3 / 39
第一章:王宮研究棟にて
王宮研究棟にて(3)
しおりを挟む
王宮のホールは広く、賑やかな人々の中から彼女を探すのは容易ではなかったが、セドリックの目は不思議なほどに鋭く、混雑した会場の中でも彼女を一瞬で捉えた。
ホールの隅に立つエレノア。その優雅な後ろ姿が、セドリックの胸をさらに高鳴らせる。だが、彼女の前に立つ青年…彼がその青年を見た瞬間、セドリックの表情はわずかに歪んだ。
「ヴァニエル……」
ヴァニエル・フロラント。フロラント伯爵家の令息で、かつてセドリックの親しい友人だった。セドリックが魔道具について研究を始めた頃、ヴァニエルも興味を示して頻繁に質問をしてきたため、二人は一時期、兄弟のように親しくしていた。
だが、それも過去の話だ。半年ほど前、ヴァニエルの態度は一変した。攻撃魔法の才能に目覚めたことで急激に自信を深め、次第に人を見下すような振る舞いが目立つようになったのだ。セドリックもその態度に辟易し、自然と距離を置くようになった。最近では、学園内でも人を蔑む態度が目立つという噂を耳にすることが多い。
「……どうやら、魔法騎士を目指しているみたいだな」
ヴァニエルが立っているホールは、魔法剣師団の宿舎と繋がっている場所だ。セドリックが知る限り、王宮研究所の出入りを許された研究職の学生のように、魔法騎士の候補生もここで鍛錬を積むため、宿舎を借りることがあるのだという。
セドリックは、人目を避けるように静かにホールの隅へ身を寄せながら、かつての友の変わり様を思い出した。 魔法剣士になるための修練と戦闘技術を磨く攻撃魔法は、通常、膨大な資金と施設を必要とする。そのため、魔法剣士の育成には王国でも大きなコストがかかる。 元々、魔法剣士は王国において主流の戦闘職だったが、ある年を境に、便利な魔道具が広まり、一気にその数は減少した。 魔法剣士を育てるには、広い鍛錬場を用意し、修繕し、時間と労力をかける必要がある。しかし、魔道具を使えば、兵士たちはそのまま魔道具を駆使して戦い、コストを抑えることができる。 その結果、魔道具の普及により、魔法剣士という職業は次第に栄誉職のような立場になり、その育成にかかるコストの高さも相まって、一般人が魔法剣士を目指すことは非常に難しくなった。 家系に特別な才能を持っており、経済的な余裕を持つ裕福な家庭でなければ、魔法剣士になることはできないのが現実だ。
ヴァニエルの家は伯爵家だが、決して裕福とは言えない。セドリックは、ヴァニエルが魔法剣士を目指す道を選んだのは、おそらくどこかの高位貴族から資金援助を得ていたのだろうと推測していた。
そんなヴァニエルが、今、エレノアに詰め寄っている。二人の会話を盗み聞くつもりはなかったが、ヴァニエルの声は大きく、自然と耳に入ってきた。
「お前みたいな、平凡でパッとしない女と婚約なんてするわけないだろう!」
ヴァニエルの冷酷な言葉に、セドリックの眉がぴくりと動く。ホールの隅から二人の様子を伺うセドリックの胸には、不穏な感情が芽生え始めていた。
「なあ、エレノア」
ヴァニエルの嘲笑混じりの声がホール全体に響く。
「まだ自分が俺にとって特別だとでも思ってるのか?笑わせるな。俺が、お前みたいな冴えない平民の女と婚約するなんてありえないんだよ」
エレノアはその言葉に一瞬動揺したようだったが、すぐに顔を上げ、冷静な声で問い返した。
「特別だなんて、そんなことを言った覚えはありません。ただ、私は――」
「ただ、何だ?」
ヴァニエルは彼女の言葉を遮り、肩をすくめて見せた。
「俺に感謝されたいとでも言いたいのか?お前がいくら必死に援助したって、俺がありがたがるわけないだろう。むしろ邪魔だったと言ってやりたいくらいだ」
エレノアの眉がピクリと動いた。彼女は冷静を保とうとしているが、その声には明らかに怒りと悲しみがにじんでいた。
「邪魔だった、ですって?私は、ただあなたの夢を支えたくて――」
