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第一章 セルシエン
16-2page 化物邸
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「っ~~~~!!!?」
声にならぬ悲鳴を口にしながら、咄嗟に胸元のブローチへと手を伸ばす。
だが、それは眼窩の奥より這い出た何かによって阻止される。
《シュウウウウウウ……!!》
「っ!!」
人間の顔をつき破り、真っ直ぐ飛びかかってきたのは一匹の魔物。
セルシエンの人々を襲い、その命を糧として生きる蜘蛛の魔物である。
魔物は、鋭く尖った牙を剥き出しにし、目前に立っている獲物へと飛びかかった。
「あ……!」
「危ない!」
そう叫び、フルーリアの腕を引っ張って窮地を救ったのはガイアであった。
間髪入れず銃を構え引き金を引く、すると撃ち出された弾丸は真っ直ぐ飛んでいき、魔物の肉体を貫かんばかりに加速していく……が、咄嗟の攻撃で狙いが逸れたのだろう。
弱点である魔石を避け、赤い目玉へと着弾してしまう。
轟音と共に魔物の頭部が吹っ飛び、ギイイィィィという硝子を釘で擦ったような不快な悲鳴が部屋中をこだまする。
そうして落下するように床へと体を叩きつける、が、その動きが止まることはない。
うごうごと長い下肢が空を泳ぐように掻く。その間、消滅したはずの頭部は徐々に再生されていき、数秒もたたないうちに元の形へと戻ってしまうのだった。
ひっくり返った己の体を起こすと、魔物は再び目前の獲物へと狙いを定める。
「くそ……!」
「ガイアさん動かないで!」
再び銃を向けるガイアだったが、脇を通り過ぎていくルビアの姿を見て咄嗟に銃口を逸らす。
当のルビアは、槍を構えるや一度だけ飛び上がり、その切先を分厚い魔物の胴体へと突き立てるのだった。
魔石を砕く感触が槍伝いに感じ取れる、弱点を貫いたようだ。
《ギイイイイイィィィイイイ!!》
魔物が猛るように声を上げ、うねるようにして暴れ始める。
すると、ルビアは槍を引き抜き、渾身の力を込めて魔物を蹴り飛ばした。
彼女の膂力により、魔物の肉体は加速をつけ部屋の扉へと衝突する。
その衝撃に耐えられなかったのか、壁と扉を繋げていた蝶番がメキメキと音を立てて剥がれていき、魔物は扉ごと外へ追い出されてしまう。
ズズン……とくぐもった衝突音が廊下から聞こえてくる。
見れば、蜘蛛の魔物は廊下の壁に叩きつけられ、力無くだらりと倒れ伏している。もう起き上がってくる様子はない。
「魔物が……一体どこから……。」
警戒を解くことはせず、倒した魔物を凝視しながらルビアが呟く。
そんな彼女の疑問に答えるように、震える声でフルーリアが叫んだ。
「っ、う、上!上にいる!蜘蛛の巣の中にいる!」
彼女の言葉を聞き、ルビアとガイアは咄嗟に天井を睨む。
……十重二十重に張り巡らされた糸の中、確かに動く影を見つける。
それも一体ではない、二体、四体、十体……とだんだん数を増していき、それにより張られた蜘蛛の糸が激しく撓む。
「これは……まさか魔物達はずっと天井に……!?」
「呆けるなルビア!この部屋から脱出するぞ!」
「は……はい!」
ガイアの叫び声を聞き、我に返るとルビアはすぐに部屋の外へと走り出す。
しかし、時すでに遅い。
繊維のちぎれるような音と共に、蜘蛛の巣がぱっくりと裂ける。
その穴から、大量の魔物がなだれ出てくるのであった。
「っ!これは……!」
魔物達はルビアの逃走を防ぐように出口の前を陣取り、カチカチを牙を鳴らしながらこちらを威嚇してきた。
その数の多さ、蟻の這い出る隙間も与えないほどである。
まずい、完全に退路を絶たれた。
「くっ……!」
「ルビア離れなさい!」
手出しできず立ち止まるルビアに対して、フルーリアが呼びかける。
彼女の魔力器具は光を蓄えていた。
〈凍つく風よ 我が障害を足止めせよ〉
そう唱えると同時に魔力器具に集まった光が部屋中に拡散する。
すると、どこからともなく一陣の風が吹きこんだ。
風はやがて吹き荒ぶ嵐となり、まるで意思を持つかのように魔物の群れを包み、殴りつけるような暴力的な寒波へと変貌した。
防ぐ手段のない魔物達はみるみるうちに氷漬けにされていき、身動き一つとれなくなっていく。
そんな時間が幾秒か続いたであろうか。
やがて風は止み、室内に静寂が訪れると、全ての魔物は氷像と化し、その息の根を永遠に止めるのであった。
「これは……氷魔法か。
なんという威力と精度だ、魔物が一瞬にして凍ったぞ。」
一連の出来事を間近で見ていたガイアは、倒された魔物を眺め、驚いたように呟いてみせた。
「ふっ……あんまり私を舐めないほうがいいわよ。
こう見えても結構強いからね。」
そう得意げに笑って見せる彼女へ、ガイアは若干眉を顰めてしまう。
何か反論をしようか、と思い口を開きかけたが、また口論になっても仕方がないと悟ったのか、すぐに口を閉じるのだった。
「ありがとうございますフルーリアさん。
さぁ、部屋から出ましょう!
ここに長居する理由はありませんから。」
そう呼びかけるルビアに従い、一行はそそくさと部屋から脱出する。
しかし。
「……!!これは、まさか……!」
「……そういうことか。」
部屋の外を見て、ルビアが驚愕の声を上げた。
先程まで見ていた二階の景色、それがまやかしのものだと知ったからである。
シャンデリアが吊るされた天井、自分たちが天井だと思い見ていたのは夥しほどの蜘蛛の糸であり、先程の部屋と同じように、大きく裂かれた箇所からは無数の魔物が飛び出していたのである。
街にいたものとは大きさこそ違えど、それが何十匹……否、何百匹もが廊下の端から端まで占領しており、その数は今もなお増え続けている。
「ちょっと、こっちにも沢山いるわよ!?」
「まずいな、これは……。」
「魔物は屋敷中にいた……私達が気づかなかっただけ。
巣の中に身を隠してずっと私達の様子を伺っていたんだ……!」
《シュウウウゥゥゥ…………》
《シャアア!!》
気がつけばルビア達は魔物達に囲まれていた。
四方八方から耳障りな鳴き声が聞こえてくる、その殆どは目前に追い詰めた新鮮な獲物を前に、狂喜乱舞している為だ。
奴らの狙いはただ一つ……ルビア達の命、それだけである。
「くっ……!」
ジリジリとにじり寄る敵に対して、ルビアは武器を構えながら少しずつ後退を余儀なくされた。
彼女達が先程までいた部屋にも何匹かの魔物が既に降り立っており、逃げ込むことはできない。
まさに追い詰められた鼠、その言葉が非常によく似合う状況である。
「とにかく私の魔法で一掃するわ!
……〈凍つく風よ 我が障害を足止めせよ〉」
迫り来る群れに対して、フルーリアが再び魔法を放つ。
先程と同じように冷気が吹き荒れ、差し迫る魔物達の肉体を瞬時に凍らせる……が、いかんせん数が多すぎた。
数匹、取りこぼしてしまう。
「しまった!」
《シャアアアア!》
魔法の攻撃を免れた数匹が我先とばかりにフルーリアに飛び掛かる。
だが。
「はあああ!!」
間一髪、ルビアが先に動き、構えた槍を横凪に振った。
研がれた切先は鋭く、いとも簡単に魔物達の外皮を切り裂く。
《シュウゥゥ……!》
《グウゥゥゥ……!》
肉体を切り裂かれ、怯んだのか魔物達の動きが鈍くなった。
その一瞬の隙をついて、フルーリアは再び魔力器具に魔力を込めるのだった。
「っ!〈凍りつけ〉!!」
感情のまま叫び、魔力を解き放つ。
すると、フルーリアの視界に収まる数匹の魔物に変化が訪れた。
まるで迫り上がるように、霜が魔物の足を登っていく。
振り払うように何度か体を震わせるも、フルーリアの魔法のが一枚上手だったようだ。
その言葉の通り、周囲にいる魔物達は一瞬にして氷に覆われ、身動きが取れなくなる。
「ごめんなさい、助かったわ。」
「いいえ、こちらこそです!」
軽く言葉を交わし、彼女達は未だ減らぬ魔物の群れを睨みつけた。
天井を敷き詰める蜘蛛の糸は終わりがなく、また蜘蛛の巣より飛び出る魔物の数にも終わりは見えない。
このままではじり貧だ。
「くっ……このままじゃ……!」
自分達は魔物に喰われてしまう、と続くはずの言葉をルビアは飲み込んだ。
それは駄目だ、ガイアやフルーリアを魔物の餌食にするわけにはいかない。
何がなんでも、この二人だけは助ける、これ以上魔物のせいで人の命が奪われるわけにはいかないのだから。
それにラスティとも約束をした、必ず生きてリンを助けると。
約束は果たさねばならない。
(……一か八か、突撃を仕掛ける。
道を開き、この場から脱出する!)
