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田島仁志の友人たちに取材をした。無実の罪で処刑された悲劇の男に対する評判は、想像以上に厳しかった。いつも金に困っていて、人の弱みに付け込んで金をせびる最低男。人は殺していなかったが、死刑になっても仕方ない男。田島を知っているもので、彼を誉めたり哀悼の意を表したりする者はいなかった。
結局、大した証言は得られなかった。東出が自殺した今、どうして田島が選ばれたのか、事件の真相は永遠に闇の中。明らかにされることはない。
事務所に戻らず、一人で飲んだ後玲奈のいない部屋に戻った。携帯電話を確認する。玲奈から連絡はない。本当に別れるつもりなのだろうか。
部屋で一人、ボトルからジンを飲んだ。灼けるような喉の刺激もどこか空しい。そんな飲み方をすると身体に悪いわよ。彼女にたしなめられたのが、もうずいぶん前のように思える。
寂しさに耐え切れず、一輝に抱かれてしまった。取り返しのつかないことをしてしまった。そのうえ、プロポーズの返事も保留している。ずるい女だ。玲奈は許してくれないだろう。自然と涙があふれてくる。
酔いが回ってきた。シャワーを浴びる。脱衣室で身体を拭いていると、リビングに置いてあった携帯電話が鳴っている。
玲奈。
裸のまま脱衣室を飛び出し、携帯を手に取った。一輝からだった。
「もしもし」
「なんだ、親でも死んだかのような声だな。やっぱり落ち込んでいたんだな」
「まあね。そんなに暗い声だった?」
「慰めてやろうか?」
「ごめん、今日は一人になりたいの」
「その様子じゃ、まだ知らないんだな」
バスタオルで髪を拭っていた手を止めた。
「どういうこと?」
「また大変なことになっている。うちにはまだ着ていないが、マスコミ各社にまたDVDが届いているらしい。それに、ネットにも動画が投稿されている。東出が何者かに殺される場面を盗み撮った動画がな」
「東出が殺されたって?」
「動画はネットにも流れている。テレビでもやるだろう。すぐに確認しろ」
ちょうどニュースの始まる時間だ。電話を切ってテレビをつける。トップニュースでキャスターが、自首した真犯人の東出明人がホテルの部屋で自殺したと報道されたが、実は何者かに殺されていたと伝えた。東出はその映像の中で、警察関係者が自分を殺しに来ると予告までしているとのことだった。
事実なら前代未聞の事件だ。
その場面を撮影した盗撮ビデオが公開されたといって、画像の一部が流れた。部屋に入ってくる二人組が東出を襲う。犯人の顔が大写しにされる。さすがに殺される場面はカットされていた。
テレビのニュースでは、これ以上ショッキングな映像は流せない。テレビをつけたままパソコンのスイッチを入れた。画面が立ち上がるのがもどかしかった。
ネットには、自殺を装って殺された東出の動画の情報であふれていた。有名な動画サイトにアクセスする。ページのトップに東出の顔が画面に大写しになっていた。クリックすると、動画が始まった。
「今、ここに殺し屋が差し向けられるのを、僕は静かに待っています。僕はこれから政府関係者あるいは警察関係者に殺されるでしょう」
それほど鮮明でない画像だが、画質に問題はない。秋葉原などの電気街で簡単に手に入る小型の盗撮カメラだとわかった。それも、撮った映像を近くの受信機に電波で飛ばすタイプのものだ。
「僕に詳細を語られると困る人が大勢います。だから、明日になる前に僕は殺されるでしょう」
動画の場面が変わった。アングルから、天井に仕掛けられたカメラで撮った映像だとわかった。
ボーイ姿の男と作業着を着た男が二人、部屋に入ってきた。東出は自分の部屋にカメラをしかけていたらしい。
ボーイ姿の男が東出の腕を捩じり上げベッドに押さえつけた。画面が変わる。作業服姿の男が、ドアノブにタオルをくくりつけている。
この動画は編集されている。何台ものカメラで撮った映像がつなげられているのだ。
床に倒した東出を、ボーイ姿の男がドアのところまで引きずっていった。今度は作業着姿の男が東出の首の後ろあたりを掴んで引きずった。東出が脚をばたつかせている。ボーイ姿の男が東出を押さえつけていた。ボーイ姿に被ってしまい東出がどんな状況なのかわからないが、作業服の男が東出の首に輪になったタオルを通しているようだった。
作業着の男が両手で東出の身体を強く押し込んだ。東出の足が痙攣し始め、やがて静かになった。
ドアがわずかに開けられ、二人の男がドアの隙間から廊下に出ていった。部屋のドアが閉じられ、タオルで首を吊った東出の身体が、かすかに揺れた。
警察が大騒ぎしていたのは、部屋からカメラが見つかったからだったのだ。誰かが東出の殺された画像を電波で拾い、編集してネットに投稿した。盗撮カメラの電波はそれほど遠くに飛ばない。上下階か隣の部屋に、仲間がいたのだ。
場面が変わった。二人の男の後ろを、カメラがついていく。二人ともジーンズにジャンパー姿だが、後ろ姿でさっきのボーイと作業着の男だとわかる。男たちが駅で電車に乗る。電車が駅に到着し、二人は電車を降りた。町田駅だった。駅の外に出た二人は、やがて古いアパートにたどり着いた。
ちょうどテレビで同じ映像が流れた。テレビキャスターが、男たちが逃げ込んだアパートが既に特定されていると告げた。
どこのアパートなのか。奈緒美がテレビ画面を食い入るように見たが、情報は示されなかった。映像では町田の駅のすぐそばにあるアパートだった。ネットに投稿された地図がないか捜す。地図がヒットした。町田駅の中央出口を出てすぐ、商店街の入り口付近。ここからなら三十分で行ける。
急いでジーンズとトレーナーを着て、髪を後ろにひっつめてゴムでまとめると、ショルダーバッグと鞄を手に持ち部屋を飛び出した。
古いアパートの周辺に、マスコミ取材陣が殺到していた。警官隊もすでに到着している。警官隊が危ないからさがるように指示を出している。規制線を下げるようだ。二人組は銃を持っているので、危険だからさがるように叫んでいるが、本音はマスコミをできるだけアパートから遠ざけたいのだろう。
警察が事実を隠そうとしているといって、警官とマスコミ取材陣が罵り合っている。
「指示に従わないと公務執行妨害で逮捕するぞ」
抵抗を続けるマスコミ関係者に、警官はついに伝家の宝刀を抜いた。仕方なくキャスターやカメラスタッフがぞろぞろとアパートから離れていく。警官隊がアパート全体にブルーシートを被せ始めた。
「こりゃ、徹底的にマスコミから隠す気だ」
振り返ると、一輝が立っていた。編集部のカメラマンもいる。記者やカメラマンたちが、かなり遠いところから望遠レンズで撮影している。
「どの局でも生放送中だ。スマートフォンで中継が見られるぞ」
一輝がスマートフォンを操作すると、画面にテレビ中継が映し出された。離れたところから望遠で撮影しているが、映像に問題はない。奈緒美もスマートフォンを取りだし、同じチャンネルに合わせる。アパートの全面がブルーシートで覆われ、様子が全くわからない。たしかに、これから起こることをマスコミから隠そうとしているように思える。
「東出を殺した二人組は、まだ中にいるの?」
「警察がこれだけ騒いでいるんだから、部屋が空ってことはないだろう。それに、これじゃ、逃げられないだろ」
最初の取材陣が到着したのはネットに動画と地図が乗ってすぐだったはずだ。二人の犯人たちは逃げる間もなかっただろう。
「警官隊はどうしてアパートに突入しないのかしら? 人質を取られているわけでもないのに」
警官隊は犯人を説得しているとマスコミに説明しているらしいが、音声は全く拾えない。
「犯人は、東出の口を封じるために殺したんでしょうね」
「その可能性が高いだろうな。東出は警察関係者に殺されるといっていたが、警官隊の様子からして、東出の言っていたことはまんざら嘘じゃないんだろ」
「犯人が捕まれば、誰に頼まれて東出を殺したのか、白状するかしら?」
一輝がにやりと笑った。
「警察の上層部は、もちろん事実を知ってるさ。警察が恐れているのは、二人の犯人の口から事実が漏れ、世間に知られることなんだよ。このことは絶対に避けなくっちゃならない」
「それじゃあ、もしかして……」
警官隊の動きが慌ただしくなった。
「警官隊がアパートに踏み込んだようです!」
スマートフォンの画面に映っているキャスターが叫んだ。
突然、火薬の弾ける乾いた音が聞こえた。銃声だ。思わず身構えた。
「銃声です!」
キャスターが叫ぶ。大勢の警官たちがブルーシートの下をくぐってアパートに突入していく。
「やられたな」
一輝が呟いた。彼の横でカメラマンが必死でシャッターを切っていた。
救急車が二台、野次馬をかき分けてアパートに近づいていく。しばらくして、警官隊がブルーシートから出てきた。肉眼では確認できないので、スマートフォンで実況中継されている映像を見つめる。担架がふたつ運び出された。犯人が載せられているかどうかは確認できなかった。犯人が生きているか死んでいるか、いまだ不明だとキャスターが言っていた。
二人の犯人は処分されたのだと、奈緒美は思った。
結局、出版社の仮眠室で朝を迎えることにあった。
コミュニケーションルームのテレビの前には、すでに何人かが陣取っていた。今朝は小宮の姿はなかった。
「おう」井川が無精髭の目立つ顔を向けた。
「井川さんも泊まりですか」
「事件以来、家に帰っちゃいないよ」
「着替えとか、どうしているんですか?」
「一週間くらい、どうってことはない」
彼の隣から、席ひとつ分移動した。
「今日、取材予定は入っているのか?」
「なくなりました。ここに留まってネットのチェックです。犯人を特定しろってデスクから指示が出たので」
「俺と同じか。そして郷田たちがネット情報の確認のために走り回るってわけか」
各テレビは番組内容を変更し、東出明人殺害事件について報道した。東出明人は釈放されたあと、二人の男によって自殺に見せかけて殺された。ふたりの犯人は銃撃戦の末、銃弾を受けて病院に運ばれたが、ふたりとも死亡したと伝えられた。現在、警察で身元を確認中とのことだった。
「ふたりは警察関係者だったのかしら?」
「たとえそうだとしても、警察はそれを認めないだろう。外国人あるいは社会に反感を持つ無職男、そんなところで決着させられるのさ。似たようなことはこれまでもあった」
奈緒美は自分の席でネット上をくまなく調べ回ったが、これという情報はなかなか得られなかった。昼過ぎになって、警察が記者会見を開いた。警察幹部がふたりの犯人の顔写真とともに、中国籍の男だと身元を公表した。そんなことは誰も信じないだろう。カメラがホテルのどこに隠されていたか多くの記者が質問したが、現在捜査中なので一切答えられないと、警察幹部が告げて会見を打ち切った。
カメラの電波を拾って編集し、東出の死後に画像を広めた人物は誰なのか。東出の関係者であることは間違いない。警察上層部は必死になって探しているだろうが、まだ特定できていない。
公開されたふたりの犯人が誰なのか、どこのマスコミも総力をあげて調べているが、まだ何の情報も入ってきていない。警察はさらに追加情報として、不法滞在していた中国籍の男で中国マフィアの蛇頭の関係者だと発表したが、そもそも蛇頭が東出を殺す理由などない。
この記者会見の後、ネットではさまざまな情報が飛び交った。奈緒美たちは情報収集に血眼になった。投稿された画像に映っていた二人組と写真の男は別人だと騒いでいるネット掲示板もあった。警察が公開した犯人の顔写真が本物である確証もない。マスコミに特定されない顔写真を公開した可能性もある。偽の顔写真に基づいた調査を行っても無駄だ。事件は、闇から闇に葬られようとしている。
奈緒美はその日、ネット情報の収集に没頭した。午後三時過ぎになって、ホテルの部屋に侵入した犯人の鮮明な画像が投稿された。やはり、警察が公開した写真と全く違っていた。記者クラブが記者会見を要請したが、警察は沈黙し続けている。
一輝が事務所に戻ってきたのは、午後四時を過ぎてからだった。
「永井さんに会ったよ」
奈緒美を見るなり、ため息交じりで一輝が言った。
「呼び出されたんだよ、昼飯に付き合えってな。金になる話がパーになったといってぼやいていた」
思わず、くすりと笑った。
「男の正体、わかったか?」
奈緒美の捜査しているパソコンの画面を覗きこんできた。新たに公開された犯人の画像については知っているようだった。
「ある組織と関係あるヒットマンじゃないかって情報があったわ」
「胡散臭そうな情報だな。信憑性は高いのか?」
「私の勘ではね。万が一のためにも、警察が自分たちの関係者を使うとは思えないもの」
一輝にコーヒーに誘われた。外に出る時間がないので、自販機のコーヒーで済ませた。缶コーヒーを持って、誰もいない喫煙スペースに入る。
「そっちは何かわかったの?」
「田島の親父に会ってきた」
「本当? 会えたの?」
「ああ。なぜ田島が生贄に選ばれたのかって思ってたんだ。誰かの恨みを買っていたんじゃないかってね。それも金持ちのな。金持ちでないとこんな大それた計画は実行できないだろ」
「誰かいたの?」
「ワルだったから、恨みを買うことは多かったようだけど、金持ちとなるとな。どこかの資産家の娘さんを攫って突っ込んだなんて情報がつかめれば、いい記事が書けるんだが」
「最低」
タバコを消してコーヒーを飲む。ふと、思いだしたことがあった。
「田島はいろんなレストランで、注文した料理にゴキブリとか鼠の糞を混ぜていちゃもんをつけていたわね。たしか、あなたの記事で読んだけど」
「ああ、大騒ぎしたんでレストランの従業員もはっきり顔を覚えていた」
「どこのレストラン?」
「シーフードフィレンツェの横浜店だ。店は金を払うのを拒んだので、田島が保健所に駆け込んで大騒ぎになった。結局狂言がばれて警察に捕まっちまったが、不起訴処分になったんだ」
シーフードフィレンツェ。オリーブフードサービスの系列店だ。
結局、大した証言は得られなかった。東出が自殺した今、どうして田島が選ばれたのか、事件の真相は永遠に闇の中。明らかにされることはない。
事務所に戻らず、一人で飲んだ後玲奈のいない部屋に戻った。携帯電話を確認する。玲奈から連絡はない。本当に別れるつもりなのだろうか。
部屋で一人、ボトルからジンを飲んだ。灼けるような喉の刺激もどこか空しい。そんな飲み方をすると身体に悪いわよ。彼女にたしなめられたのが、もうずいぶん前のように思える。
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酔いが回ってきた。シャワーを浴びる。脱衣室で身体を拭いていると、リビングに置いてあった携帯電話が鳴っている。
玲奈。
裸のまま脱衣室を飛び出し、携帯を手に取った。一輝からだった。
「もしもし」
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「まあね。そんなに暗い声だった?」
「慰めてやろうか?」
「ごめん、今日は一人になりたいの」
「その様子じゃ、まだ知らないんだな」
バスタオルで髪を拭っていた手を止めた。
「どういうこと?」
「また大変なことになっている。うちにはまだ着ていないが、マスコミ各社にまたDVDが届いているらしい。それに、ネットにも動画が投稿されている。東出が何者かに殺される場面を盗み撮った動画がな」
「東出が殺されたって?」
「動画はネットにも流れている。テレビでもやるだろう。すぐに確認しろ」
ちょうどニュースの始まる時間だ。電話を切ってテレビをつける。トップニュースでキャスターが、自首した真犯人の東出明人がホテルの部屋で自殺したと報道されたが、実は何者かに殺されていたと伝えた。東出はその映像の中で、警察関係者が自分を殺しに来ると予告までしているとのことだった。
事実なら前代未聞の事件だ。
その場面を撮影した盗撮ビデオが公開されたといって、画像の一部が流れた。部屋に入ってくる二人組が東出を襲う。犯人の顔が大写しにされる。さすがに殺される場面はカットされていた。
テレビのニュースでは、これ以上ショッキングな映像は流せない。テレビをつけたままパソコンのスイッチを入れた。画面が立ち上がるのがもどかしかった。
ネットには、自殺を装って殺された東出の動画の情報であふれていた。有名な動画サイトにアクセスする。ページのトップに東出の顔が画面に大写しになっていた。クリックすると、動画が始まった。
「今、ここに殺し屋が差し向けられるのを、僕は静かに待っています。僕はこれから政府関係者あるいは警察関係者に殺されるでしょう」
それほど鮮明でない画像だが、画質に問題はない。秋葉原などの電気街で簡単に手に入る小型の盗撮カメラだとわかった。それも、撮った映像を近くの受信機に電波で飛ばすタイプのものだ。
「僕に詳細を語られると困る人が大勢います。だから、明日になる前に僕は殺されるでしょう」
動画の場面が変わった。アングルから、天井に仕掛けられたカメラで撮った映像だとわかった。
ボーイ姿の男と作業着を着た男が二人、部屋に入ってきた。東出は自分の部屋にカメラをしかけていたらしい。
ボーイ姿の男が東出の腕を捩じり上げベッドに押さえつけた。画面が変わる。作業服姿の男が、ドアノブにタオルをくくりつけている。
この動画は編集されている。何台ものカメラで撮った映像がつなげられているのだ。
床に倒した東出を、ボーイ姿の男がドアのところまで引きずっていった。今度は作業着姿の男が東出の首の後ろあたりを掴んで引きずった。東出が脚をばたつかせている。ボーイ姿の男が東出を押さえつけていた。ボーイ姿に被ってしまい東出がどんな状況なのかわからないが、作業服の男が東出の首に輪になったタオルを通しているようだった。
作業着の男が両手で東出の身体を強く押し込んだ。東出の足が痙攣し始め、やがて静かになった。
ドアがわずかに開けられ、二人の男がドアの隙間から廊下に出ていった。部屋のドアが閉じられ、タオルで首を吊った東出の身体が、かすかに揺れた。
警察が大騒ぎしていたのは、部屋からカメラが見つかったからだったのだ。誰かが東出の殺された画像を電波で拾い、編集してネットに投稿した。盗撮カメラの電波はそれほど遠くに飛ばない。上下階か隣の部屋に、仲間がいたのだ。
場面が変わった。二人の男の後ろを、カメラがついていく。二人ともジーンズにジャンパー姿だが、後ろ姿でさっきのボーイと作業着の男だとわかる。男たちが駅で電車に乗る。電車が駅に到着し、二人は電車を降りた。町田駅だった。駅の外に出た二人は、やがて古いアパートにたどり着いた。
ちょうどテレビで同じ映像が流れた。テレビキャスターが、男たちが逃げ込んだアパートが既に特定されていると告げた。
どこのアパートなのか。奈緒美がテレビ画面を食い入るように見たが、情報は示されなかった。映像では町田の駅のすぐそばにあるアパートだった。ネットに投稿された地図がないか捜す。地図がヒットした。町田駅の中央出口を出てすぐ、商店街の入り口付近。ここからなら三十分で行ける。
急いでジーンズとトレーナーを着て、髪を後ろにひっつめてゴムでまとめると、ショルダーバッグと鞄を手に持ち部屋を飛び出した。
古いアパートの周辺に、マスコミ取材陣が殺到していた。警官隊もすでに到着している。警官隊が危ないからさがるように指示を出している。規制線を下げるようだ。二人組は銃を持っているので、危険だからさがるように叫んでいるが、本音はマスコミをできるだけアパートから遠ざけたいのだろう。
警察が事実を隠そうとしているといって、警官とマスコミ取材陣が罵り合っている。
「指示に従わないと公務執行妨害で逮捕するぞ」
抵抗を続けるマスコミ関係者に、警官はついに伝家の宝刀を抜いた。仕方なくキャスターやカメラスタッフがぞろぞろとアパートから離れていく。警官隊がアパート全体にブルーシートを被せ始めた。
「こりゃ、徹底的にマスコミから隠す気だ」
振り返ると、一輝が立っていた。編集部のカメラマンもいる。記者やカメラマンたちが、かなり遠いところから望遠レンズで撮影している。
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一輝がスマートフォンを操作すると、画面にテレビ中継が映し出された。離れたところから望遠で撮影しているが、映像に問題はない。奈緒美もスマートフォンを取りだし、同じチャンネルに合わせる。アパートの全面がブルーシートで覆われ、様子が全くわからない。たしかに、これから起こることをマスコミから隠そうとしているように思える。
「東出を殺した二人組は、まだ中にいるの?」
「警察がこれだけ騒いでいるんだから、部屋が空ってことはないだろう。それに、これじゃ、逃げられないだろ」
最初の取材陣が到着したのはネットに動画と地図が乗ってすぐだったはずだ。二人の犯人たちは逃げる間もなかっただろう。
「警官隊はどうしてアパートに突入しないのかしら? 人質を取られているわけでもないのに」
警官隊は犯人を説得しているとマスコミに説明しているらしいが、音声は全く拾えない。
「犯人は、東出の口を封じるために殺したんでしょうね」
「その可能性が高いだろうな。東出は警察関係者に殺されるといっていたが、警官隊の様子からして、東出の言っていたことはまんざら嘘じゃないんだろ」
「犯人が捕まれば、誰に頼まれて東出を殺したのか、白状するかしら?」
一輝がにやりと笑った。
「警察の上層部は、もちろん事実を知ってるさ。警察が恐れているのは、二人の犯人の口から事実が漏れ、世間に知られることなんだよ。このことは絶対に避けなくっちゃならない」
「それじゃあ、もしかして……」
警官隊の動きが慌ただしくなった。
「警官隊がアパートに踏み込んだようです!」
スマートフォンの画面に映っているキャスターが叫んだ。
突然、火薬の弾ける乾いた音が聞こえた。銃声だ。思わず身構えた。
「銃声です!」
キャスターが叫ぶ。大勢の警官たちがブルーシートの下をくぐってアパートに突入していく。
「やられたな」
一輝が呟いた。彼の横でカメラマンが必死でシャッターを切っていた。
救急車が二台、野次馬をかき分けてアパートに近づいていく。しばらくして、警官隊がブルーシートから出てきた。肉眼では確認できないので、スマートフォンで実況中継されている映像を見つめる。担架がふたつ運び出された。犯人が載せられているかどうかは確認できなかった。犯人が生きているか死んでいるか、いまだ不明だとキャスターが言っていた。
二人の犯人は処分されたのだと、奈緒美は思った。
結局、出版社の仮眠室で朝を迎えることにあった。
コミュニケーションルームのテレビの前には、すでに何人かが陣取っていた。今朝は小宮の姿はなかった。
「おう」井川が無精髭の目立つ顔を向けた。
「井川さんも泊まりですか」
「事件以来、家に帰っちゃいないよ」
「着替えとか、どうしているんですか?」
「一週間くらい、どうってことはない」
彼の隣から、席ひとつ分移動した。
「今日、取材予定は入っているのか?」
「なくなりました。ここに留まってネットのチェックです。犯人を特定しろってデスクから指示が出たので」
「俺と同じか。そして郷田たちがネット情報の確認のために走り回るってわけか」
各テレビは番組内容を変更し、東出明人殺害事件について報道した。東出明人は釈放されたあと、二人の男によって自殺に見せかけて殺された。ふたりの犯人は銃撃戦の末、銃弾を受けて病院に運ばれたが、ふたりとも死亡したと伝えられた。現在、警察で身元を確認中とのことだった。
「ふたりは警察関係者だったのかしら?」
「たとえそうだとしても、警察はそれを認めないだろう。外国人あるいは社会に反感を持つ無職男、そんなところで決着させられるのさ。似たようなことはこれまでもあった」
奈緒美は自分の席でネット上をくまなく調べ回ったが、これという情報はなかなか得られなかった。昼過ぎになって、警察が記者会見を開いた。警察幹部がふたりの犯人の顔写真とともに、中国籍の男だと身元を公表した。そんなことは誰も信じないだろう。カメラがホテルのどこに隠されていたか多くの記者が質問したが、現在捜査中なので一切答えられないと、警察幹部が告げて会見を打ち切った。
カメラの電波を拾って編集し、東出の死後に画像を広めた人物は誰なのか。東出の関係者であることは間違いない。警察上層部は必死になって探しているだろうが、まだ特定できていない。
公開されたふたりの犯人が誰なのか、どこのマスコミも総力をあげて調べているが、まだ何の情報も入ってきていない。警察はさらに追加情報として、不法滞在していた中国籍の男で中国マフィアの蛇頭の関係者だと発表したが、そもそも蛇頭が東出を殺す理由などない。
この記者会見の後、ネットではさまざまな情報が飛び交った。奈緒美たちは情報収集に血眼になった。投稿された画像に映っていた二人組と写真の男は別人だと騒いでいるネット掲示板もあった。警察が公開した犯人の顔写真が本物である確証もない。マスコミに特定されない顔写真を公開した可能性もある。偽の顔写真に基づいた調査を行っても無駄だ。事件は、闇から闇に葬られようとしている。
奈緒美はその日、ネット情報の収集に没頭した。午後三時過ぎになって、ホテルの部屋に侵入した犯人の鮮明な画像が投稿された。やはり、警察が公開した写真と全く違っていた。記者クラブが記者会見を要請したが、警察は沈黙し続けている。
一輝が事務所に戻ってきたのは、午後四時を過ぎてからだった。
「永井さんに会ったよ」
奈緒美を見るなり、ため息交じりで一輝が言った。
「呼び出されたんだよ、昼飯に付き合えってな。金になる話がパーになったといってぼやいていた」
思わず、くすりと笑った。
「男の正体、わかったか?」
奈緒美の捜査しているパソコンの画面を覗きこんできた。新たに公開された犯人の画像については知っているようだった。
「ある組織と関係あるヒットマンじゃないかって情報があったわ」
「胡散臭そうな情報だな。信憑性は高いのか?」
「私の勘ではね。万が一のためにも、警察が自分たちの関係者を使うとは思えないもの」
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「そっちは何かわかったの?」
「田島の親父に会ってきた」
「本当? 会えたの?」
「ああ。なぜ田島が生贄に選ばれたのかって思ってたんだ。誰かの恨みを買っていたんじゃないかってね。それも金持ちのな。金持ちでないとこんな大それた計画は実行できないだろ」
「誰かいたの?」
「ワルだったから、恨みを買うことは多かったようだけど、金持ちとなるとな。どこかの資産家の娘さんを攫って突っ込んだなんて情報がつかめれば、いい記事が書けるんだが」
「最低」
タバコを消してコーヒーを飲む。ふと、思いだしたことがあった。
「田島はいろんなレストランで、注文した料理にゴキブリとか鼠の糞を混ぜていちゃもんをつけていたわね。たしか、あなたの記事で読んだけど」
「ああ、大騒ぎしたんでレストランの従業員もはっきり顔を覚えていた」
「どこのレストラン?」
「シーフードフィレンツェの横浜店だ。店は金を払うのを拒んだので、田島が保健所に駆け込んで大騒ぎになった。結局狂言がばれて警察に捕まっちまったが、不起訴処分になったんだ」
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これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
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