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プロローグ

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空は雲ひとつなく晴れ渡り、闘技場には溢れんばかりの群衆が集う。その中心にそびえ立つ断頭台は、いままで切り裂いてきたものたちの返り血でその全体を赤黒く染め上げている。 

そしていま一人の罪人が、手足に何重もの拘束具をまとい、ゆっくりとその処刑場に向かい連行されてゆく。

全身に刻まれたおびただしい数の傷跡は、その罪人がどれほどの戦場で戦ってきたのかを物語っている。
しかしそんな勇ましい肉体に反し、その顔は中性的で、切れ長の目に輝く琥珀色の瞳と、無造作に肩まで伸びた白銀色の髪は、荒々しくも美しくさえあった。

そんな罪人の処刑であるからだろうか、処刑という惨たらしい見世物にこれほどの国民が集い、あるものは涙さえ流しているのは。

そしていま、罪人は中央にそびえ立つ断頭台へと登り、最後の時を待つ。

罪人の名はアース

下賤の生まれでありながら帝国の将軍にまで登りつめ、一騎当千、帝国兵団の象徴とまで称えられた男が、なぜ今こうして処刑されようとしているのか、ことの始まりは二日ほど前にさかのぼる。


その日は5年にわたり続いた隣国との戦勝記念日であり、国中が勝利の美酒に酔いしれていた。そんななかアースはその戦争での功績を認められ玉座へと招かれていた。

「皇帝陛下よ、不肖アースただいま戻りました。」
「うむ、アースよ、先の戦争での活躍見事であったぞ。そこで主に褒美を用意したいのだが、何か望みはあるか?」

「しかし、皇帝陛下よ、我が望みは強さただ一つにして、恩賞と言われましても……」
「フッ、おぬしのことだからそう言うと思ってな、先に用意しておいたのだ。我が帝国に伝わる国宝ジュワユーズをな」

その皇帝の言葉に呼応するように、配下が運んできたのは見事な一振りの剣であった。

国宝『ジュワユーズ』────逸話では竜の首ですら切り落としたとされるその剣は、鞘やつかに施されたその装飾もさることながら、白銀色に光輝くその刀身が気品さを帯びる、まさに国宝と呼ぶにふさわしい一品であった。

通常は皇帝の即位式といって儀礼や祭り事にしか持ち出されることのないその剣を、いち将軍に与えるなど、帝国史上類をみない出来事であり、それはアースの武功に対しての最大級の敬意の表れであったといえる。

「しかし、皇帝陛下よ、ジュワユーズを与えていただくなど、この上ない名誉でございますれば、それでも我には、その剣をいただくことはできません。装備とは我そのものなのです。我が剣も盾も槍も弓も軍馬でさえも、幼き日より共に育って来ました。その剣をいただくというのは我の強さを否定することと同義なのです」

「なにをいうアースよ、武を極めんと欲すおぬしに、これ以上の褒美などないであろうに。それにだ、おぬしは我が軍の将軍であり象徴だ。そんなお前がいつまでも古ぼけた装備をしていては軍の沽券に関わるのだ」

実際、帝国内の間ではアースの生まれとそのみずぼらしい格好を馬鹿にするのが酒の席の一つのネタとして流行していた。

基本的にはアースに地位を抜かれていった貴族達の嫉み嫉みだったが、アースのあまりに強すぎるその力は、味方からさえも恐れられるほどであり、また強さにしかこだわらない性格もあいまって、アースのことを快く思っていないものは少なくなかった。

そういった事情を鑑みた上で、皇帝はアースの将軍としての確固たる地位を築くためにも、ジャワユーズの授受という異例の行いに踏み切ったのである。

「しかし、皇帝陛下よ、申した通りです。それ以上の言葉は、我を愚弄するとご理解ください」
「おぬしこそ余を愚弄するつもりか。アースよ、これはお前への恩賞なのだ、黙って受け取るが良い」

