大正浪漫奇譚 -世界は二人の外で、静かに遠ざかる-

絹ごし豆腐と麦わら猫

文字の大きさ
15 / 53
第四章 ちょろり光るや、猫の目ふたつ

其の三:ちょろり光るや、猫の目ふたつ

しおりを挟む
 ***(荻窪の日常)



「ああ、待ちなさい、ちびや。」

 玄関から聞こえた小さな物音に反応したのか、ちびが荻窪の膝から降りて走り出す。
 とにかく小さいものだから、一度見失うと探すのが大変で仕方ない。
 荻窪は慌てて万年筆を置くと、廊下を小走りにちびを追いかけた。

 ようやく抱きかかえてみれば、玄関から入ってきた高梨の、ぎょ、とした顔が見て取れる。
 あの小さな物音は高梨だったのか、と思いながら荻窪は、「すまないね、まだ全部を書き上げていないんだ」と申し訳さなそうに告げた。

 しかし、高梨は荻窪から目を離そうとはせず、その言葉にも珍しく反応を示さなかった。
 おかしいな? とよくよく見れば、視線はちびに釘付けだ。それも、かわいいから、なんて理由ではないことは、顔を見れば明白だ。

 八の字眉は困惑、やや見開かれた目は恐怖、半端に開いた口元には、戸惑いと逃避の気配が滲んでいた──。

「もしかして高梨くん、猫がだめだったかい?」

 荻窪が困ったようにそう問いかけると、高梨は、は、としたように取り繕った。

「そ、そんなことはありませんよ。ただ、僕あんまり動物と触れ合う機会がなかったので……、ただの食わず嫌いなだけです!」

 強がりを言っているのはよく分かる。

「苦手なものは仕方がないが……、この子はきみに悪さをするような子ではないよ。──きみがこの子に悪さをしない限り、だがね。」

 荻窪がちびの背中を撫でて、ちらりと高梨を見やった。ますます八の字を描くその眉で「僕が動物をいじめるように見えますか?」とため息まじりに問いかける。

「そうは見えないから安心しなさい。──ちびや、高梨くんにご挨拶しようか。」

 つい、とちびを高梨の目の前に差し出せば、ちびが穏やかな表情で彼を見つめた。しばしの間、高梨は固まったままちびを見つめ、ちびはまた、高梨がどういう生き物かを見定めようとしていたのかもしれない。

「ん、んん! 猫の目というのは、ずいぶんきれいなものですね。」

 高梨が、廊下を先に歩く荻窪の後ろを付いて行く。

 高梨が、ひっ、と息を呑んだ瞬間にちびもさっと荻窪の手から飛び降りて、書斎へと走っていってしまった。
 鈴でもつけようか、と悩みながら歩く荻窪は、「ああ、あれは子猫の頃の独特な色合いだそうだよ」とぼんやりと答え、書斎へと入っていった。



 ***(荻窪の怪談)



『にゃあぁあおぅうう。』


 夜半になるとどこぞから猫の声が聞こえてくる。地の底から響くように、じとり、じわりと地鳴りのように。恨み辛みを訴えるかのような、もしくは悲しくてたまらないというような。


 夜な夜な、丑三つ時になるとどこからともなく聞こえてくるのだ。男は何度も何度もその猫の声の主を探したが見つからず、困りきっていた。なにか大変なことが起きているのなら、助けてあげたいのに。思いはするが、猫の居場所が分からずに、やきもきしていた。


 しかし、嫁は違った。あの、尾を引くようなあの鳴き声。どこかで聞いたことがある。毎夜毎夜こうも鳴かれてしまっては、だんだんと恐怖が沸きだし、恐ろしくて声のするほうなどとてもじゃないが、見ることができないでいた。


「なあ、あの声の猫はどこで鳴いているのだろうなぁ。怪我でもしているのか、それとも病気かねぇ?」

 布団の中に潜り込んで出てこない嫁をちらりと見つつ、男は心配げに──しかし、のん気に──口にする。


『にゃぁああああぉぅん。』


 ひ、と息を呑み嫁は両手を合わせて狂ったように口にする。震える唇で念仏を唱えるが、その声は皮肉にも、かつて自分が嘲笑った猫の鳴き声と重なるように震えていた。
 どうかもう許して、と心の中で許しを請うが声の主には通じないのだろう。どうか助けて、と訴えた猫の声を無視した嫁に、命だけはと請われて、はいそうですか、と返せるわけでもあるまい。