危険は承知である、だが成さねばならない。
そう覚悟を決め、武器を構え、敵の中に飛び込もうとした、その矢先である。
ざらざらと、何かが擦れ、流れる音が聞こえた。
不思議と心地の良い音色に一瞬ルビアは耳を奪われた。
「え?」
ふと、視界の隅に影が現れる。
一瞬魔物が襲いかかってきたのかと身構えたが、どうも違う。
それは流動的に、ある種規則に沿った動きを行いながら、まるでルビア達を守るかのように周囲へと拡散していく。
……砂だ、どこから現れたのか不明な大量の砂が、楕円状を保ちながら魔物からの攻撃を防いでいる。
「これは一体……。」
あまりにも非現実的な光景にルビアは自身の目を疑う。
これは人の為せる技ではない。
もしこれを行える人間がいるとすれば、それはフルーリアと同じ魔力器具を持った……。
〈砂塵よ 舞え 防壁と化せ〉
ガイアの声が聞こえた、その声は間違いなく呪文を唱えている。
彼の方を見る、そこには変わらず銃を構え、敵を睨みつける姿があった。
ただ一つ、違う点を挙げるとするならば、その左耳。
黒い石が嵌め込まれたイヤリングが彼の耳に装着されていたことだ。
「まさか、ガイアさんの魔法なのですか?
この砂の壁は……。」
「そうだ、しかし長くは保たない。
だからこのまま大群の中を突っ切って脱出するぞ……走れるか?」
「……!はい!」
ガイアの問いかけに対して、ルビアは力強く返事をする。
そして前を向き、足裏に力を込める。
「行きましょう、皆さん!」
そう叫ぶと、振り返ることなく走り出すのだった。
魔物によって敷き詰められた廊下をまっすぐ進む。
その間、彼女達を狙って襲いかかる敵は数多くいたが、そのどれもガイアの生み出した砂の防壁に阻まれ、牙を突き立てることはできない。
「何この壁凄っ!
魔物達、手も足も出ないじゃない!
こんなことできるなら最初からやってよ!」
「この魔法は魔力を大幅に消耗するんだ。
敵の数も分からない以上、おいそれと使うことなんかできるか。」
「何それ!まあいいわ、今助かってるのは事実だし!
で!?これからどうするの!?」
フルーリアの問いかけに対し、答えたのはルビアだった。
先頭を走りながら声を発する。
「とにかく魔物から距離をとりましょう!
安全な場所に逃げ込んで再起を図ります!」
「え!?外に逃げないの!?」
「逃げた所で屋敷にいる魔物が外に出るだけですよ、なら残っても外に出ても変わりません!
それならこのまま屋敷に残り、レイズ達を探す!」
「簡単に言うけど、目星ついてるの!?」
「ついてません!でも魔物は二階に数多く潜んでいました。
ならばこの階層にいる可能性が高い!」
「な、成る程ー!?」
そう叫びながら会話をし、ひたすら先に進み続ける。
しかしどこもかしこも魔物だらけで、とても逃げ場などあるようには思えない。
「ルビア、俺の魔法ももってあと十秒だ!
安全な場所とやらは見つけたのか!?」
「待ってください!…………あった!あそこ!」
そう言い、ルビアが一点を指差す。
廊下の突き当たりを進んだ先、一際大きな扉が鎮座していた。
不思議と、その周辺には魔物が寄り付いていない。
「あそこに逃げ込みます!みんな走って!」
「わかった!」
「了解ーー!」
各々が返事をし、長く伸びた廊下を駆ける。
その間も魔物達はルビア達を喰い殺さんと襲いかかり、その度に砂の壁に阻まれていった。
しかし、少しずつ、少しずつだが、彼女達を守る壁が効力を失っていき、ただの砂つぶへと戻っていく。
それを見逃さず、何匹もの魔物が繰り返して攻撃を行うのだった。
いつの間にか楕円状の防壁には虫食いのように幾つもの穴が開いており、そこから魔物が顔を覗かせ、顎をかちかちと鳴らす。
「ひぃーー!怖ーー!」
「大丈夫です!間に合う!
だから足を止めないで!走って!」
防壁の内側から見える光景に恐怖を感じ、背を丸めるフルーリアへ激励を送った。
目当ての扉まで、後少し……もう少しの距離まで差し掛かる。
「っ、ああ!」
徐に声をあげ、手を伸ばす。
そして……。
「間に合えーーーー!!」
そう大声を発し、目前に差し掛かった部屋へと勢いよく飛び込んだ。
バタン、と扉が開く音が豪快に鳴り響き、傾れ込むようにしてルビア達が突入する。
それと同時にガイアの魔法は力を失い、ただの砂つぶへと戻っていく。
どうやら間に合ったようだ。
「はぁ……はぁ……もう無理、走れない。
一生分走った……。」
地面に倒れ伏しながら、息を荒げてフルーリアが話す。
その後ろでは、最後に部屋に飛び込んだガイアが扉を閉め、魔物達が侵入できないようにしている。
「……行き当たりばったりだったが、意外となんとかなるものだな。」
閉めた扉に寄りかかるようにして、ガイアが言う。
彼も流石に焦っていたのか、その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「えぇ、本当に……。」
ルビアはそう返事をしつつ、周囲を見回した。
どうやら、自分達が飛び込んだのはとある一室のようだ。
この邸宅に用意されたどの部屋よりも広く、置かれている家具も、絨毯も、壁にかけられた絵も、素人が一目で分かるほどに値打ちものだと理解できる。
ふんだんに贅を注ぎ込まれた調度品の数々……来客用にしては豪勢すぎる、もしやここは領主イリナメの部屋なのだろうか?
(魔物は……うん、いない。
蜘蛛の巣も天井にはないし、この部屋は安全かな……?)
そう考えつつも、念の為に部屋の隅々まで確認する。
油断は禁物だ、どこに何が潜んでいるかわかったものではない。
……部屋の内装は豪華絢爛と称するに相応しいものばかりだ。
扉から入って左手側にはベルベット生地の柔らかそうなソファが向かい合って二台、その間に挟まれるようにして設置された大きな机。
そして壁に沿うようにして置かれた天蓋付きのベッドと、その隣には品のいい白塗りのチェストが用意されている。
他にも大小様々な家具や骨董品などが置かれていたが、その全てに必ずと言っていいほど金の細工が施されており、この部屋の主人の趣味と拘りが大いに感じられた。
自室というには、何もかもが華美に寄り過ぎており、あまりに落ち着きのない場所である。
「高そうなものばっかり……壊さないように気をつけないと。」
そう呟くと、注意深く辺りを捜索し始める。
今の所、目立って危険なものはないように思える。
「何か見つけたか?」
「いいえ、何もありません。
どうやらこの部屋には魔物はいないようです。」
そう返すルビアの言葉を聞いて「良かったー……。」と安堵の声を上げた者がいた。
フルーリアである、彼女は部屋の中央まで歩みを進めると、ソファを見つけて深く腰掛けた。
「わっ!凄くふかふかよこのソファ!
ルビアも座って休んだら?」
「いえ、私は遠慮しておきます。
何か起きたらすぐ動けるようにしたいので。」
そう言い断る彼女を見て「それもそっか。」と呟くように言う。
しかし、立ち上がる様子はない、余程お気に召したようだ。
「さて、これからどうする?
