君のいる世界

長澤直流

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後編

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 苦しい……

 圧迫感と共に息が出来ないところから抜け出して、大きく息を吸った。

 ぼやける視界の中、周りで騒ぎ立てる聞き覚えのない言葉に顔をしかめると、急に足をつかまれ、逆さまにされた俺の背中に衝撃が走る。
 不意打ちに声をもらすとその衝撃はやんだが、背中はヒリヒリと痛んだ。
 どんだけ強く打ったんだ。
 俺の出したくぐもった声に沸き上がる歓声に苛立ちが湧く。
 ああ、なんだか耳も遠い気がする。
 柔らかい布に包まれた俺は、自分の意思で体が動くか確認する。
 なんだか違和感は感じるが手足は無事のようだ。
 死にぞこなったか、そう思ったのも束の間、俺は動く自分の手を見て息を詰めた。

 そこには非力な……小さな手のひらが存在していた。





 1000年以上続く、ディオリーノ帝国。

 その帝国の第15代皇帝の5番目の皇子、アルバとして転生して十数年、俺は次期皇帝候補の1人として座学や武術、剣術に魔術など……日々訓練を受けて過ごしている。
 日に日に削られる睡眠時間も、増える傷や骨折、打撲傷も特に辛いとは思わない。
 なぜなら、この世界には精神的ダメージを除けば全て元通りという便利な回復魔法が存在するからだ。
 ただ、そんな便利な能力が存在しているというのにも関わらず、死者蘇生だけは禁忌の業とされているため、敵対勢力に暗殺されぬよう、次期皇帝候補である俺達は、各自与えられた教育者の方針によって、毒になれるために幼少から少しずつ毒の類を含まされたりもしていた。
 いくら回復魔法で癒せるといっても、通常詠唱前に喉を焼かれてしまっては回復も難しい……という事らしい。
 俺の場合は教育者の方針というより、あまりにも毒による暗殺未遂が多かったので、いつの間にか大抵の毒に対する耐性がついていた……というところだが、まあ、たとえ珍しい毒を盛られたとしても、無詠唱で魔法を発動出来る術を得ていた俺には大した問題ではなかった。
 生まれてすぐに始まった同じ皇帝候補の兄弟達からの嫌がらせはうざったいが、俺としては皇帝の座争いなどどうでもよかったので、これがこの世界に転生した俺のカルマであるのであれば仕方が無いことだと、俺はそれらに準ずる兄弟達からの行為を日々軽くあしらっていた。

