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緩やかに幕は上がる

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一夜明けて、船が港に帰ってくると、クーはすぐにアカネを始めとした、自分が傷つけてしまった人々に謝罪に向かった。
医務室で横になっていたアカネは「お気になさらずに」と微笑みを浮かべて、彼女の謝罪を受け入れた。そんなに簡単に許されていいのかとクーは戸惑ったが、アカネは続けざまに、

「であれば、どこかでマーニ様の体を一日、私に預けてください」

と提案した。曰く、クーの体を一目見た時から、色々と試してほしい服があるとのことだった。それでよければとクーは彼女の提案を受け入れたが、実際にその日が来た時、これまで見た事ない程興奮した彼女とその勢いに圧倒されてしまう事になるが、それはまた別のお話。
他の騎士たちも、クーの謝罪を素直に受け入れた。むしろ「すぐに抑える事の出来なかった自分たちの鍛錬不足だった」と、傷が治り次第すぐに鍛えなおすと意気揚々だった。
一通り謝罪をして回ると、クーを探していたハーヴェイに呼び止められた。

「すみません。ちょっと隊長室まで来てもらってもいいですか?」

そう言ってきた彼と共に、以前も尋ねたエンドゥの部屋へと連れて来られた。
ハーヴェイが扉をノックし、許可が下りて中へと入る。クーも後に続くと、そこには部屋の主であるエンドゥの他、マイとオスカーがいた。

「クー。ここに座って」
 
マイに促され、クーは彼女の隣に座る。目の前の机に紅茶が入ったカップがあり、その向こうにオスカーが座っている。彼の隣、マイに向き合う位置にはエンドゥがいた。

「じゃ、俺はこれで」

ハーヴェイがそう言い残し、部屋を出て扉を閉める。

「そのお茶。オスカーが淹れたやつだから、まずいってことはないよ」

「ああ。少なくとも隣の奴が淹れるよりはマシなはずだ」

マイとオスカーの言葉に、エンドゥは渋い顔を浮かべる。クーは勧められるがままにカップを口に運ぶ。高貴な香りに程よい渋みがあり、オスカーは謙遜気味だったが、クーにとっては今までで一番美味しい紅茶だった。

「それでその、私が呼ばれた理由は……?」

カップを机に戻し、恐る恐る尋ねる。

「ああそれは、今回の件について、上にどう報告するかって話なんだ」

エンドゥが咳ばらいを一つして、説明を始めた。

「ありのまま起きた事を報告してしまうと、君が勇者であるという事を公表しなければならない。国としては、勇者の存在を隠してたとなると色々面倒だからね。しかしそうなると、遅かれ早かれ、君は魔王討伐の為に旅立たなければならない」

そこで一度話を区切り、エンドゥはお茶を一口すすった。

「そこで僕は、報告する内容の一部を改めようと思うんだ。君の暴走は、月の魔物による憑依によるものだとね。そしてその研究、解析の為にマイの監視下に置く。そうすれば君はこれまで通り、マイと一緒にここにいられる」

「報告の偽装なぞ、騎士にあるまじき行為だと思うがな」

隣のオスカーが口を挟むと、エンドゥは咎めるような視線を彼に向ける。だがオスカーは気に留めることなく、さらに続けた。

「私は今回の件、正直に報告するべきだと思っている。だがこの報告で最も影響を受けるのは君だ。マイの言葉を借りるなら、君も被害者の一人だ。そんな君の意見も聞かずに強行するのは、少々憚られたのでな」

声色こそ落ち着いているものの、口調の端々に遺憾がにじみ出ていた。真面目な彼にとってこの席は、まさしく苦渋の決断だったのだろう。
エンドゥの提案は、確かに魅力的なものだった。旅立つことをせずとも、紋章の研究をここで行う事が出来る。解明はいつになるかわからずとも、少なくとも外で魔物に襲われる恐怖には見舞われない。仮に以前のように魔物が来ようとも、屈強な騎士団によって守られる。クーの答えはすぐに出た。

「エンドゥさん。今回の出来事については、そのまま報告していただいて大丈夫です」

きっぱりと言い切ったクーに、エンドゥとマイは驚いたように目を開いた。マイに至っては、クーに向けてぐっと身を乗り出した

「本気なの? こいつの意見なんて無視していいんだよ?」

「おい。こいつ呼ばわりはさすがに看過出来んぞ」

オスカーが身を乗り出そうとすると、隣のエンドゥが制止する。

「……本当にいいのかい?」

「はい。私、この紋章と向き合うって決めましたから」

クーがオスカーに視線を向ける。船の中で彼と交わした対話に嘘はない。これは、その証明でもあった。

「正直、今でも怖いです。魔物も、旅そのものだって。でも、いつまでも弱い自分でいるのも嫌なんです。助けられてばかりなんて、嫌なんです」

「……クー」

隣のマイが、ゆっくりと席へと戻っていく。言葉が出なかった。彼女は今、自分の意思でそれを決めた。弱いままでいい。いつまでもあたしが守る。そういった言葉は、そんな彼女の意志を侮辱してしまう。

「……わかった」

エンドゥがもう一度、お茶をすする。カップは空になり、軽い音を立てて机に置かれる。

「それじゃあ君の意見を尊重して、ありのままを話そう。旅立ちについては、いくらか便宜を図らせてもらう。必要なものがあったら僕に直接でも、アカネを通してでも構わないから教えてくれ。それと君は今、彼女に戦いの訓練を受けているとのことだから、それを今後も続けてほしい。旅立つのは、彼女の太鼓判が出てからだ」

話は終わりだと、エンドゥが席を立って部屋を後にする。オスカーも席を立って、クーに視線を向けた。

「君ならそう答えると思ったよ」

「なんであんたが得意げなの」

「君は私に嚙みつかないと気が済まないのか」

マイに対してオスカーがため息をつくが、それ以上何も言わずに、部屋を出ていった。

「クー。オスカーと何か話したの?」

「う、うん。昨日、少しだけ」

「ふーん……一晩で随分仲良くなったんだね」

「は、話しただけだからねっ。その、変な事はしてないからっ」

「なんでいきなり取り乱すの」

訝しむような目を向けたマイに、クーは「なんでもないです」と返す。自分よりも大人びた所はあるが、まだ十歳の少女が「そういう事」を思い浮かべるとは考えにくく、変な考えをした自分が恥ずかしくなった。

「と、ところでマイ。ちょっと相談があるんだけど」

誤魔化すように、マイに話を振る。マイは特に気にすることなく、「なに?」と聞き返した。

「私、一度サンスに帰りたいんだ。その、お母さんとお父さんに、旅立つ話をちゃんとしておきたくて」
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