大正浪漫奇譚 -世界は二人の外で、静かに遠ざかる-

絹ごし豆腐と麦わら猫

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第四章 ちょろり光るや、猫の目ふたつ

其の二:ちょろり光るや、猫の目ふたつ

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 ***(荻窪の日常)



 獣医院に連れて行ってから幾数日、ちびはすっかり元気になった。小さな体は相変わらずだが、荻窪の後をついて回り、「ぴゃあぴゃあ」とごはんをねだり、遊べ遊べと跳ね回る。
 夜は荻窪とともに布団へ潜り、潰してしまわないかと心配になるほどだ。

 猫は遠い昔、木のうろを寝床にしていた、なんて説もあってか、身体をぴたりと寄せてくる。
 危ないから、と少し離れればちびもまた寄り添ってくるのでどうにもならなかった。

 猫と同衾どうきんするのはなにせ、初めてだ。こんなに小さくて柔らかくて──眠るときはぐにゃりとするものなのだろうか。



「ああ、ちびや。待ちなさい。いま用意しているから。」

 荻窪は朝から台所に立っていた。
 ちびのごはんを作るために、魚を焼いて、白米を炊いてお湯に浸して柔らかくする。
 魚の骨はきれいに取り除き、皮も剥(は)いで身をほぐしていた。

 子猫の毛並みは薄汚れた白だと思っていたけれど、泥汚れを洗い流してみれば、それは陽の光を弾く白銀の輝きで。
 大人になったら色も変わるし柄も増えるかもしれないよ、と言われてはいるものの、とてもきれいな雪の色だと思った。

「ぴゃあ!」

 待ちきれなくなったのか、荻窪の足元からよじ登ってくるちびに「いたたた、ちびや。これ、痛いだろう」そう声をかけながら、今度爪の切り方でも教えてもらいに行こうか、と考える。

 用意したごはんを与えてやれば、大人しく食べるちびを見ながら、情が湧いてしまったな、と感じてしまう。背中を撫でれば柔らかな被毛が指の腹を通る。

 ──まいったな。

 荻窪はただ、苦笑した。


 ***(荻窪の怪談)


「にゃおん、などと腑抜けた声を出すんじゃないよ! 薄気味悪いったら!! ああ、もう! お前はなんて目障りなんだい!!」


 青年が拾ってきた猫をばしばしとほうきの柄で叩きながら、隅へと追いやっているのは彼の嫁である。動物嫌いも極めたり、というほどに動物を毛嫌いしているのだ。もちろん、そんな姿はあの男に見せられない。家を空けている間に、嫁は猫をこれでもかというほどにいびり立てた。


 恐怖に張り付いた猫の、金色の瞳が嫁から見ればそこはかとなく気味が悪い。

 黒い毛並みもあいまってなお、不気味さが増して見えるのだ。耳をひたりと頭に寝かせ、嫁のほうを威嚇するかのように見上げてくるその瞳。


 恨みでも込めているのかと思うほどの、赤子のような鳴き声。


「にゃぁああぉぅん!」


 痛みに耐えかねた猫の悲鳴すら、薄気味悪いと言ってはまた叩く。耳を伏せ、どこへ行けば逃げられるかと辺りを見回すが、前方以外に逃げ道はなかった。


「にゃぁあああ!」


 気合を入れるかのようにひと際大きな声を上げると、猫は脱兎のごとく嫁の脇を走り抜ける。しかし、そんなことで逃がしてやるほど、この嫁は善人でもなかった。


「逃がすもんかい! 私はね、お前たちみたいな生き物が好きじゃ無いんだよ! 言葉も通じない、粗相ばかりしやがって!」


 嫁はまるで、猫になにかを投影しているかのように、大きな声をあげた。


 ばし、ばし、ばし! 
 虚空に音だけが響き渡る。猫はそのまま逃げ道を失って、小さく固まったまま妻をにらみ上げた。許さない、そう言っているかのようにも見える。もうやめて、そう訴えているようにも見える。しかし、嫁はそれを汲み取れない。いや、汲み取ろうとはしていなかった。


「ぎゃああああ!!」


 その悲鳴は、この世のものとは思えぬほどに、ひどく長く尾を引いた。傍に誰かがいたのなら、思わず耳を塞がずにはいられないほどだった。
 猫はそれが最後の悲鳴になった。くたりと力の抜けた身体を横たえてそのまま息途絶えた。かっと見開いた瞳はそのままに。妻を凝視して。


「ああその目も嫌いだよ!」


 嫁はまるでごみでも扱うかのように、猫の身体を庭へと放り投げた。隠すかのように雪の中へと押し込めた。


 この猫のその心境など、この心根の腐った嫁に分かるはずも無かろうが。
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