 日々、猫の声はだんだんと近づいてきているのか、最近ではそこらの庭で声がするようで。嫁は恐ろしくてたまらなかった。


 もう二度と、猫は、動物は殺さないから──。


 請えど請えど、猫の声が収まることはなかった。



 ***(荻窪の日常)



 背後があまりにも静かだ、と気がついた荻窪は文机から振り返ってみた。
 高梨が火鉢の横で寝そべるちびに、恐る恐る手を伸ばし、そのせ背に触れる。猫の被毛は成猫ですら柔らかいものだが、子猫のときはさらにぽわぽわしているものだ。

 高梨は、まるで壊れやすい細工物に触れるかのような手つきで、人差し指をちびの背に乗せた。

 ちびも高梨の背広に手を伸ばしては、軽く爪を引っ掛ける。まるでなにかを確認するかのように。

 本来、猫は人見知りする生き物だ、知らない人間が自分の縄張りに入ってきたら、逃げるか威嚇するか。初対面で友好的な猫はあまりいないと聞いていた。

 確かに、過去、荻窪が猫と出会ったとき、その猫はものすごい勢いで姿を消したものだ。何度か行くうちに慣れてきて、姿を見ることができるようになったものだったな、と思い耽る。

 高梨とちびのやり取りは、ちびがまだ子猫だからなのか、高梨がそういう穏やかさを持っているからなのか……。互いに確認し合うような雰囲気だった。

 やはり、高梨は雰囲気が柔らかいのだろう。
 荻窪は自然と笑みを浮かべていた。お互いに確かめ合うような動作を繰り返している二人が、和やかで。



 ***(荻窪の怪談)



 男はその日、帰宅することはなかった。どこか遠いところまで出稼ぎに出てしまっていて、今日明日中に帰るという確証はない。
 次に会えるのはいつになるのやら。嫁は、怯え切っていた。毎夜毎夜嫁を追い詰めるかのような猫の叫び声に、憔悴していた。


 助けて、と叫ぶがその声は猫には届かず。必死に拝んでみてもそれが通用することはなかった。


 嫁は幾多の命を奪ってきていたから。男が救った小さな命を、嫁は無残にも切り捨ててきた。
 弔いの言葉ひとつかけず、ただ土くれの中に打ち捨てていただけなのだから。汚いものを扱うかのような、ひどいやり方で骸を土の中に埋めていただけだ。




『にゃぁああああおぅ。』




 声は止まることはない。どんなに嫁が心を入れ替えようとも、後の祭りなのだ。声はすぐそこに近づいてきていた。みしみし、と廊下を踏みしめる音がする。障子につ、と猫の耳が浮かび上がる。一歩ずつ確実に、猫は嫁の傍まで来ていた。




「ごめんなさい、ごめんなさい……もう二度と動物は殺しません……ごめんなさい……、」




 もう、無駄だ。どんなに許しを請うても、許されないのだ。猫を殺した報いだった。がたがたと震えながら布団の中で丸く丸まって、必死に祈る。助けて、助けて、どうか殺さないで。もしも神様がいるのなら、助けて。


 だが、そんな祈りはなんとも自分勝手な祈りでしかない。




『にゃああぁおぉおん。』




 ず、となにかを引きずるような音と、爪の影が障子に映る。嫁がおそるおそる布団から顔を出したその瞬間、ばり、と短い音を立てて障子が破れた。想像しているよりもずっと大きな鍵爪が、破れた障子からにょきりと覗き。嫁はひ、と息を呑んだ。もう、目が離せない。恐怖に凍り付いて、動くこともできない。


「あ、ああぁああ、ああ……、」


 ただ、搾り出すように呻くだけだ。


 覗いていた爪がするりと引き抜かれ、障子はぽっかりと穴を開ける。ゆらりと影が動いたと思うと、その穴からぎろりと猫の瞳がきらりと光った。

 中の様子を見ようとしていたのか、それとも、嫁がいることを確認しようとしたのか。満月のように金色をした瞳が、部屋の中を物色するかのように左右へと動く。

 その瞳を見て、嫁はもう完全に動くことを忘れてしまったかのように、硬直した。恐怖のあまり声すら出ず、逃げることもできないままだ。ようやく、猫の目が嫁をとらえた。

 焦点があったかのようにぴたりと動きを止めると、残忍さをかもし出すように、薄く細められ。ぺろりと赤い舌が舌なめずりする。




『見つけた。』




 そう、言っているかのようだった。


 もう、だめだ──。


 嫁は、逃れられぬ運命を拒絶するように、固く、固く瞼を閉じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

隣の親父

むちむちボディ
BL
隣に住んでいる中年親父との出来事です。

処理中です...