9 / 18
9.塔の部屋
ソマーズに導かれ、メイベルとディオン様が話しながら歩いていると、人通りの途切れた一角に、ひっそりと古びた大きな建物が姿を現した。
石積みの壁は長い年月を刻んだようにくすんでいる。
「こちらです。」
ソマーズが重厚な扉を押し開けると、ひんやりとした空気が頬に触れた。
私とディオン様は足を踏み入れ、辺りを見渡す。
薄暗い倉庫の中では、大小様々な樽がいくつも並び、フルーツの甘酸っぱい匂いが空間に満ちていた。
「ここはワインを作る原料を仮置きする倉庫です。
どうぞこちらへ。」
ソマーズはさらに奥に進み、ある壁の前で立ち止まる。
そこは樽の隙間の何もない場所だった。
「ここか?」
「はい。」
ソマーズが壁に手を当てそっと押すと、重たげな石壁が音もなく開き、暗い奥行きを持つ空間が姿を現した。
そして、奥へ進むと上へと続く螺旋階段がそびえ立つ。
「さあ、行きますよ。」
ソマーズを先導に、一歩ずつ階段を登り始める。
息を切らしてようやく最上部に辿り着くと、ソマーズがドアを押し開けた。
次の瞬間、眩しい光が一気に広がる。
そこは、優美な広い居室が広がっていた。
大きな窓がいくつも並び、広大な街並みが眼下に一望できる。
石畳の屋根、入り組む路地、人々の動きまで、小さな箱庭のように見える。
そして青い空、降り注ぐ陽光。
街の中はごった返していたけれど、ここは空気も澄んでいて、落ち着ける。
まさに塔の上の隠れ家だった。
「素敵な景色ですね。」
「うん、メイベルの意見が聞きたくて、連れて来たんだ。」
ディオン様は、景色を堪能できる大きな窓辺のソファへ促す。
「さあ、ここに座って。
喉が乾いただろう?」
「ええ。」
彼は私を座らせると、ソマーズから受け取ったレモンを薄く輪切りにしたガラスの水差しから、淡い黄金色の液体を静かに注ぎ、渡してくれた。
「さあ、これを飲んでごらん。」
グラスを受け取りひと口含むと、レモンの爽やかな香りがふわりと広がり、あとから優しい甘さが舌に残る。
「美味しいわ。」
「運動の後は格別だろ?」
「ふふ、運動って、階段を登って来ただけですわ。」
「それでも、疲れただろう?」
「ええ、少し。
でも私、森の中に住んでるので、他の令嬢に比べたら、足腰が丈夫になりました。
トムと二人でよく出かけますし。」
坂を登った先にあるお花畑のことは、トムと私だけの秘密なのだ。
そこに向かう際に、体力はしだいについていく。
「二人でか、妬けるな。」
「そんな、ディオン様はお忙しいですもの。」
「時々想像するんだ。
メイベルと森で暮らしているのが僕だったらって。」
「ふふ、あちこち探索して楽しんでますね。」
「だろ?
僕達の方が充実してると思うんだ。」
「お話中のところ、すみません。
ディオン様、ここに来た趣旨をお忘れでは?」
ソマーズが、見かねたように話に割って入る。
「そうだった。
メイベル、ここはどう思う?」
「ここですか?
