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棚からカレーライス
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「パーティー、ですか?」
その日の夕食後。
後片付けが終わりリビングのソファーで休んでいるところを春都さんに話しかけられて、僕は首を傾げる。
「そう。来週の土日は俺も冬馬も泊まりがけで父さんの友人が主催するパーティーに参加するから、食事はいらないよ」
ソファーの僕の隣に春都さんが座ってくる。お風呂はまだなはずなのに、ふわり、とフローラル系の優しい香りが鼻をくすぐった。
「分かりました。お休みの日に大変ですね……」
「俺も冬馬も、将来のためにパイプは作っておかないとね」
ああいう華やかな場所はどうも苦手だけど、そう続けて苦笑いする春都さん。
春都さんは実家の仕事の手伝いをしながら、大学在学中に立ち上げた自分の会社の経営もこなすやり手の実業家。そうだから母校である僕と冬馬くんが通う大学でも有名人なんだ。
26歳という若さでここまでやれるのは大したものだ、と前に暦(こよみ)さんも太鼓判を押してたけど、それもこういう普段からの地道な努力の賜物なんだろう。
「大事なパーティーなんだろうけど、無理はしないでくださいね」
「ありがとう、夏希は優しいね」
ふいに頭を撫でられて、緊張で身体が強ばる。
「夏希こそ、無理してない?大学行きながら毎日家事を頑張ってくれて」
「いっ、いえ!ちゃんとお金をもらってやってるお仕事なので、これくらい当然ですっ」
「そう?──大変なら、家事代行を雇っても良いんだよ?父さんからの給料がなくなるのが心配なら、俺がお小遣いをあげる」
「そんな……」
春都さんはとても優しくて、よくこうして僕のことを気にかけてくれる。だけど。
「僕が、好きでやってることですから。特に食事は、春都さんや冬馬くんがいつもおいしそうに食べてくれるから作りがいがあるし……」
今日の夕食で出した揚げ出し豆腐を、おいしいおいしいと食べてくれた春都さんの笑顔を思い出す。──これで自由にカレーライスを作らせてくれたらもっと最高なんですけど、とまでは後が怖いので言わないでおいた。
「──そっか。でもしんどい時はいつでも言ってね?」
約束だよ?と耳元で甘く囁かれたと思ったら、春都さんの手が僕の頭から小指に移動して、きゅっ、と春都さんの小指と絡ませられる。反対の手でする……と手の甲を撫でられて、細身の割に男らしく骨ばった手に同じ男の僕でもドキドキしてしまう。
「そうだ、うちの社員においしいキャラメルをもらったんだった」
手を離しながら、胸ポケットに入れてあったらしい小さな箱を取り出して、その中の一粒をつまんだ春都さんにあーん、と差し出された。
「あの、自分で食べられますから……」
「そう?……山本くんにはあーんさせてたのに?」
「えっ」
──なぜそれを?
春都さんとは面識のないはずの山本くんがいきなり話に出てきて、思わずぽかん、と口が空いてしまう。
「──えいっ」
「んむっ!」
その隙に、口の中に春都さんにキャラメルを放り込まれた。
「んっ……おいしい」
「ね?」
山本くんの名前を出してきた時はどことなく怒ってるような雰囲気だったけど、今はいたずらが成功した子供みたいに笑っている。
「あ、冬馬が出たかな。次は俺が入ってくるから……これ冬馬と分けて」
先にシャワーを浴びていた冬馬くんがお風呂場から出てきたらしい音が聞こえて、春都さんは僕にキャラメルを箱ごと渡すとリビングを出ていった。
「──あ、そうだ」
なんでその名前が春都さんから出たのかは知らないけど、たぶん冬馬くんから聞いたんだろう。そう結論づけて山本くんといえば、と僕はスマホを取り出してメッセージアプリを開く。
大学の食堂でカレーをもらうことを冬馬くんに阻止された後、震える僕に山本くんが言った。
『気分転換にさ、うちで飲もうぜ。牧村の都合のいい日分かったら教えて』
哀れな僕を気遣って言ってくれただけかも知れないけど、タイムリーにも春都さんも冬馬さんもいなくて家事をしなくて良い日が出来たのでそれを山本くんに知らせるためにメッセージを送る(元々土日は掃除などはお休みして良いとは決まっていたけど、食事まで用意しなくて良いっていうのは珍しかった)。するとすぐに既読がついて、そこから何十秒とかからずに返信が来た。
『それならその土日は、うちに泊まりに来ないか?』
『二人でカレーパーティーしようぜ』
「カッ……!?」
カレーパーティー?なんだその素敵な響きはっ。
「……っ」
カレーという単語が出てきて、思わずスマホを胸に抱いてキョロキョロと周囲を見渡す。
──よし、春都さんも冬馬くんもリビングに来る気配はない!
