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魂喰い
少年は森を進んだ
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「頭は出来るだけ低くしてね」
背負ったアイラスに声をかけると、後ろから抱きしめるように首に腕が回された。背中にささやかなふくらみが押し付けられている。
「……あ、あの、それだと、首が締まるから……肩にしがみついてくれると……」
「ゴ、ゴメン……。重くない? 平気?」
「軽いよ。ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるヨ!」
冗談のつもりで言ったのに、大声で返されて焦った。
「ごめん。足音は重さには関係ないよ。今からは喋らないでね」
「う、うん」
沈黙を確認して、一歩足を踏み出した。足音はない。感触を確かめるように、ゆっくりと歩き始めた。
気をつけるのが物音だけだと、随分と楽に感じた。視線は気にしなくていいのだから、茂みのない開けたところを進める。
耳を澄ますと遠くから、戦っているであろうレヴィの物音も聴こえた。
そのくらい、森は静かだった。野生動物の痕跡も見えない。傀儡は人以外も襲うのだろうか。人と動物の魂に、違いは無いのだろうか。
魂のあり方なんて、ロムにはよくわからない。そういうのは魔法使いの本分だ。
遠くない未来に、魔法使いは一人も居なくなる。それを知る魔法使い達は、一体どういう気持ちなのだろう。
特に、長く魔法使いであった『神の子』達にとっては、それが自己の喪失になりはしないだろうか。
——トールはどうなのかな。
胸にくくり付けた、今は猫の姿になって眠る彼を見下ろした。
魔法が消えた後、彼はどの姿で生きる事を望むのだろう。
以前に魔法の力が消えた時、トールもリンドも人の姿のままだった。変化の魔法は一時的な擬態ではなく、体を作り替えているそうだ。
虎の姿だと、街で暮らすのは難しいかもしれない。言葉も話せなくなる。
レヴィがそうだったように、知能も虎並みに戻ってしまうんだろうか。自分の事も忘れられてしまうのか。
そうだ。レヴィはどうするんだろう。
背中で、アイラスが身動ぎをした。首を回して彼女を横目で見ると、彼女も顔が見えるように、身体をずらしていた。その口が動いた。
——どうしたの? 大丈夫?
そこでようやく、自分の足が止まっている事に気がついた。敵地の中なのに緊張感がなさすぎる。恥ずかしくなり、誤魔化すようにアイラスに笑いかけた。
今は心配する事じゃない。そもそも、トールを取り戻さないと始まらない。気を引き締めて、また一歩踏み出した。
何事もなく、目的の地点に辿り着いた。
背中のアイラスが軽く肩を叩いた。顔を向けると、地面を指差す。降ろせということか。
ゆっくりとしゃがみ、彼女が地面に降り立った。小さな足音がした。
アイラスはスケッチブックを開いた。先程準備していたというページを開き、炭で何かを書き足し始めた。炭の擦れる音が、静かな森に響き渡った。
彼女の目の前に、青白い円紋様が浮かび上がった。そこを中心に、同じ色の光が廃城を取り囲むように走る。同時に、半透明な膜のようなものが浮かび上がった。
これが防御壁なのだろうか。もう解除の魔法は始まっているのか。だとしたら、察知されるんじゃないのか。
アイラスが立てる物音も気になった。彼女に音を立てるなというのは無理だとわかっている。それでも心配で、何度も周囲を確認した。
つんと袖を引っ張られ、アイラスを見た。目が合うと、彼女の口が動いた。
——始めるよ。
緊張した面持ちだった。それを見て、逆に心が落ち着いた。
——大丈夫。絶対に守るから。
届くはずもない、そんな気持ちを込めて、力強くうなずいた。
抑揚のない声で、詠唱が始まった。
アイラスはスケッチブックを抱きしめ、目を閉じていた。彼女はもう、詠唱が終わるまで動けない。
胸に抱いたトールを下ろし、腰に挿した魔具を抜き取って、彼女の足元に並べた。
身軽になった身体で、腰の短刀にそっと触れた。
ヒューッと高い音が響き、驚いて顔を上げた。上空で弾けるような音がした。レヴィの上げた狼煙だ。
想定より早い。レヴィがそんなに早く逃すとは思えない。アイラスの立てた物音や、事前に使った魔法を感知されたのかもしれない。
アイラスも今の音を聴いただろうか。聴こえないわけがないと思うが、詠唱には淀みはなかった。
いや、彼女は彼女の仕事をするだけだ。自分は自分の仕事をしなければ。
どのくらいで辿り着くだろう。目と耳を集中させ、辺りをうかがった。
ロムが追われた時は、傀儡は辺りの枝を引っ掛け、茂みを抜けて音を立てながら移動していた。今、そんな音は聴こえない。
だとしたら、空を飛んできているかもしれない。そう思って上空に目を向けてみたが、青い空が広がっているだけだった。
何かを見落としているような気がした。
ロムは、アイラスを背にして周囲を警戒していた。
傀儡はどこからやってくる? レヴィが誘導した先は、ここから廃城を挟んで反対側の端だ。そこから真っ直ぐに来るとしたら。
自分達は入れないけれど、傀儡は城に入れるんじゃないか? だとしたら最短ルートは、火を見るより明らかだった。
