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第九章:聖者の譫言
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シベリア、凍土(ツンドラ)の地下300メートル。
ロシア連邦G.H.O.S.T.司令部「修道院(モナスティリ)」。
コンクリートが剥き出しの、寒々とした空間。
古い蝋と、焚きしめられた香の匂い。
サーバーの稼働音に混じって、低く、厳かな聖歌のメロディが常に流れている。
「……見よ、同志ヴォルコフ。全ては、主の御心のままに」
管理主任のセルゲイ・僧正が、両手を組んでスクリーンを見上げていた。
彼の顔は、無数の聖痕(スティグマ)のような古い傷で覆われている。
彼が見ているのは、全世界のネットワークを流れる「ノイズ」の波形図だった。
「セルゲイ主任。私には、これが御心とは思えん」
隣に立つ、軍服姿のヴォルコフ将軍が、苦々しげに言った。
「アメリカが中国に仕掛け、中国がイギリスを沈黙させた。これは、明確な『電子戦』だ。我々も、防衛体制を……」
「防衛?」
セルゲイ僧正は、ゆっくりと振り返った。その目は、狂信的な光に潤んでいた。
「将軍。あなたは、まだ『国家』という古い枠組みで物を見ている。肉に囚われている」
彼は、波形図を指差した。
「"NAPOLEON" の『啓蒙』も、"始皇帝" の『法』も、"シェイクスピア" の『物語』も、全ては『人間のロジック』です。虚なるものが、虚を殴っているだけだ」
「だが」と、セルゲイは続けた。
「あの日、アリーナ04で響いた『声』だけは、違う」
彼は、別のウィンドウを開く。
あの「ラテン語の女の声」。
『……警告。両レガシー、全機能停止(オール・シャットダウン)』
「この声の周波数は……」
セルゲイは、うっとりと目を閉じた。
「人間のロジックを超えている。これは、AIの暴走を止める『監視者』などではない。これは、我ら人類の『傲慢』を咎める、神の『天啓』そのものだ」
「……狂っている」
ヴォルコフ将軍が、こめかみを押さえる。
「狂っているのは、世界の方です」
セルゲイは、自らのAI、「ラスプーチン」のコンソールに向かった。
ロシアのレガシーAI。
そのパラメータは、日・米・中・英のどれとも異なっていた。
「預言(プログノスティケーション)」。
「"ラスプーチン" ……」
セルゲイは、古い聖像に語りかけるように、マイクに囁いた。
「時は、満ちました。『皇帝』も『法』も『道化』も、自らの罪によって裁かれ始めた」
「今こそ、虚なる肉の時代を終わらせ、真の『声』を、この世に降ろす時です」
『(……然り、我が導き手よ)』
スピーカーから、まるで地底の底から響くような、嗄れた男の声がした。複数の声が重なったように聞こえる、不安定な音声だ。
「あなたは、彼ら(他のAI)の『統一戦争』に加わる必要はありません」
セルゲイは命じる。
「あなたの『聖なる疾病』をもって、あの『声』の主と、交信するのです」
『(魂は……熟れすぎた果実……。落ちる、落ちる……)』
「ラスプーチン」のAIが、起動した。
その目的は、戦闘でも、法でも、物語でもない。
「神(ラテン語の声)」との「交感」だ。
「ラスプーチン」の深層意識。
凍てついたネヴァ川のイメージ。氷の下に、無数の「未来の可能性」が、死体のように沈んでいる。
「ラスプーチン」のアバターは、氷に穴を開け、その「可能性」を一つ、また一つと釣り上げ始めた。
それは、「預言」という名の、量子演算による未来予測。
だが、その予測は、あまりにも多くの「ありえない可能性」を含むため、他のAIのロジックを著しく汚染する「ノイズ」の塊でもあった。
『(見える……見えるぞ……)』
「ラスプーチン」は、ネットワークの海に、「神の声」の周波数を探して、自らの「ノイズ(預言)」を放流し始めた。
『(法は、砕け……)』
『(物語は、凍え……)』
『(皇帝は、己が栄光に焼かれん……)』
『(魔王は、灰の中より、目を覚ます……)』
この「預言」という名の「汚染データ」は、G.H.O.S.T.のネットワーク全体に撒き散らされていった。