ずっとここにいるわけにはいかないだろう。」
そう問いかけたのはガイアだった。
彼の言葉にルビアはうーんと唸り声を上げながら頭を捻る。
勿論、ここに居座るつもりはない、頃合いを見て出ていくつもりだ。
元々ここへ来た目的はレイズとリンを助ける為、その為には領主邸の中をもっと調べる必要がある。
ただし、それを成し遂げるにはどうしても見過ごせない大きな関門がある……二階に蔓延る魔物達をどう退治するかだ。
(部屋から出るにしてもあの魔物達をなんとかしないと、でないとレイズ達を探しに行くなんてできない。
でも……あの夥しいほどの数、どう切り抜ければいい?
フルーリアさんやガイアさんの魔法に頼るにも限界がある、もっと他の、根本的な解決策は……。)
そう頭を捻らせること、数秒。
ふと、ルビアはかねてより気になっていたことを口走る。
「……そういえばこの魔物達は一体どこからやってきたのでしょうか?」
「発生場所はここ領主邸という話じゃなかったか?
魔物が屋敷から出てくるのを見た奴がいるんだろう?」
「だとしたら変ですよ。
本来魔物は郊外を彷徨っている筈。
それが何故邸宅の中から出てきたのでしょうか。」
「それは……まぁ、確かにな。」
反論の言葉が思いつかず、同意するようにガイアが頷く。
「魔物が街中に現れた理由がここにあるって事?」フルーリアがすかさず尋ねる。
「まだ確証はありませんが……大きく関わっていると考えています。
魔物は確か、母となる他の魔物から産まれると聞いたことがあります。
名前は確か……えっと……。」
「【母胎卵】の事か?」
ガイアが告げた言葉に、ルビアは勢いよく「それです!」と大声で返事をした。
ーーさて、母胎卵についてはまだ語っていない筈。
少し時間を使い、説明するとしよう。
実は魔物の殆どは生殖器官が存在せず、繁殖ができない。
ではどうやってその数を増やしているのか……それは【母胎卵】と呼ばれる魔物が深く関わっているのだ。
母胎卵はその名の通り卵に似た魔物であり、身動きの取れぬ巨大な体を持っている。
手も、足も、口すらも存在せず、それ故に人間を襲い、喰らう事はない、それ単体であれば無害な存在である。
だが現実、魔物を相手取る者達にとって、この種ほど恐れられている魔物はいないだろう。
その理由はただ一つ、名前の由来にもなったその肉体……半無尽蔵に魔物を産むことのできる胎を持っているからだ。
母胎卵は、体内に蓄えた魔力と心臓とも言える魔石を利用し、その命が尽きるまで魔物をこの世に産み落とし続ける。
その為、魔物討伐などを行う際、これが一匹いるかいないかで人間達の生存率が格段に変わってくるのだ。
だからこそ、戦いの際はまず真っ先に母胎卵を倒すのが鉄則とされており、それが出来なければすぐに逃げるべし、とも言われている。
どうやらルビアは、そんな母胎卵がこの屋敷のどこかにあるのではと疑っているようだーー
「その母胎卵がこの建物のどこかにあって、そこから魔物が産まれているとしたら辻褄は合います。
街中に突然魔物が現れたのも、ここ領主邸から魔物が出てきたのも。」
「母胎卵か……確かにあり得るな。
だとするとここからは時間との勝負だぞ。
あれは放置すればするほど魔物が増える、そうなったら手遅れだ。
俺達どころかこの街の人間全員が喰い殺されるぞ。」
そう言い放つ彼の恐ろしい言葉に、ルビアは眉間に皺を寄せながら静かに頷いた。
どうやら、考えている事は同じだったようだ。
「とにかく母胎卵を探しましょう。
幸い体も休めれましたし、まだ見れていない部屋も数多くあります。
その為には二階を彷徨く魔物達をなんとかしないといけませんが……。
……………………。」
そこまで言いかけ、突然ルビアが押し黙る。
口を半開きにさせ、まるで石膏のように動かなくなってしまった。
「どうしたの、ルビア?」心配になったのか、フルーリアが声をかける。
「…………何故魔物達はこの部屋には近づこうとしなかったのでしょうか。」
呟くような声でルビアがそう話す。
重々しく、深刻な声色をさせながら。
「特に異変があるという訳でもありませんし、他の部屋と変わった様子もありません。
なのに、避けるように魔物達が引いていた。」
「偶々じゃないの?一階にもいなかったし。」
なんの気無しにフルーリアが言う。
しかしルビアは首を横に振った。
「偶々にしては違和感があります。
……まるで、最初からこの部屋に招き入れるのが目的だったような……。」
「ち、ちょっと、怖いこと言わないで……考えすぎよ。
もしそうなら部屋の中で魔物が待ち構えているはずでしょ?
でも実際は何もいなかったのよ、それが答えだわ。」
「……だといいのですか。」
フルーリアから嗜められ、ルビアは会話を切り上げた。
しかし釈然としない様子のまま眉を顰め、一人思考を巡らせていた。
この状況において、違和感を覚えたという事実を無視できなかったのだ。
何故、この部屋の前にだけ魔物は寄り付かなかったのか、偶然なのか、はたまた別に理由があるのか……。
一連の会話を聞き眺めていたガイアも、ルビアの反応が気になったのか部屋を見回すと、間近で様相を確認しようと歩き出す……その時。
「……?」
踏み込んだ足が、やけに沈む事に気がついた。
部屋に敷かれた絨毯は確かに柔らかく、多少靴が沈む事はあるだろう。
だがそんな次元ではなく、まるで空いた穴に誤って踏み込んでしまったのかと錯覚する程だ。
床板がなくなっている……?いや、そんな馬鹿な。
だとすれば、今自分達が立っている場所はなんだというのだ。
まさか、偽物の床な訳があるまいし……。
………………そこまで考え、ガイアは深くため息を吐いた。
「いや、ルビアの言うことが正しい。」
「は?」
「構えろ、死なない為にな。」
ガイアが意味深に発言すると同時に。
バキリ、と何かの割れるような音が地面から聞こえてきた。
「!?」
「な、何!?何の音!?」
慌てるように叫ぶと、フルーリアはソファにしがみつき体を丸める。
ルビアはというと、音の出所を探ろうと咄嗟にその場から動いてしまう。
足裏が地面を捉え、強く踏み込んだ……その時だった。
「え!?」
ルビアの片足が、床板に突き刺さる。
膝から下が、まるでめり込むようにはまってしまうのだった。
「これは……!?」
「ルビア動くな、今助け……!」
そうガイアが呼びかけ、近づこうとした時。
突然部屋全体が軋み、沈み始めた。
波打つように揺れる床の上では、次第に立っている事すらできず、バランスを崩すとその場に座り込んでしまう。
「ガイアさん!」
「動くな!危険だ!じっとしていろ!」
ガイアを心配して駆け寄ろうとし、埋まった足に力を込める。
それを察したのか、大声をあげてルビアの動きを静止した。
揺れはだんだん酷くなり、鼓膜を破壊するような崩壊音が部屋中に響き渡る。
一部の家具は自重に耐えきれず倒れ、割れ物の破片が辺りに飛散し、床の割れ目に飲み込まれていく。
正に災害とも呼ぶべき危機的状況だ、部屋が壊れていくなど、誰が予想できただろうか。
今すぐにでも策を講じ、ここから逃げ出すべきなのだろうが……身動きの取れないルビア達にできる事は限られていた。
そして、その限られた方法を実践する程の時間は、等に過ぎ去っていた。
ーーやがて。
「っ……!」
肉体を襲う浮遊感。
崩壊した床穴に呑み込まれるようにして、ルビア達は下層へと落ちてしまうのだった。
無数の瓦礫と共に急降下していく。
臓腑の浮き上がる気色悪い感覚と共に、ルビアは差し迫る地面を凝視し続けた。
思いの外、高さがある。だが命を落とす程度ではない。
受け身を取れ、体よ動け、そうすれば傷などただの一つも負う事はない。
動け、動け、動け!
