因果の糸、断ち切り申す

クリヤ

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第2話 ねた魅

(4)毒の杯

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 店のお嬢さんらしきおなごに呼ばれた半助。
 その様子を見ているのは、長吉ばかりではない。
 さっきの噂話をしていた数人の塊も、それ以外の人たちの塊も。
 皆が、そちらを見ぬふりをしながら、横目で見ている。
 酒を猪口に注ぎながら。
 肴を箸でつまみながら。
 酒屋の者に声をかけるついでに。
 皆が、半助とお嬢さんを見ている。

 お嬢さんが半助に耳打ちをすると、半助も同じように返す。
 そして、お嬢さんが半助の肩を軽く叩いて笑う。
 そんなお嬢さんに、半助も柔らかな笑顔を返している。

 そんなふたりの話が聞こえて来ぬものかと、皆が耳をそばだてる。
 大勢の人でざわめく酒屋の中。
 ふたりの話し声は、ざわめきに打ち消されて聞こえはしない。
 それでも、皆は、耳をそばだてている。


 ***

 「おいおい。あの半助ってやつァ、お嬢さんといい仲みてぇだなァ」
 「さぁ、どうでしょう……」
 「なんだよ、桔梗。違ぇってのか?」
 「分かりませぬ。人の内心が、外から見て取れるものばかりなら。
  この世に、争いや揉め事などは、ぐっと少ないはずです」
 「まぁ、そりゃそうだな。ま、でもよ?
  お嬢さんと半助が近しいってのは、間違いねぇみてぇじゃねぇか?」
 「それも分かりませぬ。
  立場が上の者の話に、下の者が合わせて笑うのは世の道理。
  はたから、どう見えようとも、当人が望んでいないことはあり得ます」
 「どうしたんでぃ? 今日は、また一段と話に乗って来ねぇじゃねぇか」
 「いえ……。そのようなつもりは……。ただ……」
 「ただ?」
 「私が人であった時分、同じような見当違いをされまして」
 「ん? んん? 人であった時分? 
  桔梗、おまえさん、人だったのかよ? 
  生まれながらの妖かしだとばかり……」
 「生まれながらの妖かしなどという者は、おりませぬ。
  何らかの事があって、妖かしに身をやつすのです」
 「そう、だったのかい……。あっ、そんなこと。
  俺に喋っちまっても良かったのかよ?」
 「ええ、別に構いませぬ。
  禁じられていないことは、許されていることですゆえ」
 「ん? それじゃあ、禁じられていることもあるってぇことか?」
 「はい。無論、当然にございます」
 「へぇ! たとえば、なんだよ?」
 「そうですね。この世にいた時分の名を語るのは、禁じられております」
 「……ふぅん。なんでだろうなぁ? まぁ、いいけどよ。
  俺にとっちゃ、おまえは桔梗。それでいいしな」
 「はい……」

 いつの間にか話が逸れたことに気づいて、巳之吉は再び前を向く。
 目の前で、これからくり広げられる惨劇を覚悟するように。
 その唇を、ぐっときつく結んで。


 ***

 宴もたけなわ。
 その場にいる人たちは、皆、気持ちよく酔っていて。
 腹も、たっぷりと満たされて。
 それでも、猪口は離さずに、チビリチビリ。
 肴も残すのは勿体無いと、パクリパクリ。
 まだ幼さの残る小僧たちや下女たちは、コックリコックリ舟を漕ぐ。
 場には、賑やかさと気だるさが漂っていた。

 そんな中、酒屋の者が、新しい猪口を皆に配り始める。
 猪口の底には、桃色にも薄紅色にも見える花びらがポツリ。
 配られた猪口に酒を注げば、ふぅわりと花びらが浮かぶ。

 「綺麗だねぇ。菊酒みたいじゃないか」
 「重陽の節句でも無ぇのに、珍しい趣向だなぁ」
 「今日は、祝いの宴だ。酒屋が、気を利かしてくれたんだろうさ」
 「花見酒みてぇで、風情があるじゃねぇか」
 「それじゃあ、こいつで酌み交わそうぜ」
 「おう。店がますます繁盛するようにな」
 「お、いいねぇ。さぁさぁ、みんな、飲んだ飲んだ!」

 誰かが発した掛け声につられるように、皆が杯を空ける。
 まだまだ飲み足りない男やおなごたちは、当然のこと。
 さっきまで舟を漕いでいた小僧や下女も。
 皆が、我先にと新しい杯を傾ける。
 どの顔も満足そうに輝いて、自分たちの安泰を信じて疑わない。
 そんな多幸感に酔いしれている中、事は起こる。

 「ぐっ……。うぅ……。ゲポッ。ウゲェ……。かはっ!」

 取り落とされた猪口が、床に転がる。
 それと同じくして、ひとりが苦しげにうめく。
 かと思うと、その場に這いつくばるように倒れた。

 突然倒れた男に驚いて、様子をうかがうように手を差し伸べるおなご。
 ところが、そのおなごも、すぐに自らの異変に気づく。
 喉を押さえる手は、自らのものだというのに、ままならない。
 ブルブルと震えながら、周りを見渡す。

 「ぐぇ! ……たす、ブエッフッ、ゲフンッ、だれ、ゲフッ」

 助けを求める声を拾う者は、いない。
 誰も彼もが、苦しみにのたうち回る。
 ひとりのおなごの爪は、着物の衿をビリリと引き裂き。
 ほかの男の脚は、ビクビクと震えが止まらない。
 血の混じった泡を口から吹き出しているのは、ひとりふたりではない。

 男もおなごも、職人も手代も小僧も。
 その立場に関わらず、酒を口にした者は一様に。
 苦しみながら、倒れていく。
 さながら地獄とは、かくや。
 それを見た者なら、そう思わざるを得ない光景。
 そんな光景が、目の前には広がっていた。


 ***

 「こりゃあ、ひでぇ……」

 巳之吉が、鼻をつまんで眉根を寄せる。
 巳之吉と桔梗、ふたりが見ているものは過去の景色である。
 繭玉が見せるのは、因果の糸に絡んだ染み。
 すなわち、すでに起きてしまった過去の出来事。
 だから、そこには匂いなどするはずも無い。
 けれど、思わず鼻をつまんでしまいたいほどに陰惨な光景。
 ふたりの前に広がるのは、そんな光景だった。

 「えぇ……。どうやら、毒のようですね」
 「毒ぅ? 誰が、なんのために、こんな大勢に……?」
 「小僧や下女までというのは、なんとも惨い……」
 「こんなに一斉にってこたぁ……。あぁ! あの花びらか?」
 「そうでしょうね。こんなに美しいというのに……」

 桔梗に言われて巳之吉が、場に目を向ける。
 苦しみのたうち回る人たちの間に、花びらが落ちている。
 こぼれた酒の上に浮かぶ、花びら。
 池の水に、ハラハラと散った花びらのようにも見えて。
 苦しむ人の中にあって、それは尚、美しさを失わず。
 その美しさが、かえって場の凄惨さをくっきりと映し出していた。

 ガタンッ!
 大きな音が、背後で鳴る。
 巳之吉と桔梗は、音が鳴った戸口のほうに目をやる。
 そこには、戸を掴んで辛うじて立つ男の姿。
 顔面を蒼白にして、もう片方の手は口に当てられている。
 怖ろしさに震えるのは、整った顔立ちの男。
 それは、半助と呼ばれていた、あの二枚目の男だった。
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