霧の中に悪魔がいる

full moon

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第三節

ミコトバの乳(10)

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 その一連の光景を老婆は横目で見ていた。

田堂の息子に水がかかった時、老婆は一瞬驚いた表情を浮かべた。

私は篠生へ駆け寄る。

篠生の肩に手を触れようとした。

しかし、ふと脳裏に感染したくないという恐れが現れ、距離を保つ。

「何て事をさせるんですか」

私は怒りに任せて、老父に言う。

「まさか、本当に水をかけるとは思っていなかったよ」

老父は言う。

ははっと薄笑いしながら話を続ける。

「でも、静かになれば、悪魔に見つからず、皆が生きていられる」

老父は答える。

私は奥歯を噛み締める。

口を開けば、喧嘩になる。

込み上がる怒りと不満を何度も飲み込んだ。

篠生の体は震えていた。

「戻ろう」

私は篠生を誘導して、元の席へ戻った。

田堂の母は息子をハンドタオルで拭いている。

けほけほ。

配達員の空咳が聞こえる。

篠生は席に座ると、俯いている。

私は無意識のうちに老父を睨んでしまう。

「ねえねえ、お父さん、これ見て」

隣の席に居る娘が椅子の背から身を乗り出して、私にひそひそと言ってきた。

娘の手にはコップが握られている。

そのコップはびっしりと結露していた。

娘は人差し指でアニメのキャラクターの絵を描いていた。

「上手いね。そう言えば、今日の夜にそのアニメがあったね」

私は答える。

「うん」

娘は描き進める。

結露が指先に集まり、雫となり滴る。

私は不安感を悟られないように笑みを作る。

「将来は絵描きさんかな?」

私は娘に訊ねる。

「うん!」

娘は絵を描きながら軽やかに答える。

娘の眼差しがより真剣になる。

気が付けば、窓の外は陰り始め、店内も薄暗くなっていた。

これがいつまで続くのか。

「もしかしたら、そのアニメ、今日は観れないかもしれないんだ、ごめんね」

「ううん、大丈夫」

娘は夢中に書き進めながら言う。

外が暗くなるにつれて、心細さというか虚無を感じる。

私は、カバンにランタンがある事を思い出した。

「携帯用ですが、ランタンを持っています」

私はカバンからランタンを二つ取り出した。

「明かりは助かるわ」

田堂の母が言う。

「お婆さん、点けてもいい、ですか?」

私は老婆に聞く。

「カーテンを閉めよ。明かりで、悪魔が集まってしまう」

老婆は答える。

「今度はカーテンか。だとさ、篠生」

老父は言う。

「あなた、やり過ぎですよ」

老婦が言う。

「あ? お前は黙って、わしの指示に従っていればいいんだよ」

老父の苛立ちに老婦は黙る。

篠生は無言で立ち上がり、カーテンを閉め始める。

「篠生さん、従う必要は無いんですよ?」

私は言う。

「篠生がしたいんだよな?」

老父は煽り立てる。

篠生は動作を止める。

小さな間が空いて一つ呟く。

「はい」

小さく呟くと、再びカーテンを閉めに回る。

それを見た私もカーテンを閉めに回る。

外で死んだ人がもたれかかる窓に来た。

全く動いた形跡は無い。

出血した傷口は、ボディメイクにしては生々しく精巧過ぎる。

私は、その人から目線を外すようにそこの窓のカーテンも閉める。

全てのカーテンが閉まった。

店内は一段と暗くなった。
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