1 / 1
夜を生きた日
しおりを挟む
生きているのが辛くなったので、睡眠薬を飲んだ。といっても、自殺志願者みたいに大量に飲んだのではなく、お行儀良く書いてあるとおりの量を飲んだ。漠然とこの場から逃げ出したかったので、眠りの国へと逃げ込んだ。その時刻は夕方五時、普通の人が眠るにはあまりにも早すぎる時間だった。
そして私が次に目を覚ましたのは、深夜二時だった。ゆっくり取れた休息のおかげか、落涙もおさまり、晴れやかな気持ちになった私は、お気に入りの緑のコートを羽織って散歩に出かけた。満天の星空、が私を迎えてくれることはなく、少し曇った暗い世界だった。
足は自然と。昔飼っていた犬の散歩ルートを歩いた。途中に神社があったのだが、夜の神社って、少し怖い。風が木々をざわめかせて、明るい時間はあんなにも神聖なのに夜になった途端に不気味だ。
怖い物見たさで、数段の階段を登った。ご神木の姿が見える。狭い神社を少し探索すると、白い服の女性を見つけた。見つけてしまった。
「見てしまったのね……」
「思い切ったことをしてしまいましたね……」
コスプレみたいなペラペラの白装束に身を包んだその女性は、頭に蝋燭をくくりつけて金槌と藁人形を持っていた。まだ準備中だったのだろう、一度も金槌の音は聞こえなかったし、蝋燭は火がついたり消えたりするのを悪戦苦闘して点火しようとしていた。
「ちょっとあの、見られるとまずいんですけど……」
その女性は困った顔をしていた。真っ白に塗りつぶされた顔の、眉毛がハの字だ。確かこういう呪いを見られたら追いかけてこられて殺されるのではなかったか。それは嫌だな。痛そう。
「事前だったってことでセーフ扱いに見逃してもらえます? っていうかやめた方がいいですよ、ねぇ、呪いなんてさぁ。ここ神社ですよぉ」
「神社でやることなんです……すみません……。やらざるをえないんです、私はこれを達成しなきゃ」
名も知らぬその人はボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。着物の裾で拭い、涙で白塗りが落ちた。薄幸そうな美人だった。中途半端な白塗りで台無しだが。
「……睡眠薬でも飲んでゆっくり睡眠取りましょうや」
私がそう言うと、彼女は激昂した。
「あんなベッド! あの女が寝たベッドで! 寝られるわけがないの、よ……うぅう」
彼女はうずくまり、しくしくと泣きながら、低い声で恨み言をぼそりぼそりと続けた。これが呪いになるのではないかと思うような、怨念の詰まった声だった。
「まあまあ……今回はとりあえず未遂ってことで、睡眠薬飲みましょう。彼氏の浮気相手がもしアンアン言ってたベッドが嫌だったら漫喫にでも行ってさぁ」
「睡眠薬って、何、私に死ねって言うの……私が死んでなるものか! 殺してやる! 死んでたまるか、殺してでも私が……私が!」
ヒートアップする彼女は大声を上げて赤子のように泣き始めた。これは手に負えないと思った私は、まあまあ、違う違う、落ち着いて、と言いながら後退を繰り返す。距離を十分取った時、彼女が立ち上がって私を追いかけてこようとした。もう遅い! これだけ距離があれば、草履には負けない。家に走って帰ろうか。
家に歩いて向かう途中、背後にもう草履の気配などどこにもなかった。雲が晴れて、空の上が見えたが。星はない。この地上は明るくなってしまった。蝋燭頭に装着する人もいるし。
ただ、雲に囲まれていた月が顔を覗かせていたのは、私を一瞬の郷愁に引き寄せた。
まだ私が人の肩に全体重を乗せられるくらいの、つまりお父さんが私を肩車できたくらいの小さな頃。月にはうさぎがいてな、月のうさぎは頭にみんなパンツ履いてるんだ、ってよく言われていた。足を入れるための穴を耳のために空いている穴だと思い込んだという父の作り話を私はあの頃信じていた。まあそれで学校で恥をかいたこともあるが、お茶目で大好きな父だった。
もう家をバリアフリーにする計画も要らなくなった。デイケアの人達や福祉サービスの人達に連絡しなくては。その前に警察だっけ病院だっけ、諸々忘れて眠ってしまった。冷たくなろうとする父の横で、私も全て忘れて眠りたかった。何も知らない子供のように。
家に帰りたくない。現実を受け入れたくない。時刻は丑三つ時、私はゆっくりと帰路につく。背後から来る草履の音にも気付かずに。