「っ……!!」
そうして、地面まであともう二メートルといった所で、ようやく彼女の体は言う事を聞いた。
空中で体を捻り、バランスを取ると瓦礫の山へと突っ込んでいく。
全身を揺らすような衝撃と、細かな木屑の破片が体に当たる度、歯を食いしばって耐える。
それらが間近な過去の経験となった頃、粉塵が晴れ、その中からルビアが姿を現した。
「っ、たた……何が、起きたの……?」
混乱する頭を働かせながら、状況を飲み込もうと周囲を見回す。
灯りがなく、薄暗くて見えにくい……が、どこか建物の中というのは間違いないようだ。
円形状に広がる空間、端々が視界に収まらぬ程に広大な領域は、見上げる程に高い天井と大量の築材によって建てられていた。
地面に触れてみれば、無機物特有の冷たい感触が掌に伝わってくる。
表面の滑らかさを感じるに、使われているのは大理石か、と心の中で呟いた。
天井に目をやると、巨大なシャンデリアが吊り下げられており、その真横には大穴がぽっかりと空いている。覗き込もうとしたが、薄闇ばかりが広がっており、影も形も見えなかった。
だが、状況からあの先に何があるか容易に察せられる。
今し方、ルビア達が居た部屋だろう。
どうやらあそこから落ちたようだ、よく五体満足で済んだものだ。
「……そうだ!二人は!?」
同じく落ちてきたガイアとフルーリアの姿が見えず、ルビアは慌てるように瓦礫の山を探り始めた。
床板や家具が高所から叩きつけられ、見るも無惨な姿となっている。
もし人間がこの下敷きになれば、生存は絶望的だろう。
ルビアは無意識に奥歯を噛み締め、眉間に皺を寄せた。
(お願い、無事でいて。お願い……!)
心の中で祈りつつ、必死になって探し続ける。
そうしていると、ガタガタと揺れる瓦礫の山を見つけた。
まさか、と思いすぐ駆け寄ると、急いで木片や石材などをどかしていく、暫く続けていると隙間から飛び出すようにして男性の足がにょきっと出てくる。
「ガイアさん!」
「……死ぬかと思った。」
瓦礫を蹴飛ばしながら這い出てきたのはガイアだった。
多少の擦り傷や怪我はありそうだが、どうやら無事のようだ。
「ガイアさん!ガイアさん……!
良かった、無事で良かった……!」
「まあな。……お前こそどうなんだ?怪我は?」
「大丈夫です!空中で受け身を取ったので。
立てますか?」
「ああ。」
そう返事をすると、ガイアがゆっくりと立ち上がり、薄闇を相手に目を凝らす。
「……ここは?」
「分かりません。
一階を探索した時にこんな場所は見ませんでしたが……。
…………そうだフルーリアさん!探さないと!」
そう大声を上げると、再び瓦礫の山へと向かい始める。
どうやらガイアを見つけて安心し、一瞬フルーリアのことが頭から抜けていたようだ。
「あいつも埋まっているのか?」
「姿が見えないので恐らくは……。」
「そうか、短い人生だったな。」
「縁起でもないこと言わないで!
ガイアさんも一緒に探してください!」
「……ま、仕方ないか。
本当に死なれたら目覚めが悪いからな。」
そうぼやきながらガイアも手を貸してくれる。
そうして二人で探していると、どこかから「助けて~……。」とか細く鳴く人の声が聞こえてきた。
まさかと思い、声のする方へ向かうと、家具や瓦礫の隙間に埋まっているフルーリアを見つけるのだった。
「フルーリアさん!良かった、無事でしたか!」
「これが無事なわけあるかー!早く助けてー!」
「は、はい!」
半ば八つ当たり気味に怒鳴られると、ルビアは慌てて瓦礫を退かした。
そして引っ張り出すようにしてフルーリアを救出する。
助けられたフルーリアは酷く憔悴しきった顔をしており、直後脱力したようにその場にへたり込む。
「はぁーー……死ぬかと思った。」
「運が良かったな、瓦礫同士がぶつかり合って隙間ができたみたいだ。
少しでもずれていたら死んでたぞ。」
「そういうこと言う普通!?やめてよね!」
段々と語るガイアに対して、食ってかかるようにフルーリアが怒鳴る。
だがすぐに周囲を見回すと、慣れない景色に眉を顰めた。
「ていうかここどこ?
薄暗くてよく見えないけど……こんな場所あった?」
「さあな、まだ何も調べれてないんだ。
ここが何処かすら、まだ分かっては……。」
そう言いかけた瞬間、網膜に飛び込んできた眩しい光にガイアは思わず目を細めた。
光源の正体を辿れば、天井に飾られたシャンデリアに炎が灯されているのを見つける。
蝋燭に揺れる橙の炎が硝子の装飾に反射し、光を部屋中に散乱させていたのだ。
「眩しい!何々?今度は何!?」
突如与えられた赫赫たる光に、ルビア達の視界が奪われる、それでも辛うじて目を開き、警戒するように室内を睨みつけた。
そうして見つけたものに対し、皆眩しさなど忘れ、目を見開いた。
……彼らが見つけたのは、壁という壁に張り巡らされた白糸の網。 その糸には、数え切れないほどの人間が全身を絡め取られ、捕まっていたのだった。
「……これは、一体……。」
「な、何これ。ここに捕まってる人達ってまさか、この屋敷の……?」
混乱するガイアと、震えるように話すフルーリアの横で、ルビアは言葉を無くし、食い入るようにその光景を見つめていた。
捕まっている人達は皆、燕尾服やメイド服などに身を包んでおり、その様子から見てもこの屋敷の使用人であることが窺い知れる。
まるで眠っているように目を閉じ、身動き一つしない。
……果たして、生きているのだろうか。
そんな考えが脳裏によぎったその時、とある人物達を見つけ、ルビアの心臓が激しく鳴る。
「レイズ!リンさん!」
そう叫び、名を呼ぶ。
蜘蛛の巣に捕えられた人々の中に、目当ての人物達を見つけたのだった。
二人もまた同じように目を閉じ、微動だにしない。
ーー助けなければ、反射的にそう思い、走り出す。
「駄目だ!止まれルビア!」
叫ぶガイアの声を聞き、足に力を入れ、咄嗟に立ち止まる、正にその時。
頭上から、何かが降ってきた。
鼻先をかする程の距離に、不気味に脈打つ黒い塊が落ちてきたのだった。
「!?」
反射的に飛び退き、塊から距離を取る。
落ちてきた衝撃で周囲には土埃が舞い、その姿は隠れているが、僅か見える隙間からこちらを睨む赤い目を見つけた。
ーー間違いない、魔物だ。
《……我ガ屋敷ニ無断デ入ッテキタ愚カ者ハ、オ前達カ……》
声が聞こえた。
まるでしわがれた老婆のような声だ。
それは、目前に現れた魔物から聞こえた気がする。
《不敬……不敬ナリ……私ヲ誰ト心得ルカ……!》
土埃が晴れ、魔物の様相がようやく見える。
……すると、ルビア達は顔を引き攣らせ、目玉が飛び出るのではというくらいに見開く。
ーー突如現れたその生物は、蜘蛛の魔物とよく似た姿をしている、が、その躯体は比較にならない程巨大であり、まるで家屋に足が生え動いているのかと錯覚する程だった。
何より、何より違うのは、その外見。
……蜘蛛の魔物達は、見た目こそ異形なれど野生で見かける蜘蛛に似た姿をしていた。
胴体から生えた八本の脚、口元から生えた鋏角、そしてよく膨らんだ腹部。
これらを以て、ルビア達もこの生物を【蜘蛛の魔物】と呼称したのだった。
しかし、今目の前にいる魔物は、その範疇から大きく逸れた姿をしていた。
見えるは足、それも人間の足八本。
皮膚を突き破るように生えたそれは、確かに地面を強く踏み、巨大な身体を支えていた。
そして頭部に当たる場所……確かにそこには頭があった。
だが、そこにあったのは、蜘蛛のそれではなく。
《我ガ名ハ……イリナメ、コノ街ノ領主イリナメ!
