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さいごの刻
少年は急いだ(絵有)
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微かに届く戦いの音を背に、ロムは道を外れた林の中を走っていた。
気を付けなくても足音はしないから、見通しのいい場所を避けるだけでいい。楽なものだった。
木々の隙間から墓場のある丘が間近に見えてきた。でも真正面から登るわけにはいかない。反対側に回ろうと、さらに林を進んだ。
突然足元から、枯れ枝の折れる音が響いた。驚いて飛び退いたが、今度は無音だった。
トールが結界の端と言って指差したのは墓場の辺りだった。無音の魔法は結界の中だけだった。
失敗した。予測可能な事態だった。今の音は墓場にも届いただろうか。
このまま進むか、結界の中で登れる場所を探すか。考えながら丘の方を伺うと、木が軋むような音が聞こえてきた。
それが弓を引く音だと気付き、咄嗟に丘から見て木の裏側に飛び込んだ。どこを狙ってくるかわからない。射線を切る事しか、今はできなかった。
さっき踏んだ枯れ枝が、飛んできた何かに当たって跳ね上がった。木の裏から覗き見ると、地に刺さる棒状の影が見えた。——矢だ。
やっぱり墓場にも傀儡が控えていた。しかも飛び道具を持っている。アイラスの用心深さが、今は疎ましかった。
姿を見られたか、それとも音が聞こえたから探りを入れただけか。
どっちにしても位置は把握されている。ここに長く居ると見つかる可能性が高い。移動しなければと立ち上がった。
でも、どう動くのが正しいか即断できなかった。
音のない結界の方へ行くのは読まれるだろうか。そもそも傀儡は音の有無を認識しているのか。思考能力は低いと思うけれど、一体どこまで読んでくるだろう。
考えれば考えるほどわからなくなってきた。悠長にしてはいられないというのに。
音が出ないのをいい事に、自分の頬を両側から叩いた。しっかりしろと自分を鼓舞した。
考えてもわからないことを悩む暇はない。わかっている材料だけで判断するしかなかった。
ロムは丘を見上げた。傀儡の姿は見えないけれど、矢は丘から飛んできた。そのままこちらを見張っているとしたら、射手にとって視界が悪い右手は、ロムから見て左手になる。左は結界の中で、それが吉と出るか凶と出るかはわからない。
わからなくても立ち止まっているわけにはいかない。見えないだろうと思いつつも気を付けて、木陰から木陰に渡るように移動した。
ふと、木が揺れる音が聞こえて立ち止まった。結界の中は風が吹いても音はしないはずだ。
音がした方を見上げると、丘に立つ人影が見えた。背格好から傀儡で間違いない。
無防備にも程がある。何も考えていないのか、そこまで考える力がないのか。
とにかく射手の位置は把握した。他にも居るだろうか。物音を立てないという意識がないなら、耳をすませば聞き取れるかもしれない。
聞き耳を立てると、思いがけない声が聞こえてきた。
「ロム、誰か居たノ?」
「誰も」
心臓が沸騰するかと思った。その声で、その名を、自分以外の者に対して呼びかけないで欲しい。
沸き上がってくる嫉妬を必死で押し殺した。気配を消さないと気取られる。
でも、これではっきりした。あの場に傀儡は一体しか居ない。同じ容姿の者が複数居たら、一つしかない名前で呼びかけたりしないだろう。
「……どうしたノ?」
「何か、居る。見てくる」
まずい。バレた。
いや、向かってくる足音は一人分しかない。傀儡だけなら好都合だ。本当は奇襲をかけたかったけれど、一対一なら勝ち目はある。少し墓場から引き離そう。
逃げる背後から、また弓を引く音が聞こえた。狙われている。
さっきと同じように木の裏に隠れると、明後日の方向から矢が刺さる音がした。正確な位置は把握されていない。
それなら待ち伏せて襲い掛かろうと、隠れたまま傀儡を待ったが、足音は途絶えて動きがなくなった。
必要以上は追ってこないというわけか。それじゃダメなんだ。
どう誘うかと考えていると、丘から街へ一筋の光が放たれた。青白い光が上空に広がり、小さな光が雨のように降り注いだ。
考えるまでもない。アイラスだ。
一つ目の魔法が行使された。もう後がない。
さっさと傀儡を仕留めないと、彼女の元に辿り着けない。そして、永遠に失う事になる。
焦る気持ちで傀儡の方を伺うと、光の雨で照らされて、その姿が浮かび上がっていた。
顔は横に、街の方をむいている。身体は無気力で、弓を構えてもいない。
横顔には傷痕がある。よく見えない方の目を敵に晒している。
——いける。
迷わず飛び出した。木々の隙間をすり抜け、傀儡に向かって全力で走った。
数歩手前で傀儡が気が付いてロムを見た。もう遅い。殺った。
その喉に短刀を突き刺した。刃は貫通し、うなじに突き抜けた。うなじに核があり、そこを壊すよう言われていたが、人であっても即死だと思う。ただ、手応えが少し違うなと思った。
傀儡の手から弓が落ちた。
「…… 急い、で……」
驚きで手から力が抜けた。短刀がすんなりと抜けた。人ではあり得ない。よく見ると、その身体は砂のように崩れかけていた。