「支える?」
ヴァニエルは大げさに笑い出した。
「お前が俺を支える?面白い冗談だな。お前がどこでその金を手に入れたか、俺が知らないとでも思ったか?」
「どういう意味?」
エレノアの目が鋭く光る。
ヴァニエルはその問いに満足そうな笑みを浮かべると、冷たく言い放った。
「お前のことだ。どうせ体でも使って稼いだんだろう?平民の女がそんな大金を持っているなんて不自然だからな」
その言葉がエレノアに突き刺さるのが、セドリックにも見て取れた。彼女の唇がかすかに震えていたが、すぐにきつく噛み締められた。
「……ふざけないで」
エレノアの声は低く、抑えられた怒りがこもっていた。
「私はそんなこと、一度もしたことはないわ」
「ふざけてるのはどっちだ?」
ヴァニエルは肩をすくめ、挑発するように続けた。
「貴族でもないお前が、どこからそんな金を引っ張ってきたんだ?俺のためだとか言いながら、自分の体で稼いだ金を押し付けられるこっちの身にもなれよ」
エレノアの目には怒りと屈辱が宿りながらも、涙は浮かんでいなかった。彼女はただ、まっすぐにヴァニエルを見据えた。
「私がどんな気持ちで、貴方を支援していたかなんて、わかりもしないくせに――」
「気持ち?」
ヴァニエルは鼻で笑い、エレノアを小馬鹿にするように見下ろした。
「そんなもん、どうだっていい。俺が欲しかったのはお前の気持ちなんかじゃない。実際、今となっちゃお前の汚い金なんか要らないけどな」
ヴァニエルは冷ややかな笑みを浮かべながら、わざとゆっくりとした口調で言葉を続けた。
「そういえば、お前とは二年も付き合ってたな。俺にしてはずいぶん長いこと、平民なんかと関わってやったもんだ」
「……ヴァニエル」
エレノアは低い声で名前を呼び、何かを言いかけたが、ヴァニエルは聞く耳を持たずに続けた。
「まあ、当時はお前も使える女だった。あれこれ都合よく手伝ってくれたし、俺が必要としていたものを提供してくれた。だがな――」
その声が冷たく鋭くなり、ホールに響き渡る。
「お前はもう用済みだ」
エレノアの瞳に浮かぶ動揺を見逃さないように、ヴァニエルはニヤリと口角を上げた。
「俺には新しい道がある。俺は選ばれし者だ。お前みたいな平民とは違う、高貴で価値のある道だ。お前がどれだけ頑張ったところで、その道には踏み込めない」
ヴァニエルはその場で懐から札束を取り出すと、それをエレノアに向かって放り投げた。高価な紙幣がばさりと床に散らばる音が響く。
「ほら、拾えよ。これがお前への手切れ金だ。平民にとっては喉から手が出るほど欲しい大金だろう?」
エレノアは床に散らばった札束に一瞬目をやったが、目をそらさずにヴァニエルを睨み返した。
「こんな端金、もう俺には必要ないんだよ」
ヴァニエルは肩をすくめて続けた。
「俺は選ばれし者なんだ。お前とは違う世界にいる。選ばれし者には、それにふさわしい相手がいるもんだ。例えば――王女殿下とかな」
エレノアの表情がわずかに変わった。その名を耳にした瞬間の反応を見て、ヴァニエルは満足そうな笑みを浮かべる。
「その顔…嫉妬か?まぁ嫉妬しても無駄だ。お前みたいな平民と王女殿下。比べることすら失礼だ……俺は王女殿下に選ばれたんだ。だからお前は、用済みなんだよ。何度も言わせるな」
「王女殿下……学園で噂されている、ノエルさんがそう言った…ということですか?」
エレノアは、静かながら鋭い声で問い返した。
ヴァニエルはその問いに面白そうに目を細め、首を横に振った。
「お前、本当に哀れだな。王女が誰かなんて分かるわけがないだろ?ノエル嬢も、学園内では俺に接触なんてしてこない――だがな」
彼は一拍置き、懐から小さな手紙を取り出して見せた。それはかすかに金色に光る豪奢な封筒だった。
「半年前にこの手紙が届いた。王女が俺を見込んで、俺のサポートをしてくれたんだ。お前みたいな汚い金じゃなくてな」