「……そうですか……わかりました」

そういうとアースは黙ってジュワユーズを受け取った。

一時はどうなることかと思われた険悪な空気も、その場に居合わせったものたちの割れんばかりの祝福の拍手で包み込まれてゆく。

そうして紆余曲折はあったものの、その場は丸く収まったとだれもが思ったその時、アースは受け取ったばかりのジュワユーズを鞘から抜き取り、その場に突き刺し言い放った。

「皇帝陛下よ、あなた様が愚弄した我が剣と、この帝国が誇る国宝ジュワユーズ、どちらが我にふさわしいかこの場で証明いたしましょう」

そう言ってアースは、今度は自分の腰から剣を抜き取り、構えをとる。

そうなっては誰にもアースは止められない。いや、ことさら止めようともしないのは、誰もがジュワユーズの勝利を信じて疑わなかったからだ。

なぜならジュワユーズに対するアースのその剣は、刃こぼれさえある薄汚れたただの鉄剣だったのだから。いくらアースとはいえ、ジャワユーズがそんなただの鉄屑に負けるはずがないと、誰もがそう楽観視していたのだ。

しかし、次の瞬間────彼らは言葉を失った。

その目に映ったのは、剣を振り終えたあとのアースの姿と、横一文字に真っ二つに斬られたジュワユーズだったのだから。まさに紫電一閃、その場にいた誰もアースの剣撃を捉えることはできず、ただ目の前の事実から、アースがジュワユーズを叩き斬ったのだと認識することしかできなかった。 

そうした沈黙もつかの間、事態を飲み込んだ1人の大臣は、思い出したようにアースを罵った。

「アース貴様、なにをしたかわかっているのか」
「はい、いただいた剣が見事だったので、さっそく試させていただきました」
「ジュワユーズだぞ!国宝だぞ!それを貴様────」

荒ぶるその大臣を制止したのは、他でもない皇帝であった。皇帝は憐れむような目でアースを見つめると、静かに言い放った。

「アースよ、貴様を反逆罪で死刑に処す」
「えっ?」
「許せよ、アース。お前は強すぎる。そして、ただ強いだけで本当の強さを知らぬ。そのような人間はいずれこの国を破滅へと導きかねないのだ。」
「しかし、皇帝陛下────」
「刑は2日後だ、それまで神にでも祈るがいい」

アースはその言葉に力なく立ち崩れた。
幼い時より家族もおらず、ただ生きるために武器を手にし戦ってきたアースにとって、強さとは武力であり、それがアースの全てだった。そしてそのアースの強さを認め、貴族や大臣の反対も押し切りアースを将軍へと任命したのは、他でもない皇帝陛下だったからだ。

そうして、アースは独房へといれられ、今こうしてその生涯を終えようとしているのであった。

だが、戦場で多くの命を奪ってきたアースにとって「死」とは恐れるものでもなければ、忌み嫌うものでもなかった。いずれは自分にもおとずれるものであり、それがこのような形で刑に処さられるからといって、皇帝陛下への恨みも一切なかった。

むしろこうして死を前にして、アースにあったのは充実感と呼ぶべき感情であった。いつ死んでもおかしくなかった少年は、強さだけを求め将軍にまで上り詰めた。そして、その最後に己の強さがゆえに死ねるのだから、この処刑はアースにとってむしろ幸福だとさえ思えた。

しかし、そこにただ一点の曇りがあるとするならば、それは皇帝陛下の言葉だった。

独房に入れられた後もアースはそのことだけをずっと考えていたが、結局その答えは見つからなかった。金も女も名誉も、己が欲してきた全てのものを己の武力のみで手に入れてきたアースにとって、それ以外の強さなど見つかるはずもなかった。

そうして心に残る一片の陰り、それを人は後悔と呼ぶのだろうが、アースはむしろそれに歓喜した。自分には知らぬ強さがある、自分はまだ強くなることができると、アースは死を前にしてもなを、さらなる強さを欲したのだ。

そうして笑いながら、鳴り響くドラの音の中、アースは20年というその短い生涯に幕を閉じた。


後に、アースの名はその武勇や最後の汚名と共に伝説として語り継がれることになるのだが、アースの死後そこにはもう一つの伝説が加えられた。アースが使用していた装備品はすべて回収の対象として命令が下ったのだが、ジュワユーズを叩き切ったあの鉄剣はもちろんのこと、槍や盾、軍馬でさえも、まるでアースの後を追うように、こつぜんと消えたのである。

それが、アースにまつわるもう一つの伝説『神隠し』であったが、もちろんそれをアースが知る由はなかった。


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