たどり着くのは大変ですけど、景色が素敵なところですね。」
「それは僕達が二人で過ごす感想だね。
そうではなく、トムの隠れ家としてどう思う?」
その質問に、突如私の気持ちは切り替わる。
「そうでしたら、ここで見つからないでいられる場合に限り、数日なら楽しめるでしょう。
けれどもここでは、閉じ込められた感が出てしまいます。
実際、一切この部屋を出れませんし、森の邸と違ってできることは限られます。
いくら階段の登り降りをしても、体力が衰えてしまうでしょうし。
それに一度見つかってしまったら、逃げることは不可能です。
火を放たれてしまう場合も同様です。
だから、一時的な避難先としては使えても、長くいれる場所じゃないと思います。」
「うん、そうだね。
君はトムのことを考えると、人が変わったように論理派になる。」
「そんなつもりはないのですが、トムのことが心配で。」
「残念だけど、ここに関しては僕も同意見だ。
数日間二人で籠るには楽しそうだけど。」
こんな話をしていても、ディオン様は不意に私を見つめ、甘く囁く。
「とても景色は綺麗ですし、きっと夜の眺めも素晴らしいと思います。」
彼に釣られ、すぐに私もその光景を想像してしまう。
「今晩二人でその答え合わせをしようか。」
「失礼します、ディオン様、では次の候補へ移動しましょう。」
二人の世界に入り話をしていると、ソマーズが再び割って入る。
「ソマーズ、君は空気が読めないね。」
「いいえ、空気が読めるから、お止めしているんです。
ディオン様、ソフィア王女との縁談はどうなさるおつもりですか?」
「その話はメイベルの前でしないでくれ。
彼女とは結婚しないと、何度も話しているだろう。」
「でも王妃様が諦めるでしょうか?」
「その話はまたいずれ。
メイベルに不安を与えてしまうだろ?
いいかいメイベル、僕はけして彼女と一緒にならない。
だから僕を信じて。」
「やはりディオン様のお相手はソフィア王女様なのですね。
だから、公爵様であるのに婚約者がおられない。」
「僕の相手はまだ誰とも決まっていない。
他国の姫の可能性も残しておきたい王の戦略だ。
だが僕はメイベルといたいと思っている。」
「私は伯爵令嬢か民。
お立場上、政治的にも許されないのでは?」
「僕の意向を汲むように王には話している。
大丈夫、何せ僕は彼の息子を保護している。」
「まあ、ディオン様、今とってもずるい顔なさりましたよ。」
「違う。
ただ君を切実に求めている男の顔さ。」
「私は結婚は諦めておりましたから、答えを急いでおりません。
ディオン様の心の赴くままになさってください。
ただ私は、妾だけにはなりません。
今の私は、新しい人生を生きています。
私のことを愛してくれない婚約者も、妻のいる男性もいりません。
私は身分など関係なしに、心の底から幸せだと言える人生を生きるつもりです。」
「わかった。
僕は最善を尽くす。
君を諦めるつもりはない。」
本音で話し合っていると、ソマーズが再び割って入る。
「どうして少し経つと、二人はまた見つめ合っているんですか?
でも、メイベル嬢、私はあなたを誤解していたようです。
私はあなたを、ディオン様にへばりつく害のある女性だと思っておりました。
何しろディオン様は、意識のないあなたに出会った時からすでに、あなたに魅了されていた。
扱いのようすが、明らかに他の女性とは違う。
だからよっぽど、媚びて取り入っているのだと思っておりました。」
「まあ、そうだったんですか、ディオン様?」
「そうだよ。
君は特別さ。
出会った頃から気になる存在ではあったけれど、メイベルと話せば話すほど、君を好きになっていくんだ。
ソマーズ、今のは良かったよ。」
「えっ、僕まで二人のいちゃつきの口実に使われたのですか?」
「自分から、僕がどれだけメイベルを思っているのか話してくれたよね?」
「それはメイベル嬢に対する不躾な態度を謝罪したかったからです。」
「ふふ、ありがとうございます。
私はディオン様の害になるような関係にはなりません。
だからソマーズ卿、安心なさってください。」
「ありがとうございます。
では次へ参りましょう。」
「よし、次のデートに出発だ。」
「楽しみですわ。」
石積みの壁は長い年月を刻んだようにくすんでいる。
「こちらです。」
ソマーズが重厚な扉を押し開けると、ひんやりとした空気が頬に触れた。
