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無理がありすぎる

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「叔父上」
硬い口調でマオシェルに声をかけたのはティグレスだった。
「精霊の神子を引き取るなんて、公爵家では認めていないんですが」
はっきり言ってマオシェルには公爵家としての権力はほぼない。幼いながら当主教育を始めているティグレスの方が、公的に実権があるくらいだ。はっきり言って真面目に嫡男としての教育を受けているティグレスの方が、世間の評価も高く信用がある。裏を返せばそれだけこの叔父が見限られているということ。
「何ということを。精霊の神子に失礼ではないか」
もっとも当人が一番その事実をわかっていない。
「精霊の加護は、神殿が管理すべきものと決まっています。我が家でもそれに異を唱えることはありません」
生真面目に言い募るティグレスをマオシェルはうるさそうに睨む。
「ああ、わかったわかった。全く、頭の固いやつだな。……いいか、精霊の加護とは重要な意味を持つ。それを庇護する者もまた、それなりの立場でなければならないんだ」
得々と語るマオシェルに、ティグレスはしらけた顔を隠さない。 ローズマリーがこっそり観察しているのに気づいているのか、返す言葉も淡々と感情がこもらないものだ。
「ならば、叔父上の個人としての立場でどうぞ。公爵家としては関わる気はありませんので」
きっぱり宣言されてさすがに一瞬鼻じらむものの、開き直ったように声を張る。
「おまえも兄上と同じく頭の固い奴だな。私個人でやることなら問題なかろう」
「わかりました。ではそのように」
それにあっさり頷いたティグレスは自分の後ろに控えていた連れに目線を投げる。控えていたその相手も頷き返すと一歩前に出た。
「ではマオシェル様、ご自身の個人として彼の方の庇護されるのでしたら、その旨一筆いただきます。『公爵家しては関わりない』ことを明示しておかねばなりませんので」
差し出されたのはきっちりこの国の法律に則った形の誓約書だった。当人が署名する欄以外完全に記載が済んでいる。明らかに前もって準備されていたそれに、さすがに面の皮が厚いこの男も顔をひきつらせた。
「わ、私を誰だと思って……」
「公爵閣下からもお話をいただいてまいりましたが。公爵家として望まぬ場合にまで、家の名を使われるのは困るということでした」
こちらもやはり淡々と無感動に続けるのは、ベリル公爵家でも古参の使用人だ。マオシェルにも度々苦言を呈していたが、もう何年も前に諦めたらしく何も言わなくなった。言っても聞かなかったのもある。
付き合いの長い相手だけに、口ではかなわないことも分かっているのか、マオシェルも苦い顔をしてはいるが口ごたえしないでいる。
「このようなことをされては、今後にも関わりますので。これからは、ご自身としての振る舞いとお心得ください」
いわば絶縁宣言されてさすがに何か反論しようとしたが、口をぱくぱくさせるだけで、咄嗟に何を言っていいかわからない様子。救いを求めるようにもう一人の甥の姿を探すが、こちらはしつこくべたべたしようとしていた『神子』からようやく距離をとって、公爵令嬢の側へ避難している。
「……殿下、あなたの伯父様が見てらっしゃいますけど」
そちらに視線を向けないままローズマリーが囁くと、レオノールも顔の向きを固定したまま微かに頷く。
「ああ。もういいんだ、あの人は……」
実は今回の訪問前、レオノールは王宮でかなり詳しい説明を受けた。その中には、今までまだ幼い彼を慮って敢えて告げられることのなかったマオシェルの生臭い噂も含まれていた。
要は彼が、年端もいかぬ少年たちを性的に搾取する常習犯、という話。侍従として下位貴族の子どもを引き取っては弄んで返す、ということを何度かしては公爵家の名でもみ消していたらしい。兄の当主が激怒して絶縁して叩き出すと根回し中だそうだ。
言われてみれば、伯父の側にはごく若い侍従がよくいたが、その顔ぶれはしょっちゅう変わって顔を覚える暇もなかった。年嵩の側近は妙に当たりが柔らかいか逆に変に素っ気ないかの両極端で、レオノールも顔見知り以上にはならなかった。
はっきり言ってマオシェルおよびその側近たちの行いはかなりえげつないもので、実家に帰されても大体それきり表に出てこなくなる。寝たきりになったりそのまま儚くなってしまった者さえいるらしい。
そしてその被害者は揃ってほぼ今のレオノールと同じ年頃だというのでさすがに王家も危機感を抱いている。そういう意味で手を出されては堪ったものではない。肉体的精神的な損傷はもちろん、王族としての名誉もある。
個人の嗜好として同性愛が忌避されるほどではないが、その手の犯罪者に誑し込まれたことが公になれば、社会的な意味で抹殺されかねない。
これまでのレオノールなら、その説明を聞いても端から拒絶したかもしれない。だがコランダム公爵家でローズマリーに凹まされたり彼女を介して公爵夫妻と会食したり、伯父が入れた教育係や侍従を外されたりがあって両親や兄とも話をした。そこで少しずつ、自分が与えられてきた情報に偏りがあることに気付き始めた。
