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part10

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 たしかに、日枯ひがらし の言葉をそのまま受け取るならば、それは超能力、あるいは超常現象そのものだ。
 おそらく、1年前の平田ならば、日枯ひがらし の言葉にただただ呆然とするか、苦笑して、この話題はそのまま「おしまい」としてしまっただろう。

 だが、駄目なんだ。
 この話題は、このまま終わりにしていいようなものなんかではない。
 今の平田にとって、あるいはこのマンドリン部にとって、日枯ひがらし の言う「超能力者」は決して遠い存在ではない。ましてや空想の産物なんかではない。

 彼の言う「不思議な能力」に、今の平田にはとても心当たりがある。
 その能力の持ち主を音を初めて聞いたとき、平田は小さな驚きを覚えて、それが錯覚かとも考えてみたが、その「音」は朝木先輩や、ましてはこの部の創設者、蓮水千尋でさえ持っていなかったものだ。

「でも、この力の持ち主はまだそれに気がついていないみたいですね」
 今はまだ。
 そう言ってから日枯ひがらし は顔を上げた。
 彼の目線は平田の方を向いていなかった。

 音楽室の扉が開いていたのだ。
 日枯ひがらし が入ってきた時は、古い木が軋む音がした。
 けれど彼女が扉を開けた時は、不思議なことにその音に気が付かなかった。少なくとも平田は。
「やあ、空橋そらはしさん」
 日枯ひがらし が彼女に向かってふわりと笑いかける。
 その声に彼女も「ごめん、遅くなったね」と申し訳なさそうに笑った。

 身長はきっと170センチ以上あるだろう。
 すっと真っ直ぐに立った彼女の手には青色のマンドリン・ケースが握られている。
 空橋そらはし玲葉れいは
 マンドリン部の1年生で、おそらく来年のコンサート・マスター。
 日枯ひがらし は、鞄から白いカバーに覆われた小さな本を取り出して、空橋に渡した。

「ありがとう。この本、やっぱり面白かった」
「それなら良かったけど、日枯ひがらし 君の役に立てたかな?」
 空橋が心配そうに首をかしげた。
 日枯ひがらし はいつもどおり優しく微笑んでから「もちろん」と力強く頷いた。

 雨雲はどこへ行ってしまったのだろう。
 窓のガラスから差し込む陽の光は、白い本をオレンジ色に染め上げる。
 カバーの右下に刻まれている薔薇の刺繍がきらりと光って、一瞬だけ金色に輝いた。

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