天底ノ箱庭 白南風

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3章

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2.ヴィクトール視点
「ねー、ヴィクターなんでシャツ着てないのー?暑い?」
ソファに辛うじてズボンだけ履いた状態で眠っていた俺を颯が覗き込む。逆さまに見える彼の顔に目の焦点を合わせようと瞬きを数回。ようやくくっきりとした前歯の抜けた颯の笑顔に、俺も口元だけで笑って見せる。
「あ~…シャツやぶけてダメになったんだ…。着替え出すの面倒くさくて…」
「ヴィクター声かすかす!うける!」
一晩中裏庭で喘ぎまくったせいで掠れる俺の声を聞いて颯は腹を抱えて爆笑する。
「ほんと…ウケる…」
もう昨日の後半は酷かった。ベロアに求められたのを断ったのは我ながら偉いと思うが、半端にされてくうちに身体の我慢が効かなくなった。効かなくなった挙げ句『いつも優しいベロアがちょっと無理やり求めてくる』というシュチュエーションに自分が興奮してしまって応えてしまうという意志の薄弱さが凄かった。最終的には普通に楽しんだ。アホだった。
「服はこれでいいのか?」
ソファでぐったりと横になっていた俺に、ベロアが替えのシャツを手に持ってくる。2人とも明け方にソファで寝て、さっき起きたばかりだ。
「飯作んなきゃな…」
「果物とパンがまだ残ってたはずだ。果物くらいなら俺でも切り分けられるから、ヴィクトールは寝てていい」
同じ時間だけ起きて動いていたはずなのに、ベロアだけがぴんぴんしている。むしろ、なんだか肌ツヤが良く見える気すらするのは、気のせいなんだろうか。
「さんきゅ…」
寝転んだまま手渡されたシャツに腕を通す。こういうところに気が回るのだから憎い。そこらへんの彼女よりよっぽどベロアの方が気配り上手だ。
「ヴィーおにーちゃん…なんでシャツ破けちゃったの…?」
「俺が寝ぼけて破いた」
「流石じゃん!ベロアって俺より寝相悪いもんなー」
「ねえ、これ種入ってる」
わいわいと子供たちにまみれながら果物をざくざくと男らしい切り方をするベロアをぼんやりと眺めた。
ベロアは恋人ごっこをしてから、やけにデートだの恋人の違いだのを聞いてくる。それは彼が俺を気にしてのことなのは、どんなに鈍感を極めた奴でもなんとなく分かるだろう。それが嬉しくないかって言われたら、正直嬉しい。俺はベロアが好きなわけだから。
ただ、身体を重ねた後に起きる性欲と恋愛感情がごっちゃになる現象がある。物凄く気持ちよかった、楽しかったっていう思いが、同じことを繰り返したいがために最初の相手を求めてしまう。生理現象の一部みたいなもんだ。
俺の筆おろしは若い使用人の女性だった。彼女は本当に上手だったから、あっという間に俺は彼女との行為にハマってしまった。
俺もまだ年相応に元気だったから、毎日みたいに呼び出して満足するまで抱いた。頻度だけで言えば、今のベロアと大差なかっただろう。
ハマると相手に会うことばかり考える。次はいつ抱けるんだろうって気持ちが、恋なんじゃないかって思えた。ベロアは多分、今そういう状態にあるんだろう。俺が最初の相手で、少なからず良い思い出になったから。
それが錯覚だったと、付き合い始めてから言われるのはごめんだ。俺が夢中になってから一方的にフラれたら凹む。大体からして、本来の目的を達成する前にフラれたらその気まずい状態で協力するとか、神経がよほど太くないと気持ちに無理がある。
そんなことを考えながらみんなの食卓を見守っていると、ベロアが立ち上がってキッチンに消えた。何をするのかと思って眺めていると、彼は昨日の残りのケーキが乗った皿を片手に俺の傍にやって来る。
「ヴィクトール。ほら、口あけろ」
ベロアぎこちなく握ったスプーンでケーキをすくって俺の口に差し出す。
スプーンで差し出してくるあたり、ケーキはフォークで食べる物という認識がまだないのだろう。別にそこまでされなくても、渡してくれれば食べられるのだが、俺のがいつもベロアにやるからお返ししてくれているのかもしれない。
俺は彼が差し出すそれを口で迎えに行く。こうやってると本当に恋人になったみたいだし、こんな優しくて強いのが彼氏だったら本当に最高だと思う。
「ヴィーおにーちゃん、自分で食べられないほど体調悪いの…?」
食器を使うことに関しては、この家ではプロ級の俺がベロアに食べさせて貰う姿はなかなか不思議らしく、凛が心配そうにこちらに寄ってくる。
「あ、いや、大丈夫。甘えてただけ」
ベロアからケーキの皿を貰おうと起き上がって手を差し出すが、ベロアはケーキののった皿をサッとひっこめて眉間にしわを寄せた。
「だめだ。俺が食べさせる」
むっとした様子で皿とスプーンを離そうとしない彼に俺は凛と彼を交互に見つめ、肩を竦める。
「…具合悪くないけど、そういうことらしいから甘えとくわ」
「ふふっおにーちゃんたち仲良しだね、王子様とお姫様みたい」
彼女はくすくすと控えめに笑うと向こうで種をぺっぺと捨てる颯と匙のもとに戻っていく。
「お姫様って俺になるのかな。ベロアだったりして」
凛の背中を見送ってから俺はベロアから差し出されたケーキ第2弾を口で迎える。
しかし、凛が思っているような美しい関係ではなくて、裏で性欲に任せて朝までしこたまヤるような関係なのが申し訳ない。
ベロアに促されるままにケーキを食べ終える。ソファに座ったまま、ぐーたらしている俺を咎めるでもなくベロアはてきぱきと子供たちの食器を下げて、凛と一緒に皿洗いに行く。なんだか忍びないが、後で感謝を伝えることにしてそのままお願いすることにした。
片付けが終わり、子供たちが部屋のあちこちで好きな遊びを始める頃になると、ダラダラしていた俺の隣にベロアが座る。
「なんかごめん、全部やらせちゃった。助かったよ、ありがとう」
「ああいや…俺も悪かった」
謝罪と感謝を述べると、何故かベロアからも謝罪の言葉が返ってきて、俺は笑顔のまま首を傾げる。
てっきり「気にするな」とか「それならよかった」とかそんな答えが返ってくるんだとばかり思っていた彼から出た言葉は謝罪を意味する言葉だった。
珍しく肩を落として叱られた子供みたいに気まずそうに目を泳がせる。
「昨日は…なんだかおかしかった…押さえが利かなくって、ヴィクトールは嫌だって言ってたのに」
子供たちに聞こえないように配慮しているのか小さな声で困ったように呟く彼は、いつもの堂々とした様子はなくむしろおどおどしているようだ。
「ああ、そっか。まあ、最初は…まあ…」
彼に同じく声をひそめて俺は苦笑いする。
昨日の拒絶を強行突破したのが悔やまれたのだろう。確かにあれは少し驚いたし、困ったが、最終的に負けたのは俺の意思の弱さにあるので、彼ばかり責められた話ではない。
それに、楽しんでいたのは俺自身だもので。嫌がっているように見えないとベロアが言ったのは、正直その通りだと思う。
「でも、最後に寝かせないってなったの俺だから、おあいこじゃない?」
「いや…まあ…しかしな…でも…すごく良かった…」
納得したような、しないような微妙な反応を見せるが、目を反らして「良かった」なんて言われると悪い気はしない。
俺だって一応ベロアをセフレだとは認識しているので、彼が身体の関係をせがんでくるのは至極普通だと思っている。むしろ、恋人ごっこよりセックスを求めてくるのが本来のあり方だ。
ベロアが俺をどう思っているのか分からないが、行き着く先がセックスだと分かったのは逆に安心感がある。
「…ベロア」
ちょいちょいと指先で手招きをすると、ベロアはすぐに顔を寄せてくる。言葉が少なくとも察してくれる彼の観察力は本当に助かる。
「昨日のデートの話ってまだ予定にある?昨日頑張っちゃったからなしにする?」
小声で彼の耳元で尋ねるとベロアは慌てたように首を横に振る。
「しない!なしにはしない!でもヴィクトールは身体平気か?声もカラカラだし、また無理させただろう…」
なしにすることを強く否定するが、俺を気遣っているらしい様子で彼は遠慮がちに答える。
本当に俺の身体を心配してくれているのだろう。こういういじらしい態度をとられると、やっぱりグッときてしまうのは仕方ない話だと思う。
「俺は大丈夫。子供たちと昼寝でもすれば元気になるよ。お前がいいならアイツらが寝静まった夜にでもどう?」
顔を離して彼に口元で微笑んで見せる。
「本当か!じゃあ昼間は沢山休んでろ、子供たちの相手も家具を運ぶのも全部俺がやる」
そう言って彼は立ち上がると戦いごっこをしている颯と匙にゴリラのまねをしながら乱入していった。ゴリラはアッという間に少年たちのターゲットになり、紙を筒状に丸めて作った伝説の剣でぽこぽこと叩かれて無邪気に遊ばれていた。
「元気か」
ベロアの姿を見ながら思わず笑ってしまう。
今日のデート先には心当たりがある。というか、セックスを最終目的に据えているなら、試しにベロアを連れてってみたい場所があった。
そうなると、俺も必然的に体力を使うことになるので本当にゆっくり休まなくてはいけない。でも、ベロアは寝なくて平気なのだろうか…平気な気がしてしまうのが恐ろしい。
小さい勇者2人とも獰猛なゴリラの戦いを眺めながらソファでうたた寝をしていると、間もなくして荷物が届いた。それらを受け取るサインだけ俺がして、あとはベロアと業者に任せた。先ほどの俺の心配など無用だと言わんばかりにベロアはパワフルにそれらを運び入れて、あっという間に家具の設置は終わった。家具を運んだのは業者3割、ベロア7割くらいで、必要以上にベロアは働き者だった。
ベロアが滑り台を裏庭に設置して颯と遊んでいる間に、俺はテレビの設定をする。これだけは俺以外に出来るやつはこの家にいない。
「これなーに?」
「これはテレビって言って、楽しいものから勉強になるものまで、色んな情報が詰まってるんだ」
俺の隣で不思議そうにする匙に説明をしながらケーブルを繋げていく。電波が繋がったのを確認し、電源を入れる。
画面がパッと付き、ニュース番組が映し出される。
凜は「お金持ちのおうちみたい」とキラキラした目で画面を見つめ、匙はとても驚いた顔でテレビの裏を覗いたり画面を触って首をかしげていた。
わいわいと騒ぐリビングの声を聞きつけて、颯とベロアが裏庭の窓を開けて顔を出す。
「すげー!!なにこれ!!!」