レオノール自身もともと頭も悪くないし、教師も偏向はしていても基本的な考え方は教えている。それを踏まえて改めて考えると、どうも伯父は自分を囲い込みたかったようだ、と気づくくらいはできた。そしてそれ故に自分に優しく甘く、両親に距離を置かせるような言い方をしていたのかと。
伯父はレオノールの自尊心を煽る物言いが上手かった。しかしその場で思いついた質問などは返事が返ってこずそのまま曖昧にされることも少なくなかったので、予めある程度の台本を作っていたのかもしれない。後になってからならそう思うが、その場ではそこまで判断できるはずもない。
今回、マオシェルがレオノールたちについてきたのは精霊の加護を受けた子どもがいるらしい、という噂を聞きつけてのことだ。コランダム公爵家経由で現地入りすれば拒まれないと判断し、レオノールに便乗した。
精霊の神子は容姿端麗と伝わっており、その辺りが彼の琴線に触れたらしい。精霊の神子は身分はなくとも尊重される存在で、それを手に入れれば見栄えのいい愛人のついでに権力も得られると、そう短絡的に思い込んだようだ。
今回の旅行以前に精霊の加護を噂されていたのは実のところローズマリーだ。つまり、彼好みの美少年などまだ存在していなかった。その辺いろいろ詰めが甘いというか考えが浅いというか。
そして当の精霊の神子、シオルはといえば。
「加護をうけたのは、いつだったのですか」
「うーん、いつだっけー?わっすれちゃったー」
辛抱強く、丁寧に問いかける神官長にへらへらしている。
「あなたがこの町の孤児院に来て半月ほど経っています。その間になりますが……孤児院に来て何日目、などの記憶もありませんか」
「ありませーん」
食べ残していた菓子を行儀悪く食べこぼしながら真面目に話を聞く気もないシオルに、神官長の方はあくまで真面目で穏やかだ。
「そうですか。では、孤児院にこちらから確認をお願いしてみましょう。……精霊の泉に来たのが、午前か午後かは覚えていますか?」
「えー?しつっこいなー……お昼過ぎてたと思うー」
容姿は可愛らしい、のだが。にやにやした嘲笑は相手を侮っているようで、印象が悪い。お菓子を食べこぼし、ベタついた指先を舐めてテーブルクロスに擦り付けたりしている。
相手の話を真剣に聞く気がない、というのがにじんでいるし周囲にそれを知られても構わないと思っているのも伝わってくる。その自分の振る舞いが完全に許されるという傲岸不遜は、少なくともローズマリーが抱いていた「シオル」にはそぐわない。
そして正直なところ、精霊の神子としてもどうだろうかと彼女以外も感じたようだ(マオシェル一行以外)。
「……では、我々と共に神殿で祈りを捧げるおつもりはないということでよろしいでしょうか」
訥々と丁寧に説明していた神官長も、その言葉が全く響く様子のないシオルに諦めざるを得なかったらしい。哀しそうに問われても、当人はむしろせいせいしたと言わんばかり。
「うん、そんなのめんどくさいし。ぼくね、国一番の剣士になりたいんだー」
口ではそう言いつつ、シオルは卓上に飾られていた花をちぎって遊んでいる。自由闊達、というより傍若無人な振る舞いは、ますます神官長を哀しそうな顔にさせた。
「それで、あちらの方が後見につかれると」
「うん。公爵家でお金もあるし、好きに遊んでもいいんだってー」
対してとても楽しそうな彼は、その後見人が甥とやり取りしていた内容には気づいていないらしい。公爵家から絶縁されればマオシェルは速攻で路頭に迷いかねない。それを防ぐためにも、精霊の神子であるシオルを引き取って後見につきたいのだろう。シオルの方も、彼が自分を甘やかしてくれると見込んでいるからこそ、そちらを選択したのだろうが。
しかしその互いの選択は、既に半ば破綻している。
「そうですか……私としては、神殿であなたにいろいろ学んでいただきたかったのですが。……しかしそれならば、精霊様にその旨ご報告だけはしておかれませんと」
「うーん。まぁ、そっかー」
懇々と説かれて頷くのは良いが、明らかに相手をなめていて不遜だ。神官長はもともと穏やかで争いを好まない、わがままな子ども相手でも淡々と説諭するタイプなのであまり気にしていない様子でもあるが。
シオルは自身が精霊の加護を受けた者として、誰より偉いと思っている節がある。それこそ、どんなわがままでも無条件で通るくらいに。
それもあながち間違いではないのだが、しかし完全な事実とも言い難い。
確かに精霊の加護を受けた神子は大きな権力を持つとされるが、実際にはその権力を発揮する場はない。神子が政に関わることはないし、個人の財産も持たない。望めば大概のものは与えられるが、そもそも神子は私欲の薄いものが多かった。度を越したわがままや物欲を振りかざす者がいなかったので、問題視されてこなかっただけだ。
こうして権力を振りかざした時、それが認められるかどうかはまた別の話である。そのことをシオルも、そしておそらくマオシェルも理解していない。

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