ヴァニエルの言葉がエレノアを打ちのめしていく。しかし、彼女は涙を見せるどころか、顔をあげ、毅然とした態度を保っている。
エレノアは静かに目を伏せると、床に散らばった札束を一枚一枚拾い集めた。その仕草は、ためらいも屈辱も見せることなく、むしろ冷静そのものだった。彼女の手が最後の一枚を拾い上げたとき、静かに立ち上がり、ヴァニエルの前に歩み寄った。
「……これ、返すわ」
エレノアは札束をヴァニエルの胸元に押しつけるように差し出した。その瞳には一片の迷いもなく、むしろ彼女の中に秘められた怒りが静かに燃えているのが感じ取れた。
「あなた、私と別れることで本当に何も失わないと思っているのね。でも、いずれ気づくときが来るでしょう。私がどれだけあなたに尽くしてきたのか、私の存在がどれほどあなたを支えていたのかって」
彼女は少し言葉を切り、息を吸った。そして冷たい声で告げた。
「そのとき後悔しても、知らないわよ」
ヴァニエルは軽く鼻を鳴らして笑い、そのまま札束をエレノアの手から乱暴に引ったくった。
「後悔だって?お前ごときが俺に何をしてくれたって言うんだ?」
彼は札束をちらりと見て、そのまま肩越しに投げるような仕草を見せたが、結局のところ手元に留めたまま、嘲るように笑いを深めた。
「平民のお前が俺の役に立っただなんて、おめでたい思い込みもいい加減にしろ。お前の支援がなくなったところで、俺は何も困らない。それどころか、こんな足手まといと別れられるんだ、俺の未来は明るいな」
ヴァニエルは満足そうに札束を手にしながら、言葉を続けた。
「お前が俺に尽くしたとか、そんなものはただの自己満足だ。お前みたいなちっぽけな存在が、選ばれし俺の人生に影響を与えられるわけがないだろう?見てろよ、俺はお前とは違う場所で、もっと高みに立つんだ」
そう言い放つと、ヴァニエルはエレノアに背を向けて悠然と歩き出した。その背中には微塵のためらいも見えない。
エレノアはその場に立ち尽くし、彼の背中を見送った。その目には一瞬の涙も浮かんでいなかった。ただ、どこか固い決意と憤りが宿っていた。
ホールの隅に立つエレノア。その優雅な後ろ姿が、セドリックの胸をさらに高鳴らせる。だが、彼女の前に立つ青年…彼がその青年を見た瞬間、セドリックの表情はわずかに歪んだ。
「ヴァニエル……」
ヴァニエル・フロラント。フロラント伯爵家の令息で、かつてセドリックの親しい友人だった。セドリックが魔道具について研究を始めた頃、ヴァニエルも興味を示して頻繁に質問をしてきたため、二人は一時期、兄弟のように親しくしていた。
だが、それも過去の話だ。半年ほど前、ヴァニエルの態度は一変した。攻撃魔法の才能に目覚めたことで急激に自信を深め、次第に人を見下すような振る舞いが目立つようになったのだ。セドリックもその態度に辟易し、自然と距離を置くようになった。最近では、学園内でも人を蔑む態度が目立つという噂を耳にすることが多い。
「……どうやら、魔法騎士を目指しているみたいだな」
ヴァニエルが立っているホールは、魔法剣師団の宿舎と繋がっている場所だ。セドリックが知る限り、王宮研究所の出入りを許された研究職の学生のように、魔法騎士の候補生もここで鍛錬を積むため、宿舎を借りることがあるのだという。
セドリックは、人目を避けるように静かにホールの隅へ身を寄せながら、かつての友の変わり様を思い出した。 魔法剣士になるための修練と戦闘技術を磨く攻撃魔法は、通常、膨大な資金と施設を必要とする。そのため、魔法剣士の育成には王国でも大きなコストがかかる。 元々、魔法剣士は王国において主流の戦闘職だったが、ある年を境に、便利な魔道具が広まり、一気にその数は減少した。 魔法剣士を育てるには、広い鍛錬場を用意し、修繕し、時間と労力をかける必要がある。しかし、魔道具を使えば、兵士たちはそのまま魔道具を駆使して戦い、コストを抑えることができる。 その結果、魔道具の普及により、魔法剣士という職業は次第に栄誉職のような立場になり、その育成にかかるコストの高さも相まって、一般人が魔法剣士を目指すことは非常に難しくなった。 家系に特別な才能を持っており、経済的な余裕を持つ裕福な家庭でなければ、魔法剣士になることはできないのが現実だ。
