大正浪漫奇譚 -世界は二人の外で、静かに遠ざかる-

絹ごし豆腐と麦わら猫

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第三章 白花舞うや、濃紺の闇

其の四:白花舞うや、濃紺の闇

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 ***(荻窪の日常)



 ばらばらばらと、硬い音が窓に当たって響いている。濃紺の闇に浮かび上がるのは、粒になった雪だ。その粒になった雪が、つぶてのように窓を叩いている。

「ああ、庭がすっかり雪に埋まっているな。」

 荻窪は窓から望む庭に目を向けると、小さく息を吐いた。明日の朝は雪かきをしなければならない、そのことが重くのしかかる。
 面倒だな、と思いながらも、これも仕方なしとため息をついた。

 そばで小さく燃えていた石油ランプが、ゆらりと揺れる。そうして荻窪は高梨の存在を思い出し、振り返ってみれば高梨は火鉢の前に横になって寝息をたてていた。

 仕事で忙しい中、わざわざ荻窪の家に寄り道したのだ、この雪の中。疲れていないわけがない。
 すぅすぅと眠る呼気だけが、静かな書斎に響いていた。

 起こすか、このまま寝かせるか。
 荻窪は考える。手の中で万年筆をくるりと弄び、しばし考えたが、静かに立ち上がると私室へと向かった。

 戻ってきたとき、荻窪の手には掛け布団がかかえられ、そろりそろりと起こさないように歩み寄る。
 こんなに無防備に寝られては、さすがの荻窪も無下に起こして帰すこともできなかった。

 布団をそっと掛けてやれば、その重みでうすらと高梨の目が開いた。

「気にせず眠りなさい。」

 ようやく乾いてきた髪をくしゃりと撫で付けると、高梨は安心したように口元を綻ばせると、深い眠りへと沈んでいった。
 荻窪はそんな高梨を見て、なんて無防備な……と思ってしまう。
 高梨は、そのまますぅすぅと夢の中に落ちていった。



 翌朝、勢い良く起き上がった高梨が、自分が今どこにいるのか分からないとでもいうようにきょろきょろと辺りを見渡している。

「やあ、おはよう。よく眠れたかい?」

 荻窪が朝の日課を全て終わらせてから、文机に向かっている時間のことだった。
 あんな遅い時間に顔を出したということは、おそらくは翌日は休みだったのだろうと予測して、起こさないでおいたのは決して意地悪ではない。

「お、おはようございます……?」

 高梨が混乱したように目を見開いて、昨日のことを思い出そうとしているようだった。
 自分の家だと思って目を開ければ、見慣れない天井、いるはずのない荻窪──。

「水でも飲むかい?」

 洋風のグラスに入った水を差し出され、高梨は誘われるようにそれを受け取った。ごくりと飲み干してから、ようやく正気に返ったように荻窪を見やり、「ここは、先生のお宅ですよね?」と、今さらな確認を口にする。

「私がいるのだから、私の家だね。」

 手にした万年筆をいつものようにころりと転がし、小さな音を立てて置いた。
 ぎしりと畳を鳴らして高梨に近寄ると、そっとその額に触れる。

「熱はないようだね、風邪を引かなくて良かったよ。」

 荻窪が薄く笑った。
 安心したような、ひどく柔らかな笑みだった。
 そんな表情を向けられた経験のない高梨は、何が起きたのかと彫像のように固まってしまう。

「あの、僕は迷惑をかけに来たわけじゃなく、雪がひどかったので心配で……!」

 高梨は言い訳だ、とでも言いたげに肩を竦(すく)めた。

「うん、迷惑だとは思っていないから、安心しなさい。」

 穏やかな荻窪の声に、高梨が勢い良く顔を上げる。ついでに土産だとでも言うかのように差し出されたのは、昨夜書き上げられたばかりの原稿だった。
 高梨の目がこれでもかと喜びに輝くのが、見て取れる。急いでそれに目を通していく高梨と、それを何気なく見つめる荻窪の、二人の時間が重なっていく。

「先生、朽ちるのが怖いのはみな、同じではないでしょうか?」

 ぼそり、高梨が読み終えた感想をこぼした。

「朽ちるのを待つ者もいるとは思わないかい?」

 静かな答えのような、問のような荻窪の言葉に、高梨はゆっくりと視線を向ける。
 その視線には、「なぜ?」という疑問が真っ直ぐに乗せられており、苦笑するしかなかった。

「そういう人間もいるということだよ、高梨くん。」

 ほら、今月の原稿は渡したよ、とでもいうかのように、背を向けるように文机に向かうと、荻窪の目線は写真のない写真立てに向かう。

 昨晩高梨に、と荻窪が貸してくれたその着物こそ、雄弁だ。



 ──白花舞うや、濃紺の闇。
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