因果の糸、断ち切り申す

クリヤ

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第2話 ねた魅

(6)噂話

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 袋物屋の一角に、職人たちの仕事場がある。
 華やかに飾られた、通りに面した店部分とは違う。
 布が積まれ、紐の束に囲まれた静かな場所である。
 それでも以前は、こんなにもシンと静まり返ってはいなかった。

 出来上がった品を受け取りにくる小僧の足音。
 見習いを叱りつける職人の声。
 布をパンパンと伸ばす音に、裁断する鋏のジャキリという音。
 袋物を縫う時にだって、無音というわけではない。
 針によって布に通された糸が、シュッと音を立てる。
 店から聞こえてくる、品を勧める声。
 あれやこれやと手に取っては悩む、客たちの話し声。

 それら全ての音が、今は無い。
 通りを行き交う人たちのさざめきは、止んではいない。
 けれど、それも遥か遠くのもののように聞こえるだけ。

 長吉は、ひとり、道具を取りに来ていた。
 幼い頃から使い慣れた仕事道具。
 それだけは、手元に置いておきたかった。
 霞むまなこを必死に見開いて、ブルブル震える手で道具を片付ける。
 引きずるようにしか歩けない足は、ちょっとした段差に取られる。
 バッターンッ!
 大きな音と共に、長吉は、板の間に無様に転がってしまう。
 床に這いつくばった長吉の口から、言葉が転び出る。

 「こんな……、こんなことになるなんて。
  俺ァ、そんなつもりじゃァ……。ただ、ちょっと懲らしめて。
  そうだ、ただそれだけだったのに……」

 転がったまま、長吉は己の腕をまぶたの上に置く。
 涙をこぼしているようにも見えるが、しかとは分からない。
 その時、通りに面した店表のほうから声が聞こえる。

 「ちょっと、ちょっと! ここだよぅ。噂の袋物屋ってのは」
 「あぁ、若い男が、お店の者を皆殺しにしたってぇやつかよ?」
 「そうそう! 役者みたいな色男でさ、娘たちに人気があってさァ」
 「おめぇも、そういや巾着が欲しいとかなんとか言ってたなァ。
  さては、その色男会いたさじゃねぇだろうなァ?」
 「や、やだよぅ。あんたったら。
  こ、ここの巾着はね。紙入れと共布で拵えらえたのがあってさ。
  アタシは、あんたと揃いの巾着が欲しかっただけさァ」
 「ふぅん。本当かねぇ。まぁ、それも無理になっちまったけどな」
 「そうだねぇ。惜しいことだよ。ここの袋物はさ。
  アタシらにも手が届く値だってのに、品は大層良くってさ。
  丈夫で、柄もいいってんで人気だったんだよ」
 「そいつは当たっただろうに」
 「もちろんさぁ。それにね、ほつれたり、破っちゃたりしてもさ。
  ここの店は、それを綺麗に直してくれるって評判でさ」
 「そうなのかよ? そりゃ、いい袋物師がいるってことだろ?」
 「だよねぇ。職人は表には出てこないから、顔は知らないけどさ。
  きっと、そりゃあ、いい人だろうねぇ! 
  あんなに綺麗なものが作れるんだもの」
 「そいつも死んじまったんだろ? 惜しいねぇ、本当に」

 店表で話しているのは、若いふたり連れ。
 おなごのほうは、以前にも店を訪れたことがあるらしい。
 ふたりの話し声に、ピクリと長吉の体が動く。
 長吉は、耳を澄まして、ふたりの話を聞いているようだ。

 「アタシは、お店の色男のことが惜しいよ。半助さんって言ってさ。
  ほんっとに役者顔負けの二枚目だったんだよ。
  役者を観に行くのは、銭が要るだろ? でもさ。
  半助さんなら、袋物屋をのぞけば、優しく話しかけてきてくれる。
  品を買わなくったってさ。立ち話のひとつもすりゃ、眼福だわね。
  もしかしたら、遠い舞台の役者より、よっぽどいいってわけさ」
 「おめぇ、やっぱり色男目当てじゃねぇか」
 「やだよぅ。アタシの話じゃァないっての!
  アタシにはさ、あんたくらいがちょうどいいってもんさ」
 「それじゃあ、俺ァ、二枚目じゃねぇってことかよ?」
 「やだねぇ。妬いちゃってさ。アタシにとっちゃ、あんたはさ。
  十分、色男さ。それにね、色男すぎるってのも、おっかないもんさね」
 「……あぁ。噂じゃあ、その色男。店のお嬢さんに婿入りしたくてよぅ。
  だけど、店の中にゃ、付き合ってるおなごが他にもいたって話でよ?
  しかも、何人もってぇ話でな。
  そいつを、ぜ~んぶ一気に片をつけるために、毒を盛ったらしいぜ」
 「いやだ、そうなのかい? ……でも、おかしいじゃないか。
  当のお嬢さんってぇ、お人も死んじまったんだろう?」
 「そこはそれ、使いつけねぇ毒花を使ったもんだからよぅ。
  加減が出来なくて、お嬢さんまでおっ死んじまったってぇわけよ」
 「そうなのかねぇ……。とても、そんな人には見えなかったけどねぇ」
 「人は、見た目じゃ分からねぇってことだろ?
  綺麗な花には、毒があるってぇことさ。くわばら、くわばら。
  おめぇも気ぃつけろよ? すぐに色男にポオッとなってちゃ殺されるぜ」
 「あははは、いやだよぅ、あんた。上手いこと言っちゃって!
  アタシは、あんた一筋だって言ってるだろぅ?」
 「はてさて、どうかねぇ。さぁて、何か食いにでも行くか」
 「あら、いいねぇ。アタシは、この先に出来たっていう……」

 噂話にも興味をなくしたのか、若いふたり連れの声が遠ざかっていく。
 長吉は、すっかりとその話を聞き終えると、まぶたから腕を外す。
 そのまなこからは、床を濡らすほどの涙があふれ出ている。

 「……すまねぇ。すまねぇ、半助。俺ァ、そんなつもりじゃ……。
  お嬢さん……。お嬢さんまで、逝っちまうなんて……」

 長吉の顔には、後悔の色が浮かんでいる。
 今やいない者たちを思って、心の底から哀しんでいる。
 そんな様子が見て取れる。

 ところが、その直後。
 長吉の体がブルリと大きく震える。
 目には見えない何かが、長吉の体に巻きつく。
 ポッカリと開いた口の中に、何かがズリズリと入り込む。
 一度閉じられて、再び開いたまなこ。
 中心が真っ黒で、まん丸い形になったそれは、蛇の目に見える。

 「違ぇ! 俺ァ、悪くねぇ! 半助のやつが、調子に乗るから!
  俺がお嬢さんを好いてるのを知ってやがったくせにっ!
  半助を殺したのは、役人だ。俺じゃあねぇ!
  お嬢さんも、お嬢さんだ。俺の腕を褒めてくれたのにっ!
  半端者の半助なんかに、ポオッとなるからいけねぇんだ!
  それに、酒を飲み干しちまうからいけねぇ! おなごだてらに。
  だから、ふたりとも死んじまう羽目になったんだ!
  俺ァ、俺ァ、悪くねぇ!」


 ***

 ぐにゃりと歪んだ景色。
 もの凄い速さで進む朝晩の流れ。
 何度目か忘れるほどの景色の流れの果てに、巳之吉は見た。
 長吉に取り憑いた、蛇のような物の怪の姿を。
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