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第一話 異世界の日露戦争

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西暦1908年 魔歴1415年  

 威風堂々という言葉がふさわしいコンダコフは歴戦の将校にして常勝の魔導騎士。想定外の事態が起ろうとも慌てることなく冷静に対処できる。……そして実際にコンダコフはそうしてきたと自負しています。

 しかし、目の前に広がる予想外の光景を目にして僅かに顔を歪めました。

「相手は魔導技術を持たない蛮族の島国……一方的な戦争になる筈だが、あれは一体何だ?」

 大陸東北部の平野では、ロシア軍の土砂降りめいた機関銃の銃撃音が消えて、かわりに巨獣めいた咆哮が空気を震わせます。

 影から湧いてくるように出現した『怪人』の力でロシア軍の戦列は瞬く間に血肉色に塗りつぶされてしまったのです。

 突如として現れたその怪人は、甲虫と人間を合体させたような二足歩行する2メートル超の悪魔めいた化物です。

 その黄色く発光する巨大な複眼が暗闇で不気味に輝いています。

 その口部分。硬質なアギトは現在、横一文字に固く閉ざされていますが、時折開くと白い蒸気のようなガスを噴出。

 怪人がその身に纏う外骨格は金属のような鈍い輝きを放ち、何千もの銃弾を浴びても未だに無傷でへこみすらしません。

 怪人は兵隊の銃撃をまったく意に介さずに手に装備する反りのある片刃の剣で、次々と兵士達を切り裂き……そして蹂躙していきました。

 それは常人ならば戦意と正気度を失う様な光景です。しかし……

(確かに、物理法則を超越したかの様に動き周り、目に付く者を全て破壊せんと暴れる怪物の姿は悪魔を連想する。しかし、奴からは魔力の気配を感じない。ならば我ら魔導騎士の敵ではないな)

『魔力なき矛では魔導の鎧は貫けず、魔力なき鎧では魔導の矛は防げない』それがこの世界の常識です。

(だからこそ魔力を扱う術を知らぬ哀れな蛮族たちは、魔導を扱う我ら文明国には抗えない。それは歴史が証明している。そしてこの私に未知の怪物への恐怖は無い。なぜなら……)

「報告します!至急…」

 コンダコフは慌ただしく入室してきた兵士の報告を手で制しました。大体の事情は察せられるからです。

「報告は無用。見ればわかるよ」

 コンダコフは軍の備品ではない高価な私物のティーカップを手に持つと、連れてきた従者達に用意させた紅茶を味わうことなく飲み干しました。

 ロシア軍の将校を担う貴族が前線に出るのは推奨されません。それは貴族が敵兵に討たれる事を懸念しているから……では無い。

 なぜなら貴族とは天より授かりし魔導を担う者。

 有象無象とは違う絶対者であり超越者なのです。

 そしてコンダコフはその魔導師の中でも限られた存在。選ばれし戦場の覇者たる魔導騎士です。

 戦場の支配者である魔導騎士に敵など存在しない、前線で直接戦わないのはただ単に優美ではない、貴族らしくないからです。

 しかし、一般兵では手に余る怪物が現れたからには魔導騎士が直々に討たねばなりません。
 
 貴族としてのコンダコフは杜撰な結果に嘆息を漏らす。

 だが、騎士としてのコンダコフは、久々の闘争に不敵な笑みを浮かべます。

 ……その姿は血に飢えた肉食獣の唸りに良く似ていました。

「しかし、日本軍が怪物を使役するとはな、教団の聖騎士団は、精霊の類を召喚出来ると聞くが……さて其処の君、私の鎧を準備するよう連絡してくれ。怪物退治の時間だ!」

 コンダコフから迸る凄まじい魔力の奔流は、黄金色の電流となり、彼の手に持つアンティ―クカップを破壊します。

 その常人離れした異形の迫力は、報告へと来た兵士に思い出させました。

 世界最強の怪物は魔導担いし騎士であると!