颯はテレビの前にスライディングで駈け込んでかじりつくように画面に釘付けだ。
わらわらとテレビに群がる子供たちにチャンネルの使い方を教えて俺は早々に戦線離脱する。
初めてテレビを見たらこうなるだろうとは思っていた。ある意味予想通りで嬉しい。
「すごいな、どうやって中に入ったんだ?」
ベロアは匙と一緒になってテレビの裏にまわる。横から画面の薄さを確認すると唸るように首を傾げた。
「入ってないよ、映像だ。あんま近くで見ると目、悪くするから離れて見ろよ」
彼の様子に笑いながら、俺はソファに戻る。申し訳程度に忠告はしたので、後はみんなで適当に使ってもらおう。
ひとしきりテレビを観察して落ち着いたベロアを俺は手招きで呼びつける。彼は俺の手招きに気づくとゆっくりと立ち上がり、のそのそと俺の隣までやってきた。
子供たちがテレビに夢中になっているのを確認してから、俺は彼を見上げて笑いかける。
「みんなテレビに夢中だし、一緒に昼寝しない?お前暖かくて、一緒に寝ると気持ちいいし」
わりとさっきまでお楽しみだったのだから、さすがに襲われることはないだろう。夜の予定を考えると、ベロアにも休んでおいてもらいたい。
「そうだな、ヴィクトールは少し休んだほうがいい」
ベロアはそう言って俺の隣に座るとそのまま俺ごと抱き込むようにソファに横たわる。
後ろから抱かれる形で横になった俺のうなじにベロアは顔をうずめて深く息をついた。
「本当だ、よく眠れそうだ」
一緒に寄りかかって寝るくらいのものを想像していたが、思っていたよりがっつり昼寝だ。でも、セックスしてるわけでもないし、服も着ている。問題はないだろう。
「温かいと気持ちいいよな」
俺の体温がベロアにとって暖かいのかは果てしなく謎だが、背中から伝わるベロアの体温は暖かくて心地いい。
会話はないものの、俺のうなじに顔をこすりつけたり、スースーと匂いをかいでみたりしていたようだったが、暫くすると規則正しい寝息がうなじをくすぐってきた。
ちゃんと寝てくれたことを確認し、俺も重くなってきていた瞼を閉じた。意識がなくなるまでの時間は生きてきた自分の歴史の中で最速記録だったような気がする。
次に目が覚めた時は匙に晩飯を催促される頃で、凛はテレビに飽きたのか手芸キットを自室でいじっていた。颯は相変わらず熱心にテレビのアニメにかじりついている。
俺は大きく欠伸をしてソファから起き上がる。背後で寝ていたベロアはまだがっつり寝ていて起きる様子がない。
編み込まれた彼の頭を優しく撫でて、自分が使っていた毛布を彼にかけ直す。昼間はいっぱい頑張ってもらったので、もうしばらく休んでいてもらおう。
あり物の食材で何となく形になる飯を作るのにも大分慣れてきた。今日はレシピと睨めっこしながら大量のドリアを作った。米は1合でもそこそこあると思うが、腹ぺこモンスターたちにプラスしてベロアがいることを考えたら普通に5合は必要だった。大量の飯を作るにあたって凛のお手伝いのクオリティが上がってくるのは救いだった。
「ベロア、晩飯出来てるよ」
テーブルに皿を並べて、子供たちを席につかせてながらベロアの肩を軽くゆする。
「ん、飯か」
揺すろうが叩こうが、颯が飛び乗ったって起きないベロアはいつも「飯」の一言で目を覚ます。
彼は大きな欠伸をしながら起き上がり自分の席に座った。
「じゃ、食べよう」
まだここで日を跨いだのは2日だけだが、1日に3回も繰り返すと子供たちのいただきますも板に着くもので、みんな静かに席に着いて手を合わせた。
ベロアは相変わらず食器が苦手なようで、苦戦しながら食べる。熱いと言っているのに冷まさず口に入れては、若干涙目になっているのが少し可笑しかった。
彼の器からドリアをひとすくい取り上げて、息を吹きかけて冷ます。それをベロアの口に運ぶ。
「冷ますと食べやすいぜ」
まずはお手本なり体験なりしないといけないだろう。冷ましたそれを彼は相変わらず抵抗なく受け入れる。
「ん…本当だ、舌にヒリヒリしないな」
「だろ?」
するとベロアは赤ん坊のような握り方をしたスプーンを置いてドリアの皿を俺に寄せる。
「ヴィクトールが食べさせてくれれば食べやすい」
まさかそんな結論を出すとは思わなかった。
「子供たちが見てるけど、いいの?」
彼の耳に顔を寄せて小声で確認を取る。俺は別に食べれるものもなくて暇してるから、いくらでも食べさせてやれるが、恥ずかしい思い出になったら悲しい。
「俺もお前に甘えたい。甘えたいのは別に恥ずかしい事じゃない」
堂々とそう言ってみせると、彼は次のひと口をせがむように口を開けて待っていた。
「…しょーがねえな」
ドリアをすくって冷まし、それをベロアの口に運んでやる。ただ相手の面倒を見ているだけなのに、なんだか満たされたような気持ちになる俺もいよいよ病気かもしれない。
「ベロアずりー!俺も!」
飛んでくる颯のブーイングに俺は笑う。
「これは普段から頑張ってるベロアへの特別なご褒美だから、颯は自分で冷まして食べる練習しような」
「そうだぞ。ベッドとコートハンガーとテレビの台を同時に運べないとこれはだめだ」
「くそー!!俺はベロアよりもでかくなって家ごと運べるようになるんだからな!」
そう言って颯は自分のドリアを口いっぱいに頬張り、熱さのあまり席から立って飛び跳ねていたのを凜に面倒見てもらっていた。
賑やかな食事を終え、子供たちに歯磨きや着替えを促す。昼間にベロアが積極的に少年たちと遊んだせいか、颯と匙の2人はいつもより早くベッドに入って、あっという間に眠りに落ちた。
凛は自室の勉強机に向かって、スタンドライトの下で熱心にぬいぐるみを作っている。
時間を確認すると、時刻は夜の8時だ。リビングテーブルでチョコケーキポップが並んだ皿を置き、みんなより遅い晩飯を食べる俺の隣で、ベロアはどことなくソワソワと落ち着かない様子だ。よほどデートを楽しみにしているのだろう。
「…あとは凛だけだし、凛ならお留守番できるだろうからデート行っちゃう?」
小声でベロアに尋ねると彼はこちらを振り返り、目を開く。
「いいのか?」
「うん、凛次第だけど。聞いてくる」
食べ終えたチョコケーキポップの串を皿に置き立ち上がると、ベロアも俺の後ろをついてきた。
「俺もいく」
凛の開け放たれたままの自室の戸を軽くノックすると、彼女はこちらを振り向く。
「なあに?おにーちゃんたち」
「これからちょっと出掛けてこようと思うんだ。凛は夜のお留守番も出来る?」
彼女の背後に近づくと、勉強机に置かれたテディベアが完成間近であると気付く。子供が初めて作った物には見えない。
「おーすげえ。俺より凛のがもう全然上手だな。またあみあみした時みたいに教えてもらわねえと」
凛の頭をふわふわと撫でる。彼女は俺を見上げて柔らかく笑う。
「うん、また教えてあげる!お留守番も出来るから大丈夫だよ」
俺が凜と話していると、横からベロアが大きな体を割り入れるように凜の手元を覗き込んできた。
「これは…兎か?」
「ぶぶー、クマちゃんだよ」
興味津々のベロアに凜は作りかけのテディベアを掲げて見せた。
「クマか。今度は兎もつくってくれ、ヴィクトールみたいなやつ」
ベロアのリクエストに彼女は首をかしげる。
「ヴィーおにーちゃんはウサギじゃないよ?」
「ウサギみたいだろ。小さくて触ると柔らかくて、持ち上げると軽いって聞いたことある」
それは小動物全般に言えることなのでは…と喉まで出かかった言葉を飲み込む。
しかし、ベロアがそんな風に俺を思っていたと聞くとなんだか照れる。彼の後ろで俺は1人で視線を落として鼻の頭をかいていた。
凜は不思議そうに「うーん?」と唸るがふんわりと笑顔をつくった。
「よくわかんないけど、ベロアおにーちゃんが欲しいならやってみる!」
「たのしみにしてる」
ベロアも柔らかい笑みを浮かべて彼女の頭を優しくなでる。
スプーンが使えないとことや、露骨なヤキモチを見てると子供っぽく見えるが、こういう現場を見ているとベロアはしっかり父親をしているのだなとしみじみ感じてしまう。
「いつも凛ばっかり頑張らせてわりぃな。嫌なことあったら、ちゃんと言えよ」
長男長女は大変だと聞くが、ついつい任せてしまう親の気持ちが最近になって分かるようになってしまった。俺もまだ16歳なのにな。
「大丈夫!行ってらっしゃい!」
花が咲くような彼女の笑顔に思わず俺の顔も緩んでしまう。頼りになる娘だ。
「ありがと、また明日な。あまり夜更かしするなよ」
手を軽くヒラヒラと振って彼女の部屋から出る。ベロアに軽く手招きをしてから玄関へと向かった。
玄関のコートハンガーにぶら下げていた帽子を被り、外に出て家の鍵を閉めた。
歩きだそうとする俺の前にスッと手が差し出される。顔を上げると、ベロアが俺を見下ろしていた。
「デートなら手を繋ぐんだろ?」
俺は目の前の大きな手を見つめてから、それを取る。
「そうだな。今から恋人ごっこといきましょうかね」
彼の手が大きいので、前と同じように人差し指と中指を束ねて掴む。ベロアの隣に立って歩き出すと、不意にベロアが手を解く。離した手をもう一度重ねると、俺の指の隙間に彼の指を差し込んで折りたたむ。いわゆる恋人繋ぎだ。
「こっちがいい」
当然のように恋人つなぎをすると、繋がれた手を再度確認するように見つめてから、彼は満足げに笑みを浮かべる。
恐らく昨日のお楽しみの最中にこの繋ぎ方をしたのをベロアは覚えていたのだろう。こうやって不意にベロアにペースを持っていかれると、悔しい気持ちはあるが不覚にもドキドキしている自分がいてなおさら悔しい。
口の片端だけ上げて肩を竦める。ベロアみたいに何事も勝負だとするなら、最近の俺は連戦連敗だ。
彼を連れて街の大通りを歩く。
夜は地下が1番栄える時間だ。前回の昼間より人通りが多く、ネオンで照らされるこの街はお祭り騒ぎだ。
人混みではぐれないように気をつけないと、なんて最初は思っていたが、浅黒い肌に高身長で筋骨隆々な隣の人は日本人が多いこの地区では目立つらしく、彼が歩く場所はモーゼの海渡りのように人が避けて道を作っていく。
「今日は何をするんだ?買い物か?」
道を作る本人はそんな異様な光景が広がっているとも知らず、俺を見下ろして尋ねる。
ネオンの光が彼のルビーみたいな瞳に映り込んで眩しい。イケメンすぎて辛い。
「今日は買い物じゃなくてお酒が飲めるとこに行く」
口元だけで笑い返すと、俺は彼の手を引いて大通りの脇道へ入る。ベロアは手を引かれながら首を傾げた。