図ガ高イ!平伏セ愚民共ガ!》
人間の上半身、それも領主イリナメの上半身。
それが、蜘蛛の胴体から突き出るように生えていたのだった。
声にならぬ悲鳴を口にしながら、咄嗟に胸元のブローチへと手を伸ばす。
だが、それは眼窩の奥より這い出た何かによって阻止される。
《シュウウウウウウ……!!》
「っ!!」
人間の顔をつき破り、真っ直ぐ飛びかかってきたのは一匹の魔物。
セルシエンの人々を襲い、その命を糧として生きる蜘蛛の魔物である。
魔物は、鋭く尖った牙を剥き出しにし、目前に立っている獲物へと飛びかかった。
「あ……!」
「危ない!」
そう叫び、フルーリアの腕を引っ張って窮地を救ったのはガイアであった。
間髪入れず銃を構え引き金を引く、すると撃ち出された弾丸は真っ直ぐ飛んでいき、魔物の肉体を貫かんばかりに加速していく……が、咄嗟の攻撃で狙いが逸れたのだろう。
弱点である魔石を避け、赤い目玉へと着弾してしまう。
轟音と共に魔物の頭部が吹っ飛び、ギイイィィィという硝子を釘で擦ったような不快な悲鳴が部屋中をこだまする。
そうして落下するように床へと体を叩きつける、が、その動きが止まることはない。
うごうごと長い下肢が空を泳ぐように掻く。その間、消滅したはずの頭部は徐々に再生されていき、数秒もたたないうちに元の形へと戻ってしまうのだった。
ひっくり返った己の体を起こすと、魔物は再び目前の獲物へと狙いを定める。
「くそ……!」
「ガイアさん動かないで!」
再び銃を向けるガイアだったが、脇を通り過ぎていくルビアの姿を見て咄嗟に銃口を逸らす。
当のルビアは、槍を構えるや一度だけ飛び上がり、その切先を分厚い魔物の胴体へと突き立てるのだった。
魔石を砕く感触が槍伝いに感じ取れる、弱点を貫いたようだ。
《ギイイイイイィィィイイイ!!》
魔物が猛るように声を上げ、うねるようにして暴れ始める。
すると、ルビアは槍を引き抜き、渾身の力を込めて魔物を蹴り飛ばした。
彼女の膂力により、魔物の肉体は加速をつけ部屋の扉へと衝突する。
その衝撃に耐えられなかったのか、壁と扉を繋げていた蝶番がメキメキと音を立てて剥がれていき、魔物は扉ごと外へ追い出されてしまう。
ズズン……とくぐもった衝突音が廊下から聞こえてくる。
見れば、蜘蛛の魔物は廊下の壁に叩きつけられ、力無くだらりと倒れ伏している。もう起き上がってくる様子はない。
「魔物が……一体どこから……。」
警戒を解くことはせず、倒した魔物を凝視しながらルビアが呟く。
そんな彼女の疑問に答えるように、震える声でフルーリアが叫んだ。
「っ、う、上!上にいる!蜘蛛の巣の中にいる!」
彼女の言葉を聞き、ルビアとガイアは咄嗟に天井を睨む。
……十重二十重に張り巡らされた糸の中、確かに動く影を見つける。
それも一体ではない、二体、四体、十体……とだんだん数を増していき、それにより張られた蜘蛛の糸が激しく撓む。
「これは……まさか魔物達はずっと天井に……!?」
「呆けるなルビア!この部屋から脱出するぞ!」
「は……はい!」
ガイアの叫び声を聞き、我に返るとルビアはすぐに部屋の外へと走り出す。
しかし、時すでに遅い。
繊維のちぎれるような音と共に、蜘蛛の巣がぱっくりと裂ける。
その穴から、大量の魔物がなだれ出てくるのであった。
「っ!これは……!」
魔物達はルビアの逃走を防ぐように出口の前を陣取り、カチカチを牙を鳴らしながらこちらを威嚇してきた。
その数の多さ、蟻の這い出る隙間も与えないほどである。
まずい、完全に退路を絶たれた。
「くっ……!」
「ルビア離れなさい!」
手出しできず立ち止まるルビアに対して、フルーリアが呼びかける。
彼女の魔力器具は光を蓄えていた。
〈凍つく風よ 我が障害を足止めせよ〉
そう唱えると同時に魔力器具に集まった光が部屋中に拡散する。
すると、どこからともなく一陣の風が吹きこんだ。
風はやがて吹き荒ぶ嵐となり、まるで意思を持つかのように魔物の群れを包み、殴りつけるような暴力的な寒波へと変貌した。
防ぐ手段のない魔物達はみるみるうちに氷漬けにされていき、身動き一つとれなくなっていく。
そんな時間が幾秒か続いたであろうか。
やがて風は止み、室内に静寂が訪れると、全ての魔物は氷像と化し、その息の根を永遠に止めるのであった。
「これは……氷魔法か。
なんという威力と精度だ、魔物が一瞬にして凍ったぞ。」
一連の出来事を間近で見ていたガイアは、倒された魔物を眺め、驚いたように呟いてみせた。
「ふっ……あんまり私を舐めないほうがいいわよ。
こう見えても結構強いからね。」
そう得意げに笑って見せる彼女へ、ガイアは若干眉を顰めてしまう。
何か反論をしようか、と思い口を開きかけたが、また口論になっても仕方がないと悟ったのか、すぐに口を閉じるのだった。
「ありがとうございますフルーリアさん。
さぁ、部屋から出ましょう!
ここに長居する理由はありませんから。」
そう呼びかけるルビアに従い、一行はそそくさと部屋から脱出する。
しかし。
「……!!これは、まさか……!」
「……そういうことか。」
部屋の外を見て、ルビアが驚愕の声を上げた。
先程まで見ていた二階の景色、それがまやかしのものだと知ったからである。
シャンデリアが吊るされた天井、自分たちが天井だと思い見ていたのは夥しほどの蜘蛛の糸であり、先程の部屋と同じように、大きく裂かれた箇所からは無数の魔物が飛び出していたのである。
街にいたものとは大きさこそ違えど、それが何十匹……否、何百匹もが廊下の端から端まで占領しており、その数は今もなお増え続けている。
「ちょっと、こっちにも沢山いるわよ!?」
「まずいな、これは……。」
「魔物は屋敷中にいた……私達が気づかなかっただけ。
巣の中に身を隠してずっと私達の様子を伺っていたんだ……!」
《シュウウウゥゥゥ…………》
《シャアア!!》
気がつけばルビア達は魔物達に囲まれていた。
四方八方から耳障りな鳴き声が聞こえてくる、その殆どは目前に追い詰めた新鮮な獲物を前に、狂喜乱舞している為だ。
奴らの狙いはただ一つ……ルビア達の命、それだけである。
「くっ……!」
ジリジリとにじり寄る敵に対して、ルビアは武器を構えながら少しずつ後退を余儀なくされた。
彼女達が先程までいた部屋にも何匹かの魔物が既に降り立っており、逃げ込むことはできない。
まさに追い詰められた鼠、その言葉が非常によく似合う状況である。
「とにかく私の魔法で一掃するわ!
……〈凍つく風よ 我が障害を足止めせよ〉」
迫り来る群れに対して、フルーリアが再び魔法を放つ。
先程と同じように冷気が吹き荒れ、差し迫る魔物達の肉体を瞬時に凍らせる……が、いかんせん数が多すぎた。
数匹、取りこぼしてしまう。
「しまった!」
《シャアアアア!》
魔法の攻撃を免れた数匹が我先とばかりにフルーリアに飛び掛かる。
だが。
「はあああ!!」
間一髪、ルビアが先に動き、構えた槍を横凪に振った。
研がれた切先は鋭く、いとも簡単に魔物達の外皮を切り裂く。
《シュウゥゥ……!》
《グウゥゥゥ……!》
肉体を切り裂かれ、怯んだのか魔物達の動きが鈍くなった。
その一瞬の隙をついて、フルーリアは再び魔力器具に魔力を込めるのだった。
「っ!〈凍りつけ〉!!」
感情のまま叫び、魔力を解き放つ。
すると、フルーリアの視界に収まる数匹の魔物に変化が訪れた。
まるで迫り上がるように、霜が魔物の足を登っていく。
振り払うように何度か体を震わせるも、フルーリアの魔法のが一枚上手だったようだ。
その言葉の通り、周囲にいる魔物達は一瞬にして氷に覆われ、身動きが取れなくなる。
「ごめんなさい、助かったわ。」
「いいえ、こちらこそです!」
軽く言葉を交わし、彼女達は未だ減らぬ魔物の群れを睨みつけた。
天井を敷き詰める蜘蛛の糸は終わりがなく、また蜘蛛の巣より飛び出る魔物の数にも終わりは見えない。
このままではじり貧だ。
「くっ……このままじゃ……!」
自分達は魔物に喰われてしまう、と続くはずの言葉をルビアは飲み込んだ。
それは駄目だ、ガイアやフルーリアを魔物の餌食にするわけにはいかない。
何がなんでも、この二人だけは助ける、これ以上魔物のせいで人の命が奪われるわけにはいかないのだから。
それにラスティとも約束をした、必ず生きてリンを助けると。
約束は果たさねばならない。
(……一か八か、突撃を仕掛ける。
道を開き、この場から脱出する!)