「は…はいぃ!?りょ、了解しました!!ご連絡します!!」

 それから、ものの数分でコンダコフの元には、光り輝く豪奢な鎧が運ばれてくる。

 コンダコフの従者たちが、専用の馬車で仰々しく運ぶ重厚なソレは、魔導騎士達が装着する特別な鎧です。

 騎士たちの絶対の防具にして破壊の魔剣。戦場の王冠『魔装鎧レガリア

 この鎧を魔を扱う者が装着することで、中枢の制御装置《ホムンクルス》が内部の人造筋肉を稼働させて、超人の如き戦闘能力を発揮する事が出来ます。

 コンダコフは自身が所有する黄金の魔装鎧を愛でるように撫でる

「久々の戦いだ……相手は蛮族が飼う怪物か、少しは楽しめるといいが…なぁザルニーツァよ」

 コンダコフは不敵に微笑むと、魔装鎧のヘルムを手に取ります。

 コンダコフ専用の精霊製魔装鎧エルフ・レガリア『ザルニーツァ』その出力は通常の魔装鎧を超えて数値にしておよそ15倍です。

 それ故に活動時の消費魔力量も相応ですが、ロシア5本指に入る精鋭であり、更にその中でも最強の呼び声高い実力者であるコンダコフからしてみれば大した問題ではありません。

 さらにこの鎧は、全身を黄金色の希少金属オリハルコンで覆い凄まじい耐久度を誇る……もっとも攻撃が当たることすら稀ですが……

 コンダコフは魔装鎧を纏うために全裸になると、従者の手を借りて魔道鎧『ザルニーツァ』を装甲していきます。

 最後にヘルムを被り『ザルニーツァ』と魔力結合することで中枢制御装置ホムンクルスの声がコンダコフの脳に響く。

『魔力周波数を確認しました……魔導騎士コンダコフ様であることを確認……魔装鎧レガリア起動します』

 そして、魔装鎧の人造筋肉が霊体エーテル化してコンダコフの肉体と癒着すると……戦闘準備が整ったコンダコフは背中に収納されていた大翼を広げて空に飛翔します!!

「「「「良き闘争をコンダコフ様!!」」」」

 従者達に見送られながらコンダコフは颯爽と空へと出陣しました。

 轟音と共に空を奔る魔導騎士コンダコフを地上で見る者は、彼を雷と見間違えるに違いありません。

 そのコンダコフが風のように流れていく風景を魔力で強化した感覚で俯瞰していると、見知った碧い魔道騎士がこちらに追随して来るのを発見しました。

「おお!!なんと素晴らしく滑らかな動きだろうか…!!まるで煌めく流星の様だ。流石は『雷槍』の異名を持つロシア最強の騎士コンダコフ卿!!」

「どうもありがとう、クルシンスキー伯爵。しかし、ロシア最強はどうだろうな?……それで、貴殿もあの怪物狩りに出るのかな?」

 この『ザルニーツァ』と併走するという卓越した飛行能力を持つ碧い騎士を見てもコンダコフは特に驚嘆しません。

 なぜなら見知った碧い魔導騎士は『絶対零度』の二つ名を持つクルシンスキー伯爵。

 彼は学生時代からの友人であり、その当時はコンダコフと唯一実力が拮抗した宿敵でありました。

 さらにクルシンスキー伯爵が所有する魔装鎧『ストラスチ』もコンダコフの『ザルニーツァ』と並ぶ性能を持ちます。

 高水準の特注で作成された精霊製魔装鎧を装甲できる者は、魔道大国ロシアといえども限られています。クルシンスキー伯爵もまたロシア5本指の1人に数えられる無双の騎士なのです。

「はははっ……戦場ここに来る前に屋敷で、娘のタチアナが新しいペットを欲しがっているのを耳にしましてね。……東洋産の珍しい獣を持って帰れば喜ぶでしょう?」

「いや、どうだろう?……なんというか好意的にみても二足歩行する不気味な昆虫怪人だぞ、あれは……しかしまぁ、人によっては魅力的といえるのかな?…いいだろう。なるべく死体は綺麗な状態にしようじゃないか。ペットはともかく、動物好きの御令嬢への土産は剥製にでもするといいさ」