 そんな些末なことには構ってられない、俺には他にやることがあるのだ。

 同じくこの世界に転生しているかもしれない桜の捜索。
 ……俺はただただこの世界でも桜に会いたかった。
 こればかりはあきらめきれない。
 生まれてすぐ、俺は前世を思い出した。
 いや、思い出したというより前世の記憶を引き継いで生まれてきたといったところか。
 前世の俺の記憶は屋根から滑り落ちたところで途絶えている。
 おそらく、即死だったのだろう。
 そして俺は、もしかして桜もこの世界で生まれ変わっているのではないか……と、淡い期待を抱き、さらには、桜は案外すぐに見つかるのではないだろうか……と楽観視もしていた。
 なぜなら、俺の容姿が前世と大して変わっていなかったからだ。
 変わったことといえば、前世では染めていた金髪が自前になって、瞳の色が皇帝一族特有の紫になったことくらい。
 喧嘩ばっかりだった俺はもともと筋肉質だったし、顔つきもぱっとみそんなに変わってないように思えた。
 だから、桜の容姿もあまり変わっていないだろうと高をくくっていたのだ。
 黒髪、黒目。小柄で、たれ目の美人というより可愛い顔立ちの桜。
 この世界で黒髪黒目は珍しいらしいからすぐに見つかると思っていた俺は、度々城をぬけだして桜の捜索をする日々を過ごしていた。
 しかし、帝国の貴族を調べ、平民を調べ……国外を調べようとしたところで国を通してストップがかかってしまった。
 敵国からスパイ容疑をかけられ、収容されそうになったのである。
 もちろん、無事振り切り帰国した俺だが、国の密偵からその事が両親に伝わってしまい、しこたま叱られた俺は、城下街にすら降りられなくなってしまった。
 だがしかし、桜の捜索はやめられない。
 軟禁状態の俺は部下を使って捜索を続けたが、思うように事は進まなかった。
 桜の顔を知っているのは俺だけだ。
 もしかしたら髪色や瞳の色だって俺の瞳と同様に変わってしまっているかもしれない。
 ……だいたい、桜が前世の記憶を引き継いでいるとも限らないのではないか……?
 今更ながらによぎる不安に心が落ち着かない。
 状況は絶望的だった。
 そうしているうちに何の手がかりもないまま月日は経ち、桜が見つからないまま、俺はまた、前世と同じ年齢になってしまっていた。
 俺は焦った。
 このまま歳を重ねたら前世の面影は薄れてしまう。
 桜に遭遇しても気づいてもらえなくなるのではないかと――
 あまりの進展のなさに苛立ちを隠せず、つい兄弟達からの嫌がらせに過剰反応してしまった。
 いつもは無視しているのに、反撃してしまったのだ。
 自業自得とはいえ、運悪く犠牲になった兄弟達は瀕死の重傷を負ってしまったらしく、俺はまた両親に小言を言われる羽目になってしまった。
 あくまで瀕死だ。
 死んではいない。
 術者が回復魔法で肉体は全快させたはずだ。
 ただ、術者が現場に来て回復魔法を彼らにかけるまでのしばらくの間、呻く程くらいには痛かったようだが……そんなこと俺の知ったことではない。
 俺は腹が立っていたので、その間彼らの無様な姿に静観を決め込んだ。
 だが、ちょっと殴り返しただけで複雑骨折とか、骨弱すぎだろ。
 その後、なぜか皇帝候補の兄弟達が継承権を放棄しだしたので、いつの間にか俺は継承第1位になっていた。



 それから2年の月日が経ち、成人した俺は帝位を継承した。



 国は帝国が祀る女神の祝福に沸き、新しい皇帝誕生にお祭り騒ぎだ。
 ただ、当事者の俺は酷く沈んでいた。
 未だ桜はみつかっていない。
 最近、もしかしたら桜はこの世界にいないのかもしれないという不安が頭をよぎることが増えてきた。
 この世界に桜がいないなら、俺はどうしてここにいるのだろうか。
 桜の死因を作った俺に一生苦しめとでもいうのか。
 ……そう考えると絶望しかなかった。
 この世界は酷く退屈で残酷だ。
 桜がいないのなら皇帝であることに……いや、この世界で生き続けることに何の価値があるというのか。
 生きたその先に夢も希望もないというのに――

 国民の高揚と反比例するように俺の気持ちは瞬く間に伏せっていった。
 ここ数年、俺の世界は灰色であじけない。

「皇帝陛下、女神様に捧げる舞と皇帝陛下に捧げる血肉を――」

 この国には血生臭い風習がある。
 新しい皇帝が誕生した際に、女神に神子が舞を捧げ、供物と化したその神子の血肉を新しい皇帝が食すというものだ。
 大抵は皇帝が神子を聖剣で突いて命を奪い、式典は終える。
 神子の血を見せることにより、皇帝は神子の命を受け取ったこととしているのである。
 俺はぼんやりと舞台で舞う神子を見ていた。
 ベールで顔を覆う神子の舞は素晴らしいものだった。
 己の命があと僅かであることを嘆くことなく軽やかに舞う姿は、表情を見ることは出来ないが神々しささえ感じさせる。

「皇帝陛下、こちらを――」

 家臣が俺に聖剣を差し出す。
 サクッと済ませてしまえということだろうか。
 俺は聖剣を受け取ると神子の許へと足を運んだ。
 ふと、神子の動きが止まる。
 一瞬目が合った気がしたが気のせいだろう。
 棒立ちになる神子は淡いピンク色の髪色をしていた。