私とディオン様は足を踏み入れ、辺りを見渡す。
薄暗い倉庫の中では、大小様々な樽がいくつも並び、フルーツの甘酸っぱい匂いが空間に満ちていた。
「ここはワインを作る原料を仮置きする倉庫です。
どうぞこちらへ。」
ソマーズはさらに奥に進み、ある壁の前で立ち止まる。
そこは樽の隙間の何もない場所だった。
「ここか?」
「はい。」
ソマーズが壁に手を当てそっと押すと、重たげな石壁が音もなく開き、暗い奥行きを持つ空間が姿を現した。
そして、奥へ進むと上へと続く螺旋階段がそびえ立つ。
「さあ、行きますよ。」
ソマーズを先導に、一歩ずつ階段を登り始める。
息を切らしてようやく最上部に辿り着くと、ソマーズがドアを押し開けた。
次の瞬間、眩しい光が一気に広がる。
そこは、優美な広い居室が広がっていた。
大きな窓がいくつも並び、広大な街並みが眼下に一望できる。
石畳の屋根、入り組む路地、人々の動きまで、小さな箱庭のように見える。
そして青い空、降り注ぐ陽光。
街の中はごった返していたけれど、ここは空気も澄んでいて、落ち着ける。
まさに塔の上の隠れ家だった。
「素敵な景色ですね。」
「うん、メイベルの意見が聞きたくて、連れて来たんだ。」
ディオン様は、景色を堪能できる大きな窓辺のソファへ促す。
「さあ、ここに座って。
喉が乾いただろう?」
「ええ。」
彼は私を座らせると、ソマーズから受け取ったレモンを薄く輪切りにしたガラスの水差しから、淡い黄金色の液体を静かに注ぎ、渡してくれた。
「さあ、これを飲んでごらん。」
グラスを受け取りひと口含むと、レモンの爽やかな香りがふわりと広がり、あとから優しい甘さが舌に残る。
「美味しいわ。」
「運動の後は格別だろ?」
「ふふ、運動って、階段を登って来ただけですわ。」
「それでも、疲れただろう?」
「ええ、少し。
でも私、森の中に住んでるので、他の令嬢に比べたら、足腰が丈夫になりました。
トムと二人でよく出かけますし。」
坂を登った先にあるお花畑のことは、トムと私だけの秘密なのだ。
そこに向かう際に、体力はしだいについていく。
「二人でか、妬けるな。」
「そんな、ディオン様はお忙しいですもの。」
「時々想像するんだ。
メイベルと森で暮らしているのが僕だったらって。」
「ふふ、あちこち探索して楽しんでますね。」
「だろ?
僕達の方が充実してると思うんだ。」
「お話中のところ、すみません。
ディオン様、ここに来た趣旨をお忘れでは?」
ソマーズが、見かねたように話に割って入る。
「そうだった。
メイベル、ここはどう思う?」
「ここですか?
たどり着くのは大変ですけど、景色が素敵なところですね。」
「それは僕達が二人で過ごす感想だね。
そうではなく、トムの隠れ家としてどう思う?」
その質問に、突如私の気持ちは切り替わる。
「そうでしたら、ここで見つからないでいられる場合に限り、数日なら楽しめるでしょう。
けれどもここでは、閉じ込められた感が出てしまいます。
実際、一切この部屋を出れませんし、森の邸と違ってできることは限られます。
いくら階段の登り降りをしても、体力が衰えてしまうでしょうし。
それに一度見つかってしまったら、逃げることは不可能です。
火を放たれてしまう場合も同様です。
だから、一時的な避難先としては使えても、長くいれる場所じゃないと思います。」
「うん、そうだね。
君はトムのことを考えると、人が変わったように論理派になる。」
「そんなつもりはないのですが、トムのことが心配で。」
「残念だけど、ここに関しては僕も同意見だ。
数日間二人で籠るには楽しそうだけど。」
こんな話をしていても、ディオン様は不意に私を見つめ、甘く囁く。
「とても景色は綺麗ですし、きっと夜の眺めも素晴らしいと思います。」
彼に釣られ、すぐに私もその光景を想像してしまう。
「今晩二人でその答え合わせをしようか。」
「失礼します、ディオン様、では次の候補へ移動しましょう。」
二人の世界に入り話をしていると、ソマーズが再び割って入る。
「ソマーズ、君は空気が読めないね。」
「いいえ、空気が読めるから、お止めしているんです。
ディオン様、ソフィア王女との縁談はどうなさるおつもりですか?」
「その話はメイベルの前でしないでくれ。
彼女とは結婚しないと、何度も話しているだろう。」
「でも王妃様が諦めるでしょうか?」
「その話はまたいずれ。
メイベルに不安を与えてしまうだろ?