「酒は飲めるのか?食事の時、いつも水を飲んでるだろう」
「よく見てんな」
的確な疑問に俺は苦笑いする。
俺は確かにジュースが苦手だ。たまに吐き気が起きて具合が悪くなる。水なら絶対に大丈夫なのだが、茶に至っては全く飲めない。確実に吐いてしまう。
「もろもろ飲めないんだけど、不思議とお酒は大丈夫なんだよね。菓子と酒で生きてるとか、めっちゃ不健康」
ケタケタと笑う俺の隣でベロアは首を傾げる。しばらく黙っていたが、彼は顔を上げて口を開いた。
「…お前が食べられる物って何か規則性でもあるのか?ただの好き嫌いなのか?」
「規則性?」
ベロアの言葉をオウム返しする。食べられる物に規則性があるとか考えたことがなかった。
「甘くないとダメなのか?」
「いや、甘いだけならジュースは飲めるはずだし、果物も大丈夫なはずだ。それに、酒も甘いとは限らないから、甘さが関わってるとは思えないな」
繋いでいない方の手を口元に当てて考える。しかし、関連性を考えてもすぐには出てこない。味、食感、生産地…考えてもピンと来ない。
「ヴィクトールが食べられる物が増えたら、一緒に食べる練習出来るものも増えるのにな」
ちょっとだけ困ったように笑った彼の表情は、あの時俺にオレンジを差し出したことを謝ったときの顔に少し似ていた。
きっと、俺が想像しているよりもベロアは俺を心配してくれているのだろう。それが嬉しくて、思わず顔が綻ぶ。
「ありがと。何かないか、もっとちゃんと考えてみるよ」
「俺も考える。甘くないケーキとか、お菓子みたいなドリアとか」
「それは普通に不味そうだから、別のもんがいいな」
相変わらず斜め上な発想に笑いながら脇道を進んでいくと、ようやく目的の店が見えてくる。赤紫色の毒々しいネオンに囲まれた看板を掲げたビルに入り、エレベーターを呼んだ。
「ここか?」
「正確にはここのさらに地下」
エレベーターをキョロキョロと見回すベロアの隣で、俺はエレベーターの地下ボタンを押し、自分の腕時計を傍に備えられたスキャナーにかざす。これから行くのはA5ランク限定高級クラブだ。
エレベーターの扉が閉じられた途端ベロアは周囲を警戒するような素振りを見せる。
「ヴィクトール、これは閉じ込められてるんじゃないのか」
「ちげえって」
エレベーターの仕組みを解説する俺の言葉に耳も貸さず、彼は動き出したエレベーターの浮遊感に驚いたように扉の僅かな隙間に指先を差し込み、こじ開けようと唸り声をあげる。
「ダメダメ!壊れる壊れる!」
彼の腕にぶら下がる勢いで止めるが、とてもじゃないが力勝負じゃ勝てる気がしない。でも、止めないとマジで壊れるかもしれない。
「やめないと恋人ごっこやめるぞ!いいのか!」
苦し紛れに怒鳴ると彼は力を込めるのはやめてくれたが隙間に手は添えたまま、慣れない浮遊感に不快そうに眉を寄せた。とりあえず止めてくれて良かった。
エレベーターを降りるとすぐ目の前に革張りの立派な両扉が鎮座している。扉の両脇には体格のよいスーツの男性が2人。脇にあるカウンターには女性が穏やかに微笑んでいた。
「これはヴィクトール様。ようこそお越しくださいました」
深々とお辞儀をする彼女に続いて、男性2人も頭を下げる。俺も軽く会釈を返すと、カウンターの前へ進む。
ベロアは物珍しそうに辺りをキョロキョロ見まわしたり、フロアに焚かれたアロマの匂いが気になるのかフンフンと鼻を鳴らした。
「今日はお忍びで来てんだ。身内にはオフレコでお願い」
「かしこまりました」
ないとは思うが一応受付嬢に釘を刺すと、彼女はにっこりと微笑んで、カウンター下から1本の鍵を差し出す。
「本日の休憩室の鍵になります。お連れ様にもう一部屋、お貸出し致しましょうか?」
「いや、大丈夫。今日は休憩室を使うかも分からんし 」
カウンターに置かれた鍵を受け取り、ポケットに忍ばせる。受付嬢はベロアにも深く頭を下げ「ごゆっくりお楽しみ下さい」と微笑む。
男たちが両扉に手をかけて開くと、ジャズの流れるフロアが顔を出す。赤紫色のライトで照らされた格子柄の床に足を踏み入れると、背後で静かに扉が閉まった。
「ここは…?」
彼はちかちかと光るネオンライトに眩しそうに目を細め、ぐるりとフロアを見渡す。ずっと野良犬で、性欲処理に無縁すぎる生活を送っていた彼には未知の世界だろう。
フロアの中央に設置された立派なバーカウンター。隅にはそれぞれソファ席があるが、店内のあちこちにはポールやハンモック、背もたれと腰掛けが一体化した器状の大きな椅子があり、数は少ないがベッドも配置されている。
それぞれの場所に俺たち以外の客が座ったり寝転んだりしながら身体を重ね合う。ジャズに混ざって聞こえるのは男女問わない楽しげな喘ぎ声だ。
「大人のテーマパークってやつ?みんなでセックスしたり、お酒飲んだりするとこ」
「セックスするための店?」
辺りで肌を重ねる男女に興味ありげに視線を向けるベロアの手を引き、俺は中央のバーカウンターへと向かう。適当な椅子に腰を下ろし、隣の椅子を叩いてベロアに座るよう指示を出す。
「変な形の椅子だな」
「あの形だと正面からも背面からも入れやすいだろ。受け入れる側に優しい椅子さ」
遠くに見える器状の椅子を見ながら座る彼に説明をしながら俺はマスターを見る。
「マスター、スクリュードライバー。連れは…えーと、日本酒で」
ベロアがなんの酒が好きなのかはちょっと分からないが、男女問わず人気がある日本酒なら飲めるかもしれない。
俺の注文にマスターは「かしこまりました」と微笑みを返し、シェイカーの準備を進める。
「あら、可愛らしいお客さん」
俺の席からひとつ開けた隣に座る女性が頬杖をついてこちらを見ている。俺は笑顔で会釈を返すと、自分が飲んでいたグラスを手に席を詰めて来た。
「2人とも若いのね。おいくつ?」
「俺は16。こっちは22」
自己紹介をしながら俺はベロアを親指で指す。マスターから受け取った日本酒のグラスに夢中になって女性に気づいてすらいない様子のベロアに、女性は舐めるように視線を這わせて目を細めた。
「とても素敵…浅黒い肌に整った顔なんてまるでシークね。砂漠の風が似合いそうだわ」
「お姉さんも随分と詩人だ。そう、自慢の連れだよ」
正直、ベロアには砂漠よりも森の風が似合いそうだが、あくまで個人の感想だ。それを胸に留めて当たり障りなく返事を返す。
女性がベロアに引っかかってくれたのは、複雑だが思惑通りだった。俺の目的はここにある。
ベロアは格好いいし、セクシーだ。性格やスペックは俺が惚れ込んだ通りの男前だが、それを差し引いても見た目だけでお釣りがくるくらいイケてる。そんなやつをこういう場に連れてくれば、男女問わず彼を放って置くはずがないと思っていたのだ。
ベロアが性欲を恋だと勘違いして俺に好意を伝えてくるなら、他の人間とも肌を重ねてみればいいのだ。正直、俺みたいな使い古しのだらしない下半身より、まだ経験の少ない誰かの方が締まりもいいだろう。気持ちよさだけ優先すれば、きっとベロアは別の誰かを選んで、俺に対する気持ちが恋ではなかったと気付くんだろう。
「良かったら3人でいかが?」
女性はご馳走を前にしたように自分の唇をペロリと舐める。ようやく女性に気づいたらしいベロアはいつの間にか空になったグラスを持ったまま、意味が分からないと言いたげに俺を見る。
ていうか、飲むの早すぎじゃないか?
「あー…俺、バリネコなんだ。お姉さんがタチできないなら、俺は遠慮するよ」
「あら、残念だわ。そちらのシークは?」
彼女の視線からして、1番の目当てはベロアだと分かってはいた。うっとりとベロアを見つめる彼女に俺は肩を竦める。
「コイツ、ゴム嫌いなんだけど生でも大丈夫?」
「ここに来る女性はピルを飲んでいない人の方が少ないわ。生でも大歓迎」
確かにこんな場所に来るのに、いちいちゴムをせがむやつの方が少ないか。俺はベロアに振り返る。
「お姉さんがお前とセックスしてみたいそうだ」
「俺と…?何故だ」
俺の質問にベロアが質問で返してくる。予想はしていた。
「ここは色んな人と合意の上でセックスを楽しむ場所だ。だから、お前も試してみたらいい。俺以外も知っといた方が得だぜ」
彼は日本酒を気に入ったのか空になったグラスのふちをぺろりと舐めながら訝し気に目を細める。
女性は席を立つと、カツカツとハイヒールを鳴らしてベロアの背後に立つ。ベロアの露出された肩や胸元に華奢な手を這わせ、服の上からでも分かる豊満な自身の胸を彼の背中に押し付けた。
「ここの仕組みも知らないまま来るだなんて、まだ慣れてないのかしら。ちゃんと教えてあげるから、一緒に楽しみましょう?」
困惑したようにベロアは彼女を一瞥し、俺に視線を戻す。俺は首を横に傾けて口元で笑みを作った。
「行ってこいよ。ここで待ってる」
「…わかった」
名残惜しそうにグラスをカウンターに置くと、彼も席を立つ。女性は慣れた手つきで彼の手を自らの腰に誘導し回させた。
女性を腕に巻き付けて、彼女が示すソファ席へと向かうベロアの背中を見ながら俺は小さくため息をつく。
残念ながら結構お似合いだと思う。俺みたいなガリガリで顔面偏差値低めの男が隣にいるより、綺麗な身体の女性がいる方が絵になる。別に自分を卑下するわけではないが、客観的に考えてもイケメンの隣りは美女っていうのはやはり王道だろう。
ソファに座るベロアの前に女性が膝まづき、何かを話しながら彼のズボンに手を掛けている。恐らく手始めにフェラでもするのだろう。
分かっちゃいたが、モヤモヤする。俺は手元のスクリュードライバーを一気に飲み干す。
「梅酒、ロックで」
空いたグラスをカウンターのマスターに押し返す。何が楽しくて気になる人間の身体を他人に進んで明け渡さなくてはならないんだ。我ながら意味が分からない。
「あれ?ヴィクトールじゃないか」
むしゃくしゃしながらベロアの背中を見つめる俺の隣に誰かが座る。振り返ると見覚えのある男が座って俺の顔を覗き込んでいた。
ベロアほどではないが体格のいい西洋人。割れた顎を見つめて俺は思い出す。
「…久しぶり」
コイツはセフレ…にすらカウントしたくない。正直あまりいい思い出がない。同じアメリカ人だってことで盛り上がった時に、しこたま酒を飲まされて潰れたとこを持ち帰られた。19歳以下じゃないと欲情できないショタコン予備軍のサディストだ。
申し訳程度に愛想笑いを返し、俺は新しく出された梅酒に口をつける。男は目を合わせようとしない俺の視界に回り込み、なんとかして視線を合わせようとしてくる。
