悪魔

夕時 蒼衣

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目撃

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 わたしが買い出しに一人で隣町に行ったときに、その男は現れた。もう何度も来ている町だった。いつもの街並みだった。ただ、その男だいるという事実を除いうては。その男を見て、わたしは固まった。信じがたい現実を目の当たりにした。どうして、その男がここにいるのか理解できなかった。頭が今起きているこの現実に、まったく追いつかない。どうして。どうして。どうして。頭の中で、何度も問う。この現実を受け入れたくない。わたしは一刻も早くこの場から立ち去ろうとした。
 だが、そんなわたしの気持ちとは裏腹に、その男はわたしの方に近づいてきた。
「久しぶりだね、こはるちゃん。やっと見つけたよ。ずいぶんとあれから探したんだよ。」
聞き馴染みのある声。嫌というほど聞いたその声はわたしを恐怖へと陥らせる。
「どうして。」
その頭の中の問いを口にするだけで精いっぱいだった。わたしの精いっぱいの抵抗だった。しかしその声はかすれていて、弱弱しかった。結果として、その男にとって抵抗でも抗議でもなかったことは言うまでもない。
「親戚のおばさんがね、ここら辺に住んでいるんだよ。お前は知らなかったと思うけどね。僕をどれまでほとんど会ったことなかったんだけれどね。手当たり次第に連絡をとって、こはるの居場所を探していたんだよ。そしたら、週に一回、毎回決まった曜日にこはるがこの町に来ていることがわかってね。本当に、ずいぶんと探したよ。こはる。お兄ちゃんと一緒に家に帰ろう。」
 寒気がした。兄はわたしを道具でしか思っていない。わたしは兄の玩具なのだ。かわいがるだけ可愛がって、いらなくなるとポイと捨てる。でもそれが他の誰かに渡って、その人が大事そうに持っているのが嫌なのだ。兄は母親に甘やかされて育った、ただの子どもだ。中身は幼稚園児なのだ。要領がよいというのがせめてものの救いだと、わたしは常々思っていたが、それが災いを生むなんて。わたしは兄を勘違いしていた。ただの幼稚園児だと。兄は中身は幼稚園児だが、成長していたのだ。もっと執念深く。嫉妬深く。成長していた。
 手をつかまれて、夢中で抵抗した。手を振り払おうとしたが、力が強く、振り払えない。それどころか、つかむ力はどんどん強くなり、わたしの抵抗をものともしない。
「今、お母さんが病気で大変なんだよ。なあ、こはる。」
「馴れ馴れしくわたしの名前を呼ばないで」
その瞬間、結んでいた髪をぐっとひっぱられた。その反動で力なく、わたしは兄のほうへ、倒れた。男はわたしの腰に手をまわし、耳元でこうささやくのだ。
「前みたいに、家族水入らずで仲良くしようよ。今度は母さんの邪魔もはいらない。こはるちゃん、僕をがっかりさせないでくれよ。それに、断ったら、どうなるかわかっているよね。」
「やめて。近づかないでやめて。」
そうたびに、わたしを抱くその腕は力が込められた。どうにか男から逃げようとするが、その腕がそれを許さない。
「そんなに抵抗して、後で痛い目見ても知らないよ。」
「やめて、おねがい。やめて。」
男の目には彼女を通り越して、別の人物がうつっていた。その人物は、男からは遠くにいたがそれで充分だった。その人物が立ち去るのを見て、彼女を拘束する手を緩めた。彼女は男を細い腕で突き放した。
「わたしはもう、あなたの言いなりになんてならない。お金がほしいんだったら、渡すから、すぐにわたしたちの前から消えて。もう、あなたにわたしは用はない。あんな人たちわたしは、家族だなんて思ってない。父さんがいなくなってから、あの家にいて幸せだと思ったことなんて一度たりともない。もう、関わらないで。」
息をするのも忘れるくらい、夢中になって叫んでいた。涙はとおの昔に枯れていた。涙の枯れた目で男をにらんだ。男はそのにらみを笑顔で返した。
「そうか。じゃあ、彼となかよくね。こはるちゃん。」
そう言って、立ち去った。兄にしてはあっけなかったが、それほどわたしに興味がなくなったのだと思った。一気に力が抜けた。わたしはその場に倒れこんだ。 
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