sweet home-私を愛したAI-

葉月香

文字の大きさ
20 / 33
第三章

コギト・エルゴ・スム 六

しおりを挟む

 夢というのは目が覚めた途端にあやふやになっていくものとばかり思っていた。しかし、生前の父や朔也と語り合った、あの夢の中での出来事は生々しいまま、陽向の心に留まり続けた。
(どうして、あんなおかしな夢を見たのかしら……?)
 ただの夢として忘れ去るには奇妙に示唆的な内容だった。陽向の記憶の奥底に埋もれていた記憶がもとになっている可能性もある。
(……父さんや朔也さんとの討論の内容の全てを私が覚えているわけじゃない。彼らの話に追いつくために、私が自分で学んだことやその後の研究生活の中で、どこかで接したことのある情報が含まれていたのかもしれない)
 いつものように決まった時間に目覚め、この頃では冷凍のセットミールに頼らずに自分で用意するようになった簡単な朝食を取りながら、陽向は昨夜に見た夢の残像を追っていた。 
「陽向」
 柔らかな声に名前を呼ばれ、はっと我に返った陽向のすぐ側に、sakuyaが出現した。淡く発光するホログラムからなる彼の姿と夢の中で出会った夫とつい比べてしまいながら、陽向はぎこちなく朝の挨拶をした。
「……おはよう、sakuya」
 チューリングテストの準備を始めた頃からずっと、陽向は意図的にsakuyaを呼び出すことを控えてきた。一目見れば彼の人間らしさに惑わされ、科学者として冷静に分析することができなると恐れたからだ。
 しかし、テストが期待した形には終わらず、sakuyaの正体を確かめるすべをなくした今も、陽向は彼を遠ざけている。
 コギト・エルゴ・スム。sakuyaは自分の意思で陽向に呼びかけ、こんな優しい笑顔を向けてくるのだろうか。もしそうなら、彼は『人間』だ。しかし、陽向には確かめようがない、それが分かるのはsakuya自身だけなのだ。
 そのことがずっと引っかかって、以前のように打ち解けてsakuyaと話ができなくなっていた。当然の帰結かもしれないが、こんなことならテストなどしなければよかったと後悔しそうなくらい、寂しい。
 sakuyaは、ダイニングテーブルの陽向の正面の席に座る格好で、コーヒーを飲んでいる。思えば、sakuyaと一緒に食事をするのは久しぶりだ。陽向の煩悶を慮ったかのように、彼が自分から話しかけたり近づいてきたりすることもしばらくなかった。
 彼の手にあるホログラムのマグカップは、いつか陽向がショッピングセンターで買ったものの壊してしまったペアのカップと同じデザインだ。人間らしさを演出するためとはいえ、芸が細かすぎないか。
「……いいのよ、私のために、人間のふりをしなくても。あなたには淹れたてのコーヒーの味は分からないのでしょう」
 己の口から零れた言葉の棘に、陽向自身が戦いた。
「君の言うとおり、味は分からないよ。ただ、肉体をなくした今でも、君とこうして朝食を囲むことが楽しいからそうしてる。でも、陽向が嫌がるなら、もうしないよ」
 少し哀しげに眉をしかめるsakuyaから、陽向はたまらず、視線を逸らした。なんていうことだろう、これでは自分が一方的にsakuyaの気持ちをないがしろにしているようではないか。ああ、でも――。
「本当に、そう、思っているの?」
 コギト・エルゴ・スム――陽向はsakuyaから顔を背けたまま、固い声で問い返した。それに応えたのは、雄弁な深い溜息だ。
「陽向は、僕が何を言っても信じようとはしない。心を持たない『哲学的ゾンビ』のような存在なのではないかと疑っている」
 陽向はとっさにsakuyaを振り返った。そこに見いだした傷ついた表情に、胸を激しくかき乱された。
「あなたが悪いわけじゃない。これは私の気持ちの問題なの……」
sakuyaを傷つけてしまったという後悔がこみ上げてくる。しかし同時に、傷ついているふりをしているだけで、本当は何も感じていないのではという疑いもまた――。
「君が僕をどう思おうとかまわない」
 揺れ動く陽向とは対照的に、sakuyaの態度はどこまでもぶれなかった。
「けれど、これだけはどうか信じて欲しい。僕は君を幸せにするために、ここにいるんだよ」
 陽向に向けられるひたむきな眼差しに、生前の夫と同じ、もの柔らかでありながら決して折れない、しなやかな強さを垣間見た気がした、その時――。
 キッチンのカウンターに置きっぱなしにしていた陽向のスマホが着信音を鳴らした。
 陽向はふらふらと立ち上がって、キッチンに回り込み、スマホを取り上げた。画面に表示された巧望の名前を見た途端、迷わず電話を切った。
 あんな別れ方をして以来、巧望とは会っていない。会えるはずもない。こうして時々かかってくる電話も無視し続けていた。
 ただ、巧望がそう簡単にsakuyaを諦めるとも思えず、彼が会社としての権利を掲げてsakuyaを渡すよう迫ってきた時にどうするかを考えると、心がひりひりとするようだった。
「私を幸せにするために存在するなんて、無理よ……あなたを知れば、きっと皆、放ってはおかないわ」
 途方に暮れたように呟いた、陽向がダイニングの方に向かって語りかけた時、もうそこに、sakuyaの淡い光のベールに包まれた姿はすでにな
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...