危険は承知である、だが成さねばならない。
そう覚悟を決め、武器を構え、敵の中に飛び込もうとした、その矢先である。
ざらざらと、何かが擦れ、流れる音が聞こえた。
不思議と心地の良い音色に一瞬ルビアは耳を奪われた。
「え?」
ふと、視界の隅に影が現れる。
一瞬魔物が襲いかかってきたのかと身構えたが、どうも違う。
それは流動的に、ある種規則に沿った動きを行いながら、まるでルビア達を守るかのように周囲へと拡散していく。
……砂だ、どこから現れたのか不明な大量の砂が、楕円状を保ちながら魔物からの攻撃を防いでいる。
「これは一体……。」
あまりにも非現実的な光景にルビアは自身の目を疑う。
これは人の為せる技ではない。
もしこれを行える人間がいるとすれば、それはフルーリアと同じ魔力器具を持った……。
〈砂塵よ 舞え 防壁と化せ〉
ガイアの声が聞こえた、その声は間違いなく呪文を唱えている。
彼の方を見る、そこには変わらず銃を構え、敵を睨みつける姿があった。
ただ一つ、違う点を挙げるとするならば、その左耳。
黒い石が嵌め込まれたイヤリングが彼の耳に装着されていたことだ。
「まさか、ガイアさんの魔法なのですか?
この砂の壁は……。」
「そうだ、しかし長くは保たない。
だからこのまま大群の中を突っ切って脱出するぞ……走れるか?」
「……!はい!」
ガイアの問いかけに対して、ルビアは力強く返事をする。
そして前を向き、足裏に力を込める。
「行きましょう、皆さん!」
そう叫ぶと、振り返ることなく走り出すのだった。
魔物によって敷き詰められた廊下をまっすぐ進む。
その間、彼女達を狙って襲いかかる敵は数多くいたが、そのどれもガイアの生み出した砂の防壁に阻まれ、牙を突き立てることはできない。
「何この壁凄っ!
魔物達、手も足も出ないじゃない!
こんなことできるなら最初からやってよ!」
「この魔法は魔力を大幅に消耗するんだ。
敵の数も分からない以上、おいそれと使うことなんかできるか。」
「何それ!まあいいわ、今助かってるのは事実だし!
で!?これからどうするの!?」
フルーリアの問いかけに対し、答えたのはルビアだった。
先頭を走りながら声を発する。
「とにかく魔物から距離をとりましょう!
安全な場所に逃げ込んで再起を図ります!」
「え!?外に逃げないの!?」
「逃げた所で屋敷にいる魔物が外に出るだけですよ、なら残っても外に出ても変わりません!
それならこのまま屋敷に残り、レイズ達を探す!」
「簡単に言うけど、目星ついてるの!?」
「ついてません!でも魔物は二階に数多く潜んでいました。
ならばこの階層にいる可能性が高い!」
「な、成る程ー!?」
そう叫びながら会話をし、ひたすら先に進み続ける。
しかしどこもかしこも魔物だらけで、とても逃げ場などあるようには思えない。
「ルビア、俺の魔法ももってあと十秒だ!
安全な場所とやらは見つけたのか!?」
「待ってください!…………あった!あそこ!」
そう言い、ルビアが一点を指差す。
廊下の突き当たりを進んだ先、一際大きな扉が鎮座していた。
不思議と、その周辺には魔物が寄り付いていない。
「あそこに逃げ込みます!みんな走って!」
「わかった!」
「了解ーー!」
各々が返事をし、長く伸びた廊下を駆ける。
その間も魔物達はルビア達を喰い殺さんと襲いかかり、その度に砂の壁に阻まれていった。
しかし、少しずつ、少しずつだが、彼女達を守る壁が効力を失っていき、ただの砂つぶへと戻っていく。
それを見逃さず、何匹もの魔物が繰り返して攻撃を行うのだった。
いつの間にか楕円状の防壁には虫食いのように幾つもの穴が開いており、そこから魔物が顔を覗かせ、顎をかちかちと鳴らす。
「ひぃーー!怖ーー!」
「大丈夫です!間に合う!
だから足を止めないで!走って!」
防壁の内側から見える光景に恐怖を感じ、背を丸めるフルーリアへ激励を送った。
目当ての扉まで、後少し……もう少しの距離まで差し掛かる。
「っ、ああ!」
徐に声をあげ、手を伸ばす。
そして……。
「間に合えーーーー!!」
そう大声を発し、目前に差し掛かった部屋へと勢いよく飛び込んだ。
バタン、と扉が開く音が豪快に鳴り響き、傾れ込むようにしてルビア達が突入する。
それと同時にガイアの魔法は力を失い、ただの砂つぶへと戻っていく。
どうやら間に合ったようだ。
「はぁ……はぁ……もう無理、走れない。
一生分走った……。」
地面に倒れ伏しながら、息を荒げてフルーリアが話す。
その後ろでは、最後に部屋に飛び込んだガイアが扉を閉め、魔物達が侵入できないようにしている。
「……行き当たりばったりだったが、意外となんとかなるものだな。」
閉めた扉に寄りかかるようにして、ガイアが言う。
彼も流石に焦っていたのか、その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「えぇ、本当に……。」
ルビアはそう返事をしつつ、周囲を見回した。
どうやら、自分達が飛び込んだのはとある一室のようだ。
この邸宅に用意されたどの部屋よりも広く、置かれている家具も、絨毯も、壁にかけられた絵も、素人が一目で分かるほどに値打ちものだと理解できる。
ふんだんに贅を注ぎ込まれた調度品の数々……来客用にしては豪勢すぎる、もしやここは領主イリナメの部屋なのだろうか?
(魔物は……うん、いない。
蜘蛛の巣も天井にはないし、この部屋は安全かな……?)
そう考えつつも、念の為に部屋の隅々まで確認する。
油断は禁物だ、どこに何が潜んでいるかわかったものではない。
……部屋の内装は豪華絢爛と称するに相応しいものばかりだ。
扉から入って左手側にはベルベット生地の柔らかそうなソファが向かい合って二台、その間に挟まれるようにして設置された大きな机。
そして壁に沿うようにして置かれた天蓋付きのベッドと、その隣には品のいい白塗りのチェストが用意されている。
他にも大小様々な家具や骨董品などが置かれていたが、その全てに必ずと言っていいほど金の細工が施されており、この部屋の主人の趣味と拘りが大いに感じられた。
自室というには、何もかもが華美に寄り過ぎており、あまりに落ち着きのない場所である。
「高そうなものばっかり……壊さないように気をつけないと。」
そう呟くと、注意深く辺りを捜索し始める。
今の所、目立って危険なものはないように思える。
「何か見つけたか?」
「いいえ、何もありません。
どうやらこの部屋には魔物はいないようです。」
そう返すルビアの言葉を聞いて「良かったー……。」と安堵の声を上げた者がいた。
フルーリアである、彼女は部屋の中央まで歩みを進めると、ソファを見つけて深く腰掛けた。
「わっ!凄くふかふかよこのソファ!
ルビアも座って休んだら?」
「いえ、私は遠慮しておきます。
何か起きたらすぐ動けるようにしたいので。」
そう言い断る彼女を見て「それもそっか。」と呟くように言う。
しかし、立ち上がる様子はない、余程お気に召したようだ。
「さて、これからどうする?
