因子喰らいと霧の娘

六十月菖菊

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【第1章】太閤王と客人の娘

呵責

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 そこはきっと、彼女にとっての牢獄なのだろう。
 己を責め、苛むための場所なのだろう。
 ひどく哀しく寂しい、彼女のためだけの居場所。


 × × ×


 暗い。果てしなく暗い。
 セネット=ジルスは何処ともわからない暗闇を漂う。

(水の中みたい)

 心地の良い浮遊感。深い海の底へ沈んでいくような心地。頭はぼんやりとしていて、夢現(ゆめうつつ)の判別がつかない。

『────馬鹿ね』

 不意に、声が聞こえた。

『本当に、馬鹿な子』

 女の声だ。相手に威圧感を与えるような、感情を押さえ込んだ声。
 周りを見回すが、誰も居ない。

『無駄よ。あなたに私は見えない』

 相手側にはこちらの様子が分かるらしい。少し呆れの混じった声が、水面の波紋のように震動しては全体に響いた。

『……誰なの?』

 暗闇に目を凝らす。
 ただ静かな黒が広がっているばかりで、声の主はどこにも見当たらない。

『さぁね? 馬鹿なあなたには、きっと一生わからないわ』

 高らかに言う。突き放すような話し方だ。

『……私、死ねたのかしら』

 セネットは何とはなしに、そんな言葉をこぼした。この状況下においても、彼女は自身の生死を気に掛ける。

『────さぁね』

 返答はやや遅れて返ってきた。その声の調子に、少しばかりの違和感を覚える。

(さっきよりも声が弱いような)

『ねぇ、セネット。あなたはどうして死を望むの?』

 声がもう一度話しかけてきた。先ほど感じた違和感はどこにもない。

『どうしてって、そんなの』

 少し躊躇いながらもセネットは答える。

『……これ以上、私のせいで人が死ぬのは嫌だから』

 自分さえ居なければ、国が滅んだりすることはなかった。同じ過ちを、もうすでに五回繰り返している。
 ある日唐突に、前触れもなく。身体からあの霧が滲み出て国を覆い尽す。霧に包まれたその次の瞬間、決まって国は滅ぶのだ。

『私さえ、居なければ』
『本当にそう思っているの?』

 声が、彼女の言葉を一蹴する。

『え……?』
『あなたは本当に、誰かが死ぬのが嫌だから、死にたいだなんて言うの?』
『……どういうこと?』

 セネットは眉をひそめる。その様子を、声はせせら笑った。

『分からない? あなた、実際は怖いのよ。他人のために死にたいんじゃなくて、他人から責められる前に逃げてしまいたいだけ』

 途端に、セネットの顔面は蒼白になる。

『思い出しなさい。陛下に謁見したとき、本当は怖かったのでしょう? お前がやったんだろうって言われるのが、ひどく恐ろしかったのでしょう?』

 相手が放ったそれは、まるで刃物だった。心臓を捉え、深々と刺さり、体内から抉り出すような錯覚を与えてくる。

『────違う!』

 セネットが悲痛な声で叫んだ。両手で耳を塞ぐが、声は止まらず意識に入り込んでくる。

『違わない。いい加減に認めなさいな。あなたは他人に責められるのが嫌。他人に自分のことをああだこうだ言われるのが嫌。それがあなた、本当のあなたなのよ』
『ちがう、ちがう、ちがう……!』

 頭を抱え、セネットは弱々しく否定し続ける。
 これ以上の犠牲を出したくない。だから死を望むのだ。
 逃げているのではない。償いのために、この命を捨てるのだ。
 蔑まれて当然だ。私は人を殺しているのだから。国を滅ぼしているのだから。何度も、何度も。
 断罪を覚悟していた。それなのにあの人は。

 ────あのひとは、どうして。

『……本当に馬鹿な子ね、セネット』

 最初に言ったそれを、彼女はもう一度繰り返した。

『嫌なら嫌だと言えばいいのに。認めてしまえば、少しは楽になれるでしょうに』

 呆れたように、それでいて苦しそうに。
 聞き分けの悪い我が子に、やれやれと溜息を吐く母親のように。

『違うと言うのなら証明してごらんなさい。残念ながら、あなたはまだ死んではいないようだから』

 そんな様子で、どこか懐かしさを覚える声は、それでも最後に言い残す。

『────まぁ、無駄なことでしょうけど』


 × × ×


 目を開けると、数時間前に見たばかりの天蓋があった。

(……死ねなかった。また、邪魔されてしまった)

 夢の中で責め立てられたことよりも、生き残ったことの方が彼女にとっては哀しく、そして残酷だった。生きていることを実感した途端に目元は熱くなり、ついには雫がこぼれ落ちていった。
 ベッドから起き上がって、溢れ出る涙を拭う。必死で抑えようとするものの止めることは叶わず、代わりに声を殺しながら泣いた。

 ────ガチャ。

 遠くで扉の開く音を聞いた。足音がして、こちらへと近づいてくる。

「……泣いているのか」

 抑揚のない声が次いで耳に入ってくる。
 セネットは勢いよく、声の主に掴みかかった。

「どうして……どうして私を助けたのですか!」

 声の主、ウィルミリア=アールスタムは、静かにセネットを見下ろす。

「私が死にたいってわかっていたくせに! 放っておけばいいでしょう! こんな、こんな人殺しなんて────!」

 詰るように言い募るセネットを前にして、至極平然とした態度でウィルミリアは言葉を返す。

「お前は、人殺しなのか?」
「……っ」

 セネットの力が緩み、掴んでいた手を離した。腕はぱたりと下へ落ちる。

「だって……私の霧で……たくさん……国が……人が…………!」

 呪詛のように呟く彼女の目は陰り、焦点が定まっていない。

「いや……どうして、どうして……?」

 震える手を首元へと近づける。

「私のせいで」

(私は悪くない)

「私さえ居なければ」

(皆いなくなってしまえばいい)

 口から出る言葉と、心に浮かぶ言葉はまるで逆。ただし、その手だけは止まらない。ギリギリ、ギリギリと。セネットの首を絞めつけていく。
 そうしなければ、望んでいない心の声が漏れ出てしまいそうで。そうしなければ、醜い自分が出てきてしまいそうで。

(死にたい)

 頬を涙が伝う。閉じた瞼が熱い。

(死にたい)
(死なせて)
(もう苦しむのは嫌だ)
(もう何も傷つけたくない)
(もう誰も殺したくない)

「いや……」

 これ以上は、もう。

「……独りは、もう嫌……!」

 じぶんからひとりになるのは、いや。


 ────ザワリ。

 忌々しいざわめきが聞こえ、唐突に首への圧迫感が遠のく。

「────!」

 全身を包まれる感覚。しっかりとした、力強い抱擁感。
 定まらなかった焦点が元に戻り、恐る恐る自身を包み込む存在へと視線が向けられる。

「へい……か…?」

 セネットの身体はウィルミリアの腕の中にあった。首を絞めつけていた彼女の手をいつの間にか引き剥がし、頭を胸へと押しつけるようにして抑え込んでいる。

「独りは、嫌か」

 頭上から降る、相変わらず平淡な声。今はそれが、セネットにはひどく優しく聞こえた。

「……俺も、独りは嫌だ」

 あまりに優しい声に、ウィルミリアから伝わってくる温かさに。セネットはまた涙をこぼす。

 室内に彼女の泣き声が静かに響く。
 この国へ訪れて初めて、罪の意識から逃れた瞬間だった。
 
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