「相変わらず可愛いね。前に遊んだ時に連絡先を交換し忘れて残念に思っていたんだ。今日も1人?」
しつこい彼の視線にチラとだけ目線を合わせ、俺は鼻で笑う。
「2人。今、連れを待ってるとこ」
俺が熱心に見つめる視線の先を追いかけ、男はベロアを見付けて笑った。
「相変わらず男と寝てるんだ?それなら、これから一緒にどう?どうせ暇なんでしょ」
彼は俺の腰に手を回し、肩に顎を乗せてくる。これがベロアだったら嬉しいのに、比較対象が出来てからだと煩わしさしか感じない。昔より、随分と俺も贅沢になってしまった。
「お前、盛り上がるとスパンキングすんじゃん。あれ痛かったから嫌だ」
「でも凄くよがってたよ?本当は好きなんでしょ」
男の返答がぐうの音も出ないほど的を得ていて、俺は下唇を噛む。そうだよ、気持ちよくなってると何でも喜ぶだらしない身体してるよ。悪かったな。
「でも、次の日に椅子に座れなくて授業出られなかったから無理。嫌だ」
「じゃあ、前より加減する。約束する」
深い掘りに埋め込まれた青い目がこちらをじっと見つめる。それを睨み返しながら俺はため息をつく。
断りたい気持ちは確かにある。でも、このままベロアがあの女性を気に入って帰ってこなかったら?休憩室にでも入ったら、きっと今日はもう帰ってこない。アイツの性欲は俺が身をもって体感したんだから、間違いないだろう。
ストレスを感じた時の俺の1番の解消法はセックスだ。多少乱暴で、持ち帰る手口は嫌いだが都合がいいのは今の俺も同じだ。
「…じゃあ… 」
「…おい。そこは俺の場所だ」
俺の返事を遮るように頭上から振ってきた声に俺と男が同時に振り返る。
俺たちの真後ろにはどこからどう見ても機嫌がよさそうには見えないベロアが、素っ裸で腕を組んで仁王立ちしていた。
ベロアの全裸はもはや驚いたものではないが、不特定多数がいる店でも相変わらず臆さないのはさすがとしか言いようがない。こんな店だから周りも慣れているだろうが、俺の隣の男は少し困惑するようにベロアを頭からつま先まで視線を行ったり来たりさせている。
「邪魔だ、ヴィクトールから離れろ」
ぽかんと彼を見上げていた男の首根っこを掴むとそのまま床に投げ倒して、先ほどまで男の手があった俺の腰に彼の腕が回される。
「おい、そんないきなり乱暴せんでも…」
突然のことで的確な対応が浮かばずに慌てる俺を後目に、男は素早く受け身を取って立ち上がる。
「随分タフなお連れさんだ。そんなに怒るってことは、ヴィクトールのパートナーかな?」
男は再び俺たちに歩み寄ると、まじまじとベロアの顔を見つめる。
「んー、俺の好みからは大きく逸れるが綺麗な顔をしているね。ヴィクトールが好きそうだ」
「当然だ。ヴィクトールは俺のことが好きだからな」
怒った獣のように鼻の頭にしわを寄せる彼を見て、男は面白そうに声を上げて笑った。
「自信満々だね。でも、俺もヴィクトールに会うのが久しぶりだから、スッと引き下がるのもつまらない。そうだな…マスター」
男に声をかけられ、磨いていたグラスから顔を上げるマスターに、男は不敵な笑みを浮かべてフロアの中央を指さす。
「あそこを借りても?ちょっと殴り合いの喧嘩したいけど、店の関係もあるだろう?」
こんな店だし、こんな街だから殴り合いの乱闘騒ぎも珍しくないが、俺は思わず目を丸くする。
人をいたぶるのが好きな彼のことだ。涼しい顔をしているが投げ飛ばされたことを少なからず面白く思っていないのだろう。俺を抱きたいと口実を付けてはいるが、殴りたいのが本音に見える。
心配と言えば心配だが…正直ちょっとベロアがタイマンで喧嘩してるの間近で見たいよね。とか思う俺は最低かもしれない。
「どうする、ベロア」
「喧嘩か?喧嘩は得意だ」
どこに服を置いてきたのか分からないが、相変わらず恥ひとつ見せない全裸でベロアは首を鳴らす。家を出る時に着けてきたグローブだけは何故かつけたままなのが面白い。
「どうぞお使い下さい。今は丁度空いておりますので」
マスターは目を細めて笑うとフロアの中央を手で示す。それを確認すると男はベロアに向けて笑いかけ、先陣を切って中央に出る。
ベロアもそれに続き、長いドレッドを揺らしながら中央のスポットライトの下に立った。
ただならぬ雰囲気に周囲の客たちが振り返る。ぞろぞろと傍に寄り、あっという間に人間たちで出来た円形リングが完成する。
俺はさっきまでベロアがいたソファ席に行くと、脱ぎ散らかした服を見つける。それを手に人混みをかき分け、ズボンをベロアに投げ渡す。
「おい、急所は守っとけ」
ふと自身が全裸であったことを思い出したかのように、それに足を通した彼に俺は笑いかける。
「頑張れ!カッコイイとこ期待してる!」
しかし、何故アイツは服だけ脱いで戻ってきたんだろうな。女性と何があったのか気になる。
そんなことを考えているうちに、喧嘩をふっかけた男は手足をブラブラと動かしたり、手を鳴らしたりと準備を整える。
「観客も集まったことだし、始めようか?」
「観客なんていたら、お前負けて恥かくぞ。可哀想だから先に殴らせてやる」
ベロアを捕まえた時にも見せたような挑発を唄いながら指をクイクイと動かす。
喧嘩慣れしてる奴は仕掛けるより仕掛けられて反撃する方が有利っていう原理は聞いたことがあるが、俺には分からない。ベロアなら負けないだろうから多分、有利なんだろう。
「じゃあお言葉に甘えようか」
男はベロアに向けて間合いを詰める。構えはボクシングのようで、構えた両手のうちから右ストレートを繰り出す。ベロアの腹に向けたその一撃を、彼は後ろ足を引いてかわし素早く男の足を払う。
足払いを男はその場で小さく飛び跳ねてかわす。がら空きになった男の腹にベロアは拳を入れるが、それを彼は宙に浮いた状態で腕で受け止め、後ろに転がる。先ほどと同様に素早く受け身を取って立ち上がる男にベロアは鼻で笑った。
「よくかわしたな。思ってたより長持ちしそうだ」
話しながら今度はベロアから動く。
男の正面からガードされた腕に向けて拳を入れ、受け止められた所に逆の拳も叩き込んだ。
先ほどよりも重たい音がフロアに響く。人を殴るとこんな音がするのだと、思わず感心してしまう。
重たい2連撃に男が呻く。ベロアはそのまま同じ場所に膝蹴りを入れると、男の腕が衝撃に耐えかねガードが崩れる。ベロアは軽いステップで膝蹴りの姿勢から素早く回し蹴りを繰り出す、まるでダンスでも踊るかよのうに無駄のない動きには見ていて惚れ惚れする。
さすがにガードが崩れては耐えられないと思ってか、男は素早くバックステップで距離を取る。彼の顔面をベロアの蹴りが鼻先でかわされる。
「避けたか」
息も乱さず彼は肩にかかった髪を首を振って整えた。
「おい、白人頑張れ!」
「黒い方もいいぞ!やっちまえ!」
外野からガヤが飛ぶ。盛り上がるフロアの中央で男は肩で息をしながら笑う。
「ちょっと舐めていたよ…本当に頑張らないといけないかもしれないな」
彼は再び距離を詰めるとベロアの顎に向けてアッパーを入れる。それをベロアは身を逸らしてかわすが、続けて入る左ストレートをもろに脇腹に食らう。
「ベロア!」
思わず名前を呼ぶが、ベロアは呻くでも後ずさるわけでもなく、涼しい顔で男を見つめている。
「軽い。その程度のパンチなら脇より鳩尾にした方がいい」
ベロアは男の髪を鷲掴みにすると、男の顔面に思い切り膝を打ち付けてそのまま床に投げ飛ばした。
男の顔面から嫌な音がし、鼻血が吹き出す。ゴロゴロと転がる男は再び受け身を取ると、鼻をおさえてベロアを睨む。
「こんなんじゃまだ終わらないだろ?」
余裕を見せつけるように彼は口の端を釣り上げると、男の目の前にしゃがんで覗き込むような動作をしてみせる。
ベロアの姿に男は悪態と呻き声が混ざったような声をあげ、ベロアの首を掴んで押し倒す。マウントポジションを取った男が振りかざした拳を手首を掴んで受け止める。
「そう言えば、敗者への罰をまだ決めてなかった」
ベロアの言葉を待たずに男は掴まれていない手で拳を作って追撃する。
「お前は何がいいと思う?それともヴィクトールに決めてもらうべきか?」
同じように男の手首を受け止めてギリギリと男の両手首を締め上げる。
「俺は、負けたやつが二度とヴィクトールに触らないとかがいいと思う」
ベロアは俺の腕を勢いよく引き寄せながら男の顔面目掛けて頭突きを食らわす。
男の歯が折れてフロアの床に落ちるのが見えた。男は後ろ向きに倒れると、辛うじてあった意識を手放す。
静かになったフロアは、数秒後には歓声に包まれる。囲っていた人間たちは口々にベロアを賞賛したり、男を憐れむ。倒れた男は店の店員たちが担いでフロアの奥へと運び込まれたのが見えた。
大分ハラハラしたが、驚きの安定感でさすがベロアだなとしみじみ感心する。めちゃくちゃ格好良かったし、今すぐ抱きついて褒めちぎりたいが、ベロアの周囲には知らない人間たちが沢山群がっていて、なかなか近寄れない。
まあ、魅力的な人間の周りには人間が集まるよね。当たり前の話だ。
人だかりからも頭1つ飛び抜ける背の高い彼は周囲の人間には目もくれず、腕を絡めてくる女性や胸板を撫でようとする男をかき分けて俺の方へずいずいと歩いてくる。
「ヴィクトール、勝ったぞ。見てたか?」
囲まれていた時の興味なさげな表情から一転、俺に向ける嬉しそうな笑顔は褒められることを待ちわびているように見えた。
その様子に驚いて思わず目を丸くする。こんな風にされてしまっては、もう勘違いしない方が無理な話だと思う。
「…めちゃくちゃ格好良かった!」
ベロアに抱きついて彼の胸に頬を擦り付ける。本当はキスの1つや2つしたいところだが、屈んでもらわないと身長が足りない。
ベロアはそれを知ってか知らずか俺を抱き上げて目線を合わせる
何も言わなくても通じてしまうところが、また居心地がいいから憎い。
彼の顔にキスの雨を降らして、彼の首に腕を回して抱きしめた。
ギャラリーが釣れないベロアを見ながら残念そうに散っていくのを見届けてから、ベロアはゆっくりと俺を床に下ろす。そのまま俺は彼の両手を掴んで子供がやるように揺らした。
「邪魔者もいなくなったし、お前はなんか知らないけど戻って来ちゃったみたいだから、お酒飲み直す?」
そこまで言ってから、目を細めてベロアにニヤニヤと笑いかける。
「…それとも、俺とも1発ヤっとく?」
「とも?…俺はお前としかしない。それに出来ないみたいだった」
