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寄生宿めぐり
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しおりを挟む目を覚ましたとき、体が木になったみたいに重くて硬いことを感じた。そんな体で飛び起きてしまったから、ちょっと背中が痛かった。
「いたた……ダメね、やっぱり。急に動いちゃ」
背中に手をやってみる。そこで自分の手の先が、五つに裂けていることに気がついて、私は思わず叫んだ。
「きゃああああ!!」
すぐにドタドタと足音がやってくると、勢いよく襖が開かれた。
「どうした!?」
髪がボサボサの人間だった。古びてよれた服を着ている。歳はおじさんって呼ばれるくらいかしら。そう。これが人間のオス……なんて冷静な分析をしつつも、心には不思議な感覚が広がっていく。彼を見た瞬間、一目で理解してしまった。このひとが私の寄生宿だ。
「いいえ、ごめんなさい。手が五つに裂けてたから、びっくりしちゃって。でも、人間の手は五つに分かれてるんだったわ。私ったら、すっかり忘れちゃって」
「そんな当たり前のこと忘れるほど、長く眠ったっけな?」
彼は頭をかいて布団の横に腰を下ろし、そこであぐらを組んだ。
「そんで、あんたは誰だ?まあ強盗の類には見えねーにしてもよ、裸で俺んちの庭で寝てたんだ。なにか訳があるのか」
「ふふふ。私は昨晩、ようやく大人になったの。それがたまたまあなたの家の庭だったようね」
彼はだらしなく口を開いた。
「お嬢さん、人んちの庭でなんてことしてくれてんだよ。相手の男はどこだ?まさかあんた一人をほっぽいて、逃げ出したわけじゃあるまいな」
「相手の男?ああ、オスのことかしら?残念だけど、私たちの種族にオスはいないの。だから大人にならなきゃいけないのよ」
うむ、と彼は不精ヒゲの生えた口をちょっと動かして言った。
「話にならねーな。これがいわゆるジェネレーションギャップか」
新たな二つ目で、私は目の前のオスを観察した。普段見ていた一般的な人間だと思うけど、新しい目で見ると、また違った印象を受ける。新鮮で爽快な視界だ。
ああ、素敵。
無造作な黒髪に、着飾らない服。広い肩に、なんだか懐かしい香り。私はうっとりしていた。なんて逞しいのかしら。体が、ってことじゃなくて、この人は逞しい精神と清い魂の持ち主だわ。
「ねえあなた、名前はなんというの?私はミノ子」
「へ?俺、塚間だよ。塚間一郎」
「一郎!」
「わ!」
私はいきなり飛びついて、彼の首に腕を回した。
「一郎……素敵、素敵だわ!私、一郎に会うために大人になったのよ!」
「あ、あああんた」
「やだ、ミノ子って呼んで」
「はっ!?」
今にも背をつけて倒れそうな一郎の胸にもたれ、間近で顔を見つめる。彼は顔を赤くして、口を歪めていた。少しだけ、黄色の歯が覗いている。
「あんた……ミノ子ちゃん?大丈夫か?」
「もちろん大丈夫よ。一郎の歯なら、少しくらい黄色くても舐めたいわ」
「こりゃ大丈夫じゃねーな」
彼、塚間一郎は朝食を作ってくれた。床がミシミシ音を立てる台所へ行き、私は食事をご馳走になった。
「お、おいっっしい!なんて美味しいの!?このやみつきになりそうな濃厚で黄色の食べ物は、なんというの!?」
「卵かけご飯だよ。黄色のもんが好きなのか」
「なるほど。これが衣食住の食ね。おそらく有史以前から人間に必要不可欠だったものの一つ……。どうしましょ。予想をはるかに超えて美味しいわ。今までは食欲なんてほとんどなかったのに、これ、もっともっと食べたくなっちゃいそう」
「何杯でも構わねーけど、ミノ子ちゃん、家族はいねーのか?」
同じく卵かけご飯を口にかきこみ、頬を膨らませて一郎は言った。食べなれているのか、私ほど感動していないみたい。
「家族?妹ならたくさんいるわ」
「ほお、妹さんが。妹さんのところへ帰んなくて平気なのか?」
「もう帰れないの。根は変わらず一緒でも、種族を分かち、ここに来たんだから。それに妹なら、今もこの家の庭に何匹かいると思うけど」
「よく分からんが、帰る場所はねーってことか」
彼は空になった茶碗をテーブルに置いて、タバコを一本取り出した。なんだか上の空のような様子で、「よわったなー」と煙をふかす。
「そんなことない。決めたの。私の宿は、一郎よ」
「宿ねえ」と、ものぐさげに一郎は反復する。それからぼんやりと天井に目を向けてだらだら喋りはじめる。
「しかし宿を見つければいいという簡単な話しでもねえしな。しばらくはうちに居てもいいけどよ、あんたはどうやら金どころか荷物一つ持っちゃいねえ。少し説教臭くなっちまうが、最低限、生活するには衣食住ってもんが必要で」
「人類にとって衣食住が必要なのは知ってるわ」
私は台詞を遮って胸に手を当てた。一郎の言わんとすることは分かっていた。
「でも、ううん。私にとって大事なのは、そんなものじゃない。いつでも裸でへっちゃらだし、樹液をちょっといただけば何週間も生きられるし、葉っぱのベッドで眠りにつける」
「虫みてーだな」
「人がないがしろにしてしまいがちなのは、むしろ精神の宿だと思うのよ。雨風をしのぐ心の宿も、普遍として必要とされてきたはずではないの。そして、これが私にとって、いっちばん大事なの。私たち種族の本体は、こっちの心なんだから」
一郎はよく分からんという顔をしていた。タバコをくわえて、首をかしげる。私はたまらず、その姿にうっとりする。すごい……やっぱり一郎は私にぴったりの宿だわ!見ているだけで、心があったまるもの!