ずっとここにいるわけにはいかないだろう。」
そう問いかけたのはガイアだった。
彼の言葉にルビアはうーんと唸り声を上げながら頭を捻る。
勿論、ここに居座るつもりはない、頃合いを見て出ていくつもりだ。
元々ここへ来た目的はレイズとリンを助ける為、その為には領主邸の中をもっと調べる必要がある。
ただし、それを成し遂げるにはどうしても見過ごせない大きな関門がある……二階に蔓延る魔物達をどう退治するかだ。
(部屋から出るにしてもあの魔物達をなんとかしないと、でないとレイズ達を探しに行くなんてできない。
でも……あの夥しいほどの数、どう切り抜ければいい?
フルーリアさんやガイアさんの魔法に頼るにも限界がある、もっと他の、根本的な解決策は……。)
そう頭を捻らせること、数秒。
ふと、ルビアはかねてより気になっていたことを口走る。
「……そういえばこの魔物達は一体どこからやってきたのでしょうか?」
「発生場所はここ領主邸という話じゃなかったか?
魔物が屋敷から出てくるのを見た奴がいるんだろう?」
「だとしたら変ですよ。
本来魔物は郊外を彷徨っている筈。
それが何故邸宅の中から出てきたのでしょうか。」
「それは……まぁ、確かにな。」
反論の言葉が思いつかず、同意するようにガイアが頷く。
「魔物が街中に現れた理由がここにあるって事?」フルーリアがすかさず尋ねる。
「まだ確証はありませんが……大きく関わっていると考えています。
魔物は確か、母となる他の魔物から産まれると聞いたことがあります。
名前は確か……えっと……。」
「【母胎卵】の事か?」
ガイアが告げた言葉に、ルビアは勢いよく「それです!」と大声で返事をした。
ーーさて、母胎卵についてはまだ語っていない筈。
少し時間を使い、説明するとしよう。
実は魔物の殆どは生殖器官が存在せず、繁殖ができない。
ではどうやってその数を増やしているのか……それは【母胎卵】と呼ばれる魔物が深く関わっているのだ。
母胎卵はその名の通り卵に似た魔物であり、身動きの取れぬ巨大な体を持っている。
手も、足も、口すらも存在せず、それ故に人間を襲い、喰らう事はない、それ単体であれば無害な存在である。
だが現実、魔物を相手取る者達にとって、この種ほど恐れられている魔物はいないだろう。
その理由はただ一つ、名前の由来にもなったその肉体……半無尽蔵に魔物を産むことのできる胎を持っているからだ。
母胎卵は、体内に蓄えた魔力と心臓とも言える魔石を利用し、その命が尽きるまで魔物をこの世に産み落とし続ける。
その為、魔物討伐などを行う際、これが一匹いるかいないかで人間達の生存率が格段に変わってくるのだ。
だからこそ、戦いの際はまず真っ先に母胎卵を倒すのが鉄則とされており、それが出来なければすぐに逃げるべし、とも言われている。
どうやらルビアは、そんな母胎卵がこの屋敷のどこかにあるのではと疑っているようだーー
「その母胎卵がこの建物のどこかにあって、そこから魔物が産まれているとしたら辻褄は合います。
街中に突然魔物が現れたのも、ここ領主邸から魔物が出てきたのも。」
「母胎卵か……確かにあり得るな。
だとするとここからは時間との勝負だぞ。
あれは放置すればするほど魔物が増える、そうなったら手遅れだ。
俺達どころかこの街の人間全員が喰い殺されるぞ。」
そう言い放つ彼の恐ろしい言葉に、ルビアは眉間に皺を寄せながら静かに頷いた。
どうやら、考えている事は同じだったようだ。
「とにかく母胎卵を探しましょう。
幸い体も休めれましたし、まだ見れていない部屋も数多くあります。
その為には二階を彷徨く魔物達をなんとかしないといけませんが……。
……………………。」
そこまで言いかけ、突然ルビアが押し黙る。
口を半開きにさせ、まるで石膏のように動かなくなってしまった。
「どうしたの、ルビア?」心配になったのか、フルーリアが声をかける。
「…………何故魔物達はこの部屋には近づこうとしなかったのでしょうか。」
呟くような声でルビアがそう話す。
重々しく、深刻な声色をさせながら。
「特に異変があるという訳でもありませんし、他の部屋と変わった様子もありません。
なのに、避けるように魔物達が引いていた。」
「偶々じゃないの?一階にもいなかったし。」
なんの気無しにフルーリアが言う。
しかしルビアは首を横に振った。
「偶々にしては違和感があります。
……まるで、最初からこの部屋に招き入れるのが目的だったような……。」
「ち、ちょっと、怖いこと言わないで……考えすぎよ。
もしそうなら部屋の中で魔物が待ち構えているはずでしょ?
でも実際は何もいなかったのよ、それが答えだわ。」
「……だといいのですか。」
フルーリアから嗜められ、ルビアは会話を切り上げた。
しかし釈然としない様子のまま眉を顰め、一人思考を巡らせていた。
この状況において、違和感を覚えたという事実を無視できなかったのだ。
何故、この部屋の前にだけ魔物は寄り付かなかったのか、偶然なのか、はたまた別に理由があるのか……。
一連の会話を聞き眺めていたガイアも、ルビアの反応が気になったのか部屋を見回すと、間近で様相を確認しようと歩き出す……その時。
「……?」
踏み込んだ足が、やけに沈む事に気がついた。
部屋に敷かれた絨毯は確かに柔らかく、多少靴が沈む事はあるだろう。
だがそんな次元ではなく、まるで空いた穴に誤って踏み込んでしまったのかと錯覚する程だ。
床板がなくなっている……?いや、そんな馬鹿な。
だとすれば、今自分達が立っている場所はなんだというのだ。
まさか、偽物の床な訳があるまいし……。
………………そこまで考え、ガイアは深くため息を吐いた。
「いや、ルビアの言うことが正しい。」
「は?」
「構えろ、死なない為にな。」
ガイアが意味深に発言すると同時に。
バキリ、と何かの割れるような音が地面から聞こえてきた。
「!?」
「な、何!?何の音!?」
慌てるように叫ぶと、フルーリアはソファにしがみつき体を丸める。
ルビアはというと、音の出所を探ろうと咄嗟にその場から動いてしまう。
足裏が地面を捉え、強く踏み込んだ……その時だった。
「え!?」
ルビアの片足が、床板に突き刺さる。
膝から下が、まるでめり込むようにはまってしまうのだった。
「これは……!?」
「ルビア動くな、今助け……!」
そうガイアが呼びかけ、近づこうとした時。
突然部屋全体が軋み、沈み始めた。
波打つように揺れる床の上では、次第に立っている事すらできず、バランスを崩すとその場に座り込んでしまう。
「ガイアさん!」
「動くな!危険だ!じっとしていろ!」
ガイアを心配して駆け寄ろうとし、埋まった足に力を込める。
それを察したのか、大声をあげてルビアの動きを静止した。
揺れはだんだん酷くなり、鼓膜を破壊するような崩壊音が部屋中に響き渡る。
一部の家具は自重に耐えきれず倒れ、割れ物の破片が辺りに飛散し、床の割れ目に飲み込まれていく。
正に災害とも呼ぶべき危機的状況だ、部屋が壊れていくなど、誰が予想できただろうか。
今すぐにでも策を講じ、ここから逃げ出すべきなのだろうが……身動きの取れないルビア達にできる事は限られていた。
そして、その限られた方法を実践する程の時間は、等に過ぎ去っていた。
ーーやがて。
「っ……!」
肉体を襲う浮遊感。
崩壊した床穴に呑み込まれるようにして、ルビア達は下層へと落ちてしまうのだった。
無数の瓦礫と共に急降下していく。
臓腑の浮き上がる気色悪い感覚と共に、ルビアは差し迫る地面を凝視し続けた。
思いの外、高さがある。だが命を落とす程度ではない。
受け身を取れ、体よ動け、そうすれば傷などただの一つも負う事はない。
動け、動け、動け!