 桜の花びらを連想させる淡いピンク色……

 その髪色を見て俺は桜を思い出し、己の不甲斐なさに顔をしかめる。
 なぜか灰色の世界の中で、その色だけが鮮やかに目に映り、桜の面影が頭の中に一瞬浮かんだからだ。

 転生してもなお、桜を忘れたことなど1日たりとなかった。

 もう2度と桜には会えないのかもしれない。
 ああ……どうして俺は桜を喪ってしまったのだろう。
 桜を殺した俺がどうしてまたこうして生きているんだろう。
 俺は桜が一緒じゃなきゃ真っ当に生きていけないんだよ。


 桜……、桜っ、桜――――っ


 神子が俺の顔に手を添え、親指の腹で頬を拭う。
 そこで初めて俺は自分が泣いていることに気がついた。



「泣かないで……」



 神子のその声に既視感を覚え、俺は目を見開いた。
 相変わらずベールで覆われた顔はわからないが、それは酷く俺の心を締め付ける懐かしい声音だった。

「泣かないで、貴方は悪くない」

 既視感が――確信に変わる。
 この声を俺が聞き間違えるはずがない。
 ずっと切望していたのだ。
 この声は……この声は――――っ
 神子のベールを剥がしてその顔を曝す。
 髪の色も瞳の色も日本人とはかけ離れた淡いピンク色だ。

「桜……っ」

 思わず漏れた俺の言葉に、神子は零れ落ちそうなほど瞳を大きく見開いた。
「えっ、うそっ――あ、ああっあっちゃん?」
 神子が懐かしい愛称を呼ぶ。
 その切望した声音に俺の瞳からは止めどなく……ポロポロと再び涙があふれた。
 聖剣を放り投げて、神子を抱き寄せる俺に家臣達は騒然とする。
 俺は桜の声、桜の姿をしたそれが幻でないことを温もりを通して実感して、いるかいないかわからないこの世界の女神に心底感謝した。
 そして2度とこの温もりを失わないように、俺は桜を抱きしめる両腕に力を込める。

 俺も大概単純だ。
 灰色だった世界がその瞬間、輝きと鮮やかな色を取り戻したのだから。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 黒髪、黒目。小柄で、たれ目の美人というより可愛い顔立ちの桜は、顔形はそのままに、淡いピンク色の髪と瞳を持って生まれ変わっていた。
 神子として舞を舞うべく、鍛え上げられたその姿は、虚弱体質で儚げだった前世とは違い、健康的かつ艶っぽく……はっきりいってエロイ。
 ただ、頭の方は相変わらずお人好しの馬鹿のようで、前世のことで俺がいくら謝罪しても「あっちゃんのせいじゃない!」の一点張りで、俺に甘いその性格は死んでも治らなかったようだ。

「あっちゃん、皇帝になったんだね。すごいね」
「……桜、こっちへ」
「?」

 俺は桜を膝の上に誘導し、その背中に頭を預ける。

「あっちゃん?」
「もう、何処にも行くな。俺を1人にしないでくれ」
「……うん、ごめんね」
「桜っ、俺はお前がいないと駄目なんだ。生きていけないんだよ」
「……うん、ごめん。わかってるよ。あっちゃんは僕が側に居ないとちゃんと泣けないし、生きていけないんだよね……。もうちゃんとわかってるからね」

 桜はそう言って振り向くと優しく俺の頭を抱いた。

 式典は皇帝が神子の命の代わりに生涯を得ることで良しとした。
 故に桜と俺はもう2度と離れることはない。
 生けるときも死せるときも同じだ。

 今世は、絶対に離れない、必ず守ってみせる……

 俺はほんの少しだけ安堵していた。
 そしてふと、睡魔に襲われる。
 思い起こせばこの世界に生まれついてから、気を許してしっかりと休んだ覚えがなかった。

「いいよ、あっちゃん。おやすみ」
「桜……、ずっと側に――」
「うん。大丈夫、絶対に離れないから安心して――」

 懐かしい声音と匂い、温かさに俺はほんの少しの間仮眠をとることにした。
 俺は幸福な微睡みの中、桜が何かを優しく呟いたが、聞き取ることができないまま、少しだけ深い眠りに落ちる。









「……今度は間違えないから――」

 温かい滴が、眠る俺の頬を濡らしてゆく。

「絶対に死なせないよ……あっちゃん」



 ~完~
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