ヴァニエルの家は伯爵家だが、決して裕福とは言えない。セドリックは、ヴァニエルが魔法剣士を目指す道を選んだのは、おそらくどこかの高位貴族から資金援助を得ていたのだろうと推測していた。
そんなヴァニエルが、今、エレノアに詰め寄っている。二人の会話を盗み聞くつもりはなかったが、ヴァニエルの声は大きく、自然と耳に入ってきた。
「お前みたいな、平凡でパッとしない女と婚約なんてするわけないだろう!」
ヴァニエルの冷酷な言葉に、セドリックの眉がぴくりと動く。ホールの隅から二人の様子を伺うセドリックの胸には、不穏な感情が芽生え始めていた。
「なあ、エレノア」
ヴァニエルの嘲笑混じりの声がホール全体に響く。
「まだ自分が俺にとって特別だとでも思ってるのか?笑わせるな。俺が、お前みたいな冴えない平民の女と婚約するなんてありえないんだよ」
エレノアはその言葉に一瞬動揺したようだったが、すぐに顔を上げ、冷静な声で問い返した。
「特別だなんて、そんなことを言った覚えはありません。ただ、私は――」
「ただ、何だ?」
ヴァニエルは彼女の言葉を遮り、肩をすくめて見せた。
「俺に感謝されたいとでも言いたいのか?お前がいくら必死に援助したって、俺がありがたがるわけないだろう。むしろ邪魔だったと言ってやりたいくらいだ」
エレノアの眉がピクリと動いた。彼女は冷静を保とうとしているが、その声には明らかに怒りと悲しみがにじんでいた。
「邪魔だった、ですって?私は、ただあなたの夢を支えたくて――」
「支える?」
ヴァニエルは大げさに笑い出した。
「お前が俺を支える?面白い冗談だな。お前がどこでその金を手に入れたか、俺が知らないとでも思ったか?」
「どういう意味?」
エレノアの目が鋭く光る。
ヴァニエルはその問いに満足そうな笑みを浮かべると、冷たく言い放った。
「お前のことだ。どうせ体でも使って稼いだんだろう?平民の女がそんな大金を持っているなんて不自然だからな」
その言葉がエレノアに突き刺さるのが、セドリックにも見て取れた。彼女の唇がかすかに震えていたが、すぐにきつく噛み締められた。
「……ふざけないで」
エレノアの声は低く、抑えられた怒りがこもっていた。
「私はそんなこと、一度もしたことはないわ」
「ふざけてるのはどっちだ?」
ヴァニエルは肩をすくめ、挑発するように続けた。
「貴族でもないお前が、どこからそんな金を引っ張ってきたんだ?俺のためだとか言いながら、自分の体で稼いだ金を押し付けられるこっちの身にもなれよ」
エレノアの目には怒りと屈辱が宿りながらも、涙は浮かんでいなかった。彼女はただ、まっすぐにヴァニエルを見据えた。
「私がどんな気持ちで、貴方を支援していたかなんて、わかりもしないくせに――」
「気持ち?」
ヴァニエルは鼻で笑い、エレノアを小馬鹿にするように見下ろした。
「そんなもん、どうだっていい。俺が欲しかったのはお前の気持ちなんかじゃない。実際、今となっちゃお前の汚い金なんか要らないけどな」
ヴァニエルは冷ややかな笑みを浮かべながら、わざとゆっくりとした口調で言葉を続けた。
「そういえば、お前とは二年も付き合ってたな。俺にしてはずいぶん長いこと、平民なんかと関わってやったもんだ」
「……ヴァニエル」
エレノアは低い声で名前を呼び、何かを言いかけたが、ヴァニエルは聞く耳を持たずに続けた。
「まあ、当時はお前も使える女だった。あれこれ都合よく手伝ってくれたし、俺が必要としていたものを提供してくれた。だがな――」
その声が冷たく鋭くなり、ホールに響き渡る。
「お前はもう用済みだ」
エレノアの瞳に浮かぶ動揺を見逃さないように、ヴァニエルはニヤリと口角を上げた。
