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それは小さな光のような

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マイが眠る横でココアを飲んでいると、部屋の外から扉が叩かれた。眠ったマイを起こさないように、クーは静かに扉に近づき、少しだけ開いた。

「はい……」

向こうにいたのはオスカーだった。以前に食堂で声を掛けてきた強面を前に、クーはまた悲鳴をあげそうになったが、どうにかこらえた。

「君か。マイはどうした?」

「あ、えと、マ、マイはさっき眠ったところで……」

「そうか。君の方はどうだ? 体に異常はないか?」

「は、はい。大丈夫です」

「ならいい」

オスカーがこの場を離れる気配はない。クーとしては早く扉を閉めたかったが、そんな事をする度胸はなかった。

「……少し話せるか?」

「ふぇ?」

「悪いようにはしない。ただ少し確認したいことがあるだけだ」

オスカーの提案に、クーはすぐに答えられなかった。ついマイの方に視線を向けようとするが、すぐに思いとどまる。眠ったばかりのマイを起こすのは忍びない。何より、いつまでも頼ってばかりでもいられなかった。

「……わかりました。でも、マイを起こしたくないので、場所を変えてもいいですか?」

「もちろんだ。少し離れたところで話そうか」

オスカーが背を向けると、クーは扉を開いて廊下へと出る。
前を歩いたオスカーは、船内にある階段の踊り場近くで足を止めた。ここなら多少の往来がありつつも、その邪魔にはなりにくい。適度に人が来ることから、クーにあまり警戒心を抱かせないと考えた。

「早速だが、君の力について、改めて話をしようか。君は先程まで、魔人とも呼べるような存在となって大暴れをしていた。それは事実だと認めるか?」

「はい。マイから聞きました」

「それについて、何か弁明はあるか?」

「……ありません。マイは紋章の暴走だと言っていましたが、自分がとんでもない事をしてしまった事には、変わりありません……」

クーはオスカーに対して、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい。謝るだけで済むことではないと思いますが、今の私にはこれしかできません。本当に、ごめんなさい」

「…………」

謝罪したままのクーを、オスカーは黙って見つめる。
彼女は悪人ではない。心根の弱さこそあるが、基本的には善良な人物だ。それはわかっていた。
だからこそ、これからの確認が必要だった。その弱い心ゆえに、今回のように力に飲まれてしまう恐れがある。それが、より強大な力であると思えば・・・・・・・・・・・・・なおさらだ。

「頭を上げるんだ」

オスカーの一言で、クーはゆっくりと頭を上げた。互いの目が交差する。

「君の紋章だが、マイは光の勇者の力だと言っていた」

クーが頷く。オスカーはさらに続けた。

「しかし光の勇者は、君とは別に現れた。そこで私は別の可能性を考えた。魔物の力を操り、魔物を呼び寄せるというのは、勇者の力というには少々歪にも思えるしな」

敵対する者の力を利用すると考えれば、それもまた対抗策ではあるだろう。だが、それよりももっとシンプルな答えがあった。
それは勇者の対とも言え、今なお語られつつも、一切の正体がつかめていない存在。

「君の力は、魔王の力ではないのか?」

月が紅く染まり、それを魔王復活の象徴としているが、その姿を捉えた者は一人もいない。月の変色と共に、魔物が狂暴化したことがその証明だとされていた。
しかし、光の勇者が選ばれるように、魔王も選ばれる存在だとしたら? そう考えた時、クーの紋章は魔王の力だと考えた方が自然に思えた。

「魔王…………この力が…………」

クーの視線が、右手へと移る。紋章はそこにあるのみで、何も応えはしなかった。
不思議なことに、ショックは大きくなかった。クーにとって、この紋章が勇者であれ魔王であれ関係なかった。
彼女にとって、この紋章は自分の人生を壊した忌々しいものだ。これさえなければ、生まれ故郷を離れ、危険な目に遭う事も、力に振り回されて誰かを傷つける事もなかっただろう。
だが同時に、この紋章がなければ、彼女はマイと出会う事はなかった。結果的とはいえ、自分を変えようと思う事もなかった。

「さて、ここからが本題だ」

オスカーがパンッと手を鳴らし、クーの注目を引く。

「君の力が魔王のものだとしたら、君はどうする? このままマイに頼り、力を消したり、誰かに移したりするか? それとも」

オスカーの険しい顔が、さらに強くなる。目線で人を殺せそうなほどだ。

「君が死ぬことで、魔王という存在を葬り去るか?」

オスカーの目線と言葉に、クーは恐怖を覚え、足が一歩後ろへと下がった。体がガタガタと震えだす。

「わ、私は……」

再び顔は俯き、声も震えていた。声を出すのが怖かった。言葉を発しない間は、歯がガチガチと音を鳴らした。
それでもクーは逃げる事はしなかった。この場でしっかりと、彼の問いに答えなければならない。ここが彼女にとって、分水嶺だからだ。

