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3.バーナード様
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「ジレス公爵様、お茶をお持ちしました。」
「ああ、ありがとう。
そこに置いておいて。
私のことは、バーナードと呼んでくれ。」
「承知いたしました。」
私はバーナード様の執務室で、彼のお茶を出したり、部屋を整えたりするいわゆる雑用をするお仕事についた。
何故なら、以前私の代わりにその仕事をしていたセルマさんは、今ダニエルの世話をしてくれているからで。
バーナード様の身の回りの雑用なんて、そんな大事な仕事を私がしても大丈夫なのかと思ったが、セルマさんはマティルダ夫人とダニエルの世話をする方がいいそうである。
元々、バーナード様の乳母だったため、再びマティルダ夫人と子育てすることは、雑用より全然やりがいがあるとのこと。
それに私は、バーナード様のそばにいても、彼に危害を加える恐れがないからだそうで。
もし私がバーナード様に危害を加えたら、ダニエルに報復されるし、何より彼に、私などが勝てるものは一つもない。
力も、察知力も、判断力も、瞬発力ですら軍人のトップに立てるほどの方なのだから、比べるだけ無駄であるから、大丈夫だと言われている。
反対にバーナード様は、妻を出産時に亡くし、その後いくつもの縁談の話があったのに、一度も頷かなかったくらい、亡き奥様を愛しているそうで、私達は一緒にいても、何も起こらないから安心だと言われている。
「バーナード様、そのお手紙が一つ解決しましたら、手を止めてお茶をお飲みになってください。
お茶はいつまでも同じ味ではないですよ。」
執務に集中して、全く休もうとしないバーナード様に、ちょっと強めに言ってみる。
バーナード様は、山になっている書状から、目を離し、手を止めた。
「ミシェルも休むならいいよ。」
「はい、では遠慮なく。」
私は勧められるとすぐにソファに座り、お茶に添えられたマフィンを食べ出した。
その姿をバーナード様は、じっと見ている。
「ミシェルは食欲があっていいね。
私は鍛錬の後ぐらいしか、それほど食べたいとも思わないよ。」
「私は母乳を出さないといけないし、子育ては体力勝負なんです。」
「そんなに食べていても痩せているんだから、驚きだね。
私の分も食べて。」
「はい、ありがとうございます。」
私は遠慮することなく、バーナード様の分のマフィンに手を伸ばす。
その間、バーナード様は美しい所作で、お茶を飲んでいる。
その姿はさすが公爵様というほど、上品だ。
「はは、私の分の食べ物を、気にせず食べてしまうのは君だけだよ。
私はね、軍では厳しい顔をしているから、皆に恐れられているんだよ。」
「はい、わかります。
私も初めてお会いした時、高貴な雰囲気と威厳があって、とても声をかけられる気がしませんでした。
でも、ダニエルを見るバーナード様の瞳はお優しいので、今は大丈夫です。」
バーナード様は、食堂で食事を共にする時、ダニエルに食べさせているマティルダ夫人を、微笑ましそうに見ている。
さすがに直接、ダニエルに関わることはないけれど。
マティルダ夫人が、私達を邸に住まわせるとバーナード様に告げた時、驚いた顔をしていたけれど、彼女に反対することはなかった。
「私はね、母に孫を抱かせてあげれなかったから、ダニエルを抱く母を見て、好きなようにさせてあげようと思ったんだよ。
母があのように楽しそうな顔をするのは、いつぶりかわからないぐらいだから。」
「はい、マティルダ夫人はダニエルにとても良くしてくれて、ありがたいです。」
「だから君は、気にせずここにいていいからね。」
「はい、ありがとうございます。」
私は愛する夫を失ったけれど、ダニエルを可愛がってくれる母のようなマティルダ夫人と、衣食住が困らない生活、仕事を手に入れて、一人で子育てしていた時とは違う安心感のある毎日を送っている。
