花束と犬とヒエラルキー

葉月香

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第四章

愛とスープの法則(7)

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「お願い、ローランには何も話さないでください! 僕が武道の達人だなんて、彼は知らないんです。もしも僕の半端じゃない腕っ節を知ったら、ローランはきっともう僕を可愛いなんて思ってくれなくなる…そんなことであの人に嫌われたら、僕、死んじゃいますっ」
 ルネはガブリエルの前に身を投げ出す様にして跪き、涙声で懇願した。そんな彼を、ガブリエルはしばし何も言わずに見守っていた。
「…シュアン、あなたは少しの間席をはずして下さい」
 ガブリエルが低い声で命じるのに、おろおろと2人を見比べていたシュアンはちょっとほっとしたような顔をして、隣接した秘書室の方に戻っていった。
「さて」
 ガブリエルはシュアンの姿がドアの向こうに消えたのを確認し、改めて、がっくりと頭を垂れて床に座り込んでいるルネを見下ろした。
「解せませんね、ルネ…どうして、ローランがそんなことであなたを嫌うなんて思うんです…? それはあなたの才能であり、誇るべきものではないですか。ローランだって、きっとそう思うはずですよ?」
「もしも僕とローランの間に特別な感情が何もなければ――僕がただの部下なら、あなたの言う通り、ローランは僕の武道も特技の1つとして何の躊躇もなく認めてくれたでしょう。でも、恋人となるとたちまち話は変わってしまいます」
「変わると言うと、どんなふうに?」
 ガブリエルはルネの言わんとしていることがさっぱり分からないというかのごとく、そっと首を傾げた。
「男って生き物は――いや、僕だって男なんですけど、少なくとも自分の強さや逞しさを自負している類の男は、自分よりも強くて能力のある相手をライバル視はするけれど、恋人として心を許してはくれないものなんです。僕のことを最初のうちは可愛がってくれても、正体を知ったら、たちまちドン引きして逃げて行ってしまいます」
「…それは、あなたの経験?」
 蘇ってきた苦い記憶に、ルネは床についていた手を、関節が白くなるくらい強く握りしめた。
「そこまで話したなら、いっそ全て吐き出してしまったらどうですか、ルネ。そうすれば、胸のつかえも少しは下りて、気分は楽になるでしょう」
 優しい声に促されてルネがおずおずと顔を上げると、まさに慈悲深い天使のごときガブリエルが柔らかく微笑みかけてきた。
「昔、好きだった人に振られたんです」
 まるで途方に暮れた子供のような自分の声に、ルネは一瞬顔をしかめたが、抑えようとしても言葉は堰を切ったように次から次へと唇から溢れ出して、とめられなくなった。
「高校時代、僕が柔道を習いに通い出した道場の先輩で…すごく強くて、素敵な人で、僕は密かに憧れていたんです。自分が同性に惹かれる性向があることも自覚し始めていた時期で、だからと言って積極的にどうこうできる程の勇気もなかった僕は、彼に認めてもらえるよう、気に入ってもらえるよう、熱心に稽古に打ち込みました。もともと柔道も空手も子供の頃からやっていて…少しブランクはあったんですけれど、基礎があるから覚えもいい僕に、彼はすぐに注目してくれました。それが嬉しくて、もっと熱心に練習して、僕はどんどん強くなっていきました。子供の頃はただの遊びでしかなかったものが、何しろ先輩に気に入ってもらうという目的ができた分、そりゃ集中力も増すってものです。たぶん、僕自身、すごく伸びる時期に差し掛かってもいたんでしょう。自分でも気がつかなかった才能が一気に開花して、その道場にいた3年の間に黒帯までいただきました。全国レベルの大会にも出場しましたし、当時の僕は、この国のトップクラスの実力を確かに持っていたと思います。天才だと周りに持ち上げられて、皆がこんなに喜んでくれるなら、たぶん先輩も喜んでくれるだろうと思っていたんですが…現実は、そうではありませんでした」
「その人は、強くなったあなたを認めてはくれなかったんですか?」
「実は、僕と先輩は一時付き合っていたんです。いつも一生懸命な僕を可愛いと思うって、向うから声をかけてくれたんですよ。まあ、付き合うと言ったって、彼にも同性の僕を相手に躊躇う気持ちがあったのか、たまにキスしたり抱きしめてもらったり、その程度の関係でしたけれど…」
「その時点では、彼はあなたを恋愛対象として受け入れてくれていた。しかし、あなたが強くなりすぎると彼の気持にも変化が生じた…つまり、そういうことですか?」
「ええ、その通りです。付き合い始めて最初の頃は、先輩は僕が大会でいい成績を出す度に自分のことのように喜んでくれました。だから、単純な僕は、強くなればもっと彼に喜んでもらえるものとばかり思って、切磋琢磨して技に磨きをかけたんです。ところが、いつの頃からか、彼は、僕が大会で優勝しても、地元の新聞の記事になっても、笑ってはくれなくなりました」