アイラスを振り返った。彼女は城を向いて立っていた。彼女の目の前、その半透明な壁の向こうに、長身の影が浮かび上がっていた。
背負ったアイラスに声をかけると、後ろから抱きしめるように首に腕が回された。背中にささやかなふくらみが押し付けられている。
「……あ、あの、それだと、首が締まるから……肩にしがみついてくれると……」
「ゴ、ゴメン……。重くない? 平気?」
「軽いよ。ちゃんとご飯食べてる?」
「食べてるヨ!」
冗談のつもりで言ったのに、大声で返されて焦った。
「ごめん。足音は重さには関係ないよ。今からは喋らないでね」
「う、うん」
沈黙を確認して、一歩足を踏み出した。足音はない。感触を確かめるように、ゆっくりと歩き始めた。
気をつけるのが物音だけだと、随分と楽に感じた。視線は気にしなくていいのだから、茂みのない開けたところを進める。
耳を澄ますと遠くから、戦っているであろうレヴィの物音も聴こえた。
そのくらい、森は静かだった。野生動物の痕跡も見えない。傀儡は人以外も襲うのだろうか。人と動物の魂に、違いは無いのだろうか。
魂のあり方なんて、ロムにはよくわからない。そういうのは魔法使いの本分だ。
遠くない未来に、魔法使いは一人も居なくなる。それを知る魔法使い達は、一体どういう気持ちなのだろう。
特に、長く魔法使いであった『神の子』達にとっては、それが自己の喪失になりはしないだろうか。
——トールはどうなのかな。
胸にくくり付けた、今は猫の姿になって眠る彼を見下ろした。
魔法が消えた後、彼はどの姿で生きる事を望むのだろう。
以前に魔法の力が消えた時、トールもリンドも人の姿のままだった。変化の魔法は一時的な擬態ではなく、体を作り替えているそうだ。
虎の姿だと、街で暮らすのは難しいかもしれない。言葉も話せなくなる。
レヴィがそうだったように、知能も虎並みに戻ってしまうんだろうか。自分の事も忘れられてしまうのか。
そうだ。レヴィはどうするんだろう。
背中で、アイラスが身動ぎをした。首を回して彼女を横目で見ると、彼女も顔が見えるように、身体をずらしていた。その口が動いた。
——どうしたの? 大丈夫?
そこでようやく、自分の足が止まっている事に気がついた。敵地の中なのに緊張感がなさすぎる。恥ずかしくなり、誤魔化すようにアイラスに笑いかけた。
今は心配する事じゃない。そもそも、トールを取り戻さないと始まらない。気を引き締めて、また一歩踏み出した。
何事もなく、目的の地点に辿り着いた。
背中のアイラスが軽く肩を叩いた。顔を向けると、地面を指差す。降ろせということか。
ゆっくりとしゃがみ、彼女が地面に降り立った。小さな足音がした。
アイラスはスケッチブックを開いた。先程準備していたというページを開き、炭で何かを書き足し始めた。炭の擦れる音が、静かな森に響き渡った。
彼女の目の前に、青白い円紋様が浮かび上がった。そこを中心に、同じ色の光が廃城を取り囲むように走る。同時に、半透明な膜のようなものが浮かび上がった。
これが防御壁なのだろうか。もう解除の魔法は始まっているのか。だとしたら、察知されるんじゃないのか。
アイラスが立てる物音も気になった。彼女に音を立てるなというのは無理だとわかっている。それでも心配で、何度も周囲を確認した。
つんと袖を引っ張られ、アイラスを見た。目が合うと、彼女の口が動いた。
——始めるよ。
緊張した面持ちだった。それを見て、逆に心が落ち着いた。
——大丈夫。絶対に守るから。
届くはずもない、そんな気持ちを込めて、力強くうなずいた。
抑揚のない声で、詠唱が始まった。
アイラスはスケッチブックを抱きしめ、目を閉じていた。彼女はもう、詠唱が終わるまで動けない。
胸に抱いたトールを下ろし、腰に挿した魔具を抜き取って、彼女の足元に並べた。
身軽になった身体で、腰の短刀にそっと触れた。
ヒューッと高い音が響き、驚いて顔を上げた。上空で弾けるような音がした。レヴィの上げた狼煙だ。
想定より早い。レヴィがそんなに早く逃すとは思えない。アイラスの立てた物音や、事前に使った魔法を感知されたのかもしれない。
アイラスも今の音を聴いただろうか。聴こえないわけがないと思うが、詠唱には淀みはなかった。
いや、彼女は彼女の仕事をするだけだ。自分は自分の仕事をしなければ。
どのくらいで辿り着くだろう。目と耳を集中させ、辺りをうかがった。
ロムが追われた時は、傀儡は辺りの枝を引っ掛け、茂みを抜けて音を立てながら移動していた。今、そんな音は聴こえない。
だとしたら、空を飛んできているかもしれない。そう思って上空に目を向けてみたが、青い空が広がっているだけだった。
何かを見落としているような気がした。
ロムは、アイラスを背にして周囲を警戒していた。
傀儡はどこからやってくる? レヴィが誘導した先は、ここから廃城を挟んで反対側の端だ。そこから真っ直ぐに来るとしたら。
自分達は入れないけれど、傀儡は城に入れるんじゃないか? だとしたら最短ルートは、火を見るより明らかだった。
アイラスを振り返った。彼女は城を向いて立っていた。彼女の目の前、その半透明な壁の向こうに、長身の影が浮かび上がっていた。
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