこの命が憎たらしくて仕方ないよ────」

 愛おしさと狂おしさを込めた言葉。それを贈る相手は、暗雲の下で強風と大雨と共に猛り狂った波音を響かせている。
 身を落とせば間違いなく生命も落とす。荒れた大海の恐ろしさに、常人ならば身を竦ませる。
 しかし、ミゼルスは嬉しそうに笑みを浮かべる。
 愛おしいと、声に言葉に、愛を滲ませる。

「愛している。いつか必ず、私は貴女に────」

 甲高い鳥の声のような風の音にミゼルスの言葉は掻き消される。
 そして彼女は気が付かなかった。
 その背に伸ばされる、何者かの手に。


 ────トンッ。


 跳ね飛ばす。
 押されたと認識した彼女は、そんな感覚を覚えた。
 彼女の背を押したその手に、悪意を感じなかった。

「ミゼルスお嬢様!」

 ツユリの叫ぶ声が聞こえる。
 普段は全く取り乱すことの無い使用人の叫び声に、ミゼルスは薄らと笑った。

 ────いや、嗤った。

「……あは」

 漏れ出た嘲笑はひどく満足気で。

「あっははははは────!」

 糸目が開き、ラピスラズリの瞳が覗く。
 煌めく瑠璃色は振り向き際に、背を押した犯人────幼馴染、ティアブル=ミットの顔を捉える。
 確かな意志を持って彼女を押したはずの彼は、後悔に歪んだ表情をしていた。
 しかし、そんなものお構い無しに、ミゼルスは彼を褒め称える。

「よくやったティア! ティアブル=ミット! 君ならやってくれると信じていたよ! さすがは私の幼馴染!」

 愉快に笑うミゼルスの身体は重力に従って海へと落ちていく。

「でも残念! 君にはやっぱり【悪意】が足りない! 私の育て方が甘かったかな? まあ、それはそれで次回に役立てればいいか」

 残念という言葉とは裏腹に、声はどこまでも愉しげだ。
 落下速度が徐々に上がる。
 必死に伸ばされた使用人の手は、どう足掻いても届かない距離だ。
 ミゼルスはもう一度しっかりと嗤う。自分が確実に死ぬことが決まったことに────


「────ちょっと待ったァァァァ!」


 突如として声が上空から降った。
 その瞬間にミゼルスの笑みが瞬く間に凍り付き、青ざめていく。

(しまった、アイツを忘れていた……!)

 ガツッと両肩を掴まれた感覚に、思わず絶望したのだった。
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