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歌う小鳥が舞い踊る
しおりを挟むようやくピオニのお眼鏡に叶った服に着替えることが出来た。
裾が長く、引き摺りそうでギリギリ引きずらない程度のレースのドレス。シースルーの部分が所々にあるが、不思議と痩せぎす感はなかった。
着替えるまでにゆうに二時間はかかったと思う。
疲労感はあるけれど、昔もピオニにこうやって着飾られていたし、男娼になってもわちゃわちゃと皆にやられたり、主人が気に入らなければ一からやり直しさせられたりした。ようは慣れだと思う。
それに女性達があーでもないこーでもないと真剣に悩む様子は嫌いじゃない。むしろ綺麗になるとは大変なことなのだとよくよくと納得させられた。
「……今日はもう会わせてもらえないかと思ったぞ」
二人で噴水の横にあるベンチに腰掛け、ゆったりと過ごしていた。
「んふふ、ピオニは満足してツヤツヤしてました」
「アイツには勝てん。お前に会うのにピオニの実家の名を使わせてもらったしな…」
ピオニは子爵家の生まれである。
夫が死に、息子と嫁に追い出されて不憫な人生を歩んでいたところを陛下が拾い、小鳥に預けた。小鳥が娼館にいた時は孫の教育係としてタダ働きの代わりに子爵家に入れた。
「この体に憑依し、真っ先にお前の居場所を見つけようとした。けれど、貴族ではなかったから門前払いだ。それでなんとか騎士団に潜り込み、貴族の中でも気のいい奴がピオニに取り次いでくれた」
「それがなかったら……」
「もっと時間がかかってたな。ピオニは暫く俺のことを詐欺師か何かかと思っていたらしい」
疑り深い彼女のことだ。おそらく陛下…グリームは信じてもらえるまで相当時間がかかったのではないだろうか。
「ピオニから信頼された後、ようやくお前について聞いた」
ざぁ、と風が吹き、木々が揺れる。庭園の色とりどりの花びらが舞い散る中、彼の瞳に黒いモヤが見えた。
「娼館に行かされたと。お前を追い出すだけではなくどこの誰とも知らない男に抱かれるような所にと思ったら臓物が灼けるように熱くなった」
モヤの中にある蒼炎。ゆらゆらと揺れ、自分を魅了して離さなかった。
ああ、やはりこの方はアウグスト陛下だ。あの頃のまま、小鳥を掴んで羽をもがかんばかりに縛ろうとしてくれる。
気づけば小鳥からキスをしていた。もう他の男を知ってしまった身体だけれど、心は一度として誰かに明け渡した事などない。少し離して、もう一度キスをした。グリームの顔に手を添え、角度を変えてまた。
次に気づくとベンチにやさしく押し倒され、深く深くキスをしていた。頭をぶつけない様にと後頭部をグリームの手が支えている。親指で髪の感触を楽しむように撫でられ、嬉しくなって自分から舌を絡めた。
「ん……」
ぴちゃりと水音が耳に響く。グリームの唾液が銀糸のように繋がって、小鳥に落ちてゆく。
「ラヴェル。俺の小鳥」
「陛下……」
もう陛下じゃない、そう言われたのにどうしてもそう呼んでしまう。
グリームは怒る様子もなく、愛おしそうに小鳥を見つめ笑っている。
「お前は…今の若い俺より、あの年寄り姿が良いか?」
「年寄りなどと思ったことはありません。貴方は私の愛しい人です」
「……まったく。お前には敵わない」
そう言って、二人だけの庭園で長い長いキスをした。
「ピオニぃ、これちょっと地味すぎない?」
「いいえ。大変お似合いです」
これ、というのはネグリジェの事だ。
レース仕上げで身体のラインは目を凝らさないとあまり見えない。
今夜は初夜だ。昼間は沢山キスをしたけれど、流石に外では致さずにグリームから『夜の楽しみに』と耳元で囁かれた。
だから気合いを入れて、もっと派手に見える方が良いのでは、と娼館で目が肥えた小鳥が呟くと、ピオニは怯むことなくピシャリと切り捨てた。
「でもぉ」
「……ラーヴェ様。良いことをお伝えしましょう」
「?」
勿体ぶるような言い方に首を傾げた。
「世の中にはマンネリ、という言葉がございます。そう言ったものはマンネリした時に使うものです。今日はきっとどんなラーヴェ様でも盛り上がるでしょう。むしろ見えない方がグリーム様の想像力を掻き立てられていくものです」
「わぉ…」
「しかも本日は初夜。ならば清楚な方が男は喜びます」
私も男なんだけど、という言葉は飲み込んだ。
ピオニが燃えている。今は言うことを聞いた方が良さそうだ。
「ガウンを羽織って下さい。私以外に肌を見せたらグリーム様の機嫌が急降下します」
「はぁい。ピオニ、ありがとう。後はゆっくり休んでね。また明日もよろしくね」
「はい。良いひとときを」
綺麗なお辞儀を見て小鳥は部屋を後にした。
ピオニに頭の先からつま先までピカピカに磨いてもらい、ようやくあの人の元に行ける。ドキドキが強くなる。キスよりもっと深く繋がれる。やっと、やっとだ。
もう二度と逢えないと思っていたあの人に、もう一度抱いてもらえる。他の男に身体を開いた時、もう死んでもいいかと思った。けれど、小鳥だけしか陛下の笑顔を思い出せる人間が居ないのだと思うと、どうしても淋しくて死ねなかった。
こんな奇跡があるなんて。
気がつくと廊下を歩いていた足は徐々に早くなり、駆け出していた。
逢いたい、早く、逢いたい。
抱きしめたい。キスしたい。
あの時のように、抱いて欲しい。
ピタリ、と足が止まった。あと数歩足を進めればグリームの部屋だ。しかし小鳥は足を止めた。
『そぉそぉ。アタシもピオーネも、みぃんな身体を切り売りして夢をあげてるんだよぉ?』
『だから…その、お客様には良くあることよ。清純さを求めることなんて』
『ありえないのにねぇ?』
もう、あの頃の小鳥じゃない。他の男の垢がついた身体だ。
果たしてグリームは、そんな小鳥を見てなんと言うだろうか。穢れている?ガッカリする?陛下だけを知っていた身体は、もう清くない。
「何をしている」
立ち止まって俯いていた小鳥の前に現れる。いつの間にか扉が開いていた。
「なぜ泣きそうにしている」
ぐい、と顎に手を当てて無理やり顔を上げさせられた。グリームもガウンを着て待っていたようだった。
「嫌になったのか」
嫌になるわけない。違う。嫌になるのは小鳥では無い。
「ラヴェル。今夜、お前の羽をぐちゃぐちゃにもぎ取る」
「へ……」
ぽかんと見上げる。黒いモヤのある瞳が小鳥を金縛りさせた。
普通は、こういう時こんな怖い言葉なんて使わない。娼館にいて気づいた。みんな小鳥に甘い言葉をかけてきた。可愛いね、好きだよ、優しくするからね。そんな砂糖より甘い言葉を。
けどグリームは違った。どこまでも恐ろしくて、小鳥をゲージから二度と飛び立たせないような恐怖を感じさせる。
「ベッドに縛り付けてでも逃がさない。若返った俺の全てを受け入れてもらう」
「ぁ……」
ぐい、と腰を引き寄せられた。力強さに小鳥は陛下の面影を感じ、胸が高鳴った。
気づけばキスをしていた。あんなにウジウジと考え込んでいたくせに、キスをすればたちまち不安は吹き飛んだ。
彼だけが、私の心を揺り動かす。
キスが離れて、ガウンがはらりと床に落ちた。ピオニの勧めた白のレースのネグリジェがグリームの瞳に映る。
「なんだこれは。興奮しすぎて頭が痛い」
ギラギラと獣のような視線に、ふと気になってグリームの下半身を見るとガウンの下からでも分かるほどの昂りが盛り上がっていた。
ピオニの目論見は大当たりだ。自分より余程陛下の御心を理解している有能な侍女に、心の中では抱きつきながら彼女の頬にキスを送っていた。
きっと今でも自分が売りモノならば、「かわいがってくださいね」なんて在り来りな言葉を言ったかもしれない。
けれど小鳥とて興奮している。まだ陛下の時程の筋肉量と体躯の逞しさはなくとも、鍛え抜かれた無駄の無い体つきは近いものを感じる。若かりし頃の陛下はきっとこうだったんだろう、と思いつく限りの精悍さに、世の女性たちがほっとかないであろう顔立ち。
今から身も世もなくぐちゃぐちゃにされるのだろうと思うと興奮で小鳥もおかしくなりそうだった。
だからようやく紡げた言葉はこんな言葉だった。
「抱いてください…、早く……!」
力強く腕を引かれ、寝所へと連れてかれる。
バタンと閉まる扉がやけに響いていた。
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