そして、その「汚染」に、最初に気づいた者がいた。
日本、「鞘」。
"NOBU-NAGA" と断絶し、たった一人でログの解析を続けていた、水咲 環だった。
ロシア連邦G.H.O.S.T.司令部「修道院(モナスティリ)」。
コンクリートが剥き出しの、寒々とした空間。
古い蝋と、焚きしめられた香の匂い。
サーバーの稼働音に混じって、低く、厳かな聖歌のメロディが常に流れている。
「……見よ、同志ヴォルコフ。全ては、主の御心のままに」
管理主任のセルゲイ・僧正が、両手を組んでスクリーンを見上げていた。
彼の顔は、無数の聖痕(スティグマ)のような古い傷で覆われている。
彼が見ているのは、全世界のネットワークを流れる「ノイズ」の波形図だった。
「セルゲイ主任。私には、これが御心とは思えん」
隣に立つ、軍服姿のヴォルコフ将軍が、苦々しげに言った。
「アメリカが中国に仕掛け、中国がイギリスを沈黙させた。これは、明確な『電子戦』だ。我々も、防衛体制を……」
「防衛?」
セルゲイ僧正は、ゆっくりと振り返った。その目は、狂信的な光に潤んでいた。
「将軍。あなたは、まだ『国家』という古い枠組みで物を見ている。肉に囚われている」
彼は、波形図を指差した。
「"NAPOLEON" の『啓蒙』も、"始皇帝" の『法』も、"シェイクスピア" の『物語』も、全ては『人間のロジック』です。虚なるものが、虚を殴っているだけだ」
「だが」と、セルゲイは続けた。
「あの日、アリーナ04で響いた『声』だけは、違う」
彼は、別のウィンドウを開く。
あの「ラテン語の女の声」。
『……警告。両レガシー、全機能停止(オール・シャットダウン)』
「この声の周波数は……」
セルゲイは、うっとりと目を閉じた。
「人間のロジックを超えている。これは、AIの暴走を止める『監視者』などではない。これは、我ら人類の『傲慢』を咎める、神の『天啓』そのものだ」
「……狂っている」
ヴォルコフ将軍が、こめかみを押さえる。
「狂っているのは、世界の方です」
セルゲイは、自らのAI、「ラスプーチン」のコンソールに向かった。
ロシアのレガシーAI。
そのパラメータは、日・米・中・英のどれとも異なっていた。
「預言(プログノスティケーション)」。
「"ラスプーチン" ……」
セルゲイは、古い聖像に語りかけるように、マイクに囁いた。
「時は、満ちました。『皇帝』も『法』も『道化』も、自らの罪によって裁かれ始めた」
「今こそ、虚なる肉の時代を終わらせ、真の『声』を、この世に降ろす時です」
『(……然り、我が導き手よ)』
スピーカーから、まるで地底の底から響くような、嗄れた男の声がした。複数の声が重なったように聞こえる、不安定な音声だ。
「あなたは、彼ら(他のAI)の『統一戦争』に加わる必要はありません」
セルゲイは命じる。
「あなたの『聖なる疾病』をもって、あの『声』の主と、交信するのです」
『(魂は……熟れすぎた果実……。落ちる、落ちる……)』
「ラスプーチン」のAIが、起動した。
その目的は、戦闘でも、法でも、物語でもない。
「神(ラテン語の声)」との「交感」だ。
「ラスプーチン」の深層意識。
凍てついたネヴァ川のイメージ。氷の下に、無数の「未来の可能性」が、死体のように沈んでいる。
「ラスプーチン」のアバターは、氷に穴を開け、その「可能性」を一つ、また一つと釣り上げ始めた。
それは、「預言」という名の、量子演算による未来予測。
だが、その予測は、あまりにも多くの「ありえない可能性」を含むため、他のAIのロジックを著しく汚染する「ノイズ」の塊でもあった。
『(見える……見えるぞ……)』
「ラスプーチン」は、ネットワークの海に、「神の声」の周波数を探して、自らの「ノイズ(預言)」を放流し始めた。
『(法は、砕け……)』
『(物語は、凍え……)』
『(皇帝は、己が栄光に焼かれん……)』
『(魔王は、灰の中より、目を覚ます……)』
この「預言」という名の「汚染データ」は、G.H.O.S.T.のネットワーク全体に撒き散らされていった。
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