赤い箱庭

日暮マルタ

文字の大きさ
7 / 15
2章鴉天狗編

鴉天狗という男

しおりを挟む
「よう、サヤカ」
 いつもの散歩コースを歩いていると、上から声を掛けられる。今日は紅葉のエリアで声をかけられた。前よりも主様の居所に近い場所に来ている?
「鴉天狗さん」
 彼は好奇心を抑えきれないようだった。
「どうだった? コクトミって呼んだんだろう? 怒ってたか?」
「いえ、とんでもなく、喜んでいたように見えました」
「そうか……意外だ。お前があいつにとって、そこまでの奴だってことか。普通の女に見えるのに、コクトミの好みはわからん」
 鴉天狗はわけのわからないことを言う。
「主様は、あなたのことがあまり好きじゃないみたい。昔何かあったの?」
 はらりはらりと紅葉が落ちる。赤い世界に一人異端な黒がいる。
「昔馴染みだからな。色々あったけど、昔あいつのペットの猫を殺したことがある。つまらなかったからもうやらないけど」
 こともなげに彼は言い放った。
 主様がペットに猫を飼っていたのも初めて知ったけど、どうして殺すなんて思考になるんだろう。口ぶりからすると、気を引こうとしたような感じがする。そんなことのために猫を殺す? ありえない。
 こんな人は信用しない方がいい、そう思った。しかもなんだか、猫と私を同等に思っている節がある……人がいつだって尊いわけじゃないけど、そういう視線が不快だ。こいつは殺したらコクトミ怒るかな、みたいな嫌な感じがする。
 でも、主様とは昔馴染みだって言ってた。もしかして、主様との関係が進展しないこの悩みを、解決する糸口を持っていたりしないかな。
 そんなことをふわりと考えてしまい、鴉天狗に「相談に乗っていただけませんか」と問いかけてしまった。口をついて出たという感じだった。
 鴉天狗は面白そうに腕組みをした。木に寄りかかって長期戦の構えだ。
「何? 俺が懇切丁寧に相談に乗ってあげる」
「あの……主様と仲良くなりたくて」
 不思議と言葉がするすると出た。言葉は止まらず、主様のことが好きだとか助けてくれただとか余計と思えるようなことまで べらべらと喋ってしまった。恥じらいはないのか。いや、不思議なんだ。本当に話すつもりのないことまで口から出てくるんだ。
「赤い箱庭から外に出ないか?」
 そしてもたらされた結論は、全く的外れなものだった。
「ストーカーは俺が殺してあげるから、サヤカは死ななくていいよ。こんな狭い世界に閉じ込められる必要はない」
「そんな……でも、主様のことが好きだから」
 主様と過ごした記憶を持ったまま、元の生活に戻れるとは思わない。かといって、記憶が無いのも当然嫌だ。私はここにいるしかない。
「だーから、それが間違いなんじゃない? そう思わされてるだけじゃないの? 悪いけど、あいつもゴミクズみたいなところ、あるよ。好きな女の子手に入れるために手段は選ばないんじゃないの? 俺ならそうする、誰だってそうする」
 そんなことはないと思う。でも、どれだけ懸命に主様の誠実さを訴えても否定され、そんなに否定されると私も自信がなくなってしまう。主様の術か何かで好きだと思わされている、と何度も言われた。そういえば、湯船の匂いでいつも頭がぼーっとするのだ。
「それだよ、それが原因だ。そのせいで君はコクトミのことを好きにさせられている。奴は悪人で君は被害者だ、抗議した方がいい」
 鴉天狗はニヤニヤと楽しそうだ。混乱してきた私は、「それでも好きな気持ちは術じゃない」とそれだけは強く主張する。だって、そうじゃないと、あまりにも悲惨じゃないか? なんだかどうしようもなくなってしまいそう。
「そこまで言うのなら、試してみるか?」
 黒い眼が怪しく光る。コクトミから何かを取り上げるのは楽しくてな、という声が続けて聞こえてくる。突風が吹いたと思うと、鴉天狗のことが異様に気になって仕方がない。この男、自分に恋愛感情を抱くように術をかけたようだ。
「なんてことを! あなたが悪人じゃないですか!」
「そうだよ? 俺は悪人だよ」
 なんてことだ。私は今までこんな男と会話していたことが、おぞましいことだった、と思わない。早く主様に伝えなければ、と、思えない。術を解いてもらわなくても、私は大丈夫だ。
 ついさっきまで抱いていた淡い恋心とは違う。激しい熱情だった。この濁流に身を任せたい。嫌だ、だめだ、そう思うのに、思うように体が動かない。
 足が動かないのだ。
「なんて……ことを……」
 こんなのは、感情の蹂躙だ。それなのに、鴉天狗のことを、主様に報告することができなかった。
 夕食の席で主様は不思議そうに問いかけてきた。
「サヤカ? 今日はなんだか様子が違うようだが……」
「何かあったらいつもみたいに報告しますよ」
 私は朗らかに笑う。笑えてしまう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...