あの時、勇気を出して、鍛錬場まで行って良かった。
もしあのまま、仕事が長引いているだけだと、家でカーターをひたすら待ち続けていたら、どうなっていたかわからない。
家にいても凍えるほど寒く、食べ物を買う金銭だって、ほとんど残っていなかった。
それでもとカーターの帰りを待ち続けたけれど、離乳食は材料がなくて作れないから母乳をあげていても、私の身体が栄養不足のためか、ついに母乳が出なくなり、ダニエルがお腹を空かせて泣き出して止まらなくなった。
だから、ダニエルを抱えて、ふらふらになりながら、鍛錬場へ向かったのだ。
夫の帰りを信じて待つができない妻と思われたくないから、一人で耐えて、頑張っていたけれど、ついに限界を迎えた。
だから、カーターが駆け落ちしたことを聞いて、バーナード様達の前で、失神してしまった。
砦に向かったカーターを家で待つのが妻の務めだと思って、耐えていたことがすべて無駄で、彼に裏切られたと知った時、もうすべてが壊れてしまうと思ったのだ。
失神した時、バーナード様とベイカー少佐が、落ちないようにダニエルを抱き止めてくれたと知って、ほっと安堵した。
ダニエルを一人で育てるのは大変だけど、この子を失ったら、私は本当に一人ぼっちで、どうやって生きる気力を出すのかさえ、わからなくなってしまう。
だから、言葉には出さないけれど、愛する妻と子を失っているバーナード様の気持ちが少しだけわかるような気がするのだ。
死別とは違うから、勝手に共感しているなどと言ったら、バーナード様に怒られてしまうかもしれないから内緒にするけれど。
「ミシェルはいつも楽しそうだね。」
「ダニエルの前で悲しい顔をしていたら、あの子が不安がるかなぁと思って、意識して明るくしているんです。」
「心と離れた態度を続けていたら、辛くないかい?」
「それもダニエルのためですもの、平気です。」
「そうかい?」
バーナード様は心配そうに私を見たけれど、それ以上何も言わなかった。
そして、執務を再開した。
「ああ、ありがとう。
そこに置いておいて。
私のことは、バーナードと呼んでくれ。」
「承知いたしました。」
私はバーナード様の執務室で、彼のお茶を出したり、部屋を整えたりするいわゆる雑用をするお仕事についた。
何故なら、以前私の代わりにその仕事をしていたセルマさんは、今ダニエルの世話をしてくれているからで。
バーナード様の身の回りの雑用なんて、そんな大事な仕事を私がしても大丈夫なのかと思ったが、セルマさんはマティルダ夫人とダニエルの世話をする方がいいそうである。
元々、バーナード様の乳母だったため、再びマティルダ夫人と子育てすることは、雑用より全然やりがいがあるとのこと。
それに私は、バーナード様のそばにいても、彼に危害を加える恐れがないからだそうで。
もし私がバーナード様に危害を加えたら、ダニエルに報復されるし、何より彼に、私などが勝てるものは一つもない。
力も、察知力も、判断力も、瞬発力ですら軍人のトップに立てるほどの方なのだから、比べるだけ無駄であるから、大丈夫だと言われている。
反対にバーナード様は、妻を出産時に亡くし、その後いくつもの縁談の話があったのに、一度も頷かなかったくらい、亡き奥様を愛しているそうで、私達は一緒にいても、何も起こらないから安心だと言われている。
「バーナード様、そのお手紙が一つ解決しましたら、手を止めてお茶をお飲みになってください。
お茶はいつまでも同じ味ではないですよ。」
執務に集中して、全く休もうとしないバーナード様に、ちょっと強めに言ってみる。
バーナード様は、山になっている書状から、目を離し、手を止めた。
「ミシェルも休むならいいよ。」
「はい、では遠慮なく。」
私は勧められるとすぐにソファに座り、お茶に添えられたマフィンを食べ出した。
その姿をバーナード様は、じっと見ている。
「ミシェルは食欲があっていいね。