 ルネは、今でも鮮明に覚えている辛い記憶に息がつまり、抑えようとしてもこみ上げてくる涙にむせそうになった。
「ある日、全国大会の直前でしたが、肩を痛めてしばらく道場を休んでいた先輩から連絡があって、彼の家の近くの農園に呼び出されたんです。そこで、いきなり別れ話を切り出されました。僕が理由を尋ねると、彼は、自分が想像していた以上に強くなってしまった僕に対し、もう可愛いとか愛しいという感情を覚えられなくなってしまったんだと言いました。僕を武道家として尊敬するし、その天才を羨ましく思うけれど、恋人として見ることはもうできない。ごめんと謝られました」
 ルネは肩で大きく息をして、気持ちを静めた後、弱々しい声で付け足した。
「その後すぐ、僕は道場をやめ、武道家としての道を極める夢は断念しました。僕に期待をかけていた人達はこぞってとめたけれど、もともと僕が柔道に力を入れた動機は不純なものだったから、そうするのは当然だったと思います。何より、僕は分かってしまったんです。武道の才能は、僕の望むような幸せをもたらしてくれるものではない。初恋に破れた経験から、僕が学んだ教訓です」
 ルネが語り終えた後もしばらく、ガブリエルはソファの背もたれに身を預けたまま、瞼を半分おろして何事か考え込んでいた。
「…ムッシュ・ロスコー?」
 この静寂に耐えられなくなったルネが声をかけると、ガブリエルは目を閉じて、ふうっと胸に溜めていた息を吐いた。
「初恋の相手にそんな酷い振られ方をしたから、あなたは世の中の男は皆そうだと思いこんで、せっかく開花しようとした才能を無駄に腐らせるに至った訳ですか。全くもって、もったいない…その短絡思考は何とかならなかったものですかねぇ」
 ガブリエルは額に手を当てて、嘆かわしげに頭を振った。
「僕の主観を申し上げるなら、柔道界から身を引いたことは正解だったと思います」
 ガブリエルが手で促すのに従って、改めてソファの上に身を落ち着けたルネは、言った。
「もともと僕は、格闘技は好きだったけれど、それで頂点を極めたい訳ではなかったんです。単純に、強い相手と戦って思い切りぶん投げて一本勝ちした時の爽快感が好きなだけで…大体、今の大会なんて、いかに相手からポイントを取るかに重きを置きすぎて、それって本来の武道とは何だか違う気がしますし…少なくとも、僕が自分の幸せを犠牲にしてまでやりたいことではありません」
 その点に関しては、ルネは迷いなく、はっきりと答えることができた。
「あ、今でも、ローランには内証でこっそり道場通いはしているんですよ。ただ、これは全く趣味的なもので、日頃たまったうさを晴らすためのものにすぎません。それでもやっているうちに勘が戻って、また腕を上げてしまったんだから、僕ってやっぱり天才なんですね。全く役にも立たない才能ばかり持ってて、困ったものですよ」
 頭をかきながらははと力の抜けた笑い方をするルネを、ガブリエルは半ば呆れたような半ば同情的な目で見た。
「成程、分かりました。ルネ、それでは別の質問をしますよ。今もローランには秘密で道場に通っていると言うあなたは、この先も彼にずっと嘘をつき通すつもりなんですか?」
 ルネの顔がたちまち強張った。
「あなたの先輩は強くなったあなたを受け入れられなかったから、ローランも同じだと考えるのは、いくらなんでも短絡的過ぎはしませんか? あなたが昔好きだった人を悪く言うようですが、武道の才能あるあなたを恋人として受け入れられなかったのは、所詮その男の器がその程度のものだったからですよ。大体、大切な大会の直前にあなたを呼びだしてわざわざショックを与えるなんて、武道家ならばすべきことではないでしょう。ローランは、人間性に問題なしとは言えませんが、少なくとも度量は大きい人物です。あなたの秘密を知ったって、そのくらい個性の1つとしか思うものですか」
「で、でも…彼が僕のことをどう考えているのか、今でさえ本心を測りかねて不安でたまらないのに、この上、僕の秘密を彼が知ったらどんな反応が返ってくるかなんて、もう考えたくもないです」
 ガブリエルは嘆息した。そうして、我が身を守るかのように両腕を体に回してぎゅっと抱きしめているルネを凝然と眺めた。
「あなたの臆病さの理由は分かりました。ただ、いつまでも黙ったままだとローランは…これはあの男の悪い所ですが、あなたに不満はないものと勝手に判断して、迷惑かけ放題のまま、やりたいように我が道を突き進んでいきますよ? あなたは、それでいいんですか?」
 ガブリエルに痛い所を突かれて、ルネはまたしても答えに窮した。


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