大正浪漫奇譚 -世界は二人の外で、静かに遠ざかる-

絹ごし豆腐と麦わら猫

文字の大きさ
38 / 53
第十章 淡く果てるや、燃ゆ心

其の二:淡く果てるや、燃ゆ心

しおりを挟む
 ***(荻窪の日常)



 寝間着にと貸した荻窪のそれは、高梨には少し大きいようで、やや困ったように合わせを両手で掴んでいた。
 ぽたりと髪の毛から落ちる雫に、男は思わず視線を奪われる。どこを見ているのかと視線を外せば、ふと、彼の紅をさしたかのような頬が飛び込んできた。

「荻窪先生、これ、僕には少し大きいようで……、」

 とあたふたしている姿が目に入る。
 いつもなら、「いとをかしだね」なんて軽口も叩けるはずが、今日に限っては出てこない。

 高梨には何度か着物を貸しているが、自身の寝間着を貸すというのは、また違った風合いがある。
 自分が普段身につけている寝間着を着ているという事実が、眼の前に突きつけられて生々しかった。

 いつもの色白の肌は、湯によって温められてほんのりと淡く色付いて。焦る姿はそれとはまるで違って純朴で。
 心の奥に眠っていた何かが顔をもたげそうになる。

 ごくりと喉を鳴らしてしまった荻窪は、慌てて視線を逸らすと「温まれたようで良かったよ」と、ただ早口でそう返すしかなかった。

「先生も、お風呂をどうぞ。僕が先にいただいてしまって申し訳ありません。」

 申し訳なさそうな声が聞こえたかと思うと、高梨は、す、と卓袱台の前に座った。そして、手拭いで丁寧に自分の髪を拭き始める。

 きっとこれは彼がいつもやる髪の乾かし方なのだろう。丁寧さが指先から髪の毛へと伝わって、彼の細い髪の毛が傷んでいなかった理由が分かる。

 これが、後ろ髪を引かれるというやつか、と荻窪はちらりと盗み見る。ばちりと目が合って、困ったように微笑まれた。

 ──まいった。

 これは完全にまいった。

 荻窪は自分の選択を否定したくなる。
 こんなにあの粗野な青年が変わるものだろうか、意図せずしているのなら、相当なものだろう。
 自らへの戒めか、あるいは防壁か。荻窪はかねてより、妖艶な婦人が好みだと広言していたが……、高梨のそれは思っていた以上に艶めいていた。

 ただ手拭いで髪の水分を拭いているだけなのに、やたらと目のやり場に困る──色白だと気にしている首筋のせいか、それとも──自分の中にあるやましい想いのせいなのか。

「高梨くん、それじゃ、私も入ってくるから、眠くなったら先に寝てていい。場所は知っているだろう?」

 やや早口になってしまった荻窪に、高梨は髪を拭きながら、ちらりと視線を向けた。

「はい。でも、お待ちしていますよ。」

 先に寝ててくれたほうが、いいのだけれど。なんて、口が裂けても言えない荻窪は、またもやここで喉を鳴らして、風呂場へと逃げ込んだ。



 ***(荻窪の過去──親友の話)



 自分が戦地に行くと決めたとき、母は心配と怒りと、悲しみがない混ぜになった感情を顕に泣いた。
 お国のために、そう言って戦場に向かった若者は、今もなお戦っているのか、それとも。

 男は賭けたかったのだ。

 自分の命をそんな軽々しく扱うものではないと、学生時代の親友に眉根を寄せられる。そう分かっていても。
 生きて帰ることができたなら、この先も自分は彼の隣にいることができるだろう。

 無骨で優しくて、無口で瞳は雄弁で、美丈夫なのにどこかだらしない、そんな男に。

 乱れた黒髪で無精髭を生やした男に、抑えきれずに想いを告げたあの初夏。

 本当はそんなことを言うつもりではなかったのに。

 ただ、自分を見つめてふわりと微笑んだその切れ長の瞳が、あまりにも優しくて。

「俺、お前のことを好いている。」

 ぼそりと落ちた。

 その瞬間の親友の顔はきっと忘れられないだろう。
 好きだった黒目がちの切れ長の瞳を見開いて、自分を凝視していた。
 なにかを言おうとして、言葉を飲み込んで。
 困ったように、戸惑うように自分から、視線を逸した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【BL】ビジネスカップルなのに溺愛だなんて聞いてない

深爪夏目
BL
男性アイドルユニット「Vinbeat」(ヴィンビート)に所属 している四人組。 イケメンでダンスも上手いが刺激が欲しいとの提案で【真剣交際BLユニット】として活動するよう言われ、ビジネ スカップルを演じることとなる。 最初は恋愛対象でもないメンバーとの恋愛に嫌気が刺していたが次第にお互いの意外な一面や優しさに触れ、溺愛が止まらない…! ・BL兼コメディ小説です。 暴言などの表現がありますので苦手な方はご注意を。 話は続いておりますが、短編形式で進めていきます。

処理中です...