「っ……!!」
そうして、地面まであともう二メートルといった所で、ようやく彼女の体は言う事を聞いた。
空中で体を捻り、バランスを取ると瓦礫の山へと突っ込んでいく。
全身を揺らすような衝撃と、細かな木屑の破片が体に当たる度、歯を食いしばって耐える。
それらが間近な過去の経験となった頃、粉塵が晴れ、その中からルビアが姿を現した。
「っ、たた……何が、起きたの……?」
混乱する頭を働かせながら、状況を飲み込もうと周囲を見回す。
灯りがなく、薄暗くて見えにくい……が、どこか建物の中というのは間違いないようだ。
円形状に広がる空間、端々が視界に収まらぬ程に広大な領域は、見上げる程に高い天井と大量の築材によって建てられていた。
地面に触れてみれば、無機物特有の冷たい感触が掌に伝わってくる。
表面の滑らかさを感じるに、使われているのは大理石か、と心の中で呟いた。
天井に目をやると、巨大なシャンデリアが吊り下げられており、その真横には大穴がぽっかりと空いている。覗き込もうとしたが、薄闇ばかりが広がっており、影も形も見えなかった。
だが、状況からあの先に何があるか容易に察せられる。
今し方、ルビア達が居た部屋だろう。
どうやらあそこから落ちたようだ、よく五体満足で済んだものだ。
「……そうだ!二人は!?」
同じく落ちてきたガイアとフルーリアの姿が見えず、ルビアは慌てるように瓦礫の山を探り始めた。
床板や家具が高所から叩きつけられ、見るも無惨な姿となっている。
もし人間がこの下敷きになれば、生存は絶望的だろう。
ルビアは無意識に奥歯を噛み締め、眉間に皺を寄せた。
(お願い、無事でいて。お願い……!)
心の中で祈りつつ、必死になって探し続ける。
そうしていると、ガタガタと揺れる瓦礫の山を見つけた。
まさか、と思いすぐ駆け寄ると、急いで木片や石材などをどかしていく、暫く続けていると隙間から飛び出すようにして男性の足がにょきっと出てくる。
「ガイアさん!」
「……死ぬかと思った。」
瓦礫を蹴飛ばしながら這い出てきたのはガイアだった。
多少の擦り傷や怪我はありそうだが、どうやら無事のようだ。
「ガイアさん!ガイアさん……!
良かった、無事で良かった……!」
「まあな。……お前こそどうなんだ?怪我は?」
「大丈夫です!空中で受け身を取ったので。
立てますか?」
「ああ。」
そう返事をすると、ガイアがゆっくりと立ち上がり、薄闇を相手に目を凝らす。
「……ここは?」
「分かりません。
一階を探索した時にこんな場所は見ませんでしたが……。
…………そうだフルーリアさん!探さないと!」
そう大声を上げると、再び瓦礫の山へと向かい始める。
どうやらガイアを見つけて安心し、一瞬フルーリアのことが頭から抜けていたようだ。
「あいつも埋まっているのか?」
「姿が見えないので恐らくは……。」
「そうか、短い人生だったな。」
「縁起でもないこと言わないで!
ガイアさんも一緒に探してください!」
「……ま、仕方ないか。
本当に死なれたら目覚めが悪いからな。」
そうぼやきながらガイアも手を貸してくれる。
そうして二人で探していると、どこかから「助けて~……。」とか細く鳴く人の声が聞こえてきた。
まさかと思い、声のする方へ向かうと、家具や瓦礫の隙間に埋まっているフルーリアを見つけるのだった。
「フルーリアさん!良かった、無事でしたか!」
「これが無事なわけあるかー!早く助けてー!」
「は、はい!」
半ば八つ当たり気味に怒鳴られると、ルビアは慌てて瓦礫を退かした。
そして引っ張り出すようにしてフルーリアを救出する。
助けられたフルーリアは酷く憔悴しきった顔をしており、直後脱力したようにその場にへたり込む。
「はぁーー……死ぬかと思った。」
「運が良かったな、瓦礫同士がぶつかり合って隙間ができたみたいだ。
少しでもずれていたら死んでたぞ。」
「そういうこと言う普通!?やめてよね!」
段々と語るガイアに対して、食ってかかるようにフルーリアが怒鳴る。
だがすぐに周囲を見回すと、慣れない景色に眉を顰めた。
「ていうかここどこ?
薄暗くてよく見えないけど……こんな場所あった?」
「さあな、まだ何も調べれてないんだ。
ここが何処かすら、まだ分かっては……。」
そう言いかけた瞬間、網膜に飛び込んできた眩しい光にガイアは思わず目を細めた。
光源の正体を辿れば、天井に飾られたシャンデリアに炎が灯されているのを見つける。
蝋燭に揺れる橙の炎が硝子の装飾に反射し、光を部屋中に散乱させていたのだ。
「眩しい!何々?今度は何!?」
突如与えられた赫赫たる光に、ルビア達の視界が奪われる、それでも辛うじて目を開き、警戒するように室内を睨みつけた。
そうして見つけたものに対し、皆眩しさなど忘れ、目を見開いた。
……彼らが見つけたのは、壁という壁に張り巡らされた白糸の網。 その糸には、数え切れないほどの人間が全身を絡め取られ、捕まっていたのだった。
「……これは、一体……。」
「な、何これ。ここに捕まってる人達ってまさか、この屋敷の……?」
混乱するガイアと、震えるように話すフルーリアの横で、ルビアは言葉を無くし、食い入るようにその光景を見つめていた。
捕まっている人達は皆、燕尾服やメイド服などに身を包んでおり、その様子から見てもこの屋敷の使用人であることが窺い知れる。
まるで眠っているように目を閉じ、身動き一つしない。
……果たして、生きているのだろうか。
そんな考えが脳裏によぎったその時、とある人物達を見つけ、ルビアの心臓が激しく鳴る。
「レイズ!リンさん!」
そう叫び、名を呼ぶ。
蜘蛛の巣に捕えられた人々の中に、目当ての人物達を見つけたのだった。
二人もまた同じように目を閉じ、微動だにしない。
ーー助けなければ、反射的にそう思い、走り出す。
「駄目だ!止まれルビア!」
叫ぶガイアの声を聞き、足に力を入れ、咄嗟に立ち止まる、正にその時。
頭上から、何かが降ってきた。
鼻先をかする程の距離に、不気味に脈打つ黒い塊が落ちてきたのだった。
「!?」
反射的に飛び退き、塊から距離を取る。
落ちてきた衝撃で周囲には土埃が舞い、その姿は隠れているが、僅か見える隙間からこちらを睨む赤い目を見つけた。
ーー間違いない、魔物だ。
《……我ガ屋敷ニ無断デ入ッテキタ愚カ者ハ、オ前達カ……》
声が聞こえた。
まるでしわがれた老婆のような声だ。
それは、目前に現れた魔物から聞こえた気がする。
《不敬……不敬ナリ……私ヲ誰ト心得ルカ……!》
土埃が晴れ、魔物の様相がようやく見える。
……すると、ルビア達は顔を引き攣らせ、目玉が飛び出るのではというくらいに見開く。
ーー突如現れたその生物は、蜘蛛の魔物とよく似た姿をしている、が、その躯体は比較にならない程巨大であり、まるで家屋に足が生え動いているのかと錯覚する程だった。
何より、何より違うのは、その外見。
……蜘蛛の魔物達は、見た目こそ異形なれど野生で見かける蜘蛛に似た姿をしていた。
胴体から生えた八本の脚、口元から生えた鋏角、そしてよく膨らんだ腹部。
これらを以て、ルビア達もこの生物を【蜘蛛の魔物】と呼称したのだった。
しかし、今目の前にいる魔物は、その範疇から大きく逸れた姿をしていた。
見えるは足、それも人間の足八本。
皮膚を突き破るように生えたそれは、確かに地面を強く踏み、巨大な身体を支えていた。
そして頭部に当たる場所……確かにそこには頭があった。
だが、そこにあったのは、蜘蛛のそれではなく。
《我ガ名ハ……イリナメ、コノ街ノ領主イリナメ!
図ガ高イ!平伏セ愚民共ガ!》
人間の上半身、それも領主イリナメの上半身。
それが、蜘蛛の胴体から突き出るように生えていたのだった。
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