いいかいメイベル、僕はけして彼女と一緒にならない。
だから僕を信じて。」
「やはりディオン様のお相手はソフィア王女様なのですね。
だから、公爵様であるのに婚約者がおられない。」
「僕の相手はまだ誰とも決まっていない。
他国の姫の可能性も残しておきたい王の戦略だ。
だが僕はメイベルといたいと思っている。」
「私は伯爵令嬢か民。
お立場上、政治的にも許されないのでは?」
「僕の意向を汲むように王には話している。
大丈夫、何せ僕は彼の息子を保護している。」
「まあ、ディオン様、今とってもずるい顔なさりましたよ。」
「違う。
ただ君を切実に求めている男の顔さ。」
「私は結婚は諦めておりましたから、答えを急いでおりません。
ディオン様の心の赴くままになさってください。
ただ私は、妾だけにはなりません。
今の私は、新しい人生を生きています。
私のことを愛してくれない婚約者も、妻のいる男性もいりません。
私は身分など関係なしに、心の底から幸せだと言える人生を生きるつもりです。」
「わかった。
僕は最善を尽くす。
君を諦めるつもりはない。」
本音で話し合っていると、ソマーズが再び割って入る。
「どうして少し経つと、二人はまた見つめ合っているんですか?
でも、メイベル嬢、私はあなたを誤解していたようです。
私はあなたを、ディオン様にへばりつく害のある女性だと思っておりました。
何しろディオン様は、意識のないあなたに出会った時からすでに、あなたに魅了されていた。
扱いのようすが、明らかに他の女性とは違う。
だからよっぽど、媚びて取り入っているのだと思っておりました。」
「まあ、そうだったんですか、ディオン様?」
「そうだよ。
君は特別さ。
出会った頃から気になる存在ではあったけれど、メイベルと話せば話すほど、君を好きになっていくんだ。
ソマーズ、今のは良かったよ。」
「えっ、僕まで二人のいちゃつきの口実に使われたのですか?」
「自分から、僕がどれだけメイベルを思っているのか話してくれたよね?」
「それはメイベル嬢に対する不躾な態度を謝罪したかったからです。」
「ふふ、ありがとうございます。
私はディオン様の害になるような関係にはなりません。
だからソマーズ卿、安心なさってください。」
「ありがとうございます。
では次へ参りましょう。」
「よし、次のデートに出発だ。」
「楽しみですわ。」
あなたにおすすめの小説
愛される日は来ないので
豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。
──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。
愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。
貴方でなくても良いのです。
豆狸
恋愛
彼が初めて淹れてくれたお茶を口に含むと、舌を刺すような刺激がありました。古い茶葉でもお使いになったのでしょうか。青い瞳に私を映すアントニオ様を傷つけないように、このことは秘密にしておきましょう。
貴方の運命になれなくて
豆狸
恋愛
運命の相手を見つめ続ける王太子ヨアニスの姿に、彼の婚約者であるスクリヴァ公爵令嬢リディアは身を引くことを決めた。
ところが婚約を解消した後で、ヨアニスの運命の相手プセマが毒に倒れ──
「……君がそんなに私を愛していたとは知らなかったよ」
「え?」
「プセマは毒で死んだよ。ああ、驚いたような顔をしなくてもいい。君は知っていたんだろう? プセマに毒を飲ませたのは君なんだから!」
婚約者は妹のような幼馴染みを何より大切にしているので、お飾り妻予定な令嬢は幸せになることを諦めた……はずでした。
待鳥園子
恋愛
伯爵令嬢アイリーンの婚約者であるセシルの隣には『妹のような幼馴染み』愛らしい容姿のデイジーが居て、身分差で結婚出来ない二人が結ばれるためのお飾り妻にされてしまうことが耐えられなかった。
そして、二人がふざけて婚姻届を書いている光景を見て、アイリーンは自分の我慢が限界に達そうとしているのを感じていた……のだけど!?
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?
綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。
相手はとある貴族のご令嬢。
確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。
別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。
何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?