「し、死にたくない、です。で、でも、このままでいるつもりも、ありません」

ようやく出てきた言葉を、オスカーは黙って聞き、続きを待った。

「オ、オスカーさんの言う通り、マイに紋章の謎を解いてもらうつもり、です。で、でも、マイに頼るばっかじゃなくて、わ、私に出来ることを、するつもりです。何が出来るかわからないけど、それでも、やります」

そこで一度深呼吸をして、顔を上げる。まだ話は終わりではない。思いの丈を、全て出すつもりだった。

「こ、この力と向き合って、もう二度と暴れたりしないようにします。だ、誰かに渡すって考えは、もうやめます。宿命とか運命みたいな考えじゃなくて、えっと、なんていうか……」

うまい言葉が出てこない。義務感が一番近いような気がしたが、細かい部分が引っ掛かってしまい、頭の中で否定する。責任感もまた、微妙に違う感じがした。

「……そう、決めたんです。覚悟が決まったとかじゃなくて、私がそうしたいって思ったんです」

結局曖昧なまま、思うまま言葉にする。だがオスカーは気にすることなく、受け入れたように小さく頷いた。

「私に宿った力が魔王のものだったら、消したり、封印したいと思います。マイと一緒なら、それが出来ると思いますから」

最後の方は、声の震えが止まっていた。視線もオスカーの顔を向き、真っすぐ見据えていた。

「……そうか」

オスカーが一言呟く。

「ならば私は、それを尊重しよう。疲労しているところ、時間を取らせてすまなかった」

「え?」

思わぬ発言に、クーの口から間の抜けた声がこぼれる。

「どうした?」

「い、いえ。なんていうか……」

「君の答えに関係なく、私が君に手を下すとでも考えていたのか?」

オスカーの訝しむ目に、クーは無言で返す。図星だった故に、何も言えなかったのだ。それを理解したオスカーは、どこか悲哀に満ちた息を吐いた。

「本当に君たちは……私は決して殺人狂ではないのだがな」

「す、すみません……」

「いや構わない。君とは付き合いも浅く、昼食の場での態度を思えば、警戒されるのも無理はない」

少しでも場を和ませようとしたのか、オスカーはわずかに笑みを浮かべたように見える。だがもともとの強面のせいか、クーは和むどころか別の意味で恐怖を覚えた。

「先程の魔王の力云々は、私の手前勝手な想像だ。あまり気にしなくていい」

「そ、そうですか……」

「ああ。それともう一つだけ、助言させてもらう」

オスカーが一度咳ばらいをして、諭すような落ち着いた口調で続けた。

「君はどうも己を卑下しすぎるきらいがあるようだ。だが君は、君自身が思っているよりも勇気ある人間だ。自分の弱さを自覚し、それを克服しようとする。それは誰でも出来ることではない」

一歩、オスカーがクーに近づく。今度のクーは、後ずさりすることなく、彼の顔を見上げた。

「私が讃えよう。クートリウィア・マーニ。君は勇気ある人間だ」

「わ、私が……?」

クーが戸惑いながら返すと、オスカーは肯定するように頷いた。
今まで言われたことのなかった言葉。自分には程遠いと思っていた言葉。それを掛けてくれたのは、思いもよらなかった人物。
予想外な出来事に呆然としたクーに対し、ゆっくりと体を休めるようにと、オスカーが空いている船室へ案内した。

室内はマイの部屋と大差なく、机に椅子、そしてベッドがあるのみだ。
クーはベッドに倒れこむと、天井を見上げ、これからの事を考えた。
ジーニアスに戻ったら、まずは迷惑をかけた皆に謝ろう。許してくれるかわからないけど、マイの言った通り、その時はその時で、ちゃんと誠意をもって対応しよう。
そして紋章について。オスカーは勝手な想像だと言っていたが、正直的を射ていると思った。

「マイも同じことを……」

考えただろうか。いや、頭の良い彼女ならば、間違いなくそれは頭にあったはずだ。
しかしそれを一度もクーに話していない。その前にクーが暴走してしまったのだから、話す機会などついさっきくらいしかなかったが、その場でもこの話は一切出なかった。
気を遣ったのだろう。確信の持てない話で、クーを不必要に不安にさせない為に。

「やっぱりマイは優しいな……」

だがいつまでも彼女の優しさに甘えてはいけない。紋章の問題は、自分自身の問題だから。マイに全てを任せようと考えていたが、それでは駄目だ。
何が出来るかはわからない。でも何かしなくちゃいけない。この力が勇者であれ魔王であれ、今は文字通り、自分の手の中にある。
勇気を出して。いつまでも泣いてばかりじゃいられない。両手を上げ、拳をぐっと握る。
三日月の紋章を、クーは目を背けないでじっと見つめる。紋章は何も答えず、ただそこにあるのみだった。クーは小さく息を吐くと、拳を下に降ろす。
感じていた不安がどこかへ行ってしまったようで、クーは目を閉じて、安心したように眠りについた。
今までで一番穏やかな寝顔を浮かべていた
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