「……アイ、ラスを……助け……」
言葉は途切れ、悲しみが張り付いた顔も、全て砂となって崩れ落ちていった。
気を付けなくても足音はしないから、見通しのいい場所を避けるだけでいい。楽なものだった。
木々の隙間から墓場のある丘が間近に見えてきた。でも真正面から登るわけにはいかない。反対側に回ろうと、さらに林を進んだ。
突然足元から、枯れ枝の折れる音が響いた。驚いて飛び退いたが、今度は無音だった。
トールが結界の端と言って指差したのは墓場の辺りだった。無音の魔法は結界の中だけだった。
失敗した。予測可能な事態だった。今の音は墓場にも届いただろうか。
このまま進むか、結界の中で登れる場所を探すか。考えながら丘の方を伺うと、木が軋むような音が聞こえてきた。
それが弓を引く音だと気付き、咄嗟に丘から見て木の裏側に飛び込んだ。どこを狙ってくるかわからない。射線を切る事しか、今はできなかった。
さっき踏んだ枯れ枝が、飛んできた何かに当たって跳ね上がった。木の裏から覗き見ると、地に刺さる棒状の影が見えた。——矢だ。
やっぱり墓場にも傀儡が控えていた。しかも飛び道具を持っている。アイラスの用心深さが、今は疎ましかった。
姿を見られたか、それとも音が聞こえたから探りを入れただけか。
どっちにしても位置は把握されている。ここに長く居ると見つかる可能性が高い。移動しなければと立ち上がった。
でも、どう動くのが正しいか即断できなかった。
音のない結界の方へ行くのは読まれるだろうか。そもそも傀儡は音の有無を認識しているのか。思考能力は低いと思うけれど、一体どこまで読んでくるだろう。
考えれば考えるほどわからなくなってきた。悠長にしてはいられないというのに。
音が出ないのをいい事に、自分の頬を両側から叩いた。しっかりしろと自分を鼓舞した。
考えてもわからないことを悩む暇はない。わかっている材料だけで判断するしかなかった。
ロムは丘を見上げた。傀儡の姿は見えないけれど、矢は丘から飛んできた。そのままこちらを見張っているとしたら、射手にとって視界が悪い右手は、ロムから見て左手になる。左は結界の中で、それが吉と出るか凶と出るかはわからない。
わからなくても立ち止まっているわけにはいかない。見えないだろうと思いつつも気を付けて、木陰から木陰に渡るように移動した。
ふと、木が揺れる音が聞こえて立ち止まった。結界の中は風が吹いても音はしないはずだ。
音がした方を見上げると、丘に立つ人影が見えた。背格好から傀儡で間違いない。
無防備にも程がある。何も考えていないのか、そこまで考える力がないのか。
とにかく射手の位置は把握した。他にも居るだろうか。物音を立てないという意識がないなら、耳をすませば聞き取れるかもしれない。
聞き耳を立てると、思いがけない声が聞こえてきた。
「ロム、誰か居たノ?」
「誰も」
心臓が沸騰するかと思った。その声で、その名を、自分以外の者に対して呼びかけないで欲しい。
沸き上がってくる嫉妬を必死で押し殺した。気配を消さないと気取られる。
でも、これではっきりした。あの場に傀儡は一体しか居ない。同じ容姿の者が複数居たら、一つしかない名前で呼びかけたりしないだろう。
「……どうしたノ?」
「何か、居る。見てくる」
まずい。バレた。
いや、向かってくる足音は一人分しかない。傀儡だけなら好都合だ。本当は奇襲をかけたかったけれど、一対一なら勝ち目はある。少し墓場から引き離そう。
逃げる背後から、また弓を引く音が聞こえた。狙われている。
さっきと同じように木の裏に隠れると、明後日の方向から矢が刺さる音がした。正確な位置は把握されていない。
それなら待ち伏せて襲い掛かろうと、隠れたまま傀儡を待ったが、足音は途絶えて動きがなくなった。
必要以上は追ってこないというわけか。それじゃダメなんだ。
どう誘うかと考えていると、丘から街へ一筋の光が放たれた。青白い光が上空に広がり、小さな光が雨のように降り注いだ。
考えるまでもない。アイラスだ。
一つ目の魔法が行使された。もう後がない。
さっさと傀儡を仕留めないと、彼女の元に辿り着けない。そして、永遠に失う事になる。
焦る気持ちで傀儡の方を伺うと、光の雨で照らされて、その姿が浮かび上がっていた。
顔は横に、街の方をむいている。身体は無気力で、弓を構えてもいない。
横顔には傷痕がある。よく見えない方の目を敵に晒している。
——いける。
迷わず飛び出した。木々の隙間をすり抜け、傀儡に向かって全力で走った。
数歩手前で傀儡が気が付いてロムを見た。もう遅い。殺った。
その喉に短刀を突き刺した。刃は貫通し、うなじに突き抜けた。うなじに核があり、そこを壊すよう言われていたが、人であっても即死だと思う。ただ、手応えが少し違うなと思った。
傀儡の手から弓が落ちた。
「…… 急い、で……」
驚きで手から力が抜けた。短刀がすんなりと抜けた。人ではあり得ない。よく見ると、その身体は砂のように崩れかけていた。
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