秒で諦める、その前に。

六十月菖菊

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アロー=ガンシア

【4】愛したい、愛されたい。

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「そもそもの話、あなたが私に最初に命じたのは側仕えでした。それが形を歪められ、今では公爵夫人だなんて身分不相応の立場に転がりこんでしまいました。これは明らかに事故です。だって、一年と経たずとも私が無能だってことくらい、お義父様にだって分かることです。それなのに私を公爵家から追い出すこともせず、のらりくらりと気が付けば五年。いい加減、間違いを正すべきなんです」

 ────ふざけるな。

 事故? この結婚が事故だと!
 俺は確かにお前を欲しいと願って、虐げられていたお前をあの地獄から救い出してやったというのに!
 俺が間違いなんて起こすはずなどない!
 俺の選択はいつだって正しかった!
 俺が決めたこの結婚が、間違いであるわけがない!

「おま、お前ぇ! 人の気も知らないで、よくもそんな口がきけたものだな! 恥を知れ!」

 怒りのまま、手を振り上げた。
 この分からず屋に、思い知らせるべきだと。
 痛みの伴った制裁を与えるべきだと。

 ────それなのに。

 シオンは動かなかった。
 俺の手を、制裁を、受け容れようとしていた。



 ────否、その目は全てを諦めていた。



「っ、あ、諦めるな! 諦めるなよぅ!」

 悲しかった。
 ひどく惨めで、ひどく心が痛かった。
 振り下ろそうとしていた手は背中に添え、縋るように強く抱きしめた。そして行き場の無い憤りを言葉に乗せた。

「お前はいつもそうだ! 人が、人が折角嫁にしてやったのに! 愛の言葉も吐かないし、何も望まない! 甘えてこない! 俺には、望みを叶えてやれる力があるのに! 俺はこんなにも素晴らしいのに! 称えはしても縋ろうとしない! なんでだよぅ!」

 妾腹の子。そんな存在が、貴族社会でどんな扱いを受けるかなんて、父から言われずとも分かっていた。
 だって、見ていたから知っている。
 婚姻の日を待ち切れずに、様子を見に行ったから。

 ────なんでお前のような愚図が、公爵家に!
 ────どうせ直ぐに飽きられるに決まっているわ!
 ────アンタなんかより、私たちの方が数倍美しいもの!
 ────さすが娼婦の子ね! その貧相な身体で公爵様を騙したのでしょう! 汚らわしい!

 彼女は暴力を享受していた。
 当たり前のように。どうでもいいように。全てを諦めていた。

 ────だから、俺が幸せにしてやればいいと思ったのだ。

 俺は美しく優秀で、誰もが羨み妬む完璧な人間だから。
 あの不幸な娘を簡単に幸せにしてやれると、信じて疑わなかった。
 そんな俺を、きっと彼女は愛してくれるだろうと。

 ────でも、駄目だったらしい。

「お、俺、嬉しかったのに! 俺から逃げなかったお前のこと、あの夜で直ぐに気に入ったのに!」

 あの夜、俺をただ受け容れてくれた。羨みも妬みもしなかった。
 嬉しくて。気に入って。欲しがって。結果的に、手に入れたはずだった。
 手に入ってなど、いなかった。
 彼女の心のどこにも、俺への愛情なんて欠片も無いのだろう。

「嫉妬のひとつもしやしない! まったくもって可愛げのない! お前なんて、お前なんて……!」

 ────違う。こんなことを、言いたいんじゃない。

 お願いだから、勝手に諦めないでほしい。
 腕の中から落ちて行こうとする気配にまた、憤る。




 初めて純潔を散らしたことで、とんでもないことを思い出す。

 ────結婚できる嬉しさのあまり、初夜を忘れていた。

 父の言うことは正しかった。俺はとんでもない馬鹿だったと、思い知りながらも行為は止まらなかった。
 痛みに顔を顰める彼女に優しくしたくて初めはぎこちなかった動きも、か細いながらも甘く蕩けた声に変われば遠慮のないものになっていく。

 ────好きだ。

 嫌いだと言うたびに心の中で訂正をして、口付けを交わした。
 愛おしくて、言えないもどかしさに情けなく涙を流した。
 好きでもない男に犯されて、その上好きだと言われれば彼女がまた諦めると思った。
 彼女にとって受け容れる行為は、全て諦めから来るものだ。
 そんな愛は要らない。願い下げだ。
 だから、言わないと決めた。
 彼女自身が、紛い物ではない愛をくれるまでは。



 彼女から自由を奪うことにした。
 俺が居ない間にマルの勧誘を承諾してしまわないようにするためだ。

 五年の穴を埋めるべく閨に没頭した。
 子どもさえ孕んでくれれば、何か変わると思ったから。
 愛人たちは手切れ金と共に追い出した。囲っていた別邸も、綺麗さっぱり跡形もなく処分した。

 今までにない暴挙だと自分でも思うのに、シオンに変わりはない。事態を静かに受け容れている。
 また、諦めているのだろう。そう思うたびに顔を顰めた。

 ────それでも、手放す気にはなれなかった。


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