猫が湯ざめをする前に

くさなぎ秋良

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荒川センチメンタル

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 くさなぎは東京が怖かった。
 多すぎる人、狭い道、忙しない時刻表に早すぎる足音の群れ。そういうものに馴染める気がしなかったのだ。

 しかし、ここ数年は何度か東京に行く用事もあり、そうも言っていられなくなった。
 乗り換えアプリを駆使したり、友人と待ち合わせしたり、足を運ぶたびに迷わないよう策を弄している。
 おかげで以前よりは怖くなくなったが、帰路につくと言いようのない安堵を感じる。

 そんなくさなぎがまだ北海道に住んでいた頃、現在の夫とデートするため、群馬県に何度も足を運んでいた。
 群馬県には空港がない。どうしても成田か羽田に降り立たなければならない。そこからは特急や高速バスを利用し、埼玉を経て北上するのだ。

 空港から群馬県までは、ほとんど高速バスを利用していた。
 なにせ空港の一階で切符が買えて、すぐ目の前から出発するため楽なのだ。しかも乗り換えの必要もなく、いったん乗ってしまえばぼうっとしていていい。恐ろしい東京の人波にもまれるリスクがない上に安いという、彼女にとってはいいとこどりの移動手段であった。

 空港からしばらく高速を走ると、左手に荒川が見えてくる。
 ゆったりと流れる荒川と、どこまでも平らな河川敷が高架から見渡せる。そして遥か彼方にそびえるスカイツリーを見つけ、「あぁ、東京だ」と思う。

 地理に疎いくさなぎには、荒川近辺が東京なのか千葉なのか、もし東京だとしても何区なのかもわからなかった。
 しかし、荒川の向こうにはテレビや映画でしか知らない東京の暮らしがあり、あの川を飛び越えるともう戻ってこれないような錯覚がした。
 とんだ妄想であるが、荒川は不夜城『東京』の境界線、お堀のようなものに見えたのである。

 そのせいか、今でも里帰りするときに荒川まで来ると、「さよなら、関東」と思う。決して群馬県や空港では思わない。必ず荒川なのだ。

 それは何故か。
 
 荒川沿いの景色には、人の暮らしの気配が色濃く漂っているのだと思う。
 細い路地の隙間にも、橋の下にもドラマがある。それは日本全国どこでも同じかもしれないが、くさなぎにとって空港から降りて初めて目に焼き付けた異郷の暮らしが、荒川沿いに流れる時間だった。
 荒川を眺めるくさなぎの胸に、家を見失った猫の気分がこびりついたのかもしれない。

 さて、今宵はここらで風呂を出よう。

 猫が湯ざめをする前に。
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