「…出来ない?」
ちょっと意味が分からずに俺は首を傾げる。
「さっきの女に色々されたけど、お前の時みたいにならなかった。固くならないから入れられないって女は怒ってどこか行ったな」
確かに彼が女性に舐められるとこは見たが、それでも勃たなかったという事なのだろうか。
「だから、お前とセックスしたくて戻ってきたら、ヴィクトールは知らないやつに触られていたから俺は腹が立った。思い切り殴って少しスッキリしたから喧嘩して良かった」
なんだか予想外な話ばかりで面を食らう。最近、ベロアといると理解の範疇を超えたことばかりで本当に面白いと思う。
俺はとりあえず彼の手を引いてバーカウンターまで戻る。何はともあれ喧嘩したばかりだ。元気そうだが休憩は挟むべきだろう。
先ほどと同じ席に着くと、マスターが何も言わずに先ほどベロアが飲んでいた日本酒を出してくれた。
「おめでとうございました。こちらはサービスです」
「ありがとう、喉乾いてたんだ」
そう言って彼はよく冷えた日本酒を受け取ると、運動後の水のように一気に飲み干した。
「不思議な味だけど美味いなこれ、おかわりも頼む。もっとコップが大きいと嬉しいな」
「あんまガブ飲みすんなよ」
彼の飲みっぷりに笑いながら、俺はカルアミルクを注文する。甘いそれを口の中で味わいながらカウンターに頬杖をついて、ベロアを見つめる。
「…出来なかったって言うけど、触られて気持ちよくなったりしなかったの?あの人、下手ではなかったろ」
こんな場所に通うような女性で下手なのはあまりいない。いても、ああいう手馴れた誘い方はして来ないだろう。そう考えれば、彼女が下手すぎたって線は薄いように感じる。
「なんだろうな。あの人を見てても楽しくならないし、気持ちよくなるほど集中出来なかった」
「でも、俺と初めてした時はノリノリだったじゃん。なんかそんなに違った?」
立て続けに尋ねると、彼は首を傾げて自身の気持ちと合致する言葉を探しているように唸る。
そもそもスタートラインで考えたら、無理やり麻酔銃で連行したマイナススタートの俺と、興味がなかろうと魅惑的な身体をもつ女性との普通の出会いだ。どう考えても俺と寝る方が楽しくなさそうなのに、ベロアの中で何がそんなに違ったんだろう。
その違いに、少しだけ期待しているのは否めない。だから、聞かないわけにはいかなかった。
「お待たせしました。日本酒、多めにおつぎしました」
悩む彼の前に小さめだが日本酒がジョッキで出てきた…なみなみとしたそれは通常の何杯分にあたるのだろうか。
「あの時、お前の事を見てたら心臓のあたりがキリキリしたんだ。でもあの人にはそれがなかったし、可愛いと思うこともないし…それに、相手がお前じゃないのがなんか嫌だった」
ジョッキに口をつけ、相変わらずぐびぐびと景気よく飲みながら、彼は少し酔いが回ってきたのかほんのり赤くなった顔で答える。
なんだか、そんなことを言われると本当の本当に期待してしまう。じわじわ自分の顔が熱くなってくるのは、飲酒の関係だけではないように思う。
「お前の可愛いって、子供とかを見てる時と同じやつなんだろ?さっきの人は好みじゃなかった?」
「その可愛いと子供のは違う」
「じゃあ…なんだよ…」
柄にもなく心臓がバクバクしていて破裂しそうだ。聞きたいことはたくさんあるのに、どうにも言葉の先が出てこない。半分くらいまで減ったカルアミルクを見つめて、深く息を吐く。
「…お前の好きっていうのは、これからずっと俺と一緒にいたい好きなの?」
「そうか、そういう言い方もあるのか」
ベロアは探していた答えを見つけたような顔で目を丸くする。唐突に俺に向き直り俺の顎をつかんで目が合った。彼はだいぶ酔いが回ってしまっているようで、顔は耳まで真っ赤に染めて目は少し潤みぎみだ。目の端に映る彼のジョッキはもう既に空っぽになっている。
「俺の好きはヴィクトールとずっと一緒にいたい好きだ。お前が他のやつといるのがどうにも腹が立つ好きだ。他のやつに触られたくないし、俺も他の人を触らない好きだ」
酒の所為か的を得た表現を見つけたためか、いつもより饒舌に話す。顔を寄せた彼の口が酒臭いのを除けばそれはまるで、恋愛漫画のクライマックスシーンのようだ。
「…これが酔っ払ってなかったら、信頼度カンストなのになあ」
思わず笑いながら目の前に迫っている彼の口に軽いキスをする。
「それはもしかしたら恋愛の好きかもしれない。そうだとしたら、お前は俺と恋人になりたい?」
真っ赤になったベロアの顔に手を添えると、驚くほど熱い。これは完全に出来上がってるぞ。
「恋人になったら、俺じゃない奴とデートしたり、体触らせたり、一緒に寝たりしないのか?」
「子供と昼寝とかはあるだろうけど、性的な意味では寝ない。俺はお前にしか、こういう事しないよ」
俺が答えるとベロアは倒れこむように俺を抱きしめる。彼の体重が全身にかかってきてうっかりバランスを崩せば潰されてしまいそうだ。
「じゃあ恋人になる。今日みたいにお前が触られていたら、今度はそいつを本気で殴るかもしれない」
「今日の本気じゃねーのかよ」
彼の背中に手を回して抱き締め返しながら、声をあげて笑う。喧嘩の話になると、コイツのスペックはバグってると思う。
「…じゃあ、今日から恋人。それでいい?」
俺の肩に顔を埋める彼の耳元で囁くように尋ねる。
「…俺だけのヴィクトール」
彼も囁くように答えるとより一層強く抱きしめられた。
「セックスしたい…」
それに付け加えるように呟くと彼は肩に埋めた顔をぐりぐりとこすりつける。
「お前、べろべろだけど出来んの?」
頭を撫でながら聞くと、「やる…できる」と少し呂律の回り切らない口調で返事を返した。
「やれるんなら付き合うよ。喧嘩で格好いいとこ見せてもらったし、面倒なやつとの縁も切ってもらった。お礼に好きにしていいよって言おうと思ってたけど」
そんな酔ってるなら無理だよなと言いかけた俺を彼はいつものように抱き上げてふらふらと危なっかしい足取りで広めのベッド席に向かう。
「地面が揺れる…歩きづらい…」
「揺れてるのはお前だよ」
ベッドに倒れこむように俺を下ろすとくらくらと頭を揺らしながら俺に覆いかぶさり首を食んだ。
「ははっ、くすぐったい」
首を撫でる舌の感覚に身をよじる。ベロアを軽く押し返すと、自分のシャツのボタンを開ける。ここで破かれたら帰りに着るものがなくなってしまう。
彼も自分のズボンを脱ぎ捨てると既にぎんぎんに上を向いているそれを俺の顔に擦りつけるように当ててくる。
「俺が相手だとすぐ元気になるのにな」
ニヤニヤと笑いながら、顔に擦り付けられたそれに手を添えて頬ずりをする。軽くキスをしてからそのまま口の中へと入れ、舌で奥へと誘導する。
先ほどの喧嘩でこのフロアの有名人のベロアがベッドに移動したのを、一部のギャラリーは気付いていたようで数人が遠巻きに見ながら小さな声で何かを話している。聞こえる限りでは、ベロアのが特大サイズで驚いた話だろうか。わかる、俺も初めて見た時は驚いた。
片手でシャツを脱ぎながらベロアのものを口で丁寧にしごく。
「きもちい…」
ベロアは目を細めると俺をベッドに倒してそのまま腰を押し込もうとする。
口の中の物が喉の奥に向けて進んでくる感覚に慌てて俺はそれが喉に届かない位置で止まるように手を添える。
「止めないでくれ」
甘く囁くような優しげな声だが、さすがに喉奥を突かれたら吐いてしまうかもしれない。彼は半ば無理やり俺の喉をめがけて体重をかける。
危機感を感じてベロアの身体を力任せに叩いて首を横に振る。
「…あ、すまない」
流石に気づいてくれたらしく喉に差し掛かっていたベロアの物がずるりと引き抜かれ俺は安堵のため息をつく。
「お前の大きいから、俺の口じゃ全部入らないよ。いれるならさっきのとこまで」
シャツのボタンが全部開いたので、彼のものを両手で持ち直して撫でる。いつもは両手で入っていない部分をしごいていたから大丈夫だったのが、片手だと物足りなかったのだろう。慣れてないんだから、仕方ない。
「…ごめん、苦しかったか?」
「うんにゃ、大丈夫。気にすんな。もう1回する?口じゃ物足りない?」
何でもないように笑って見せて、俺はまだ硬いままのそれの先端を軽く吸う。
「もう一回してほしい、今度は動かない」
反省したように肩をすくめて彼はベッドに足を延ばして座る。俺の髪を解くように撫で、その手を頬や首に移動させながら目を細めてこちらを見た。そんなに嬉しそうに見つめられてはやる気も倍増するってものだ。
彼の足の間に座り、上を向いたままのそれに片手を添える。それを口で迎えに行き、舌を絡めながら吸う。
空いたもう片手で自分のズボンの前を開け、それを下着ごと下ろしていく。膝まで降りたそれを足で蹴るように脱ぎ、ズボンを脱ぐのに当てていたもう片手もベロアに添えた。
ベロアのはたまに汗の匂いがするから少しだけ苦手かもしれないと思った時期もあった。でも、慣れなのか惚れた弱みなのか分からないが、最近はこの匂いを嗅ぐとなんだかムラムラしてくるまである。
舐めているうちに愛おしいような嬉しいような、どちらとも言いきれない気持ちになって夢中でしゃぶる。
「はあっ…それ…好きだ」
少し荒くなった息遣いで、囁くような反応を見せる彼が愛しい。彼のストレートな好意の言葉は聞く度に胸が苦しくなる。
ふと視線を感じて目の端で周囲を見ると、ギャラリーが増えている。みんなが抱かれたいベロアに俺だけが選ばれてるって控えめに言ってちょっと優越感だ。
彼の玉を優しく揉んだり、根元を丁寧にしごきながら舌と上顎で挟んで先ほどより激しくしごくと、ベロアは伸ばしていた膝を折り曲げ、腹筋にも徐々に力を入れる。
「うっ…ヴィク…トール…出そ…」
言い終わる前に彼は俺の頭を軽く抑えて、口の中にドロドロの液体をぶちまける。
今まで経験したセフレ達の中でもかなり強い男性特有臭いと、彼の臭いと風味が口の中に広がる。口の中に収まりきらず、出た先から飲み込んでいるのに口の端から漏れ出してしまう。
それを飲み込み、口の端を指で拭った分も舐めとる。
「…ご馳走さま。まだ、おかわりあります?」
気持ち良さそうに目を細めてこちらを見ているベロアを見下ろして笑いかけ、彼に背を向けて羽織っただけのシャツをめくって下半身をチラつかせる。
「こっちにも欲しいんだけど、ダメかな?ダーリン」