「はははっ!コンダコフ卿、いまのはただの冗談ですよ。あんな化物は屋敷に置けません。それから怪物殺しの名誉はこの私『絶対零度』のクルシンスキーがいただきますよ!」

「ほう、面白い…そうか、ならば久しぶりに競争だな、クルシンスキーよ!」

 お互いに不敵な笑みを浮かべて、ヘルム越しにバチバチと火花を散らしていると、背後から全身を深紅の薔薇で彩られた魔導騎士が現れました。

「お二方、その位にしてくださいませ、今まさに我々の配下は敵勢力に襲撃されているのですからね!」

 戦場に似つかわしくない、ナイチンゲールのような素晴らしい美声で、歴戦の騎士をたしなめるのは、今は亡きゼレーニン元帥の1人娘マリア=ゼレーニナ。

 ヘルムの奥では、その端正で可愛らしい顔を、生真面目に可愛らしく歪めているだろうなと、叔父であるコンダコフは微笑ましく思います。

(相変わらずのじゃじゃ馬娘だ。しかし、そこが可愛いのだがな……)

「おじ様……何かおかしいですか?」

「むむぅ!?そんなことはないさ!私のマリア」

 ゼレーニン元帥の義弟であるコンダコフは昔から彼女にはまったく頭が上がりません。

 …それはゼレーニン亡き後で彼女の後見人となった今でもそうです。

 一応、彼女はコンダコフの副官という名目で従軍しています。

 故にコンダコフは部下の手前、その言葉使いを改めるようにマリアへ少しだけ強く言いました。

 だがしかし、その時は涙目のマリアに睨まれて結局はコンダコフが折れました。長年の序列は早々変わりません。

「むぅっ!……クルシンスキー伯爵のせいでマリアに叱られてしまったじゃないか…」

 娘同様に可愛がっているマリアに叱られて慌てるコンダコフには普段の威厳はありません。

 それを面白がるようにクルシンスキーは1回転すると空中で器用に跪いてマリアに謝罪します。

「おおおっ…麗しき我らの女神マリアよ…罪深き我らをどうかお許しください!」

 おどけるようなクルシンスキーの様子にマリアは気勢をそがれて溜息をつきますが、しかし………此処は戦場ということで少女はすぐ気を取り直します。

 彼女はコンダコフに頼み、特例として学生の身分でありながら副官として従軍しているのです。

 最初は渋っていたコンダコフもマリアが胸に付けた二翼章……魔導師として一流を示す紋章を見て、彼女が積んできた努力を察し、最終的には条件付きで承諾しました。

(兵たちが貴族のお遊戯と陰で言っているのは知っている…だが結果を出して実力で黙らせてやる!!…あの小癪な従姉にも文句は言わせないような結果を出して……)

「はぁ……もういいですよ……それじゃあ行きますよ!おじ様方!」

「ははははっ了解しました。怪物より恐ろしい我らの姫君!」

「ふう…じゃじゃ馬娘が、嫁の貰い手がなくなるぞ」

「き・こ・え・て・ま・す…からね!!おじ様のバカ」

 3色の魔導騎士が空を和気藹々と飛行する同時刻、戦場は怪人によるロシア兵の処刑場へと変化していました。

 ……怪人が通った場所は、人間とは思えない断末魔の残響と、血の花が咲き乱れます。

 戦場の冷たい空気が震えるのは、怪人が地を這う暴風雨のように全てを蹂躙するから……怪人の黄色く大きな複眼が暗闇で不気味に光ります。

 その黄色く発光する複眼に捉えられて完全に戦意を無くした兵士達は、武器を投げ捨て半狂乱で逃げだしました。

「やめろ、やめろぉ……来るな!!来るなぁ!!」
「おい…!?逃げるなぁ!!戦えぇぇ!!」
「たすけて、たすけて、母さん………かえりたいよぉ…」

 だが怪人は戦う者と、逃げる者を区別なく容赦なく蹂躙します。

 誰一人として生かしては返さないという無言の意志は、周囲の逃亡者たちにも否応なく伝わります。

「白旗、白旗だよ!?……来るな、来ないでくれ!!降参だ!!降参するから!!」

 兵士が目を閉じ、薄汚れた白い何かの布きれを献上するかのように差し出した……それは無様で哀れな命乞い……

 しかし当然、そんなものが怪人に通用するはずもなく、哀れな兵士達が、故郷から遠く離れた地で無残に散る……かに思えたその時!!

 天空より飛来した3体の騎士が落雷ザルニーツァのように地面へと着地しました!!

 その衝撃で砂埃が周囲に舞い踊り……数秒後、兵士達が恐る恐る目を開けると、怪人から自分たちを守るように立つ救世主……魔導騎士達が土埃の中から現れたのです!!

