春になったら君に会いたい

松下柚子

文字の大きさ
30 / 40
桜舞う秋

あの世界が永遠なら

しおりを挟む
それからしばらくは名前トークが続いた。芸能人の名前にまで話題が及んで楽しかったのだが、雨が強くならないうちに帰宅することにした。今日は夕飯を作る当番なので、買い物もしなくてはいけない。
 
「そろそろ帰ろうかな」
 
立ち上がりつつそう伝えると、待って、と引き止められた。ベッド横のテーブルの上に置かれていた紙袋を渡される。中身は先日のデートのときに貸したジャケットだ。すっかり忘れていた。
 
「ちょっと甘めの香りになっちゃったけど」
 
そう言ってのぞみがはにかむ。確かに花のような香りがした。
 
「のぞみのにおいだ」
 
無意識に、そんな言葉をこぼしてしまった。我ながら気持ちの悪い発言である。はっとして口をつぐむがもう遅い。一度出てしまった言葉を消すことはできない。
 
「悪い、変なこと言った」
 
謝った方が逆に気持ち悪さが増す気もするが、それ以外に取り繕う方法が分からないので、とりあえず慌てて謝る。
 
「貸してくれたとき、冬くんのにおいだって私も思ったよ」
 
のぞみはそう言ってくすくすと笑った。顔が赤くなるのが自分でも分かる。それと同時に、俺のにおいはどんなだろうと思った。変なにおいじゃないことを願うしかない。
 
「ね、近くに来て、ちょっとかがんで」

紙袋を持ったまま静止した俺を、のぞみが手招きする。何かを企んでいる笑みだ。それがわかっていても断るわけにはいかない。

「なんか企んで……うわっ!」

彼女の指示に従って近づくと、急に抱きつかれた。勢いに押されてベッド横に強打した膝が痛いが、そんなことよりも驚きが勝った。

「え、なになになに」
「……落ち着くにおいがする」

首元のにおいを嗅がれている。あまりにも急すぎて頭がついていかないが、とりあえず嬉しいのと恥ずかしいのとで心臓が飛び出そうだ。すごい勢いで体温が上がっている感じがするのは、どきどきしているせいか、彼女の体温のせいか。きっとその両方なんだろう。

「もうちょっと待ったら雨止むんじゃないかな」

のぞみの声がすぐ近くで聞こえた。表情は見えない。でも、言いたいことは分かる。俺も同じ気持ちだからだ。

「じゃあ、止むまで待たせてもらおうかな」

少し姿勢を変えて、小さな背中に手を回す。どきどきはしているけれど、穏やかで心地がよい。ゆっくり目をつぶると、外から聞こえる雨の音と、のぞみの体温が世界の全てになった。そんな世界がひたすらに愛おしかった。

 
帰り道、空には星が光っていた。雨上がりの湿った空気は残っているが、雨自体は少し前に止んだらしい。水溜まりを踏まないように気をつけつつ、夜空を見上げて歩く。なんとなく、夜にのぞみと会ったことがないなと思い至った。こんな夜空の中で見る彼女はきっと綺麗だろう。イルミネーションやら、花火やら、深夜のコンビニやら、ベタな妄想が頭に浮かぶ。でも、できないことばかりだ。できないことを数え出したらきりがない。したいことを数え出してもきりがない。その二つはだいたいイコールなのだから。

「あの世界が永遠ならいいのに」

小声で本音が漏れた。雨音とのぞみの体温しかないあの世界では、俺が冬に眠ることも、のぞみの命が残り少ないことも、何も関係がない。その代わり、イルミネーションも花火も深夜のコンビニも楽しめない。でもそれでよかった。どっちにしたってできないのなら、それがよかった。

「あの世界が永遠ならいい」

もう一度、口に出した。叶うことのない願望を口にするのは好きではないから、永遠になってほしいとは言わなかった。夜風が吹いて、体が急激に冷える。今年の冬ももう近い。

俺はわざと大きな水溜まりを踏んだ。そんな気分だった。でも、今の生活を全部壊せるほど、投げやりにはなっていない。その後はまた水溜まりを避けながら、夕飯の買い物をしにスーパーへ向かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

☘ 注意する都度何もない考え過ぎだと言い張る夫、なのに結局薬局疚しさ満杯だったじゃんか~ Bakayarou-

設楽理沙
ライト文芸
☘ 2025.12.18 文字数 70,089 累計ポイント 677,945 pt 夫が同じ社内の女性と度々仕事絡みで一緒に外回りや 出張に行くようになって……あまりいい気はしないから やめてほしいってお願いしたのに、何度も……。❀ 気にし過ぎだと一笑に伏された。 それなのに蓋を開けてみれば、何のことはない 言わんこっちゃないという結果になっていて 私は逃走したよ……。 あぁ~あたし、どうなっちゃうのかしらン? ぜんぜん明るい未来が見えないよ。。・゜・(ノε`)・゜・。    ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 初回公開日時 2019.01.25 22:29 初回完結日時 2019.08.16 21:21 再連載 2024.6.26~2024.7.31 完結 ❦イラストは有償画像になります。 2024.7 加筆修正(eb)したものを再掲載

時間を止めて ~忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】

remo
恋愛
どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。 佐倉ここ。 玩具メーカーで働く24歳のOL。 鬼上司・高野雅(がく)に叱責されながら仕事に奔走する中、忘れられない元カレ・常盤千晃(ちあき)に再会。 完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な彼には、悲しい秘密があった。 【完結】ありがとうございました‼

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

12年目の恋物語

真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。 だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。 すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。 2人が結ばれるまでの物語。 第一部「12年目の恋物語」完結 第二部「13年目のやさしい願い」完結 第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中 ※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。

処理中です...