「俺には新しい道がある。俺は選ばれし者だ。お前みたいな平民とは違う、高貴で価値のある道だ。お前がどれだけ頑張ったところで、その道には踏み込めない」
ヴァニエルはその場で懐から札束を取り出すと、それをエレノアに向かって放り投げた。高価な紙幣がばさりと床に散らばる音が響く。
「ほら、拾えよ。これがお前への手切れ金だ。平民にとっては喉から手が出るほど欲しい大金だろう?」
エレノアは床に散らばった札束に一瞬目をやったが、目をそらさずにヴァニエルを睨み返した。
「こんな端金、もう俺には必要ないんだよ」
ヴァニエルは肩をすくめて続けた。
「俺は選ばれし者なんだ。お前とは違う世界にいる。選ばれし者には、それにふさわしい相手がいるもんだ。例えば――王女殿下とかな」
エレノアの表情がわずかに変わった。その名を耳にした瞬間の反応を見て、ヴァニエルは満足そうな笑みを浮かべる。
「その顔…嫉妬か?まぁ嫉妬しても無駄だ。お前みたいな平民と王女殿下。比べることすら失礼だ……俺は王女殿下に選ばれたんだ。だからお前は、用済みなんだよ。何度も言わせるな」
「王女殿下……学園で噂されている、ノエルさんがそう言った…ということですか?」
エレノアは、静かながら鋭い声で問い返した。
ヴァニエルはその問いに面白そうに目を細め、首を横に振った。
「お前、本当に哀れだな。王女が誰かなんて分かるわけがないだろ?ノエル嬢も、学園内では俺に接触なんてしてこない――だがな」
彼は一拍置き、懐から小さな手紙を取り出して見せた。それはかすかに金色に光る豪奢な封筒だった。
「半年前にこの手紙が届いた。王女が俺を見込んで、俺のサポートをしてくれたんだ。お前みたいな汚い金じゃなくてな」
ヴァニエルの言葉がエレノアを打ちのめしていく。しかし、彼女は涙を見せるどころか、顔をあげ、毅然とした態度を保っている。
エレノアは静かに目を伏せると、床に散らばった札束を一枚一枚拾い集めた。その仕草は、ためらいも屈辱も見せることなく、むしろ冷静そのものだった。彼女の手が最後の一枚を拾い上げたとき、静かに立ち上がり、ヴァニエルの前に歩み寄った。
「……これ、返すわ」
エレノアは札束をヴァニエルの胸元に押しつけるように差し出した。その瞳には一片の迷いもなく、むしろ彼女の中に秘められた怒りが静かに燃えているのが感じ取れた。
「あなた、私と別れることで本当に何も失わないと思っているのね。でも、いずれ気づくときが来るでしょう。私がどれだけあなたに尽くしてきたのか、私の存在がどれほどあなたを支えていたのかって」
彼女は少し言葉を切り、息を吸った。そして冷たい声で告げた。
「そのとき後悔しても、知らないわよ」
ヴァニエルは軽く鼻を鳴らして笑い、そのまま札束をエレノアの手から乱暴に引ったくった。
「後悔だって?お前ごときが俺に何をしてくれたって言うんだ?」
彼は札束をちらりと見て、そのまま肩越しに投げるような仕草を見せたが、結局のところ手元に留めたまま、嘲るように笑いを深めた。
「平民のお前が俺の役に立っただなんて、おめでたい思い込みもいい加減にしろ。お前の支援がなくなったところで、俺は何も困らない。それどころか、こんな足手まといと別れられるんだ、俺の未来は明るいな」
ヴァニエルは満足そうに札束を手にしながら、言葉を続けた。
「お前が俺に尽くしたとか、そんなものはただの自己満足だ。お前みたいなちっぽけな存在が、選ばれし俺の人生に影響を与えられるわけがないだろう?見てろよ、俺はお前とは違う場所で、もっと高みに立つんだ」
そう言い放つと、ヴァニエルはエレノアに背を向けて悠然と歩き出した。その背中には微塵のためらいも見えない。
エレノアはその場に立ち尽くし、彼の背中を見送った。その目には一瞬の涙も浮かんでいなかった。ただ、どこか固い決意と憤りが宿っていた。
6
あなたにおすすめの小説
婚約破棄?ありがとうございます!では、お会計金貨五千万枚になります!