ベロアはゆっくり起き上がると、俺の肩から滑らせるようにシャツの袖を抜かせながら首を食む。柔らかい彼の唇の感触に肌が泡立つようにザワつく。
「まだまだ足りない」
後ろから絡みつくように腕を回して俺の胸を撫であげる。背中に直に伝わる温もりが気持ちいい。
「っ、はぁ…それ好き…」
「可愛い声だ」
俺の反応を楽しむように乳首を転がしたりつまんで軽く引っ張られる。まだ始めて間もないのに、それだけで震えるくらい気持ちがいい。
しばらくそうしていると彼に腕を引かれて俺はベッドに仰向けで倒れた。
隣に横になったベロアが鎖骨の辺りから少しずつ滑るように舌を移動させ、胸の先端を唇で摘む。
俺の股に萎える気配のない自身の挟ませてゆるゆると腰を動かしながら、丁寧に愛撫されていく。
「すごいそれ…考えたことなかった…」
初めて経験する体位に興奮で熱い息が漏れる。彼が気持ちよくなるように出来るだけ内ももで挟んで、両手で先端を撫でたりなぞったりする。
体格差の関係ではあるだろうが、こうもあちこち愛撫されながらだと、全身に彼の温もりが散っていて嬉しい気持ちになる。ベロアを好きだと自覚する前はこんな気持ちになったことがないから不思議だ。
ベロアの口の中で胸の先を舌で転がされたり、甘噛みされると頭の芯が痺れてくる。
「はぁ…ヴィクトール…もっと聞かせてくれ」
ベロアは堪えたような声で俺を求めて体中を擦り付ける。
彼の先から溢れる汁で濡れた俺の股に手を滑らせて、俺の1番好きな場所の入口を指先でぬるぬると撫でた。
「触って…ベロアに触ってもらうのが1番好き。早く入れたい」
彼の頭にキスをしながら自ら腰を寄せて、指を入れやすいように誘う。
ベロアはそれに答えるように指先からゆっくり押し入れて、中をぐるぐると掻き回す。
抜いたり、押し入れたりする動きと掻き回す動きで隅々まで性感帯を探られていく。
もう手馴れたものなのか、ベロアはすぐに好きな場所を探り当てる。指で触られているだけなのに、もう身体の震えが止まらないくらい気持ちいい。
「ん…っ、待って…もう、イきそ…」
ゴムをつけるタイミングを見失っていたを思い出し慌てて脱ぎ捨てたズボンに手を伸ばすが、彼は俺の手を取って引き寄せると唇を重ねてくる。
「いらない、そのままでいい」
その間にもベロアは俺に入れていた指を2本に増やし、俺の弱い場所ばかりを刺激してきた。
彼はそそり立つ俺のものを包むように手を添えて、促すように先端を優しく擦る。
「うぁ…同時だめ、でっ、出るからぁ…」
気持ちいいのにゴムがなくて汚れることを考えると、理性が邪魔をして我慢してしまう。
それでも優しく気持ちの良い場所ばかり責められて、腰がガクガクと大きく震える。
「ああ、だめ、もうだめむりむり…っ」
腰の震えが全身に広がり、どうにもならずにベロアにしがみつく。それとほぼ同時に腹の当たりに暖かい液体が出る感覚。強い快感に痙攣を起こり、手足が突っ張る。
「はぁ…」
ベロアにしがみついていたが、それは次第に心地よい余韻と共に落ち着いてくる。息を吐きながらベロアに巻き付けていた手足から力を抜き、ゆっくりとシーツに横になると、ベロアの顔を見ながら俺は笑う。
「…出ちゃった…」
彼は自分の手に付着した俺の体液を見つめ、スンスンと匂いを嗅いでから厚い舌でそれを舐めとる。
「…お前の味だ」
ニヤリと笑ってベロアは起き上がると、俺の腹にも零れたそれも舐めとった。
汚いから嫌だと思っていたのに、そんなことを言われるとちょっと得した気持ちになるから我ながらちょろい。今まで精液を飲ませたがるセフレの気持ちが理解できなかったが、こういうのを期待していたのだろう。
腹を綺麗にされると彼は俺の腰を持ち上げて四つん這いにさせる。
尻を撫でながらベロアは俺の露出した穴をまじまじと見つめているようだ。
誰かに見られてると興奮してしまう質なのだが、ベロアが見ていると尚更だ。彼の視線に穴がひくつく。
「誘ってるのか?本当に可愛いな」
彼の言葉に俺は首だけで振り返って笑い、尻を小さく揺らす。
俺の物欲しそうに動く穴を撫でると、彼はあの厚い舌でその場所をべろりと舐める。
繰り返し舌を往復させると、舌先が窪みに差し込まれ押し込むように中に侵入してきた。
「っ!?あっ、すごい、きもち…っ、ぬるぬるする…」
てっきり本番だと思っていたので、中に入ってきたものが舌で驚きのあまり腰が跳ねた。それでも、熱くなったベロアの舌で中をいじられると、とろけそうなほど気持ちがいい。
舌を出し入れしたり時折唇をつけて吸い上げられる音と感覚に身体から力が抜けて、上半身をベッドに沈めた。
下半身だけは辛うじて膝で支えるが、上半身は完全に下がりきった状態でベッドにしがみつく。ベロアの舌と唇の感覚に息が荒くなり、酸欠になったようなふわふわとした感覚に襲われる。思考がとけてなくなりそうだったが、同時に下腹部が寂しくてぎゅうぎゅう痛みを発してくる。奥にもっと気持ちよくなる場所があるのを知っているから、念入りに入口を刺激されては恋しくなってしまう。
「べろぁ…おくぅ…おなか、っさみしい…」
シーツに頬を押し付け、締まりきらない口からだらしない催促の言葉が脳を介さずに漏れだしていく。
念入りにとき解されてグズグズになった入口は熱を持ち、出入りする彼の舌を奥に招きたくて伸縮を繰り返す。
「俺はもう少し舐めてたいな」
俺の前のものも一緒に刺激しながらベロアは焦らすように舐め続ける。
「あ~っ、やだっ、きもちいけど、ちが…っ」
同時にくる快感に身悶える。四つん這いから徐々に気持ちよさに負けて身体が横に倒れていく。
弄られる前から刺激に合わせて少量の精液が滴る。
「気持ちよさそうじゃないか」
倒れていく俺の身体を片腕で支えながら、ベロアは二本指で穴の中をめちゃくちゃにかき回し、背中にキスを落とす。
彼の長いドレッドが背中や脇腹に触れると、まるで彼の複数の手に撫でられているようで、ますます興奮してしまう。
「やだぁ…べろあの、いれたい…っ!おく入れてぇ…」
身体を支えてくれている彼の片腕に身体を擦り付けて懇願する。気持ちよくて何度も軽くイッてるはずなのに、寸前で我慢させられているような辛さがあった。
「何がそんなに欲しいのか、それじゃわからない」
ベロアは俺の体を抱き起こして涙を舐めとるようにキスをする。
「何が欲しいか言えたら、好きなだけしてやる」
快感からなのか辛いからなのか分からない涙で潤んだ視界でベロアを見上げ、首に手を回す。
熱くなった吐息で彼の耳元に口を寄せて小さく声を出す。
「ベロアのちんちん、なかにいれて…1番奥まで…」
「かわいいお強請りだな、意地悪してよかった」
彼はくすくすと楽しそうに笑って俺を仰向けに倒すと、直ぐに自身の物を待ちわびた場所へあてがう。
先端を差し込むと、そのまま体重をのせてずるずると奥へ推し進め、俺の中に圧迫されるような快感が走る。
悲鳴にもとれる高い声が口からたれ流される。腰が大きく痙攣して、ベロアが一番奥に到達すると同時に自分と彼との身体の間に温かい液体を吐き散らかす。
頭の中が真っ白になる。ただもっと強い刺激が欲しくて、ベロアの腰に足を巻き付けて腰を揺らす。
「ほら、これがいいんだろ」
俺に顔を寄せてにやりと目を細めると彼は勢いよく腰を打ち付ける。
最奥を更に押し広げられてしまいそうなほど強く突かれる感覚に声が無遠慮に口から飛び出す。
「あ"ーっ、きもぢい…っ!すごいよぉ…べろあ、おっきい"よぉっ」
頭の中が完全に溶けていてみっともない声が出る。奥に入れられて引き抜かれるだけで、腹の中がめちゃくちゃに掻き回される。
奥に届く度に前から射精が止まらず、俺の腹は自分が出したものでべしょべしょだ。
「べろあっ、中に出してっ、中ちょうらいっ」
「わかったっ…好きだ…ヴィルっ」
ふわふわした思考の中で不意に聞こえた聞き慣れない呼び名が、なんとなく自分のことだと分かる。
身体に回されたベロアの腕に力が入り、締め付けられるような感覚とともに中に熱くてどろどろとした彼の物が吐き出される。ドクドクと中で脈打ちながら複数回の波に分けて注がれるのがわかった。
腹の中に大量に出されたそれに足がつっぱって震えた。ずっと寂しかった中が満たされるのは、いつだって嬉しいが今日は格別だ。
少しスッキリした頭で余韻を噛み締め、ベロアに抱きついたまま唇を重ねる。舌を入れると彼は当たり前のようにそれに答えて絡めてくる。
味わうように何度も繰り返し、口を離すと名残惜しそうに口から透明な糸をひいた。
「…ヴィルって俺のこと?」
息を整えながら彼の額に自分の額を擦り付ける。彼の深紅の瞳をまっすぐに見つめて尋ねると彼は目を細めて笑う。
「呼びやすくていいし、ヴィクターよりもっと特別だろ」
乱れて目にかかった俺の髪を手で分けてベロアは俺の顔をまじまじと見つめると「かわいい」と何の脈絡もなく呟いては俺の頬を撫でた。
「ベロアも格好いい。いつでもね」
彼と同じように俺も相手ね頬を撫でる。
先ほどまでの溶けた思考では気付かなかったが、不意に視線を感じて周囲を見ると、知らないうちに結構なギャラリーが俺たちを見ていた。
俺の中に全部ベロアのが入るのが凄いとか、ベロアに抱かれてみたいとか、物好きは俺にも興味があるなんて話している。
「…結構な注目集めてるけど、休憩室行く?それともあえて見せつけてく?」
ベロアに視線を戻して、少し悪そうな笑みを作って見せる。
「このままでいい。もっとヴィルを感じたい、移動するのも面倒だ」
彼は繋がったまま体を起こして自身に俺をよりかからせるように座る。沢山の視線と向かい合うように俺を向け、腕を後ろに引いてギャラリーに見せつけるかのように胸を張らせた。
「これだと顔が見えないから、沢山声を聞かせてほしい」
下から突き上げるように腰を跳ねさせ、空いた手はぷっくりと赤みを帯びた胸の先端に当てられる。
突かれるたびに俺の体も大きく跳ねあげられて、それに合わせて局部もみっともなく揺れ、飛び出す精液を撒き散らかしていく。
「あ~っ、後ろから好き…っ」
ベロアの動きに合わせて自分も腰を上下に動かす。中に入れられたままの彼の精液が動く度に太ももを伝う。中が衝撃で波打つのは癖になる快感だ。
俺の中にベロアが出たり入ったりする様子をギャラリーが釘付けになって見ている。楽しくなって、喘ぎながら俺は彼らに笑って見せる。
「ベロアのおっきくて、全部擦れる…もうお前のじゃないと、イけない…」