私は鍛錬の後ぐらいしか、それほど食べたいとも思わないよ。」
「私は母乳を出さないといけないし、子育ては体力勝負なんです。」
「そんなに食べていても痩せているんだから、驚きだね。
私の分も食べて。」
「はい、ありがとうございます。」
私は遠慮することなく、バーナード様の分のマフィンに手を伸ばす。
その間、バーナード様は美しい所作で、お茶を飲んでいる。
その姿はさすが公爵様というほど、上品だ。
「はは、私の分の食べ物を、気にせず食べてしまうのは君だけだよ。
私はね、軍では厳しい顔をしているから、皆に恐れられているんだよ。」
「はい、わかります。
私も初めてお会いした時、高貴な雰囲気と威厳があって、とても声をかけられる気がしませんでした。
でも、ダニエルを見るバーナード様の瞳はお優しいので、今は大丈夫です。」
バーナード様は、食堂で食事を共にする時、ダニエルに食べさせているマティルダ夫人を、微笑ましそうに見ている。
さすがに直接、ダニエルに関わることはないけれど。
マティルダ夫人が、私達を邸に住まわせるとバーナード様に告げた時、驚いた顔をしていたけれど、彼女に反対することはなかった。
「私はね、母に孫を抱かせてあげれなかったから、ダニエルを抱く母を見て、好きなようにさせてあげようと思ったんだよ。
母があのように楽しそうな顔をするのは、いつぶりかわからないぐらいだから。」
「はい、マティルダ夫人はダニエルにとても良くしてくれて、ありがたいです。」
「だから君は、気にせずここにいていいからね。」
「はい、ありがとうございます。」
私は愛する夫を失ったけれど、ダニエルを可愛がってくれる母のようなマティルダ夫人と、衣食住が困らない生活、仕事を手に入れて、一人で子育てしていた時とは違う安心感のある毎日を送っている。
あの時、勇気を出して、鍛錬場まで行って良かった。
もしあのまま、仕事が長引いているだけだと、家でカーターをひたすら待ち続けていたら、どうなっていたかわからない。
家にいても凍えるほど寒く、食べ物を買う金銭だって、ほとんど残っていなかった。
それでもとカーターの帰りを待ち続けたけれど、離乳食は材料がなくて作れないから母乳をあげていても、私の身体が栄養不足のためか、ついに母乳が出なくなり、ダニエルがお腹を空かせて泣き出して止まらなくなった。
だから、ダニエルを抱えて、ふらふらになりながら、鍛錬場へ向かったのだ。
夫の帰りを信じて待つができない妻と思われたくないから、一人で耐えて、頑張っていたけれど、ついに限界を迎えた。
だから、カーターが駆け落ちしたことを聞いて、バーナード様達の前で、失神してしまった。
砦に向かったカーターを家で待つのが妻の務めだと思って、耐えていたことがすべて無駄で、彼に裏切られたと知った時、もうすべてが壊れてしまうと思ったのだ。
失神した時、バーナード様とベイカー少佐が、落ちないようにダニエルを抱き止めてくれたと知って、ほっと安堵した。
ダニエルを一人で育てるのは大変だけど、この子を失ったら、私は本当に一人ぼっちで、どうやって生きる気力を出すのかさえ、わからなくなってしまう。
だから、言葉には出さないけれど、愛する妻と子を失っているバーナード様の気持ちが少しだけわかるような気がするのだ。
死別とは違うから、勝手に共感しているなどと言ったら、バーナード様に怒られてしまうかもしれないから内緒にするけれど。
「ミシェルはいつも楽しそうだね。」
「ダニエルの前で悲しい顔をしていたら、あの子が不安がるかなぁと思って、意識して明るくしているんです。」
「心と離れた態度を続けていたら、辛くないかい?」
「それもダニエルのためですもの、平気です。」
「そうかい?」
バーナード様は心配そうに私を見たけれど、それ以上何も言わなかった。
そして、執務を再開した。
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