もう一度メッセージを見ると、ちょっと目を離した隙に続報が届いていた。
『牧村の料理、食ってみたかったんだよな』
『俺も結構カレー好きだし、何日分か作り置きしてくれるなら材料費もこっちで出す』
「な、なんてことだ……!」
僕にとって良いことしかない提案に思わず詐欺を疑ってしまうが、そう言ったら『これがそんなうまい話に見えるのはお前だけだよ』とか突っ込まれそうだ。
きっと山本くんは昼間あまりにも落ち込んでいた僕を元気づけるために言ってくれてるんだ。山本くんの家なら大鍋でカレーを作ろうとも『鍋をう●こで汚すな』とか言って怒る人もいないし、しかも泊まりだから一晩の間にしっかり対策して帰れば僕についたカレーの匂いもすっかりなくなるはず。山本くんは前に料理は苦手って言ってたし、カレーだけじゃなくて余った材料で他のおかずも作り置きしてあげればwin-winなのでは……?
『是非!カレーパーティーやりましょう!!』
そうと決まれば善は急げと、了承する内容のメッセージと感謝とこの気持ちの昂りを少しでも伝わればとハートを散りばめたキャラクターのスタンプをいっぱい送信した。
『さすが食い付き早い。笑』
『そしたら詳細は明日以降、大学で』
そうして返ってきたメッセージに“OK!”のスタンプで答えると、既読がついて返信は来なくなった。これで今日のやりとりは終わりなんだろう。
「なんだかすごいことになっちゃったぞ……」
「何がだよ?」
「どわっ!!」
ソファーの背もたれに頭を乗せて脱力していたら、ひとりごとに返事があった上に視界いっぱいにワイルドなイケメンが現れた。
「冬馬くん!」
「スマホ見てだらしない顔して何やってんだ」
ソファーの後ろから僕の顔を覗き込んでいた冬馬くんが、回り込んで僕の隣にどかっと座った。春都さんの時と違って漂ってくるのは、お風呂上がり特有の石鹸と、ボディークリームっぽいシトラス系の香り。粗雑な印象の冬馬くんだけど、肌に気を遣うのはさすがモデルさんだ。
「そんなだらしない顔してたかな……」
「自覚ないのかよ。一体なに見て──」
「わっ!」
当たり前のように僕のスマホを覗き込んでくる冬馬くんに、見ちゃだめ!とスマホを膝の上に裏返して隠す。
「……」
「そっ、そうだ冬馬くん!これ、春都さんにもらったんだ!」
なんとか誤魔化せればと、さっき春都さんにもらったキャラメルを冬馬くんに箱ごと差し出す。
「おいお前──」
「えっと……っ、はいっ、あーん!」
何か言われる前にと、差し出した箱から一個取り出して冬馬くんの口元に持っていく。
──これ、やる方も恥ずかしいな……。
でも差し出された方の冬馬くんはもっと恥ずかしいようで、みるみるうちに顔が真っ赤になった。冬馬くんってこんなに恥ずかしがり屋さんだっけ?
「ばっ……お前……!」
「?僕のあーん嫌だった……?」
なんだか不安になって首を傾げて──身長差があるのでどうしても上目遣いになっちゃうのを恥ずかしく思いながら──聞くと、冬馬くんはなぜか耳まで真っ赤にさせて「あー、もう!!」と叫んだと思ったら、僕の指ごとキャラメルにかぶりついた。
「うわっ!」
「お前あんま煽んな──うおっ!?」
びっくりして後ろに倒れ込みそうになった僕を、咄嗟に冬馬くんが背中に腕を回して支えてくれる。
「ごっ、ごめんね!大丈夫っ?」
「別にこれくらいなんとも……、……っ!」
ばちっ、と至近距離で目が合って、冬馬くんが目をそらす。なんだかキスでも出来そうな近さだな……って、僕は一体何をっ。
「……ちっ!」
冬馬くんは大きく舌打ちをするとソファーから立ち上がって、リビングを出て行こうとする。良かった、あの様子だと僕と山本くんのやりとりは見えてないみたい。……あっ、ちょっと待った。
「とっ、冬馬くん、」
「……なんだよ」
「山本くんのこと、春都さんに話したの?」
「はぁ?」
本人の知らないところであれこれ言われたら山本くんだって良い気はしないだろうし、あんまり言わないようにお願いしとかないと……。
「誰だよ、山本って?」
「今日食堂で会ったよね?」
「──ああ、アイツ山本っていうのか」
「えっ」
冬馬くんが今山本くんの名前を知ったなら、春都さんはなんで山本くんのこと知ってたの?え?冬馬くんが教えたんじゃあ──
混乱する僕を後目に冬馬くんはリビングを出ていってしまって、答えを教えてくれる人は誰もいなかった。
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