そして私が次に目を覚ましたのは、深夜二時だった。ゆっくり取れた休息のおかげか、落涙もおさまり、晴れやかな気持ちになった私は、お気に入りの緑のコートを羽織って散歩に出かけた。満天の星空、が私を迎えてくれることはなく、少し曇った暗い世界だった。
足は自然と。昔飼っていた犬の散歩ルートを歩いた。途中に神社があったのだが、夜の神社って、少し怖い。風が木々をざわめかせて、明るい時間はあんなにも神聖なのに夜になった途端に不気味だ。
怖い物見たさで、数段の階段を登った。ご神木の姿が見える。狭い神社を少し探索すると、白い服の女性を見つけた。見つけてしまった。
「見てしまったのね……」
「思い切ったことをしてしまいましたね……」
コスプレみたいなペラペラの白装束に身を包んだその女性は、頭に蝋燭をくくりつけて金槌と藁人形を持っていた。まだ準備中だったのだろう、一度も金槌の音は聞こえなかったし、蝋燭は火がついたり消えたりするのを悪戦苦闘して点火しようとしていた。
「ちょっとあの、見られるとまずいんですけど……」
その女性は困った顔をしていた。真っ白に塗りつぶされた顔の、眉毛がハの字だ。確かこういう呪いを見られたら追いかけてこられて殺されるのではなかったか。それは嫌だな。痛そう。
「事前だったってことでセーフ扱いに見逃してもらえます? っていうかやめた方がいいですよ、ねぇ、呪いなんてさぁ。ここ神社ですよぉ」
「神社でやることなんです……すみません……。やらざるをえないんです、私はこれを達成しなきゃ」
名も知らぬその人はボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。着物の裾で拭い、涙で白塗りが落ちた。薄幸そうな美人だった。中途半端な白塗りで台無しだが。
「……睡眠薬でも飲んでゆっくり睡眠取りましょうや」
私がそう言うと、彼女は激昂した。
「あんなベッド! あの女が寝たベッドで! 寝られるわけがないの、よ……うぅう」
彼女はうずくまり、しくしくと泣きながら、低い声で恨み言をぼそりぼそりと続けた。これが呪いになるのではないかと思うような、怨念の詰まった声だった。
「まあまあ……今回はとりあえず未遂ってことで、睡眠薬飲みましょう。彼氏の浮気相手がもしアンアン言ってたベッドが嫌だったら漫喫にでも行ってさぁ」
「睡眠薬って、何、私に死ねって言うの……私が死んでなるものか! 殺してやる! 死んでたまるか、殺してでも私が……私が!」
ヒートアップする彼女は大声を上げて赤子のように泣き始めた。これは手に負えないと思った私は、まあまあ、違う違う、落ち着いて、と言いながら後退を繰り返す。距離を十分取った時、彼女が立ち上がって私を追いかけてこようとした。もう遅い! これだけ距離があれば、草履には負けない。家に走って帰ろうか。
家に歩いて向かう途中、背後にもう草履の気配などどこにもなかった。雲が晴れて、空の上が見えたが。星はない。この地上は明るくなってしまった。蝋燭頭に装着する人もいるし。
ただ、雲に囲まれていた月が顔を覗かせていたのは、私を一瞬の郷愁に引き寄せた。
まだ私が人の肩に全体重を乗せられるくらいの、つまりお父さんが私を肩車できたくらいの小さな頃。月にはうさぎがいてな、月のうさぎは頭にみんなパンツ履いてるんだ、ってよく言われていた。足を入れるための穴を耳のために空いている穴だと思い込んだという父の作り話を私はあの頃信じていた。まあそれで学校で恥をかいたこともあるが、お茶目で大好きな父だった。
もう家をバリアフリーにする計画も要らなくなった。デイケアの人達や福祉サービスの人達に連絡しなくては。その前に警察だっけ病院だっけ、諸々忘れて眠ってしまった。冷たくなろうとする父の横で、私も全て忘れて眠りたかった。何も知らない子供のように。
家に帰りたくない。現実を受け入れたくない。時刻は丑三つ時、私はゆっくりと帰路につく。背後から来る草履の音にも気付かずに。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
麗しき未亡人
石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。
そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。
他サイトにも掲載しております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる