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第一章 セルシエン
16-1page 化物邸
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襲いかかる魔物達を撃退しながら、ルビア達はある一点へとひたすら向かっていた。
場所は領主邸、ラスティの話によれば大量の魔物が出てくるのを見た者がいるという事だ。
建物に到着すれば激戦が予想されるだろう。
だからこそ各々気を引き締め、遅れを取らぬように身構えていた。
……のだが。
「……静かだな。」
建物の陰から領主邸を観察していたガイアがそう口にする。
鉄柵に囲まれた巨大な建物は、混じりない白色の壁がよく目立つ。
周囲に広がる青々とした芝生とよく手入れされた草花は美しく、相まって非常に清廉な印象を与えている。
しかし裏腹に、建物全体に纏わりつく空気はどこか重く、臓腑を押しつぶすような圧迫感を感じさせるのだった。
何より、耳が痛いほどの静寂。
そこからは魔物の鳴き声どころか、助けを呼ぶ人の声すら聞こえなかった。
……不気味である。
本当に魔物が現れたというのなら、せめて生き物の気配くらいは感じ取れそうだが……。
「本当ね、領主の屋敷なら見張りの兵士も大勢いた筈……なのに死体すらないなんて。」
同じく顔を覗かせていたフルーリアがそう呟く。
確かに、これ程の大屋敷だ。
そこかしこに見張りが置かれていてもおかしくない。
そして、魔物が現れたのならそんな彼らを襲い、食欲のままに貪ったのは想像に容易い。
だのに、どこを見回してもそのような痕跡は何一つ見られないのだ。
食い残しも、血の跡も、生き物が現れた足跡すらどこにもない。
まるで、最初から何もいなかったかのように。
「奇妙過ぎるな、何かあったのは明白だ。
警戒して進むとしよう。」
「……あんたの意見を聞くのは癪だけど、私もそうした方がいいと思う。
ルビア、貴方も気をつけて……。」
フルーリアがそう言いながら、同じく物陰にて姿を隠している少女へと視線を向けた。
だが、そこには誰もいない。
「え?」
思わず声が漏れ、すぐさま周囲を見回す。
すると、一人先に領主邸へと歩みを進めるルビアの姿を見つけるのだった。
「ちょ、ちょっと!あんた何してるの!?
何さっさと先に進んでるのよ!」
「ここで待っていても状況が好転することはありません。
どんなに奇妙で不可解なことが起こっていたとしても、先に進む以外の選択肢はありませんから。」
「待ちなさいって!ちょっとは警戒しなさいよ!
敵が罠を仕掛けていたらどうするの!?」
「だとしても同じことです。
敵を倒し、レイズ達を救う……ただそれだけです。」
慌てるフルーリアを尻目に、ルビアは一人先に進む。
止まる様子など、微塵も感じさせない。
「……まぁ、一理あるな。」
ルビアの後ろ姿を眺めながらガイアがそう呟くと、同じように物陰から姿を現し歩き出す。
最後に残されたフルーリアは暫く逡巡を見せたが、立ち止まる様子のない彼女達を見て「ちょっと!……あぁもう!待ってよー!」と叫びながら追いかけていくのだった。
屋敷を囲う鉄の柵、ルビアの身長など優に超える高さをしている。
その先端には槍のように尖ったモニュメントが取り付けられており、触れるだけで皮膚が切れそうだ。
立ち入れそうな場所はないかと調べていると、同じく鉄製の巨大な門を発見し、ルビアは門の取手を握りしめる。
鍵がかかっているのでは、と考えがよぎったが、それは杞憂に終わる。
あっけなく、簡単に門は開いた。
まるで、彼女達の来訪を待ち受けるかのように。
「用心はしておけ。何があるか分からんぞ。」
「……はい。」
ガイアの忠告を聞き、ルビアは返事をする。
そして、鉄門の内側へと足を踏み入れるのだった。
……領主邸の周囲を覆うように広がる芝生の中、煉瓦にて舗装された道が続いている。
恐らく馬車を通りやすくさせる為に作られたものだろう、その道が真っ直ぐ屋敷へと続いているのがその証拠だ。
ルビア達は道標に沿って歩みを進め、目当てである領主邸へと向かっていく。
勿論警戒は怠らずに、何があってもすぐ対処ができるようルビアは槍を手に構えながら周囲を窺っていた。
しかし、意外にも道中何も起こることはなく、あっさりと屋敷の入り口まで到着してしまう。
「な、何も起きなかったわね……もしかして魔物はもうここにはいないとか?」
「かもしれない、が、そうじゃないかもしれない。」
ガイアは銃を構えると、入り口を睨みながらそう返事をした。
ガイアの……そしてルビアの真剣な表情を見て、今の自分の発言がいかに楽観的なものかを悟り、フルーリアはごくりと唾を飲み込ながら胸元のブローチへと指を伸ばす。
「開けます。」
重く、確かな声色でそう告げると、ルビアは扉へと触れ、今度は力任せに開け放った。
ガタアアァァン!……と衝突するような開閉音が屋敷中に響き渡るや否や、間髪入れずにルビアが中へと飛び込み武器を構える。
巨大な白亜の館、魔物達の発生源とされる場所。
その話が本当であれば、中には夥しいほどの魔物が己が本能のままに人間の肉へと齧りつき、その腹を満たすために貪っていることだろう。
この扉を開けた先にも、赤い目をした蜘蛛の怪物が列を成すように待ち構えており、突然の来訪者であるルビア達を敵と認識して即座に飛びかかってくるであろう………………。
と、いうことはなく。
「……え?」
ルビアが飛び込んだ正面玄関、そのどこを睨んでも生物の影はなくそれどころか埃一つ見当たらないもぬけの殻となっていた。
想定していたものと全く違う光景に、ルビアは僅かに拍子抜けするような気分を味わう。
「え?何これ、誰もいないじゃない。」
彼女の背後で入り口の奥を眺めていたフルーリアがそう溢す。
その通りだった、誰もいないのだ。
玄関口など警備の兵士が置かれていてもおかしくなさそうなのに、入り口のどこを見ても人がいた形跡を感じられないのだ。
「これは……どういうことだ、なぜ誰もいない。
とっくに喰われた後ということか?」
屋敷の中へ足を踏み入れ、周囲を探るように見回しながらガイアが呟く。
「だとしても何の痕跡も残っていないのはおかしいです。
人が襲われたのなら血痕か肉片が落ちていそうですし……何より魔物の姿もありません。
聞いた話が嘘か、誰かの勘違いだったか……。」
「だとしたら屋敷の中に人がいる筈だ。
誰もいないのはおかしい。」
「あ……そっか。そうなるのですね。」
ガイアの反論を聞き、ルビアは素直に頷いた。
人がいなければおかしいし、魔物がいなくてもおかしい……何やら奇妙な話になってきた。
何か見落としでもあるのだろうか、と思いルビアはもう一度周囲を見回す……が、どこを見ても、特に怪しい点は見受けられない。
争った形跡もないし、乱れた箇所もない。
なんら異変のない、ただの室内である。
「ここ以外の場所に潜んでいるのかもしれないな。
屋敷中を見て回るとするか。」
「え!?屋敷中を!?」
「あぁ……何か問題でも?」
驚きの視線を向けるフルーリアへ、ガイアが問いかけるように言葉を返した。
「問題って……結構な広さよ。全部見て回るつもり?」
「今はそれしか選択肢がないからな。
それとも他に妙案でもあるのか?」
「そ、それは……ないけど……。」
「じゃあ黙ってついてこい。」
そう言い捨てると、ガイアは彼女の返答も聞かず一人先に進んでいくのだった。
あまりに乱暴な物言いである、言い方というものがあるだろうに。
故にフルーリアも目をカッと見開き、怒気を孕んだ声色で「はぁ!?」と声を荒げる。
「何その言い方!
私はただ全部の部屋を見るなんて非効率な上に危険だから場所を絞ろうって言おうとしただけよ!」
「じゃあ最初からそう言え。」
「あんたが会話を切り上げたんじゃない!
人の話も聞かずに!」
「お前が文句ばかり言うからだろうが。」
「はぁー!?私がいつ文句を言ったってのよ!
証明しなさいよ証明!」
怒りで吠え掛かるフルーリアに対して、ガイアも苛立ちを寸分も隠すことなく答えていく。
なんということだ、敵陣の真っ只中かもしれないのに喧嘩をし始めるとは。
相性が悪いとは思っていたが、まさかここまでとは。
「二人共落ち着いて!こんなところで争わないでください!
当初の目的を忘れたのですか!?」
放っておくのはまずいとばかりにルビアが止めに入る。
齢一六程度の少女に諭された為か、一旦は口さげなく言い合うのを止めてみせるが、その眼光は鋭くお互いを睨みつけていた。
内心は怒りや不満を抱えているのは明白であり、二人の態度がそれを証明している。
「……行くぞ。」
不機嫌そうにそう言うと、ガイアはみずから先頭に立ち、先へと進むのだった。
対してフルーリアは拳を握りしめ、わなわなと震えている。
「~~っ!あいつムカつく!
私あーいう男大っ嫌い!」
「……………………。」
隣で嫌悪を高らかに叫ぶ女性へ呆れたような視線を送ると、ルビアは内心後悔に見舞われた。
彼らと行動を共にしたのは間違いだったかもしれない……と。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
外観から見てある程度予想はしていたが、領主邸の内部は広大だった。
終わりの見えぬ廊下、一室ごとの空間の広さ、天井の高さ。
そのどれも、一般的な家屋とは比較にならないものばかりだ。
正面玄関だけに注目しても、百人程が居座っても余りある空間を有している。
また、その内装の絢爛さも惹かれる所であり、幾何学模様を基調とした壁紙や、床や天井の細かな紋様、飾られた絵画や美術品の数々は訪れる者の目に彩りを与えた事だろう。
そんな華美な光景を横目に、ルビア達は今、一階の探索を進めている。
正面玄関から続く廊下へ渡り、各部屋を周りながら魔物がいないかと確認して回っているのだ。
だが…………まぁ、先に言ってしまうと、ここでの出来事はこの物語に全く関係ない。
その為、殆どを割愛しよう。
強いて言えば、一階には魔物の痕跡は見つからなかった、という事くらいだろう。
使用人の仕事場や寝泊まりの為に用意された部屋ばかりで、とんだ異変もない。
「これ以上探しても仕方ないな。」というガイアの言葉を皮切りに、一行は別の場所へと歩みを進め、最初に入った玄関口へと戻ってきた。
ここには一階へ続く廊下の他に、二階へ上がる為のかね折れ階段も設置されていたからだ。
大理石でできた段差を一つずつ登っていく。
最後の段を踏み切り、ようやく目当ての階層へ辿り着くと、真っ先に視界に飛び込んだのは遠くまで伸びる廊下だった。
端から端まで敷かれた臙脂色の絨毯。
磨き抜かれたシャンデリアは、差し込む夕陽に照らされ、星のように輝いていた。
壁に設置された扉は、表面は黒、取手は金の塗装を施されており、上品ながら重厚な雰囲気を醸し出している。
下層に比べ、やや天井が低いような気もするが、絢爛たる内装や装飾の数々を見るに、二階は客人やイリナメ自身が利用する階層なのかもしれない。
「……変わった匂いがしますね、甘い……花のような……。」
そう呟き、ルビアは鼻をスンスンとさせる。
便乗するように、フルーリアやガイアも周囲の匂いに着目していく。
廊下には、百合のような甘い香りが漂っていた。
集中すれば感じ取れる程度の香料、どこかの部屋から漏れ出ているのだろうか。
「……ここから、かな。」
そう言い、ルビアが視線を向けたのは階段のすぐ近くにある部屋。
まるで誘われるように近づいていき、取っ手を掴むとゆっくり引き開ける。
「ルビア。勝手な真似をするな。」
そう嗜めるガイアの声が聞こえたが、まるで聞こえていないかのように部屋の中へと立ち入っていく。
「やっぱりここから匂いがする……。」
「おい、ルビア。聞いているのか。」
ふらふらと勝手に動き回る彼女に呆れ、ガイアも後を追い部屋の中に入っていった。
……確かに甘い匂いが濃くなったような気がする、と内心考える。だが妙だ。
部屋には、匂いを発するようなものは見受けられない。
花一輪すら見当たらないのだ。
なら、この匂いは一体どこから……。
「二人共、ここには何もなさそうよ。
早く違う部屋を見にいきましょ……」
同じく部屋へと入ってきたフルーリアがそう話していた時だった。
続きの言葉は、肩に落ちてきた何かによって遮られる。
「ん?」
何か、固いものが当たったような感覚が肩越しに伝わってくる。
それは彼女の体に当たって跳ね、そのまま床へと落ちていったようだった。
天井の塗装でも剥がれたのだろうか……?そう思い、落下していったその何かに視線を移す。
それが、大きな後悔へつながるとも知らずに。
……それは、直径およそ二センチ程の小さな物体であった。
球体の形を成していたであろう外見は、何らかの要因により溶け、その内部を露出させている。
その中を見ると、まるでゼリーのような半固形の透明な物質に満たされているが、てらてらとした表面をなぞり垂れる赤い液体と、内壁に僅か覗く赤い筋を見れば、これは人の口に含んではならないものだと一瞬にして理解できるだろう。
医者であるフルーリアなら、医学を学ぶ上で何度かこれについて記載された書物を読んだこともあったが、このように直接見ることは殆どない。
それは本来、このように露出することも、この部位単体で人の目に晒されることもない箇所だからだ。
……無意識か、彼女は頭を上げ、天井を見る。
一般的な部屋であれば、天井を眺めて見えるものは内部を照らす為の照明器具か、上部を覆う築材くらいだろう。
しかし、彼女が見たものはそのどちらとも違っていた。
細かな文様だと思っていたそれは、よく見れば無数の糸が重なり合ったが為に見えた産物であり、それが天井の隅から隅へと巡るように広がっていた。
僅かな隙間も空けぬよう紡がれているようだったが、目を凝らせば一点だけ穴があり、そこから何かがこちらを覗いている。
それは、恐怖に歪んでおり。
それは、死人のような肌をしており。
ーーそれは、片方の目が欠落していた。
「……ぁ。」
僅かにフルーリアが声を漏らす。
彼女が見たもの、それは一つ。
蜘蛛の糸にまみれ、絡め取られ、哀れにも捕えられた人間の顔。
まるで助けを求めるようにこちらを見つめる、男女とも区別のつかない何者かだった。
ーー闇を孕む眼窩の奥、赤い光が確かに揺れる。
不気味な声を発しながら。
場所は領主邸、ラスティの話によれば大量の魔物が出てくるのを見た者がいるという事だ。
建物に到着すれば激戦が予想されるだろう。
だからこそ各々気を引き締め、遅れを取らぬように身構えていた。
……のだが。
「……静かだな。」
建物の陰から領主邸を観察していたガイアがそう口にする。
鉄柵に囲まれた巨大な建物は、混じりない白色の壁がよく目立つ。
周囲に広がる青々とした芝生とよく手入れされた草花は美しく、相まって非常に清廉な印象を与えている。
しかし裏腹に、建物全体に纏わりつく空気はどこか重く、臓腑を押しつぶすような圧迫感を感じさせるのだった。
何より、耳が痛いほどの静寂。
そこからは魔物の鳴き声どころか、助けを呼ぶ人の声すら聞こえなかった。
……不気味である。
本当に魔物が現れたというのなら、せめて生き物の気配くらいは感じ取れそうだが……。
「本当ね、領主の屋敷なら見張りの兵士も大勢いた筈……なのに死体すらないなんて。」
同じく顔を覗かせていたフルーリアがそう呟く。
確かに、これ程の大屋敷だ。
そこかしこに見張りが置かれていてもおかしくない。
そして、魔物が現れたのならそんな彼らを襲い、食欲のままに貪ったのは想像に容易い。
だのに、どこを見回してもそのような痕跡は何一つ見られないのだ。
食い残しも、血の跡も、生き物が現れた足跡すらどこにもない。
まるで、最初から何もいなかったかのように。
「奇妙過ぎるな、何かあったのは明白だ。
警戒して進むとしよう。」
「……あんたの意見を聞くのは癪だけど、私もそうした方がいいと思う。
ルビア、貴方も気をつけて……。」
フルーリアがそう言いながら、同じく物陰にて姿を隠している少女へと視線を向けた。
だが、そこには誰もいない。
「え?」
思わず声が漏れ、すぐさま周囲を見回す。
すると、一人先に領主邸へと歩みを進めるルビアの姿を見つけるのだった。
「ちょ、ちょっと!あんた何してるの!?
何さっさと先に進んでるのよ!」
「ここで待っていても状況が好転することはありません。
どんなに奇妙で不可解なことが起こっていたとしても、先に進む以外の選択肢はありませんから。」
「待ちなさいって!ちょっとは警戒しなさいよ!
敵が罠を仕掛けていたらどうするの!?」
「だとしても同じことです。
敵を倒し、レイズ達を救う……ただそれだけです。」
慌てるフルーリアを尻目に、ルビアは一人先に進む。
止まる様子など、微塵も感じさせない。
「……まぁ、一理あるな。」
ルビアの後ろ姿を眺めながらガイアがそう呟くと、同じように物陰から姿を現し歩き出す。
最後に残されたフルーリアは暫く逡巡を見せたが、立ち止まる様子のない彼女達を見て「ちょっと!……あぁもう!待ってよー!」と叫びながら追いかけていくのだった。
屋敷を囲う鉄の柵、ルビアの身長など優に超える高さをしている。
その先端には槍のように尖ったモニュメントが取り付けられており、触れるだけで皮膚が切れそうだ。
立ち入れそうな場所はないかと調べていると、同じく鉄製の巨大な門を発見し、ルビアは門の取手を握りしめる。
鍵がかかっているのでは、と考えがよぎったが、それは杞憂に終わる。
あっけなく、簡単に門は開いた。
まるで、彼女達の来訪を待ち受けるかのように。
「用心はしておけ。何があるか分からんぞ。」
「……はい。」
ガイアの忠告を聞き、ルビアは返事をする。
そして、鉄門の内側へと足を踏み入れるのだった。
……領主邸の周囲を覆うように広がる芝生の中、煉瓦にて舗装された道が続いている。
恐らく馬車を通りやすくさせる為に作られたものだろう、その道が真っ直ぐ屋敷へと続いているのがその証拠だ。
ルビア達は道標に沿って歩みを進め、目当てである領主邸へと向かっていく。
勿論警戒は怠らずに、何があってもすぐ対処ができるようルビアは槍を手に構えながら周囲を窺っていた。
しかし、意外にも道中何も起こることはなく、あっさりと屋敷の入り口まで到着してしまう。
「な、何も起きなかったわね……もしかして魔物はもうここにはいないとか?」
「かもしれない、が、そうじゃないかもしれない。」
ガイアは銃を構えると、入り口を睨みながらそう返事をした。
ガイアの……そしてルビアの真剣な表情を見て、今の自分の発言がいかに楽観的なものかを悟り、フルーリアはごくりと唾を飲み込ながら胸元のブローチへと指を伸ばす。
「開けます。」
重く、確かな声色でそう告げると、ルビアは扉へと触れ、今度は力任せに開け放った。
ガタアアァァン!……と衝突するような開閉音が屋敷中に響き渡るや否や、間髪入れずにルビアが中へと飛び込み武器を構える。
巨大な白亜の館、魔物達の発生源とされる場所。
その話が本当であれば、中には夥しいほどの魔物が己が本能のままに人間の肉へと齧りつき、その腹を満たすために貪っていることだろう。
この扉を開けた先にも、赤い目をした蜘蛛の怪物が列を成すように待ち構えており、突然の来訪者であるルビア達を敵と認識して即座に飛びかかってくるであろう………………。
と、いうことはなく。
「……え?」
ルビアが飛び込んだ正面玄関、そのどこを睨んでも生物の影はなくそれどころか埃一つ見当たらないもぬけの殻となっていた。
想定していたものと全く違う光景に、ルビアは僅かに拍子抜けするような気分を味わう。
「え?何これ、誰もいないじゃない。」
彼女の背後で入り口の奥を眺めていたフルーリアがそう溢す。
その通りだった、誰もいないのだ。
玄関口など警備の兵士が置かれていてもおかしくなさそうなのに、入り口のどこを見ても人がいた形跡を感じられないのだ。
「これは……どういうことだ、なぜ誰もいない。
とっくに喰われた後ということか?」
屋敷の中へ足を踏み入れ、周囲を探るように見回しながらガイアが呟く。
「だとしても何の痕跡も残っていないのはおかしいです。
人が襲われたのなら血痕か肉片が落ちていそうですし……何より魔物の姿もありません。
聞いた話が嘘か、誰かの勘違いだったか……。」
「だとしたら屋敷の中に人がいる筈だ。
誰もいないのはおかしい。」
「あ……そっか。そうなるのですね。」
ガイアの反論を聞き、ルビアは素直に頷いた。
人がいなければおかしいし、魔物がいなくてもおかしい……何やら奇妙な話になってきた。
何か見落としでもあるのだろうか、と思いルビアはもう一度周囲を見回す……が、どこを見ても、特に怪しい点は見受けられない。
争った形跡もないし、乱れた箇所もない。
なんら異変のない、ただの室内である。
「ここ以外の場所に潜んでいるのかもしれないな。
屋敷中を見て回るとするか。」
「え!?屋敷中を!?」
「あぁ……何か問題でも?」
驚きの視線を向けるフルーリアへ、ガイアが問いかけるように言葉を返した。
「問題って……結構な広さよ。全部見て回るつもり?」
「今はそれしか選択肢がないからな。
それとも他に妙案でもあるのか?」
「そ、それは……ないけど……。」
「じゃあ黙ってついてこい。」
そう言い捨てると、ガイアは彼女の返答も聞かず一人先に進んでいくのだった。
あまりに乱暴な物言いである、言い方というものがあるだろうに。
故にフルーリアも目をカッと見開き、怒気を孕んだ声色で「はぁ!?」と声を荒げる。
「何その言い方!
私はただ全部の部屋を見るなんて非効率な上に危険だから場所を絞ろうって言おうとしただけよ!」
「じゃあ最初からそう言え。」
「あんたが会話を切り上げたんじゃない!
人の話も聞かずに!」
「お前が文句ばかり言うからだろうが。」
「はぁー!?私がいつ文句を言ったってのよ!
証明しなさいよ証明!」
怒りで吠え掛かるフルーリアに対して、ガイアも苛立ちを寸分も隠すことなく答えていく。
なんということだ、敵陣の真っ只中かもしれないのに喧嘩をし始めるとは。
相性が悪いとは思っていたが、まさかここまでとは。
「二人共落ち着いて!こんなところで争わないでください!
当初の目的を忘れたのですか!?」
放っておくのはまずいとばかりにルビアが止めに入る。
齢一六程度の少女に諭された為か、一旦は口さげなく言い合うのを止めてみせるが、その眼光は鋭くお互いを睨みつけていた。
内心は怒りや不満を抱えているのは明白であり、二人の態度がそれを証明している。
「……行くぞ。」
不機嫌そうにそう言うと、ガイアはみずから先頭に立ち、先へと進むのだった。
対してフルーリアは拳を握りしめ、わなわなと震えている。
「~~っ!あいつムカつく!
私あーいう男大っ嫌い!」
「……………………。」
隣で嫌悪を高らかに叫ぶ女性へ呆れたような視線を送ると、ルビアは内心後悔に見舞われた。
彼らと行動を共にしたのは間違いだったかもしれない……と。
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外観から見てある程度予想はしていたが、領主邸の内部は広大だった。
終わりの見えぬ廊下、一室ごとの空間の広さ、天井の高さ。
そのどれも、一般的な家屋とは比較にならないものばかりだ。
正面玄関だけに注目しても、百人程が居座っても余りある空間を有している。
また、その内装の絢爛さも惹かれる所であり、幾何学模様を基調とした壁紙や、床や天井の細かな紋様、飾られた絵画や美術品の数々は訪れる者の目に彩りを与えた事だろう。
そんな華美な光景を横目に、ルビア達は今、一階の探索を進めている。
正面玄関から続く廊下へ渡り、各部屋を周りながら魔物がいないかと確認して回っているのだ。
だが…………まぁ、先に言ってしまうと、ここでの出来事はこの物語に全く関係ない。
その為、殆どを割愛しよう。
強いて言えば、一階には魔物の痕跡は見つからなかった、という事くらいだろう。
使用人の仕事場や寝泊まりの為に用意された部屋ばかりで、とんだ異変もない。
「これ以上探しても仕方ないな。」というガイアの言葉を皮切りに、一行は別の場所へと歩みを進め、最初に入った玄関口へと戻ってきた。
ここには一階へ続く廊下の他に、二階へ上がる為のかね折れ階段も設置されていたからだ。