恍惚とした甘い息が漏れる。ベロアに視線だけで振り返って言うと「他の奴の事なんて考えるな」と彼は腰を押さえこんで一層激しく突き上げる。
「俺のこと以外考えるな」
息つく間もなく激しく責められ、自分で動くには腰が震えて余裕が出ない。
「あぁっ、はげし…!まっ…」
「待たない。ヴィルが変になるまでやめない」
ベロアの上で動けなくなった俺を前に押し倒し、再び四つん這いにさせると、彼は先ほどと同じように腕を掴んで俺の上体を逸らす。
「これ好きって言ってただろ」
腰を力強く押し付けられると、奥へゴリゴリと入り込む。電流が流れるように全身に強い快感がかけめぐり、俺は全身を震わす。
「んぉ…お"ぐ、すごい…」
快感にだらしなく開いた口から唾液が垂れる。
ベロアは俺に構わず腕を引いて腰を激しく打ち付ける。中が波打ち、一番奥に押し込まれる衝撃が強すぎて視界がチカチカと眩んだ。
「あ"っ、ぅ、ま"ってぇ…だめぇ…おがしぐな"るぅ…っ」
「おかしくするためにやってる。そのまま可愛くなれ」
中で彼が往復するだけでビクビクと痙攣が起きる。前から射精が止まらず、後ろから漏れ出すベロアのものと一緒に下で水溜まりを作っていく。
気持ちよすぎて半ば意識がなくなっていくが、前から出る分がなくなってきたのは、こんな頭でもなんとなく分かる。
「ごめんなさ、ぁい…も"う出ないっ、ゆ"るし…」
絞り出すような声で許しを乞う。
「いや、まだだな」
もうとっくに限界だっていうのに彼が腰を打ち付けるたび身体は悦んで、出るものもないのにイき続ける。
途中で何度か熱いものが注がれる感覚もあったが、その間だって彼は腰を止めることもなく俺の中を犯し続けた。
もう言葉も話せなくなって、ひたすら喘ぎ続けていると、不意に空になったところに別のものが込み上げる。
奥に強く押し付けられた瞬間に、勢いよく前から液体が吹き出す。射精にも似た快感にガクガクと身体が震え、全身から力が抜けた。
「ヴィルのその顔、好きだぞ」
ぺたぺたと顔を触られる感覚に俺はぼんやりとした意識の中で少し笑う。
「べろあ…すき…」
彼の顔に手を伸ばすが、瞼が重くて遠近感が掴めない。彼の顔に届かないまま落ちていく俺の手をベロアの大きくて熱い手が握る。
「少し休むか、疲れただろ」
腰のあたりをトントンと優しく叩かれて、俺はゆっくりと目をつぶる。ベロアの手を残った力で少しだけ引っ張ると、彼も隣で横になって抱きしめてくれた。
なんだか幸せな夢でも見ていたような甘い余韻の中で、眠りにつく。
セックスはその場限りの逃避で、次に目覚めた時はいつだって疲れだけが残る。あまり身体によくないという自覚はあった。
だけど、こんなに穏やかな気持ちで眠れるのは、そう身体に悪いことではないような気がする。ベロアを前にしたら、きっと明日も明後日も同じだけ楽しんで、同じだけ気持ちよく眠れる。相手も同じ気持ちなら、それだけ嬉しいことはなかった。
次に目を開けると、前に何度か見たことがある店の休憩室の天井が視界に広がっていた。相変わらず隣にはベロアが全裸のまま寝ていて、がっちりと両腕で俺を抱き込んでいた。
相変わらず腰は痛いが、激しいセックスをここ最近連日しているせいか、慣れてきている自分が怖い。いっそ毎日やったら身体が鍛えられるかもしれない。
ヘッドボードに設置されているデジタル時計は朝の6時を指していた。完全に朝帰りだ。
「…ベロア、起きて」
目の前のベロアの頬を両手で挟んで優しく潰す。それくらいで起きるわけもなく、今度は軽く引っ張るが、やはり起きない。
両手に手を添えたまま彼の唇にキスをする。もう一応は恋人なのだから、拒否されることもないはずだ。
あの交際宣言を彼が覚えていれば、だが。
「起きろよ、朝だぞ」
キスを繰り返すが起きる様子がないので、今度は唇を重ねて舌をねじ込む。彼の歯を舐め、その隙間に入り込み、彼の舌に触れる。
「ん…う…」
ベロアは微かな呻き声を漏らすと抱きしめていた手の内の片方を俺の後頭部に添えて舌を絡めてくる。しばらく絡めあったり、吸ったりを繰り返して唇を離すと、彼はぼんやりと薄目を空けて俺を見つめていた。
「おはよ」
「うん…ああ…」
ベロアはまだ眠いのかゆっくりと瞬きしながら焦点を合わせているようだった。そんな様子が可愛くて彼の頬に自分の頬を優しくこすりつけて、軽いキスを音を立ててする。
「ここ休憩室だよな。お前が連れてきてくれたの?」
「店の人間が良ければ休ませてやれって案内してくれたから、俺がヴィクトールをここまで運んできた」
疑問だったことを尋ねるとベロアはまだ眠そうな声でぼそぼそと答える。会ったばかりの頃よりも彼がまどろんでいる時間が長いのは、それだけ警戒心が解けてきた証拠なのかもしれない。そう考えると嬉しい。
「そっか。お前が力持ちで良かった。ありがと」
口元に笑みが漏れる。まどろむ彼の頬を軽くこねながら、俺は首を傾げて見せた。
「ところで、ヴィル呼びはもうおしまい?昨日は俺と恋人になるとか言ってたけど、覚えてる?あれも恋人ごっこの延長線だった?」
わざと意地悪く問いかけるとベロアは罰がわるそうに頬をかいて目をそらす。
「俺とお前は恋人だ。もうごっこじゃない…けど、ヴィルでもいいって言われなかったから嫌なのかと思った」
「そう?すごく嬉しかったから、今後ともそれでお願いしたいなって思ってたんだけど?」
目を細め、彼に促すように首を傾げて見せるとベロアははにかんで笑う。
「…ヴィル、昨日は楽しかった」
「俺も。これから恋人ってんなら、もう遠慮はいらないな」
俺は彼に尖った歯を見せて笑う。
「またやろ。また2人きりでも楽しみたいし」
「そうだな」
そう言いながら起き上がる彼は少し調子悪そうに顔を顰めて頭を押さえる。
「頭が割れそうなほど痛い…それになんだか気持ち悪い」
「あれま、二日酔いかな」
痛そうにするベロアの額を優しく撫でながら部屋を見回す。何か冷たいものでも頭に当ててやったら楽になるかと思ったのだが、俺の目に映ったベッドのサイドボードには、見覚えのある小さめジョッキが置かれている。
「…もしかして、あれからまた呑んだ?」
「動いて体は暑くなったし、喉もかわいたからな、あの不思議な味の水をもらった」
相変わらず予想していなかった返事が返ってきて、俺は噴き出してしまう。
「ははっ!水だと思ってたの?あれお酒だよ、結構強いやつ。ガブ飲みしたら頭も痛くなるさ」
まだ痛む身体をゆっくりと起こし、ベッドに腰掛ける。傍の椅子に放られてあった自分の服を手に取り、それらを身に着ける。休憩室に設置された申し訳程度の小さな冷蔵庫を開けると、中にはよく冷えたミネラルウォーターが入っている。それを手に取り、ベロアの頬に当てる。
「ほら、本物の水だ。アルコールは喉が乾くからちゃんとした水分とっとけ」
冷たいボトルが気持ちいいのかボトルを受け取り頬に当てているベロアを見ながら、俺ももう一本のミネラルウォーターボトルを手に取って、棚にあるコップに注いで口をつけた。
ベッドに腰を掛けるとまだだるそうなベロアが俺の膝に頭をのせて来る。
「まだちょっと時間あるし、ちょっと休んでから帰るか。二日酔いで起きてすぐ動くのも辛いだろ」
彼の頭を撫でながら声をかけると、少し辛そうに「ああ…」と声を漏らして目を閉じる。
「…ベルガモット」
「ん?ああ、部屋のアロマか」
ふいに彼の口から出た言葉に部屋を見渡すと窓際の小さなテーブルセットにアロマポットが置かれている。ベルガモットの上品な匂いがほんのりと香っている。
「お前、香りの名前なんてわかるんだ。そういうの疎いと思ってた」
「いや…花の匂いとかそういうのは知らない。でもこれはよく知ってる匂いだ」
そう呟く彼の横顔はなんだか、いつになく寂しそうに見えた。
「思い出の香りか何か?そうなら聞きたいな。…もし嫌だったら聞かないけど」
彼に寂しい顔をさせるような思い出なんて、きっと良いものではないだろう。それでも、好きな人間のことを知りたくなってしまうのは許されたい欲求だ。
控え目にリクエストすると、ベロアは少し間を空けて話し出した。
「母親を思い出す匂いだ。といっても…産みの親だったかはわからない。でも記憶の中では一番長い間、母だった人だ」
俺は黙って彼の話に耳を傾ける。頭を撫でながら、聞いているのが分かるように口元に笑みを絶やさずに小さく頷いた。
「俺がまだ匙くらいの子供だった時だな。その時の母はあまり身体の強い人ではなくて、住んでいた場所もここよりもう少し貧富の差が激しくて治安の悪いところだった」
目を細めてどこか遠くを見ているような顔でベロアはぽつぽつと話始める。
「それでも俺が腹を減らさないように金持ちに物乞いして…髪をぐちゃぐちゃにして、酷いときは殴られて帰ってくる事もあったけど、なんとか俺を育ててくれてた」
当時の彼はきっと、母がどうやって物乞いをしていたのかは知らなかっただろう。しかし少し悲しそうにそれを語る彼は、今はなんとなく母親の身売りを理解しているのかもしれない。
「でも、怪我が祟って元々体の弱かった母は体調を崩してしまった。高い熱が出て苦しそうで、俺は何とか彼女に元気になってほしくて、匙くらいの年で初めて盗みをやった」
匙くらい…というと5歳くらいの時だろう。そんな歳で盗みを働かなければならないのは、上から目線の感想だとは理解しているが、やはり不憫に思う。
俺は話を邪魔しないように、小声で相槌を打つ。
「お前の家みたいな大きい屋敷の庭に、すごくいい匂いの実がなっててな。それを食べたらきっと元気になってくれると思って、一つ盗んで母に食べさせた。彼女は「おいしい」ってすごく喜んで食べてくれた」
「それって…もしかしてベルガモット?」
少し困ったように笑いながら話したベロアに俺はふと浮かんだ話の答えを問いかけた。
「ああ、その時母がその実の名前を教えてくれた。でも結局母は回復しなくて、俺が眠っている間に知らない女に殺された。その人が次の母親になった」
再びベロアは静かに目を閉じて静かに呟いた。
「後で知ったんだ。ベルガモットは苦くて食べられない。あの時母は苦いのを我慢して「おいしい」って食べてくれた」
ベルガモットは紅茶やお菓子の香り付けや、アロマによく用いられるがその実はかなり苦く生食には向かない。彼の話では彼女もまた、利益欲しさに物心つく前の彼を別の母親から奪った人物なのかもしれない。しかし、身売りしてまで面倒を見て、彼の好意を傷つけないように耐えた行為だけ聞くと本当にベロアの事を大切にしていたように感じた。