「ああ、一郎……可愛いわ。宿があることが、こんなにも安心するなんて知らなかった。私、大人になってよかった」
「あんたの話しは、イマイチ要領を得ないなあ」
一郎があんまりにも理解しないから、私は少しじれったくなって説明してやった。
「簡単なことよ。私たちはアンドロメダ星雲の隅っこの小さなところからやってきた、寄生型の地球外生命体よ。最初は虫の姿をしているわ。地球に順応するためにそうしたの。そして成長すると、人型になる」
「便利なもんだ」
「私たちの本体は、心だって言ったでしょ。ようは思念体みたいなものだから、姿形は入れ物にすぎないのよ。まあ、決められた歳月は、勉強期間として虫の姿で人間について学ばないといけないけど」
「それで?それで人間になってどうすんの」
彼は頬杖をついて、なんでもない顔で聞いた。一郎の態度はどこか、子供の空想話を聞いてやる親のようだった。
「もちろん、人間に寄生するのよ。私たち種族はメスしかいないの。だからオスに寄生する。ちゃーんと、私たちを大事にしてくれる心あるオスにね。心あるオスは、人間ばっかりなのよ」
一郎は「ほお~」と感心半分、呆れ半分の声を出した。その言葉が、この会話の終わりとなり、私は食器を持って立ち上がった。もちろん、一郎の分の食器もね。
「なんだ?洗うのか?」
「当然でしょ。一郎に寄生するって言ったじゃ……うっ」
意気揚々とシンクの前に立つも、そこは使われた食器が山のように積まれていた。少し驚いてしまったけれど、私はすぐに気持ちを切り替えて、袖をまくった。
「いーって、自分でやるから」
「ふふ……ちゃーんと知ってるわ。だらしないオスもいるのよね。こうして溜め込んじゃうの。ぜーんぶ面倒みるのが、私の役目だわ。……あれ?」
腕まくりをして、私は気づいた。
「そういえば私、なんで服着てるのかしら?」
私は、見知らぬパジャマを着ていた。袖の匂いを嗅いでみる。何年もしまいこまれていたのか、タンスの中みたいな匂いがする。
「それは……裸のままにしておけねーだろ?」
私の横に立って、一郎は微妙な顔をする。私はまた「ふふ」と笑った。
「ということは、見たのね?私の裸体を……。そう。そうなの。ふふ。こういうのも知ってるわ。責任よ。メスの裸を見たオスは、一生そのメスと過ごす責任が発生するのよ。よって一郎は、生涯を私と共にしなくちゃならないの」
「ミノ子ちゃん……不可抗力って知ってるか?」
「知らない」
「だろうな」
それから、私はつきっきりで家事をした。掃除に洗濯、庭の手入れに料理。一郎の家はいたるところに埃が溜まっていて、何年も手入れされていないのが分かった。この広い一軒家を一人で掃除するのは、かなり骨の折れる作業だったけど、大人になれたんだもの。これくらいは何でもないわ。
最初は一郎も「いいから」「俺がするって」とやかましくついて来ていたけれど、ある時点で諦めて、リビングに腰を落ち着けることにしたらしい。テレビをつけたまま本を開き、タバコを吸いはじめる。洗濯物を抱えてリビングを通った時、私はテレビの電源を切った。
「あ」
「もったいないじゃないの。本を読んでるんだから、テレビは消してよね。観てないんでしょ?」
「……はい」
私たちの生活は、そのようにして進んでいった。私はやりたいように一郎の世話をした。彼はもともと無頓着な性格だったから、そのうちなにも言わなくなったし、私が家中を動き回っているのを、当たり前の光景として受け入れるようになっていった。
「そういえば一郎、この家には一郎しか住んでいないのよね?」
ある晴れた朝、庭で洗濯ものを干しながら、私はリビングの彼へ問いかけた。
「そうだよ」、本から目を離さないまま、一郎は答える。私は腕を組んで、首をひねった。
「ん~~~……おかしい。それはおかしいわ。とてつもなく奇妙ね」
「なにがー?」、一郎はまだ本を見たままだ。
「奇妙だわ……これは奇妙よ!どれくらい奇妙かと言うと、アンドロメダ星雲の彼方からやってき」
「分かったよ!なんだよ、なにが奇妙なんだ」
ようやく顔を上げ、本を閉じてテーブルに置く。それで私は、自分の着ている服の裾をひっぱって見せた
「これよ!一郎しかいないはずなのに、なんでメスものの服がこんなにあるの!?おかしいじゃない!」
一郎は呆れに近い顔をして、短い溜め息をはいた。
「今更だな~。それは前の奥さんの洋服だよ」
「奥さん!?聞いてないわ!」
「言ってないからなあ」
びっくりする私とは対照的に、一郎はのんびりとタバコを一本取り出してくわえる。
「奥さん……知ってるわ。私たち種族と同じように、人間のオスに寄生する人間のメスだわね。くっ……!私より先に一郎に寄生していたやつがいるなんて……!」
内心、私は気分が悪かった。前のメスの服を毎日毎日着ていたと思うと、腹の中がカッカッと熱くなるようだった。
「寄生って……まあ、前の奥さんはそんなところあったけどな。あんたほど働きものじゃなかったよ。ぐーたらでだらしなくって、養ってさえくれるなら、相手は誰でもいいって感じだったからな」
一郎に奥さんがいたことは驚きだった。でも、よくよく考えてみれば、私と会うより前のことだもの。気にしてたってしかたないわ。
それよりも、今の私にはもっと重大な課題宿題大問題が控えているのだ。
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