大理石でできた段差を一つずつ登っていく。
最後の段を踏み切り、ようやく目当ての階層へ辿り着くと、真っ先に視界に飛び込んだのは遠くまで伸びる廊下だった。
端から端まで敷かれた臙脂色の絨毯。
磨き抜かれたシャンデリアは、差し込む夕陽に照らされ、星のように輝いていた。
壁に設置された扉は、表面は黒、取手は金の塗装を施されており、上品ながら重厚な雰囲気を醸し出している。
下層に比べ、やや天井が低いような気もするが、絢爛たる内装や装飾の数々を見るに、二階は客人やイリナメ自身が利用する階層なのかもしれない。
「……変わった匂いがしますね、甘い……花のような……。」
そう呟き、ルビアは鼻をスンスンとさせる。
便乗するように、フルーリアやガイアも周囲の匂いに着目していく。
廊下には、百合のような甘い香りが漂っていた。
集中すれば感じ取れる程度の香料、どこかの部屋から漏れ出ているのだろうか。
「……ここから、かな。」
そう言い、ルビアが視線を向けたのは階段のすぐ近くにある部屋。
まるで誘われるように近づいていき、取っ手を掴むとゆっくり引き開ける。
「ルビア。勝手な真似をするな。」
そう嗜めるガイアの声が聞こえたが、まるで聞こえていないかのように部屋の中へと立ち入っていく。
「やっぱりここから匂いがする……。」
「おい、ルビア。聞いているのか。」
ふらふらと勝手に動き回る彼女に呆れ、ガイアも後を追い部屋の中に入っていった。
……確かに甘い匂いが濃くなったような気がする、と内心考える。だが妙だ。
部屋には、匂いを発するようなものは見受けられない。
花一輪すら見当たらないのだ。
なら、この匂いは一体どこから……。
「二人共、ここには何もなさそうよ。
早く違う部屋を見にいきましょ……」
同じく部屋へと入ってきたフルーリアがそう話していた時だった。
続きの言葉は、肩に落ちてきた何かによって遮られる。
「ん?」
何か、固いものが当たったような感覚が肩越しに伝わってくる。
それは彼女の体に当たって跳ね、そのまま床へと落ちていったようだった。
天井の塗装でも剥がれたのだろうか……?そう思い、落下していったその何かに視線を移す。
それが、大きな後悔へつながるとも知らずに。
……それは、直径およそ二センチ程の小さな物体であった。
球体の形を成していたであろう外見は、何らかの要因により溶け、その内部を露出させている。
その中を見ると、まるでゼリーのような半固形の透明な物質に満たされているが、てらてらとした表面をなぞり垂れる赤い液体と、内壁に僅か覗く赤い筋を見れば、これは人の口に含んではならないものだと一瞬にして理解できるだろう。
医者であるフルーリアなら、医学を学ぶ上で何度かこれについて記載された書物を読んだこともあったが、このように直接見ることは殆どない。
それは本来、このように露出することも、この部位単体で人の目に晒されることもない箇所だからだ。
……無意識か、彼女は頭を上げ、天井を見る。
一般的な部屋であれば、天井を眺めて見えるものは内部を照らす為の照明器具か、上部を覆う築材くらいだろう。
しかし、彼女が見たものはそのどちらとも違っていた。
細かな文様だと思っていたそれは、よく見れば無数の糸が重なり合ったが為に見えた産物であり、それが天井の隅から隅へと巡るように広がっていた。
僅かな隙間も空けぬよう紡がれているようだったが、目を凝らせば一点だけ穴があり、そこから何かがこちらを覗いている。
それは、恐怖に歪んでおり。
それは、死人のような肌をしており。
ーーそれは、片方の目が欠落していた。
「……ぁ。」
僅かにフルーリアが声を漏らす。
彼女が見たもの、それは一つ。
蜘蛛の糸にまみれ、絡め取られ、哀れにも捕えられた人間の顔。
まるで助けを求めるようにこちらを見つめる、男女とも区別のつかない何者かだった。
ーー闇を孕む眼窩の奥、赤い光が確かに揺れる。
不気味な声を発しながら。
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