マレフィカス・ブルートは死に損ない

六十月菖菊

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【第1章】アヴィメントにて

【第3話】人魚は愛し損ねる

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 初めに感じたのは息苦しさだった。
 堪らずに咳き込み目を開けると、眼前いっぱいに透き通るような白肌があった。
 ついでに言うと口を口で塞がれていた。

「んむぅ?」
「ぷはっ……あ、起きた?」

 白肌が離れて全体があらわになる。
 しっとりと水に濡れた灰白色の髪に、くりっとした可愛らしい大きな目。その身に纏っているものは胸元を隠す布一枚だけであり、下半身には人の足ではなく魚の尾ビレがあった。
 つまり。

「えーっと……人魚?」
「私はシレンだよ、ミゼルス」
「なんで私の名前知ってんの?」
「アヴィメント領でミゼルスのことを知らないコなんて居ないよ? 特に、この海の中ではね」

 にっこりと笑い、ピチピチと尾ビレを振って嬉しそうにシレンは答えた。
 
「今日はどうしたの? こんな大時化の日に飛び込んで来るなんて。下手したら死んじゃってたよ」
「いやぁ、それが幼馴染に崖から落とされちゃって」
「……ふぅん」

 ピチ……ピチ……と徐々に尾ビレが動きを鈍らせて、やがて完全に止まった。

「なぁんだ、逢いに来てくれたのかと思ったのに」
「どうかした?」

 ボソリと呟かれたシレンの言葉を、ミゼルスは聞き取れなかった。

「ううん、何でもない」
「そう?」

 気を取り直して立ち上がり、ぐるりと辺りを見渡す。
 どうやら洞窟内にいるらしい。

「ところで、ここはどこ? 見た感じ洞窟っぽいけど」
「うん、洞窟だよ。ミゼルスが落ちてきた崖の真下にあるんだ」
「あー、真下に落ちて、そのまま引き上げてもらったってところか。なるほどね」

 さて、これからどうするか────考えを巡らせようとするミゼルスだったが、どこか不満そうなシレンに服の裾をクイクイと引っ張られて中断する。

「どうしたの?」
「……折角来たのに、もう帰っちゃうの?」
「へ?」
「ねえ、ここに居なよミゼルス。戻っても殺されちゃうよ。人間は野蛮な生き物だもの」
「いや、私も生物学上人間だけど?」
「ミゼルスは特別だからいいの!」

 再びピチピチと尾ビレを振る。興奮しているらしい。

「もしかして、私とシレンって前に会ったことある?」
「……やっぱり忘れちゃったんだ?」
「うーん、全然覚えてない。いつのこと?」
「ミゼルスがうんと小さい時に一回だけ。あの時も海は大荒れで、ミゼルスは溺れかけていたよ」

 そこまで聞いてミゼルスは閃く。

「ああ! 初めて海に落ちたときだな!」
「あのとき、ミゼルスを助けたのは私なの」

 えへんと言いたげに胸を張る。

「なるほどなるほど、そんでもって今回も助けられたってワケか~。なるほどなぁ…………チッ、余計なことを」
「ミゼルス?」
「ナンデモナイヨー」

 最後に吐いた毒を誤魔化し、ミゼルスはその場に座り直した。

「シレンは魚人種だよね。その尾ビレを見る限り、ドルフィナス族かな?」
「すごい、すごいわミゼルス! 博識なのね!」

 その反応だけで正解なのだと分かる。
 ニヤリとして、ミゼルスは灰青色の瞳をじっと見る。

「家族は?」

 軽い調子で聞かれた問いに、シレンの顔が曇る。

「……みんな殺されちゃった。人魚の肉は不老不死の秘薬になるんだって」
「ああ、東方の国々に確かそんな伝説あったね。実際のところどうなの?」
「嘘っぱちだよ。でもイカれた人間どもに私たちの言葉なんて通じないの」
「あらら、可哀想に」

 全く感情のこもっていない声で、同情の言葉を投げかける。つまるところミゼルスはシレンに同情なんてしていなければ、可哀想など一欠片も考えていない。
 そういう人間なのだ、この少女は。

「ねぇミゼルス。私と一緒にこの海で暮らしましょう! 私が養ってあげる! 邪な人間たちから、ミゼルスを守ってあげる!」

 シレンはミゼルスの様子に少しも気付かない。

「私、私ね────貴女を愛してるの!」

 熱に浮かれたような表情をして、じっと糸目の向こう側にあるであろうラピスラズリの瞳を見つめている。
 それに応えるように、ミゼルスはそっと目を見開いた。海を思わせる色が瞼の下から現れる。

「……シレン」
「なあに?」
「君にとっての《悪》は、何?」

 ミゼルスのその問いかけは、シレンの予測外のものだった。

「え?」
「もし、君にとっての《善》が私を生かすことで、反対に《悪》が私を殺すことならば────」

 魅惑的な笑みを湛える。少女らしからぬ雰囲気を纏わせて今度はハッキリと────ミゼルスは《毒》をシレンに向けて吐きかけた。

「その《悪》をもって、私を《愛》して欲しい!」

 ミゼルスの吐いた《毒》はひどく効果的だった。
 シレンはひと時その目を丸くし、次の瞬間に意味を理解し────発狂した。

「あ……あ……!」

 ビチリと尾ビレを大きくしならせる。ワナワナと身を震わせて、それでも迷わずその白魚の細腕はミゼルスの喉元へと向かった。

「愛してる……愛してるの、ミゼルス! だから、愛してあげる……!」

 ────愛をもって、貴女を殺す。

「貴女をもう誰にも触れさせやしない。貴女の命は私だけのもの、貴女の死は私だけの────」

 掴まれた喉への圧迫が始まる。
 夢中になって《愛》を叫ぶ人魚の頬は涙で濡れていた。

 ────ああ、ウザったい。

 辟易としながらミゼルスはその頬へ手を伸ばし、グイッと涙を乱暴に拭った。
 すると更に涙を零して、恍惚とした表情をして。擦り付けるように頬をミゼルスの手に擦り寄せた。
 片手でミゼルスの首を絞めながらズリズリと這いずる。向かう先は、暗色の海だ。

「ミゼルス、ミゼルスは海が大好きだもの。死ぬなら海の中が良いよね」

 間も無くして冷たい水の感触がする。
 片手だった圧迫が、両手分になる。

「愛、してる────」

 薄れ行く意識の中、聞き飽きたセリフにミゼルスは嘲笑を浮かべた。
 なんて馬鹿らしいのだろう。
 なんて煩わしいのだろう。
 なんて、なんて、なんて────。

 ────なんて、愛おしいのだろう!



『────そこまでだ、マレフィカス・ブルート』



 唐突に。厳かな声が、脳内に響いた。

『相変わらず性根の腐った悪ガキめ。テメェの所為でまた俺のオーバータイムが更新した』

 苛立ちを隠しもしない。
 そのことに、ミゼルスの溜飲が下がる。

『お疲れ様です《神様》』
『お疲れ様ですじゃねぇーよこの《人でなし》。さっさと死に損なえ』

 その言葉を合図に、海が唸りを上げる。

「────!?」

 水中を得意とする魚人種でも抗えない。
 いとも簡単にミゼルスから手を離される。

「あっ……!」

 しまったといった表情で、届かない手を伸ばす。

「ミゼルス……!」

 ────飽きもせずによく泣けるものだ。

 こっちまで泣けてくる。
 ミゼルスは内心で嘆息し、波に身を委ねて意識を落とした。

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