マレフィカス・ブルートは死に損ない

六十月菖菊

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【第1章】アヴィメントにて

【第5話】幼馴染は解り損ねる

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「……俺は、謝らない」

 ────パーン!

 ティアブル=ミットがその一言を放った次の瞬間、彼の頬は良い音を立てて強く打たれていた。

「なーにが『俺は謝らない。キリッ』だよ。つべこべ言わず謝れ、この顔面コミュ障が」

 平手打ちをかましたミゼルスは清々とした顔で、にこやかに笑っていた。ただし糸目は笑っていなかった。

「お嬢様、殴る予定では?」
「予定変更。ちなみに物凄く掌が痛い」
「どちらにせよ自業自得では?」

 軽快にいつも通りに使用人とやり取りを交わしつつ、改めてティアブルの顔を見つめる。

「ほら早く謝れよこのお馬鹿。君が次期皇帝だろうが将来有望な皇族だろうが知ったこっちゃない。今の私は君からの謝罪しか受け付けない。早急に謝りたまえ」
「……………………次は上手くやる」
「ちげーよバーカ!」

 ────パーンパーンパーン!

 三発。
 罵倒と共に放たれた平手打ち────またの名をビンタという────が容赦なくティアブルの頬を襲う。
 襟首を掴み上げて揺さぶり、ミゼルスは怒鳴りつける。

「分かってない! 全然解ってないなぁ、ティア! 君は本当に良くやっていた! 上手くやっていた! じゃあ何が悪かったと思う? 伊達に十数年、私の幼馴染をやっていないだろう! そのくらい分かってくれよ、理解してくれよ!」
「ミゼルス……」
「そんなんだから、君は失敗したんだ。時も場所も状況も、何もかもが完璧だったのに! 肝心なところで君は────!」
「お嬢様、その辺に」

 ツユリの声に制される。
 不機嫌そうにしながらもミゼルスは一度言葉を止め、襟首から手を離した。

「ミゼルス」

 計四発の平手打ちを受けた頬は少し赤くなっている。
 しかし、それとは関係なく、ティアブルの目元は赤く腫れていた。

「本当にっ……わ、悪かった……覚悟が、足りず……お前の期待通りに、できなかった……!」

 ボタボタと情けなく涙を流し、ティアブルは謝罪をする。
 ミゼルスはそれを見て、ニタァと悪どい笑みを浮かべた。

「泣いて後悔する元気があるなら、反省して次に活かしてくれ。一々メソメソするんじゃない」
「……許して、くれるのか?」
「許す? 何言ってんだ君は」

 ヒリヒリとしている掌を擦り、僅かに瞼を上げてラピスラズリの瞳を覗かせた。

「君は何も間違ったことをしていないじゃないか」
「……?」
「あのなぁ、私が怒ってたのは君の覚悟不足が気に入らなかったからだよ。そこに正しいも間違いも無いっつーの」
「いや、だけど……」
「まだ一度だけの失敗だろ? 今後に期待してやるから、さっさと元気出しなよ」

 これだから女々しい男は。呆れた声でそう言うと、ツユリを連れてミゼルスは部屋を出て行こうとする。
 呆然としていたティアブルは、慌ててその背を呼び止めた。

「ま、待ってくれ、ミゼルス」
「何だよ。用は済んだよ?」
「謹慎が解けたら、また遊びに行ってもいいか」
「何だその質問。好きに来ればいいじゃん。皇族様の訪問を嫌がる奇特な貴族なんて、このメースンにはいないよ」
「つい数時間前まで殿下が皇族であることを忘れていたお嬢様が言うと感慨深いですね」
「黙らっしゃいツユリ」

 いつも通りのやり取り。
 そのことに、ティアブルの顔は安堵していた。

「……じゃあ、謹慎明けにまた会いに行く」
「おう、待ってるね」

 ばいばーい、と気の抜けた別れの挨拶を残して、ミゼルスはツユリと共に去っていった。



 ◇ ◆ ◇


『分かってない! 全然解ってないなぁ、ティア!』

 ────叱られた。

『君は本当に良くやっていた!』

 ────褒められた。

『好きに来ればいいじゃん』

 ────許された。

 ひとり部屋の中で、ティアブルは打たれた頬に手を伸ばした。赤くじんじんと痛みを主張するそれは、いまだに熱を持っている。

「……ミゼルス」

 痛みを齎した幼馴染の名前を呼ぶ。
 皇族特有の碧眼は、ほの暗く揺れている。

「次こそは……」

 神聖な誓いを立てるように、それでいて犯した罪を懺悔するかのように。

「……ああ、ダメだ。俺はきっと、次も失敗する」

 だって、まだ。

「まだ、まだ俺は、お前と共に居たい」

 ────ミゼルスの傍に居たい。

「だから、きっと、俺はどれだけ期待されても、応えられない。お前の望む【悪】になれない────」

 ティアブル=ミットにとっての【悪】はまさしく、幼馴染の意図に気付いていながら、それを見ない振りし続けることなのだから。

『────ティア、幼馴染のよしみで教えてあげよう。私はいつかね、海に還りたいんだ』

 遠い昔の日。ミゼルスは彼にそう告白し、それから続けて頼みごとをした。

『だからさ、私を殺すときは海で殺してくれ』

 にこやかに、軽やかに、あっさりと。
 ミゼルスは自分を殺せと、ティアブルに依頼した。

『私を憎んでくれ。【悪意】をもって、私を殺してくれ。私が他の誰かに、損なわれる前に』

「……ああ、そうだったな、ミゼルス」

 昔日の約束事を思い出し、自嘲の笑みを浮かべる。
 どれだけ約束を先延ばしにしたところで、彼女は別の何かで代理を立てるつもりだ。
 ティアブルでなくとも、彼女の企みを成功させることができる者なんて、いくらでもいる。
 それならば。

「俺は、また芝居を続けることにする。お前を今まで通り、損ない続ける。そうすれば────」

 そうすれば。

「────まだしばらくは、共に居られる」


 ◇ ◆ ◇


「うーん、まあぼちぼちだなぁ」
「どうかされましたか?」
「あー、いや、こっちの話。ところでツユリ、三時のおやつは何?」
「ショコラでございます」
「お、ラッキー。私ショコラ好きだよ」
「存じ上げておりますが、大変ご機嫌がよろしいようで」

 くつくつと上機嫌に笑うミゼルス。その前にショコラを乗せた皿を置きつつ、ツユリは首を傾げる。

「まあね」

 ひとつ摘み上げて齧り付く。柔らかい生地の中からどろりとしたものが溢れ出てくる。


 ────今の幼馴染の心のようだと、ミゼルスはうっそりと笑ったのだった。
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