「あ、貴方方は…魔道騎士ですか!?」

「いかにも!……偉大なるロシアの兵士諸君…この怪物は我ら騎士が相手をする。まだ蛮族どもと戦う勇気あるものは武器を手に取り戦列を組め!!」

 3体の美しい魔導騎士が邪悪な怪物を打ち倒さんと取り囲む姿は一つの英雄譚です。

 その光景に兵士たちの折れた心が再び蘇ります。

「「「うおおおおおおおお――!!!」」」
「あれが伝説の魔導騎士!『雷槍』のコンダコフ様がいれば……もう何も怖くない!」

 先ほどまでの阿鼻叫喚が全て魔導騎士コンダコフへの喝采に変わったのです。
 常勝にして無敗の魔導騎士コンダコフは、ロシア軍の希望なのだから当然です。

「ふむ、先程は暗くてよく見えなかったが、その虫けらの外骨格は紫色だったのかね?ふぅ地味だなぁ…喜べ怪物よ。討ち取り剥製にしたら金箔で彩り墓場に飾ってやる。………さて、クルシンスキー伯爵、私が一番槍をいただくぞ!」

 クルシンスキーは仕方なそうに肩を竦めます。周りのコンダコフへの大喝采を聞けば譲るほかありません。

 コンダコフはヘルムの奥で凶暴な笑みをうかべると大槍を低く構え……そして身体強化術式を一息で幾重にも重ねがけしていきます。

(すごい…!なんという魔術式の展開速度…それに高位の術式を無詠唱で複数展開だなんて!?…一体どれだけの修練を積めばこれほどまでに!?)

 マリアはその術式の緻密さと展開速度、何より魔術式に込められたあり得ないほどの魔力総量に驚愕します。

「いくぞ…冥府の土産にするがいい!必殺にして瞬殺これが我が『雷槍』だ!」

 一般的な魔導騎士達が、魔術式で肉体強化したスピードは初速で音速に迫る。

 では一流を超えた……それもロシア最強の魔導騎士『雷槍』コンダコフの速度は一体?

「冥府にかえれぇぇぇ!!!」

 最強と謳われる魔導騎士コンダコフの速度は、音をはるか彼方に置き去りにしてまさに雷速!!

「なっ消えた!?この私が捕捉できない速さなんて………これは一体!?」

 マリアは、雷の様に怪人へ突撃したコンダコフに驚愕する。

「マリア嬢はコンダコフ卿の戦いは初見かね?あれがロシア…いいや、世界最強の『雷槍』だ!!」

 凄まじい衝撃音と共に、迸る電流の光が弾ける。それはまさに裁きの雷です!!

 何かが潰れる音と………その数瞬後に哀れな断末魔の悲鳴が戦場に虚しく響きました……

「相変わらず、凄まじいな………コンダコフ卿は……」

「なんと呆気ない……怪物とはいつの世も英雄に打倒されるものなのですね。……あっ!おじ様!」

 かなり味気ない結末にやや不満そうに……されど隠しきれぬ高揚を含む弾んだ声で、マリアは魔力の残光に浮かぶコンダコフの影に近づきます。

 苦笑を浮かべたクルシンスキーもそれに続いて……



「あっああっぐああうあ!?」

 コンダコフは怪物の腕で、胸を貫かれていました。

 魔装鎧『ザルニーツァ』のヘルムからは、人とは思えない獣の唸りが聞こえます。
 それは凛々しいコンダコフとは思えぬ、断末魔の悲鳴です。

「マリィィィなぁあ!…あいっあっぐっうぅぅ」

 魔装鎧の胸部を貫通した怪人の腕を外そうとコンダコフは必死に足掻きますが、既に致命傷です。再生能力を持つ高位の魔導師であろうと長くは持ちません。

 コンダコフがうめき声をあげながら頭を失った虫のように手足を振り回してジタバタと足掻く……現実とは思えない光景にマリアは目を剥いて立ちすくみます。

 誰もが息を飲む……時間が凍結したような空間。

 しかし怪人だけは我関せずな態度で横一文字に固く閉じられていたアギトをガチャリと開く……するとその内側にある歯牙の隙間から蒸気めいた白いガスを吐き出し、そして人間のような言葉を紡ぎました。

「うぬら、一つ訂正がある……己は怪物ではない。サムライだ」






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