ばぅ
恋愛
「お前とは婚約破棄だ!」
「毎度あり! お会計六千万金貨になります!」
王太子エドワードは、侯爵令嬢クラリスに堂々と婚約破棄を宣言する。
しかし、それは「契約終了」の合図だった。
実は、クラリスは王太子の婚約者を“演じる”契約を結んでいただけ。
彼がサボった公務、放棄した社交、すべてを一人でこなしてきた彼女は、
「では、報酬六千万金貨をお支払いください」と請求書を差し出す。
王太子は蒼白になり、貴族たちは騒然。
さらに、「クラリスにいじめられた」と泣く男爵令嬢に対し、
「当て馬役として追加千金貨ですね?」と冷静に追い打ちをかける。
「婚約破棄? かしこまりました! では、契約終了ですね?」
痛快すぎる契約婚約劇、開幕!
やめてくれないか?ですって?それは私のセリフです。
あおくん
恋愛
公爵令嬢のエリザベートはとても優秀な女性だった。
そして彼女の婚約者も真面目な性格の王子だった。だけど王子の初めての恋に2人の関係は崩れ去る。
貴族意識高めの主人公による、詰問ストーリーです。
設定に関しては、ゆるゆる設定でふわっと進みます。
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた辺境伯様と一緒に田舎でのんびりスローライ
さくら
恋愛
美人な同僚の“おまけ”として異世界に召喚された私。けれど、無能だと笑われ王城から追い出されてしまう――。
絶望していた私を拾ってくれたのは、冷徹と噂される辺境伯様でした。
荒れ果てた村で彼の隣に立ちながら、料理を作り、子供たちに針仕事を教え、少しずつ居場所を見つけていく私。
優しい言葉をかけてくれる領民たち、そして、時折見せる辺境伯様の微笑みに、胸がときめいていく……。
華やかな王都で「無能」と追放された女が、辺境で自分の価値を見つけ、誰よりも大切に愛される――。
双子の姉に聴覚を奪われました。
浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』
双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。
さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。
三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。
魔女見習いの義妹が、私の婚約者に魅了の魔法をかけてしまいました。
星空 金平糖
恋愛
「……お姉様、ごめんなさい。間違えて……ジル様に魅了の魔法をかけてしまいました」
涙を流す魔女見習いの義妹─ミラ。
だけど私は知っている。ミラは私の婚約者のことが好きだから、わざと魅了の魔法をかけたのだと。
それからというものジルはミラに夢中になり、私には見向きもしない。
「愛しているよ、ミラ。君だけだ。君だけを永遠に愛すると誓うよ」
「ジル様、本当に?魅了の魔法を掛けられたからそんなことを言っているのではない?」
「違うよ、ミラ。例え魅了の魔法が解けたとしても君を愛することを誓うよ」
毎日、毎日飽きもせずに愛を囁き、むつみ合う2人。それでも私は耐えていた。魅了の魔法は2年すればいずれ解ける。その日まで、絶対に愛する人を諦めたくない。
必死に耐え続けて、2年。
魅了の魔法がついに解けた。やっと苦痛から解放される。そう安堵したのも束の間、涙を流すミラを抱きしめたジルに「すまない。本当にミラのことが好きになってしまったんだ」と告げられる。
「ごめんなさい、お姉様。本当にごめんなさい」
涙を流すミラ。しかしその瞳には隠しきれない愉悦が滲んでいた──……。
卒業パーティでようやく分かった? 残念、もう手遅れです。
柊
ファンタジー
貴族の伝統が根づく由緒正しい学園、ヴァルクレスト学院。
そんな中、初の平民かつ特待生の身分で入学したフィナは卒業パーティの片隅で静かにグラスを傾けていた。
すると隣国クロニア帝国の王太子ノアディス・アウレストが会場へとやってきて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる