彼に囲われるまでの一部始終

七咲陸

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理人×雅

side雅

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「紫桃くん! 聞いた?! 加藤先生出ていくんだって!」
「へ?」

  朝、気が重い中出勤すると開口一番に言われた。同僚の看護師は嬉しそうに良かった良かったとニコニコしている。

  加藤先生には指示の変えられすぎで明らかに荒らされていた。自分だけなら良いのだが、多方面に迷惑をかけていたのでもういっその事異動しようかと思い悩んでいた。

  医者は異動出来ない。何でも屋のような看護師とは違って一度配属した科に特化することが多いからだ。
  ならば己が動くしかないのは明白で、師長に近々相談があると話した矢先の事だった。

「あーーー!スッキリした! 早く紫桃くんに言いたくて仕方なくてさーー!!」
「それは……どうして」
「ん? さぁ。急に出向が決まったみたい。別の病院に行くらしいよ?看護師舐めすぎ、師長か誰かが上に言ったのかなー」

  そんな気配微塵も感じなかった。
  思い当たるとすれば、昨日鼻歌を歌うほど機嫌の良かった恋人の様子に不思議に思っただけだ。

「……あの、加藤先生見ましたか?」
「ああ、ステーションで沈んだ様子でカルテ打ち込んでたよ。ざまぁだよ、ほんと」

  看護師を怒らせると怖い。いや、女性か。
  俺のせいで被害にあった女性達はみなウンウンと頷いて肯定しているようだった。

  違う話に移り変わった女性達から抜け出し、控え室からステーションに向かった。
  ステーションから暗いオーラを背に乗せて出ていく姿が見える。慌てて追いかけ、その背に声をかけた。

「加藤先生!」

  ゆっくりと振り返る顔は少し怯えている。 ああ、絶対春永先生が何か言ったんだと分かる。
  自分で解決できなかった歯がゆさと、加藤先生への申し訳なさが込み上げてくるが、それは今、自分の心の中で飲み込むことにする。

  加藤先生は俺を見て何かを言いかけるが、俺は遮った。

「……あのさ」
「加藤先生、本当にすみませんでした」
「いや、それは」
「加藤先生だって、仕事だったから退院させるしかなかったことは分かってます
。自分の説明不足で納得して貰えなくて加藤先生を怒らせたことも」

  真っ直ぐに見た。これ以上後悔したくない。今ならちゃんと聞いてもらえる気がした。

「田中さんは、加藤先生に感謝していました」
「……は?」
「『私の痛みを一番理解してくれたのは、加藤先生でした。ありがとうございました』って…」
「……」
「伝言を頼まれていたんです。 だから、その…」

  田中さんは退院する時すごく寂しそうにしていた。 家に帰って辛い思いをするかもしれない。それなのに、感謝を伝えてくれたのだ。
  彼女だって、冷たい人間にこんなものを渡したりしない。

  手に持っていた紙袋を加藤先生の前に差し出す。田中さんが入院中、ずっと編み続けていたマフラーだ。プロ並みの出来であるマフラーを、加藤先生に渡して欲しいと頼まれていた。

「加藤先生なりに田中さんと向き合って、信頼関係を結んでいたんだって気づいて……あー、うー……その、何が言いたいかって言うと」

  頭の中がこんがらがってきた。けど、これだけは言いたい。

「加藤先生がとても良い先生だってことです!」
「……なんだそりゃ」
「うぅ…」

  まさか俺からこんな風に言われるとは思ってなかったのか、呆気に取られている。今更恥ずかしくなって俯いた。
  紙袋を受け取った加藤先生から怒っている様子は感じられない。いつもの変更ばかりの指示を出すような嫌な空気も感じなかった。

「……あの時、ちゃんとお前と話せてたら」
「?」
「紫桃くん」

  何か言いかけていたので俯いていた顔をそろりと上げた。いつかの俺と同じように後悔している表情がある。俺の頭に手を伸ばしかけているのが不思議で首を傾げると、後ろから呼びかける声が聞こえてくる。
  その声に反応したのは俺だけじゃなくて、手をピタリと止めた加藤先生もだった。うっ、と嫌そうな呻きが小さく聞こえてきた。

「春永先生」
「朝礼始まるから呼んでって看護師長が」
「え! 俺まだどの患者さん受け持つか知らない!」
「ほら早く行っといで」
「は、はい! 加藤先生、すみません!失礼します!」

  ぺこっと頭を下げて走り去る。そして、もう一度くるりと振り返った。

「加藤先生! また一緒に働きましょうね!」

  きっと、患者を思う気持ちは一つじゃない。あらゆる形でみんな思っている。
  次こそは、加藤先生の思う形をちゃんと見たい。

  そう思いながら、看護師が集まるスタッフステーションに走っていった。













「気づいちゃったかぁ」
「……」
「バカ真面目で一辺倒。感情的だけどどうしようもなく優しくて、笑ったら可愛い、でしょ?」

  答えられなかった。いや、答えなくても、この人は解っている。

  怒ったり、必死にこっちを呼び止めたり、真剣だったり、恥ずかしそうに顔を赤らめたり、最後は「良い先生だ」と言いながら花が綻ぶように微笑んだりとコロコロ変わっていく表情に目が離せなかった。

  この人はそれを俺よりも一歩だけ早く知った。たかが一歩、されどその一歩は何よりももう遅いのだと解っている。

「ダメだから。もう渡さない」

  飄々としてるくせに、誰よりも熱い人間。皆は冷めているというが、この三橋病院のトップに君臨する天才、三橋士郎の右腕としてあり続ける為に努力する秀才として名を馳せているのだ。熱くない訳が無い。その人間がまるで捕獲した獲物を取られまいと牽制し、威嚇してくる。
  蛇に睨まれた蛙とは、こんな恐怖を味わうのかと思うほどの重圧。

  この男は、こんなに暗い眼をしているのか。

  白衣をたなびかせ、くるりと背を向けて去っていく蛇が見えなくなるまで俺は立ち尽くすしかなかった。
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