「それだけだ。あんまり面白い話じゃなくて悪いな、人に話したのは初めてなんだ」
彼は照れくさそうに笑うと「少しマシになった」と言って起き上がった。
「お前のことが知れて嬉しいよ。話してくれてありがとう」
思ったことをそのまま口に出す。聞けて嬉しいが、やっぱり切ない思い出だ。
「…母親のこととか、自分の素性ってやっぱり気になる?」
隣に座るベロアの横顔に尋ねる。正直な話をすれば、俺は気になる。ベロアがどこで生まれて、どうやって育ったのか。ベロアの母親が分かれば、彼が知らない自分の本来の姓だって分かるはずだ。
ベロアが自分に頓着ないように見えていたから、勝手に興味がないものだと思っていた。
「どうだろう、わからないのが普通だったからな…でもヴィルの母親とか見てると、自分にもそういう目の色とか肌の色とか同じ人間がいたのかとかは興味はある。さっき話した母は白い肌に金色の髪だった」
サイドボードに置いていた半分水の残ったボトルを手に取り、それを飲み干してゴミ箱に捨てる。
「でも、きっと随分前に死んでるだろうし、知って会える訳じゃない。俺が覚えてないんじゃ知りようもないしな」
彼の言葉は諦めか無頓着かは判別しづらかったが、少しは興味があるようだった。
「…じゃ、何はともあれ調べてみる?」
俺が提案すると彼は目を丸くして尋ねる。
「どうやって?俺は生まれたときのことは何にも覚えてないぞ」
「お前の肌や髪は黒で、優性遺伝子だ。色素が濃い方が継がれるのを考えれば、必ず近い親族に同じような色を持った人間がいるはずだ。その母親が本物で、死んでいたとしても父親がいる。そうなりゃ、父親が同じ肌や髪色だろう。探す手がかりはゼロじゃないさ」
そもそもベロアがこの辺の地区で生まれたなら、黒い肌は目立つ容姿だ。目撃情報くらい残っているかもしれない。
「調べるのが難しいのは確かだけどさ。これでも俺はブラウンシュヴァイクの跡取り息子だぜ?恋人のネームバリューは活用しといて損は無いと思うけど」
ニッと口の片側だけ上げて笑って見せる。
情報屋や掃除屋たちにかけあってみれば、何か出るかもしれない。多少無理があっても、名前特権で多少のゴリ押しは可能だろう。
「本当にヴィルは不思議な強さを持ってる、俺が唯一勝てなかった相手なだけあるな」
ベロアはくっくっと喉を鳴らして笑う。
「そんなに言うなら、やってみるのも面白いかもな」
そう答えた彼は少し嬉しそうに見える。彼の本当の親が見つかって、もし生きているのなら見てみたい。
会わせるかどうかは…ベロアにとってプラスにならないなら、したくはないが。
ベッドの上に足を乗せて座り直すが、時計を見ると1時間ほど経っていた。こうやっているのが恋人として許されているなら、なんだか帰るのが少し惜しい気持ちになってしまうが、子どもたちもあと数時間もすれば起きてくるだろう。心配がないわけではないし、一晩楽しませてもらった分、遊んでやりたい気持ちも勿論ある。
「もうすっかり朝だから帰らないと。みんな心配してるだろうし」
ベロアに肩をすくめて見せる。
「本当だ、のんびり話していたらもうこんな時間か」
ベロアも時計の読み方は知らないものの、明るくなっている外の様子に苦笑いして答えた。
「その…昨日は…何かわからないけど気持ちが盛り上がって、ちょっとやりすぎた…ゴムってやつも付けさせてやらなかったし、気を失うまで無理させてすまない…」
帰ると言いつつ、だらだらとその場に居座っていると、少し名残惜しそうに帰り支度を始めるベロアの背中から申し訳なさそうな声が聞こえた。
「あー?アルコール入ってたからじゃない?楽しかったよ」
彼がズボンに足を通すのを見守りながら俺はニヤニヤと笑う。
「思ってたよりベロアって、焦らしたり意地悪したりすんの好きなんだね。驚いたなあ、Sっ気ある感じ?」
「Sっ気?俺は別に意地悪好きなわけじゃない。ヴィルが可愛くなるようにするとそうなるだけだ」
少しムキになったような口調で弁解する彼に、ますますニヤニヤしてしまう。
「じゃあ、ああいう態度を俺がとらないならやめるんだ?」
なんて意地悪を言ってみるが、別にやめて欲しくないし、なんなら焦らされたりしたら俺が興奮してしまうのは直らないので無理がある。
でも、昨日はちょっと意地悪されたんだから、俺も少しくらい意地悪返したっていいだろう。
「それは約束できない」
なぜか自信満々に答える彼に思わず声を上げて笑ってしまう。
「わかる。俺もできないわ」
ひとしきり笑ってから俺もベッドから降りて帽子を被った。
「とにかく楽しかったんなら、また来る?それとも別の店にチャレンジする?」
「別の店?」
「俺セックス好きだから、こういう店に詳しいんだよね。威張れた話じゃねえんだけど。今日みたいなのもあるし、ちょっと変わった道具を貸してくれて二人きりで遊べる店とかね。俺の一押しは…まあ、実際に行けば分かるか」
ズボンを履き終えたベロアの隣に経ち、彼のTシャツを手に取る。それの入口を開いてベロアに差し出す。彼は何かを疑問に思うでもなく、息をするようにそれに腕を通した。
「今日から数日はお前も二日酔いでダウンするだろうし、治ったら行く?そんな急ぐものでもないから、いつでもいいけど…どうしたい?愛しの狼さん」
「狼?…ヴィルが好きなのは俺じゃないのか」
愛称の意味がわかっておらず、別の物を愛しと呼んだと思ったのか彼は少しむくれた顔で俺をにらむ。
「狼はお前のこと。愛称みたいなもんだよ」
「…そうなのか?狼ってなんだ、俺の名前に全然似てない」
訝しげに首をかしげる彼に俺は腕時計を操作して狼の写真資料を映しながら答える。
「ベロアによく似た格好いい動物だよ」
地上がまだ生き物が住める環境だったころ、森や山なんかに生息していたらしい。犬と似ているが彼等は強く逞しく、何にも縛られず自由に生きる。『一匹狼』なんて言葉はそんな彼らの生態から生まれた言葉だそうだ。今では地上にあるという野生動物保護シェルターに数匹残っているだけ。俺は剥製を一度だけ見たことがあるくらいだ。
「…そんなに似てるか?俺にはわからん」
腕時計のディスプレイに映し出された狼の写真を見ながら彼は首を横に振った。
「似てる似てる。建物の上を走ってるお前ってこんな感じ。ゴリラの物まねも大概上手いけど、遠目から見てると狼に近いと思うよ」
どうしても直観的な表現をする時は猿やゴリラを引き合いに出してしまいがちだが、遠くから見ていた頃からずっと彼は鳥や狼に似ていると思っていた。
「狼は自由で力強い生き物の象徴だ。空を走る狼って言ったら、ちょっとロマンチストすぎるかね」
自分で言いながら喉で笑う。恋は人を詩人にさせるとはよく言ったものだが、他人にこんなことを言うようになる日が自分に来るとは思わなかった。
「ヴィルの憧れた姿が空を走る狼なら、俺はこれからもそうあり続ける。自由で力強くいてやる」
そう答える彼には、あの日見た建物の上を走っていく姿と同じ力強さを感じた。
「さて、清算して帰ろうか。結局お泊りコースだったな」
ベロアが服を着終えたのを確認し、俺は出口の前に立って彼を手招きする。鍵を開けるのに空いた片手を彼はさりげなく取って繋ぐ。
「恋人なら、もういつでも繋いでいいものなんだろ?」
彼に繋がれた手を見下ろして、俺は少しそれを見つめてから頷いた。
「まあね。思ってたより積極的だよな、ベロアって」
ドアをくぐって休憩室を出る。店の出口にあるカウンターで清算をしていると、俺たちが酒を飲みながら喋っていた時にいたマスターが通りかかり「おめでとうございました」と二回目のお祝いの言葉を貰った。一瞬なんのことだろうと思っていたが、そういえばカウンターでベロアに交際宣言されたことを思い出す。なかなか照れた。
家に帰るとまだ子どもたちは眠っているようで、窓から入り込む薄明りだけで照らされたリビングのベッドに腰を降ろす。
「なんやかんやでこのベッド使うの初めてじゃない?」
昨日、家に届いて置いたまま放置されていた真新しいセミダブルベッドを撫でる。
「本当だな、こっちのベッドは汚さないように使わないとな?」
何か言いたげにニヤリと口元を笑わせた彼が隣に座るのを待って、俺は肘で軽く小突きながら笑い返す。
「どっかの誰かさんが激しくしなければ汚さないんで済むんですが?」
わざと憎まれ口を叩きながら、俺はベッドに横になって欠伸をする。よく寝たと言えば寝たが、ここの所は身体を動かしてばかりで俺にはハードワークだ。そのほとんどがセックスなんだから、自業自得にもほどがあるがまだ寝たりない。
「ベロアも頭まだ痛いだろ。子どもたちが起きてくるまで一緒に寝る?」
俺の隣をぽんぽんと叩いて示すと彼も倒れるように横になり前から俺を抱き込んで頬擦りしてくる。
「このままずっと長く寝られそうだ…」
そう言ってから彼が眠りに落ちるのは早かった。
散々セックスした後は疲れもあってよく眠れるが、ベロアとは普通にくっついていても気持ちいい。彼の腕の中で身を寄せると、あっという間に眠気が襲ってくる。
俺の母親は、俺が元気になるようにと避難の意味でベロアにここへ連れ出すように頼んだという。犬を殺すきっかけを作ったり、父親に絶対服従だったりと、何かと好きになれなかった母親だが、今回ばかりは少しだけ感謝している。
ベロアの母親が本物であれ偽物であれ、彼に良い記憶を残す存在であったなら、血が繋がっている俺の母親だって同じような想いを抱いているものなのだろうか。
ベロアの腕の中で子守歌を口ずさむ。ああ、そうだ。こうやって俺が覚えているこの歌だって、寝る前の絵本の読み聞かせだって、それは母親が俺にやったから覚えているんだ。
ベロアは喧嘩っ早いし、すぐムキになるから、たまに年上であることを忘れそうなくらい子供っぽいと思っていた。だけど、過去にされた不快な出来事だけで永遠に母親を許せないでいる俺と比べたら、自分が慕っていた母親を殺されても自分の足で先に進み続けた彼はやっぱり大人に感じる。
いや、案外同い年だったりもするのかもしれない。それは彼の素性を調べれば分かってくることだろう。
ふわふわとしてくる意識の中に沈む。ベロアの腕の中で見る夢は、内容は覚えていないけどいつも良い夢な気がする。
颯に上に乗られて飯をせがまれて目が覚めるのは、その数時間後のことだ。
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